2013年新宿書房刊行。

 S先生とは、長年明治大学に勤務したアメリカ文学研究者であり、ハーマン・メルヴィル、フラナリー・オコナー、ウィリアム・フォークナーら著名なアメリカ作家の翻訳者であり、『腰に帯して、男らしくせよ』『墨染めに咲け』などの自伝的小説を書いた小説家でもあった須山静夫(1925-2011)のことである。
 著者の尾崎俊介(1963年生)は、慶應義塾大学文学部に在籍していた若かりし頃、明治大学から非常勤講師として出講していた須山静夫のアメリカ文学の講義を取り、強い感銘を受け、やがて自らの人生の師と心に決め、同じアメリカ文学研究者の道を歩むことになった。
 
 この本は、著者が恩師の死を知った一週間後に書き始められ、その死を悼みつつ、師の人生と人柄と偉大な業績に思いを馳せ、あたかも稀覯本のページをめくるようにそれらを一つ一つ丁寧に確かめながら、須山静夫との27年間に渡る交際を振り返ったものである。材となった人物の姿が浮き彫りになったすぐれた評伝であると同時に、師への尽きせぬ敬意と師を失った著者の深い喪失感がまざまざと伝わってくる心打つ追悼文であり、なによりも二人の人間の出会いと別れの物語――すなわち「師弟譚」「友情譚」として純粋に感動的な作品に仕上がっている。
 日本エッセイスト・クラブ賞受賞も当然であろう。
 
 カバーがまた秀逸である。 
 川崎春彦という日本画家の『曠野』という作品らしい。墨染めの空の下、黄金に輝く麦の穂が波打っている。一粒の麦もし死なずば・・・。
 S先生の生き方を象徴するような絵である。

s先生のこと

 

 一気呵成に読み終えて心に浮かんだ問いがある。
 
 師とはなんだろう?
 人はなぜ師を求めるのだろう?
 なぜある特定の人を師と思い定めるのだろう?
 結局のところ、師はいったい何を弟子に教えるのだろう
 
 そしてまた、この本を読んでいる最中思い浮かばざるを得なかった小説がある。
 夏目漱石の『こころ』である。
 『こころ』もまた師弟譚――「先生」と学生である「私」との交流を描いたものであった。「先生」にも、本書のS先生同様、過去に人生や価値観を変えるほど決定的な悲劇があった。「先生」は大学時代の親友Kを同じ女性(現在の「先生」の妻)を巡る三角関係の果てに自死で失った。S先生は、最初の妻を病気で、長男を自動車事故で失った。連想するのは自然なことだろう。
 だが、『こころ』と『S先生のこと』には大きな違いがある。
 「こころの先生」は――なんだか「こころのボス」みたいだが――過去の悲劇と罪悪感に押しつぶされて、研究者の道を捨て、立身出世も真理の追究もあきらめ、日々何もしないで暮らしている。いわば、人生を捨てている。そんな先生に私淑する「私」は、小説の最後で、師から突然送られた手紙(遺書)を手にして途方に暮れる。関係は途絶し、弟子は暗闇に取り残され、そこで小説は終わる。ぶっちゃけ後味悪い。
 一方、S先生は愛する伴侶と将来ある息子を失うという残酷な運命に遭って、もがき苦しみながらもこの世にとどまり、周囲と関係を絶つことなく熱心に目の前の仕事を続け、後進を育て、家族を愛し、悲惨な体験を文学研究や小説として昇華させてゆく。
 その峻厳なこと!
 
 この違いはどこにあるのだろう?
 明治末期と平成という時代の違いか。(「こころの先生」は‘時代精神’に殉じて自決したことになっている)
 二人の「師」のパーソナリティの違いか。
 それぞれの「師」が体験した悲劇の質の違いか。
 あるいは、独学でヘブライ語まで習って聖書研究に打ち込み、最終的に洗礼を受けキリスト者となったS先生と、なんの宗教も持たないように見える「こころの先生」との死生観の違いか。
 いろいろと考えさせられる比較であるが、当然、S先生の生き方、身の処し方のほうが弟子に取って幸せであることは言を俟たない。「こころの私」が先生の死を目にした後、どんな心境に置かれ、どんな人間観を身につけ、どんな道を進むことになるか・・・。(むろん人生は終わらない。また別の師が「私」前に現れ、「私」を変えてゆく可能性は常に開かれている) 
 一方、尾崎がS先生との長い交流により、人がおよそ人生で手に入れることのできる、もっとも貴重なものの一つを得たことは間違いあるまい。

 
雨の植物


 実を言えば、ソルティもまた学生時代にS先生こと須山静夫氏の講義を受けた一人である。
 アメリカ作家の小説を原典で読む授業であったが、誰の何というタイトルの小説だったか覚えていない。先生の顔立ちも覚えていない。尾崎は映画『七人の侍』に出てくる宮口精二に似ていたと書いているが、そんなにハンサムだったらイケメン好きの自分の記憶にも残っていそうなものだが・・・・・。
 しかし、須山先生が講義する教室の雰囲気は実によく覚えている。
 なぜなら、須山先生が講義している教室はいつも、その日キャンパスで一番“G”が大きいスポットだったからである。
 とにかく重かった・・・・。
 
 ときはバブル突入前夜であった。未曾有の景気の良さは楽観的なムードを日本中に行き渡らせた。テレビではタモリが「ダ埼玉」を馬鹿にし、音楽シーンではユーミンが夏は海、冬はスキーにクリスマスと若者を駆り立て「恋愛の教祖」と呼ばれていた。大学生の必須科目は、ディスコにコンパに海外旅行であった。「ネクラ」や「オタク」や「真面目」は徹底的に軽蔑・敬遠された。当然、自分のいた大学も例外ではない。華やかなもの、明るいもの、軽いもの、ノリのよいものが追求され、快楽主義がお立ち台に上って縦横無尽に扇子を振り回していたのである。
 そんな風潮の中、須山先生の授業と来たら、「重い、暗い、しんどい、つまらない、堅い」。咳一つするのさえ躊躇われるような緊張感ある静寂が支配していた。
 先生には、時代に合わせて自らの講義スタイルを変えようとか、受講生を増やすために学生に阿って「おもしろ、おかしく」しようといった考えがまったくない様子であった。冗談も言わず、世間話もせず、声を立てて笑うこともなかった。講義を重ねるたびに出席者は減っていき、テスト前になるとぶり返すといった按配だった。
 その意味では、本書の中で尾崎が須山先生の印象として述べている「巨木のような人」という表現は言い得て妙だと思う。しっかりと大地に根を張って豪雨や風雪や炎天や落雷によく耐える巨木のように、時流の流れや周囲の変化に動じない芯の強さ、自分が生涯の仕事として選びまた信奉する文学研究に対する‘おタク’なまでのひたむきさ、バブルに浮かれていた学生や世間の大人達とは隔絶したところに独り立ち、文字通り‘地に足がついている感’があった。
 自分もまた尾崎同様、須山先生の‘G’の秘密を、先生の自著『腰に帯びして、男らしくせよ』を読んであとから知った。それは、心の中のブラックホールと常に向き合っているがゆえだったのである。
 

 度重なる嵐に大枝はもぎ取られ、山火事に腸を焼かれ、芯のところには黒こげの大きな空洞が出来ていたけれど、そうした幾多の艱難にも折れることなく立ち続けた巨木。たとえそれが「倒れる力」さえ失っていたからだとしても、最後の最後まで天の一点を凝視して不動の姿勢をとり続けた巨木。先生は強く、大きい人でした。(本書より)


 同じ時期に同じアメリカ文学の講義を通して同じ須山静夫という人物に出会い、尾崎は須山静夫を同じ文学研究を旨とする師と選び取り、結果として人生の師ともなった。ソルティは選ばなかった。むろん、「我以外みな我が師なり」という広い意味では師であったし、「学生時代の忘れられない先生」(なんと少ないことか!)という意味でも師には違いない。
 だが、尾崎が須山との出会いによって卒論のテーマをサリンジャーから須山先生の専門であるフラナリー・オコナーに変えたほどの衝撃は――この二人の小説家はまったくタイプが違う。日本の小説家で言えば太宰治と中上健次くらい違う――自分には訪れなかった。自分が文学研究者としての道をはじめから考慮に入れてなかったこともあろうが、やはり師が現れるのには人それぞれタイミングがあるのだろう。ソルティの師は、30代になって市民活動に身を投じるようになってから現れた。

 
 師とは何か。
 ――こう定義できよう。人が何か大事な決断を迫られるような状況に立ったとき、「こんなとき、○○さんならどうするだろう?」と心の中で自問する、その相手。

 人はなぜ師を求めるのか。
 ――それは「成長したい」という思いがあるからである。
 
 なぜ特定の人を師と選ぶのか。
 ――それは「この人なら自分を成長させてくれる」と直観で見抜くからである。つまり、人ははじめから自分に「何が足りないか」を無意識のうちに知っていて、「何を学べばいいか」も知っていて、「どういうふうになりたいのか」を知っている。その点、恋愛と近いのだが、一般に恋愛が自分に足りないものを自分はそのままでいながら相手に補ってもらうのにくらべ、師弟関係にあっては弟子は足りないものを師の教えを受けながら自力で身につける。
 
 師はいったい何を教えるのか。
 ――何を教えるのだろう?
 むろん、師と弟子とが共に歩む‘道’においての知識や技術や作法やコツや物の見方や心構えは、師が弟子に伝える第一のものである。
 だが、そればかりではない。
 人生の師ともあれば、自らの「生きざま」「死にざま」を赤裸々に弟子の前にさらけ出すことによって、言葉では伝えられない、共に過ごした時間の積み重ね(=体験)によってしか伝えられない何ものかを伝授する。
 それは弟子の胸に強く刻まれて、時とともに深く深く降りていって、ゆっくりと醸成されて熟成し、血肉となり、言葉となり、生き方に反映される。
 そして・・・・・

 
 優しさについて学べば学ぶほど、また、愛の意味を知ろうとつとめればつとめるほど、ジョナサンは、一層、地上ヘ帰りたいという思いに駆られた。それというのも、ジョナサンは、これまで孤独な生き方をしてきたにもかかわらず、生れながらにして教師たるべく運命づけられていたからだし、また、独力で真実を発見しようとチャンスをさがしているカモメに対して、すでに自分が見いだした真実の何分の一かでもわかち与えるということこそ、自分の愛を証明する彼なりのやり方のように思えたからである。(リチャード・バック『かもめのジョナサン』新潮文庫)
 

 尾崎俊介は現在愛知教育大学の先生をしている。これからの仕事のすべては、S先生との二人三脚になるのだろう。