ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。 半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語に興じ、 旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

小池壮彦

● 本 : 『日本の幽霊事件』 (小池壮彦著)

2010年メディアファクトリー発行

 『怪奇事件の謎』の小池壮彦による怪談レポート。日本と題してはいるが、実際には首都圏に起きた幽霊騒動を扱っている。
 取り上げられているのは、以下の13の場所である。

1.麻布一連隊跡地(現・東京ミッドタウン)
2.文京区白山の円乗寺(八百屋お七の墓がある)
3.埼玉県新座市の市場坂橋
4.浅草界隈(大正11年に養父母による十歳の少女お初殺しがあった)
5.多摩川調布堰(多摩川ダム)
6.吉原界隈(恋愛がらみで自害した廓の遊女・玉菊)
7.浅草の永見寺(玉菊の墓がある)
8.日本橋界隈(江戸時代罪人の晒し場や牢獄があった)
9.荒川放水路(昭和初期頃まで赤ん坊の捨て場所になっていた)
10.中川鉄橋(JR常磐線・亀有~金町間)
11.世田谷区羽根木公園
12.玉川上水・牟礼のどんどん橋(昭和34年に幼い姉妹の心中があった)
13.玉川上水・渋谷界隈(著者小池の高校時代の家庭教師をめぐるエピソード)

 文献や報道資料や土地の言い伝えをもとにしながら、実際にあった事件や事故を再構成し、その背景に潜む因縁を読み解いていく。その意味で、ただの怪談紹介ではない。『怪奇事件の謎』同様、主眼となるのは、時を超えて語り継がれる「物語」が誕生した社会的要因(政治的圧力・社会情勢・タブー等)や心理的要因(民衆の様々な欲望・恐怖・不安・妬み・恨み等)を探ることにある。

 怪談は真実を追うきっかけに過ぎないが、きっかけがなければ埋もれてしまう事実がある。それが本書に通底するテーマであり、私の一貫したモチベーションである。(本書「あとがき」より)

 東京の地図を傍らに、事件の舞台となった場所を探し当てながら読むと、臨場感が味わえる。

 ソルティが「へえ~、そうなのか!」と興味深く思ったのは、八百屋お七の事件である。
 愛しい人と再会したいがために自宅に火をつけ、市中引き回しの上、鈴ヶ森刑場で処刑された江戸時代前期の八百屋の娘の話として、映画にも舞台(浄瑠璃・歌舞伎)にも落語にも漫画(美内すずえ『ガラスの仮面』)にも歌の題材(坂本冬美『夜桜お七』)にもなるほど有名な話である。
 ところが、実はお七に関する史実はほとんどわかっていないのだそうである。

 歴史の考証家が首を傾げてきたのは、お七の素性を調べれば調べるほど、妙な矛盾が生じてくることだった。単なる創作とばかり言えないような事実の改変がなされていたり、間違えるはずのないことを間違えていたりする。
 しかも、お七の事件は、公的な資料にはまったく記録がない。幕府の正史である「徳川実記」は一言も記しておらず、奉行所の判例集にも公判記録は載っていない。それでいて、お七と同じ年に放火の罪で火あぶりになった“お春”という十六歳の少女の事例は載っているのである。これはどう考えてもおかしいだろう。
 
 お七が火あぶりになったとき、読売(瓦版)はその模様を全国津々浦々に報じてまわった。ニュースの反響は凄まじく、後追い自殺も生んだという。こうした大げさにも思えるエピソードを一概に誇張とばかりも言えないのは、今日でもアイドルが非業の最期を遂げれば、似たようなことは起こるからである。それに事実として、江戸時代にお七を偲ぶ歌謡や伝承は全国に流布していた。お七事件の影響が各地に及んだことは間違いない。しかし、それでいて膨大な数に及んだはずの瓦版は、後世に一枚の痕跡も残していない。これもお上の命令で資料が破棄された結果のように思えるのである。(本書より)

 お七の事件が公的記録から抹殺された背景には何があるのか。
 小池がそこを推理する部分はとても面白い。
 そして、公的圧力により“事実”を隠蔽され、その結果さまざまに粉飾歪曲されながらも、大衆の胸の琴線にふれる“真実”として後世に伝えられていくお七の情念を思うとき、「物語」と「ひと」との切っても切れない関係を見るのである。


炎の恋人





 
 
 
 

● タブーの破壊者 本 : 『怪奇事件の謎』 (小池壮彦著)

2014年学研パブリッシング刊行


 事実は小説よりも奇なり――
 だが、ある人物は、その事実が「フィクション」であると言う。
 この世は「フィクション」で成立している。
 この世で起こる「怪事件」やさまざまな「事象」「出来事」の真相や真実は巧妙にコーティングされ、“監禁”されてきた。
 監禁された真相や真実には何が隠されているのか――
 すべては、日本という国家の本当の姿へと繋がっていく・・・・・
(本書裏表紙の紹介文より)


 ネットが登場する前、庶民がニュースを知るのは新聞やテレビ・ラジオのニュース番組が主だった。
 そこでは字数や尺(放送時間)の制限もあるし、第一報はできるだけ客観的な事実に即したものにしようとするメディアの方針もあって、5W1Hに基づいた表面的な事実の列挙、いわばニュースの単純な骨格が提示される。
 たとえば、

19××年10月5日、栃木県Y市の市営住宅に住むA子(29歳)が、同居の父親B男(53歳)の首を着物の紐で絞めて殺害した。逮捕されたA子の供述によると、「最近できた恋人と一緒に暮らすために実家から出ようとしたが、父親に猛反対された。このままでは自由になれないと思い殺してしまった」

 この記事だけを読みそれ以上の関心を持たなければ、
「育ててくれた実の親を殺すとはなんて性悪な娘だ」
「それも結婚に反対されたというだけの理由で。最近の若者は短絡的だ」
「きっと、娘がロクでもない男につかまったのを父親が阻止したのだろう」
「若い女一人の力で壮年の男を絞殺できるものだろうか。もしかしたら、その恋人は共犯者かも・・・」等々、想像をたくましくするかもしれない。最近の若者のキレやすさに批判的な目を向けつつ・・・。

 事件になにがしかの新奇さ(視聴率につながるような)や社会的重要性があれば、ニュースはテレビのワイドショーや週刊誌に引き継がれる。より突っ込んだ取材と扇情的な構成のもと特別な報道枠が設けられる。事件の起こった土地の様子が描き出され、近隣の住民の声が紹介され、専門家やコメンテーターの憶測が垂れ流される。視聴者は事件の背景をおぼろながら知るようになる。骨格が肉付けされる段階である。


 父親は無職で昼間から酒ばかり飲んでいた。
 気に食わないことがあると暴力を振るっていた。
 A子は一人で家計を支え、父親と幼い妹を養っていた。
 母親はとうの昔に愛想をつかして家を出ていた。
 恋人の男は職場で評判の好青年だった。
 A子は以前にも一度父親の反対で結婚をあきらめたことがあった。
 紐で首を絞められるとき父親はいっさい抵抗しなかった。


「ロクでもないのは父親のほうだったんだ」
「A子も可哀そうに。思いあまったんだろうなあ」
「家出した母親はともかく、だれか周りに相談できる人はいなかったのだろうか」
「父親はなぜ抵抗しなかったんだろう? 酔っぱらっていたのか。あるいは死にたかったのか?」
「でも、実の親を殺したのだから極刑は免れまい」
 
 視聴者はメディアが組み立てたストーリーを興味津々読んで、おおむねそのとおりに解釈し、事件を理解する。理解した気になる。A子は裁判にかけられ、事件は司法の手に渡る。よほど大きな事件でない限り、あるいはよほど衝撃的な展開がない限り、裁判の様子が細かに報道されることはない。あとは「どういう判決が下ったか」が忘れた頃に分かればよい。

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 週刊誌でもワイドショーでも、報道される内容には限界があることを知ったのは何歳くらいだったろう? 記者がどんなに深く丁寧な取材をしても、警察に食らいついて情報を仕入れどんなに真相に迫る説を組み立てても、それがそのままメディアに乗るとは限らない。いや、真相に迫れば迫るほど、報道の自由が失われていくことがあると知ったのは?
 おそらく、それを知ったときにソルティは“社会”と出会ったのだと思う。
 つまり、タブーというやつである。

 日本には様々なタブーがある。

 天皇制、右翼、裏社会、政治権力がらみ、アメリカがらみ(GHQ、在日米軍など)、同和問題、マイノリティの人権(障がい者、LGBT、在日、先住民族など)、原発、エイズ、宗教関連、犯罪加害者及び被害者の人権、少年犯罪・・・・。
 他にも地域には地域特有のタブー(風習、迷信、禁忌など)があることだろう。
 メディアにおける最大のタブーは広告主の逆鱗に触れることだろう。Jニーズ事務所もか。

 こういったタブーに報道内容が抵触する時、真実のほうが歪められる、少なくとも大衆の目から覆い隠されるということが起こる。
 あるニュース報道に接した時に、どこか違和感をもったり、すっきりしないものを感じたり、奥歯にものが挟まったような扱いをしているなあと思ったり、唐突にその事件の報道が立ち消えになったとき、上のようなタブーによって煙幕をかけられている可能性がある。
 それは別に全部が全部悪いことではない。
 犯罪被害者の人権を守るために氏名や場所が特定されないからといって、「真実が伏せられている!」と憤るのはあまりに幼稚である。場合によっては、真実よりも、真実を知ることよりも大切なことがある。
 一方、国家権力とか国際圧力とかマスコミの「自主規制」という名の畏縮(=事なかれ主義)によって真実がたわめられているのを見るのは、気持ちのよいものではない。

 ネットの登場がこのあたりの事情を変えたのは言うまでもない。マスコミ関係でも警察関係でもない一般大衆が、事件の詳しい背景を知るのはワイドショーや週刊誌を通してが関の山であった。とくに離れた地域で起こった事件について不審に思ったとしても、個人で取材や調査のしようもない。せいぜいが(ソルティがよくやるように)週刊誌の記事の行間を読んで、「なにかタブーの匂いがするなあ。あれかな、これかな?」とあたりをつけるくらいである。
 匿名性と即時性と脱地域性を特徴とするネットの登場によって、我々はいまや離れた地域で起こった事件についても、警察の公式発表以上のこと、マスコミの報道する以上のことを知ることができるようになった。(1997年に起きた神戸児童連続殺傷事件の被疑者の少年の顔写真がネットで流れたことを覚えている人は多いだろう)
 インターネットはタブーの最大の破壊者である。事件の裏に潜んでいる隠された事情を、事情通の人間が匿名性という防御に恃んで大っぴらにすることができる。
 国家権力や資本家による情報操作を見抜いて洗脳されないようにするには、それは利点と言えるかもしれない。一方で、虚偽が無責任に垂れ流されることで、さらなる人権侵害や混乱が生じる可能性もある。

 本書はまさに、テレビや週刊誌では報道されない怪奇な事件の裏事情について記したものである。
 取り上げられている事件は、上にあげた酒鬼薔薇事件、数年前に犯人宮崎勤が死刑になった連続幼女誘拐殺人事件、菅家利和氏の冤罪が確定した足利事件、都会のど真ん中に建つ幽霊マンション、羽田空港の大鳥居にまつわる祟り、暴走族を懲らしめようと夜の公園に誰かがロープを張った水元公園ロープ殺人事件、33人もの死者を出した1982年のホテルニュージャパン火災事件、高松塚古墳の有名壁画消失事件などなど、どれも世事に疎いソルティの記憶にも残っているほど有名で興味深い事件ばかりである。

 謎だと思われている事件の多くは、些細な事情で便宜的に中身を伏せられているだけということもある。だが、近代法感覚に慣らされた現代人は、なんでも白黒つけたがる癖がある。古来の共同体の知恵に従えば、物語を使った朦朧法が得策なのに、である。
 さまざまな事件を調べてみると、真相そのものよりも、朦朧法によるグレーゾーンの作られ方のほうはおもしろかったりする。真相は知ってしまえばどうということもないのだが、わからないうちは不思議に思えて、なぜグレーなのかと問いたくなる。(本書「あとがき」より)


 著者の小池壮彦(たけひこ)は1963年東京生まれの作家・ルポライターである。歴史上の事件の分析を通じて日本の暗部と宿命にメスを入れている。
 本書で小池の描いた暗部なり事件の真相なりもまた、一つの「フィクション」である可能性は高い。
 だが、真相など結局だれにも分からないのであってみれば、あるいは視点の数だけ真相があるのだとするのなら、主流を占めるフィクションには別のフィクションをぶつけていくことが権力による洗脳から距離を保つひとつの方法なのかもしれない。

 面白い作家を見つけた。


P.S. 記事内のA子による父親殺しは、1968年に栃木県で起きた尊属殺人事件をモデルにしています。当時の新聞やテレビ、ほとんどの週刊誌で書くことができなかった事件の真相(=タブー)についてはこちらを参照ください。



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