沈まぬ太陽 2001年刊行。

 久しぶりの長編小説にして、はじめての山崎豊子。

 う~ん、さすが七百万部を超えるベストセラーだけあって、息もつかせぬ面白さ。一気呵成に読み上げてしまった。
 面白さの主因は、虚実皮膜というか、「どこまでが事実で、どこからがフィクションなんだろう?」と、好奇心をそそられるところにある。
 文庫本の但し書きにはこうある。

 この作品は、多数の関係者を取材したもので、登場人物、各機関・組織なども事実に基づき、小説的に再構築したものである。

 と来れば、多くの登場人物にモデルとなった実際の人物の存在を想定するし、エピソードのかなりの部分が実際にあったことなんだろうなあと思うのが道理である。悪く書かれているキャラクターや組織のモデルとなった人物・団体は黙っていないだろうなあ~、とか思うわけである。
 実際、この小説を連載していた『週刊新潮』を、日本航空は機内に置かなかったという。


 何と言っても白眉は第三巻の「御巣鷹山篇」。

 1985年8月12日に遭った日航ジャンボ機123便墜落事故の一部始終が、迫真の筆致と、胸をえぐられるような慟哭の基音をもって描き出されている。嗚咽せずに読むのが難しかった。
 乗員乗客524名のうち死亡者520名という、未曾有にして最悪の航空機事故を起こした背景に潜むのが、親方日の丸に依存していた日本航空(作中では「国民航空」)の腐りきった企業体質、いびつすぎる労務管理、政財界との癒着によって甘い汁を吸うことばかりに汲々とし利益追求の旗の下「安全」を二の次にした幹部のつける薬もない無能さ、こうした企業風土の中で疲弊し低下していく社員の士気、であったことをこの作品は暴き出していく。
 中小企業ならこれを機に会社がつぶれても仕方ないほどの、大きな、社会的インパクトのあるこの悲惨極まる事故を起こしたあとですら、日本航空(作中では「国民航空」)は自浄能力を発揮することができなかった。
 登場人物の一人が、その有様を「末期ガン」と表現しているけれど、利権と既得権と賄賂と便宜と天下りと政治的駆け引きと権謀術数と嫉妬と裏切りとが渦巻く、まさに魑魅魍魎の世界がそこには広がっていたのである。
 ううっ、気持ち悪い。

 世の中きれいごとだけでは通じない、清き流れに魚澄まず、というのはいっぱしの社会人なら誰でも理解しているけれど、巨悪のやることはほんとうに常軌を逸している。
 食欲、性欲、物欲・・・・欲にもいろいろあるけれど、権力欲に勝る危険なものはあるまい。他の欲は個人のレベルでおさまるけれど、権力欲は社会を滅ぼしかねない。 とりわけ、それが国(政治家)と結びついた時は自浄能力が期待できないだけに恐ろしい結果となりうる。

 JALと東電は双子のようだ。
 2012年の「沈まぬ太陽」とは原子炉のことである。


 くわばら、くわばら。