ソルティはかた、かく語りき

首都圏に住まうオス猫ブロガー。 還暦まで生きて、もはやバケ猫化している。 本を読み、映画を観て、音楽を聴いて、神社仏閣に詣で、 旅に出て、山に登って、瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

岩下志麻

● 文楽の可能性 映画:『心中天網島』(篠田正浩監督)

1969年表現社、ATG製作

原作 近松門左衛門
脚本 富岡多恵子、武満徹、篠田正浩
音楽 武満徹
撮影 成島東一郎
上映時間 103分

 本作の一番の特色は、通常の劇映画のように写実的な屋内セットやリアリティあるロケ現場を物語の背景として用意するのではなくて、モノクロのシュルレアリズム絵画のような書き割り満載の、しかし簡素極まりない人工照明の舞台装置の中を、歌舞伎や文楽に欠かせない黒衣(くろご)たちが物語の進行を助けるために縦横無尽に動き回る――という実験的・前衛的手法を用いているところにある。
 低予算を逆手に取った奇策であると同時に、原作本来の表現形式である人形浄瑠璃や歌舞伎の雰囲気を色濃く漂わせる妙案でもある。「近松の世界はすべて外は闇で、光の当たっている部分に人間がいる」という篠田監督の解釈がこうした発想につながったらしい。確かに、抽象的で色彩も広がりも持たない演技空間のおかげで物語の閉塞性が強調されている。つまるところすべてのドラマは、狭い人間関係の中で生じていることであり、登場人物の心の中で起こっていることである。端的に言えば、物語とは「自我」の別称なのだから。
 色彩と広がりのない息苦しさは観る者を苛立たせ、疲れさせ、ともすれば集中力を途切れさせるリスクがある。ソルティの近い席のおやじは途中から大きなイビキをかいていた。もちろん叩き起こした。
 だが、野心的な試みは十分評価できよう。

 ソルティはこれまで歌舞伎はともかく、文楽(人形浄瑠璃)は観たことがないので、その芸術的特質というものに疎い。なのではずしているかもしれないが、黒衣たちが人形を操って一定の空間の中で物語を進めていく手法は、いわゆる「メタフィクション」効果があると思う。時代物でも世話物でも、戦記物でも心中物でも、物語そのものを登場人物に感情移入して楽しんだり、人形遣いの見事な腕に感嘆したり、人形の着物や顔の美しさに感動したり、義太夫節や三味線の巧みさに唸ったり・・・というオリジナルな楽しみ方とは別に、人間(人形)たちの織りなすドラマを、本人の知らないうちに外側から操って予定通りの結末に導いていく「操り手」の力を感じ取ることができる。
 これすなわち「宿命」である。
 映画『心中天網島』でも、黒衣たちが文字通り暗躍し、愛し合う男女の心中という悲劇的結末に向かっていくストーリーに積極的に手を貸している。たとえば、ラストシーンでおさん(=岩下志麻)を殺めようとする治兵衛(=中村吉右衛門)の手にどこからか調達した刀を握らせる、その後首つり自殺しようとする治兵衛の首にご丁寧にも紐をかけてやるというふうに・・・。すべては個人の意思とは関係ないところで決められていて、あらかじめ運命の決めたストーリーを個人はプログラム通りに後追いするだけだ(しかし個人はおめでたいことにそのことにまったく気づかない)。
 ――という、ある種の「脱・フィクション観」「反・物語論」をこの映画から感じ取ることができたのであるが、篠田監督が制作当時(1969年)、そこまで意識して撮ったのかは怪しいところである。篠田監督の才能云々の話ではなく、当時はまだまだ「物語」の力が圧倒的に強かったであろうから。その証拠に、たとえば岩下志麻の迫真の演技はまさに「物語」の力そのもので、それを疑わせるような演出上の仕掛け――たとえば筋の随所で出演俳優を象った人形を示すとか――はみじんもない。
 それにつけても志麻姐さんの演技は不思議である。いつも「巧いかどうか」という判定を観る者にさせないほどの美貌と声の威力と高テンションで、最後まで押し切ってしまう。

 篠田の才ということで言えば、やっぱり男優が魅力的でない。『鬼平犯科帳』でブレークした2代目中村吉右衛門はなるほど美男でもセクシーでもないけれど、この治兵衛はあまりに冴えない。主役にふさわしい華を欠いている。愛妻(恐妻?)岩下の相手役ということで、演出の腰が引けたのであろうか。結果、『鑓の権三』と同じ欠陥にはまっている。

 「物語」のメタフィクション化が一般的になった現在、文楽の可能性は広がっているように思われる。
 一度観に行ってみるか。

 

評価:C-

A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!





● 映画:『鑓の権三』(篠田正浩監督)

1986年松竹
上映時間 126分

 池袋で買い物したあと、なんとはなしに新文芸坐を覗いたら、『ー表現舎50周年記念ー 映画監督篠田正浩と女優岩下志麻の映画人生をたどる』と題した10日間の企画をやっていた。
 「おっ、志麻姐さんだ! 今日のプログラムは何だろう?」
 入口の看板を見ると、『鑓の権三(やりのごんざ)』と『心中天網島(しんじゅうてんのあみじま)』。
 どちらも近松門左衛門原作の密通ものである。どちらも未見である。
 タイムテーブルをみると、ちょうど前の回が終了したばかりであった。
 数年ぶりに新文芸坐にて二本立てを観ることになった。

 溝口健二監督の大傑作『近松物語』(1954年、原作は『大経師昔暦』)を挙げるまでもなく、近松の心中物は、封建制度・武家社会・儒教道徳の世で、結ばれてはならない間柄にある男女(あるいは男男)が道ならぬ恋におちいり、義理や体面や恥や道理といったしがらみにがんじがらめとなり、窮地に追い込まれて駆け落ちし、追っ手に捕らわれて処刑される、あるいは心中する、という筋書きを旨とする。その意味で、『ロミオとジュリエット』や『トリスタンとイゾルデ』や『アイーダ』と同系統の「社会(世間)V.S.個人」の物語ということができる。
 個人の自由と平等と権利とが尊重される近・現代社会では成立しづらくなった物語機構である。実際、近松作品の主人公たちの置かれている苦境の質を理解し共感するのは、現代人にはなかなか難しいものがある。
 一方、人を好きになる気持ちや恋愛の最中に発生する様々な複雑な感情はいつの世でもそう変わりがないので、そのあたりを演出家や演技者がうまく表現できれば、時代を超えた感動をもたらすことができる。
 残念ながら、篠田監督はその点で失敗しているように思われる。
  
 『鑓の権三』は近松門左衛門の浄瑠璃『鑓の権三重帷子(かさねかたびら)』を原作とする。鑓の名手であり三国一の伊達男である笹野権三(=郷ひろみ)と、その茶道師範・浅香市之進の妻おさゐ(=岩下志麻)との密通の一部始終を描いている。
 権三に郷ひろみを抜擢した篠田のキャスティングの才は讃えるべきものであろう。この映画の作られた1986年当時、日本で「水も滴るいい男」というにもっともふさわしいのは郷ひろみであった。“ヤング”を抜けた大人の落ち着きと今を盛りの男のフェロモンふんぷんたる伊達ぶりは、対・松田聖子と対・二谷友里恵の恋の狭間にあって、全日本女性のオナペットというにふさわしい存在であった。
 サムライ姿の郷ひろみは確かに凛々しくてカッコいい。美男である。女性なら誰でも見とれるであろう。演技は達者とは言えないが、美貌と適役ぶりに免じて大目に見ることはできる。
 が、残念なことに色気がないのである。
 これは郷ひろみのせいではない。明らかに篠田監督と撮影の宮川一夫のせいだろう。男を色っぽく撮ることができていない。ヘテロ監督ゆえなのか、それともヒロインであると同時に細君でもある岩下志麻に遠慮したせいなのか。せっかく郷ひろみという逸材を持ってきながら、その魅力(=セックスアピール)を十全に生かし切れていない。(権三の敵役で出演している日本芸能界のドン・ファンたる火野正平の魅力さえ画面に移し損ねている!)
 このドラマを成立させる肝は、そこにいるだけで女を濡らしてしまう鑓の権三の伊達ぶり如何にかかっている。なぜ自分の栄達にしか関心がないエゴイストの権三に周囲の女達が次々と虜にされていくかというと、黙っていても漂ってくる権三の色気、すなわち男性ホルモンゆえであろう。
 そこがフィルムに定着されなければ物語は回らないし、せっかくの志麻姐さんの高テンションの熱演も空回りするばかりである。その結果、おさゐが本当に権三に惚れ抜いているようには思えない。
 
 これが木下恵介監督だったら・・・と思わざるを得ない。



評価:C+

A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!






● 北の大地の因縁 映画:『死闘の伝説』(木下惠介監督)

1963年松竹。

監督・脚本 木下惠介
音楽 木下忠司
出演
  • 園部梅乃:  毛利菊枝
  • 園部静子:  田中絹代
  • 園部黄枝子:  岩下志麻
  • 園部秀行:  加藤剛
  • 清水信太郎:  加藤嘉
  • 清水百合:  加賀まりこ
  • 鷹森金兵衛:  石黒達也
  • 鷹森剛一:  菅原文太
  • 源さん:  坂本武
  • 林巡査:  野々村潔

 木下恵介にしては珍しいバイオレンスアクション。

 岩下志麻が出ている!
 なんだか呼ばれるかのように志麻サマの作品を追っているなあ。
 そして、ここでも父娘共演。万年脇役の野々村潔は、スターである娘の演技をどんな思いで見ていたのだろう?
 
 イケメンというよりハンサムな加藤剛と、ほぼ主役と言っていい出番の多さと見せ場を与えられている加藤嘉の2ショットは、もちろん、同じ松竹の名作『砂の器』を連想させる。とにかく加藤嘉の名優ぶりが光っている。
 
 六本木の小悪魔・加賀まりこは、やはり、顔立ちやスタイルや雰囲気が都会的過ぎる。鄙まれな美人というレベルではない。加藤嘉の娘にも見えない。ミスキャストな気もするが、もう一人の鄙まれ・岩下志麻との対比、役の上での棲み分けを考えると、これで良かったのかもしれない。クライマックスで銃を構える凛々しい姿は、昔日の薬師丸ひろ子(in『セーラー服と機関銃』)にも似て可愛い。

 他に、毛利菊枝田中絹代、坂本武といったベテラン俳優陣を配して、演出にはみじんの揺ぎも無い。完成度も高い。
 
 興味深いのは、菅原文太である。
 仁侠映画やトラック野郎など東映の大スターだった文太兄いの珍しい松竹出演作なのである。1967年に東映に移る前に6年ばかり松竹に在籍していたのだ。木下作品にはあと岡田茉莉子主演の『香華』に出ている。
 本作では、村の大地主のドラ息子の役で、岩下志麻演じる黄枝子に懸想するも振られて、怒りから権力をかさに黄枝子一家を窮地に追い詰め、最後は力づくで黄枝子を強姦しようとするが逆に頭を殴られ殺されてしまうという、典型的な悪役、嫌われ役、おマヌケな役を演じている。
 菅原文太はモデル出身なだけに間違いなくハンサムなのだが、加藤剛のような甘いマスクやハーレクイーンロマンスな雰囲気は持っていない。女よりも男に持てるイケメンだ。
 松竹から東映に移って大正解だった。

 さて、この物語は太平洋戦争末期に北海道のある部落で起きた暴動を描いている(おそらくフィクションだろう)。
 暴動と言っても、虐げられた村人たちが地主や政府や軍などの抑圧者に反抗するといった秩父事件的な勇ましいもの・誇らしいものではない。
 
 本州から疎開してきた園部一家は、村の権力者に睨まれたのがもとで共同体から孤立する。権力に阿る村人らは園部一家に嫌がらせするようになる。次第に敗戦の色濃くなると、これまで戦時下の窮乏を耐えてきたストレスと、あいつぐ家族の戦死の知らせに遣りどころのない怒りと悲しみを抱えた村人たちの鬱憤は一気に爆発し、園部一家を標的に山狩りを始める。

 つまり、一つの家族に対する集団リンチがテーマである。
 
 なんて残酷な、なんて恐ろしい映画を木下は撮ったのだろう!
 共同体における自己保身と仲間意識から、よそ者に対する村人の敵意がじょじょに高まり、陰険な陰口や行為(畑を荒らす)を生み、戦時下の日常生活で蓄積された怒りとシンクロして、あるきっかけをもとに暴動が勃発する。
 人間性に潜む個的・集団的心理の怖さや醜さを、木下恵介は、実に鋭く、丹念に、サディスティックなまでに(見方を変えるとマゾヒスティなまでに)容赦なく、救いなき非情さで描き出している。観ていて、ラース・フォン・トリアー監督、ニコール・キッドマン主演の『ドッグヴィル』(2003)を想起したのであるが、そう言えば木下恵介とラース・フォン・トリアーは何となく作風が似ている。一見、ヒューマニストっぽく見えて性悪説なところが・・・。

 音楽は実弟の木下忠司。アイヌの伝統楽器ムックリを使うことにより、緊迫感を高め、同時に北海道という土地に込められた因縁を観る者に感得させるのに成功している。ビョンビョンビョンという音が、見終わった後もしばらくは耳について離れない。

 『カルメン故郷に帰る』でいくら牧歌的な田舎の風景や陽気で素朴な人間を描こうが、木下恵介が血縁や地縁を絆とする日本的共同体(=村社会)に、希望を見ていなかったことは確かである。



評価:B+

A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!






● 松竹というより・・・ 映画:『女の一生』(野村芳太郎監督)

1967年松竹。

 原作は1883年に刊行されたギ・ド・モーパッサンの長編小説。日本ではこれまでに3度映画化されている。
 学生時代に新潮文庫で邦訳を読んだはずなのだが、どういう話かすっかり忘れていた。おそらく当時は、「女の一生」というテーマ自体に関心がなかったからであろう。(‘世界の名作’だから一応読んだのだ)
 
 今回、岩下志麻が目的でDVDをレンタルしたのだが、これがまあ、目茶苦茶面白かった

 舞台を日本の信州に移し変えているとは言え、登場人物の設定やあらすじはほぼ原作のとおりである。
 だから、フランス文学の古典に特徴的なわずらわしい描写表現を捨象したあとに残るストーリー自体と、映像化によって肉付けされた役者達の派手な感情表現が面白いのである。

  • 世の中を知らない温室育ちの少女・伸子(=岩下志麻)は、憧れの美男子・宗一(=栗塚旭)と結ばれる。伸子は宗一に処女を捧げる。(これから始まる初夜の‘不安と期待’に揺れる志麻さまの表情に注目!)
  • ところが、宗一は碌でもないやつだった。伸子の乳姉妹であるお民(左幸子)にも同時に手をつけていて妊娠させてしまう。
  • それを知った伸子は逆上する。が、彼女のお腹にもすでに赤子がいたのである。
  • 「あんな男の子供なんか欲しくない」と絶叫しつつ、伸子は宣一(=田村正和)を出産する。一方のお民は生まれた子供ごと、熨斗を付けてよその男のところに片付けられる。
  • 淋しい伸子は宣一の育児にかまける。夫はまたしても人妻・里枝(=小川真由美)とねんごろになる。ふしだらな二人は、嫉妬にかられた里枝の夫に猟銃で撃ち殺されてしまう。(小川真由美のファビュラスな演技!)
  • 未亡人となった伸子は、東京で大学に通う宣一だけを頼りに静かに暮らしていたが、甘やかされて育った宣一はクズのような男になっていた。無免許運転で人をはねて相手を片輪にしてしまう。
  • 伸子の父・友光(=宇野重吉)は賠償金の工面で、畑や山を処分せざるを得なくなる。
  • かくして一家の没落が始まる。
 ・・・・・・続く。 

 とまあ、次から次へと伸子に災難が降りかかり、ストーリーは目まぐるしく展開し、登場人物は、叫び、怒り、嗚咽し、苦悶する。
 このベタさ加減、何かを思い出す。
 そう、往年の大映ドラマである。
 
 1980年代に大映テレビが制作した実写ドラマは、当初から同業他社のプロダクションが制作する作品に比べて、以下のような特徴が際立っている。
  • 主人公が運命の悪戯に翻弄されながら幸運を手に入れるといういわゆる「シンデレラ・ストーリー」。
  • 衝撃的で急速な起伏を繰り返したり、荒唐無稽な展開。
  • 「この物語は…」の台詞でオープニングに挿入され、ストーリーの最中では一見冷静な体裁をとりつつ、時に状況をややこしくするナレーション。
  • 出生の秘密を持つキャラクターの存在。
  • 感情表現が強烈で、大げさな台詞。 
 これらの独特な演出から、他の制作会社のドラマと区別する意味で「大映ドラマ」と呼ばれていた。
(ウィキペディア「大映テレビ」より引用)

 ちなみに、80年代の代表的な大映ドラマを上げると・・・
  •  スチュワーデス物語(堀ちえみ、風間杜夫、片平なぎさ)
  •  不良少女とよばれて(伊藤麻衣子、国広富之、伊藤かずえ、松村雄基)
  •  スクール☆ウォーズ(山下真司、岡田奈々、松村雄基、伊藤かずえ、鶴見辰吾)
  •  少女に何が起ったか(小泉今日子、辰巳琢郎、賀来千香子、高木美保、石立鉄男)
  •  ヤヌスの鏡(杉浦幸、山下真司、風見慎吾、河合その子、大沢逸美)
  •  花嫁衣裳は誰が着る(堀ちえみ、伊藤かずえ、松村雄基)
 
 松竹なのに大映。
 だから、面白いのだ!
 そして、主演の岩下志麻がまた、押しも押されぬ松竹の看板女優のはずだのに、大映ドラマのノリに見事にはまっている。左幸子、小川真由美は言うに及ばず。
 なるほど、岩下志麻のどことなく過剰なテンションの高い演技は大映ドラマ風である。

 「傑作フランス文学の完全映画化」という煽り文句から敬遠していると損をする。四季折々の信州の美しい風景、田舎町の珍しい風習、懐かしい昭和の日本の情景、宇野重吉や左幸子の重厚な演技など、見所はいろいろあるけれど、この映画の一番のポイントは「岩下志麻、大映ドラマに挑戦」ってところにある。
 どこからか、来宮良子のナレーションが聞こえてくるかと思った。



評価:B+


A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!




● 勝気と狂気、あるいはマクベス夫人がここにいた! 映画:『悪霊島』(篠田正浩監督)

公開 1981年
原作 横溝正史
製作 角川春樹事務所
撮影 宮川一夫
上映時間 131分
キャスト
  • 金田一耕助/鹿賀丈史
  • 磯川警部/室田日出男
  • 三津木五郎/古尾谷雅人
  • 越智竜平/伊丹十三
  • 巴御寮人・ふぶき/岩下志麻
  • 真帆・片帆/岸本加世子
  • 刑部守衛/中尾彬
  • 刑部大膳/佐分利信
  • 吉太郎/石橋蓮司

 実に35年ぶりに観たのだが、そんなに久しぶりの気がしない。
 
 それはこの映画のあるシーンのインパクトが強すぎて、その後の35年間、何気ないきっかけからふとそのシーンが眼前に蘇えることが度々あったからである。そのシーンを悪夢でも見るかのように反芻してきた結果、映画『悪霊島』の記憶はソルティの中で、鮮烈なままにある。
 
 そのシーンとは・・・・・
 耳について離れない不吉で忌まわしい調子のコピー「鵺(ぬえ)の泣く夜は恐ろしい」――ではない。
 切り離された裸の片腕を咥えて犬が村中を走り回るシーン、でもない。
 目を背けたくなるほどにグロい岸本加世子の惨殺死体、でもない。
 気の触れたふぶきを演じる岩下志麻がしどけなく開いた着物の裾から片手を入れて自慰にふけるシーン、でもない(こんな衝撃的な場面があったことを今回見るまで忘れていた!)。
 むろん、とっちゃん坊や風の角川春樹が端役で登場する冒頭のジョン・レノンの死を伝えるニュースのシーン、でもない。
 
 ラストの岩下志麻の‘狂乱の場’がそれである。

 海水がひたひたと底を洗う、岩壁に幾たりかの男の骸(むくろ)が蜘蛛の餌食のごとく飾られた洞窟の暗闇。20年前に自らが産み落とし発作的に殺めた赤子――腰のところでくっ付いたシャム双生児――の骸骨を、いささか鼻にかかった粘着質な甲高い声で、「太郎丸~、次郎丸~」と狂おしく叫びながら、髪も着物も振り乱し、地面に這い蹲り、血眼になって探し回る巴御寮人(=ふぶき)の姿が、そして役に没入した岩下志麻の一線を超えた鬼気迫る演技が、強烈な印象を残したのである。

 岩下志麻と言えば、『極道の妻たち』、『鬼畜』、『紀ノ川』、『切腹』ほか沢山の名作に出演し、たくさんの印象に残る演技を披露している大女優である。ソルティは、彼女の代表作とされる『心中天網島』および『はなれ瞽女(ごぜ)おりん』を観ていないので断言は控えるが、今のところ、岩下志麻の女優としての凄さを一番感じてしまうのが、この『悪霊島』なんである。
 おそらく彼女自身の中では、あるいは実生活上のパートナーでもある篠田監督の中では、70年代末に降って湧いたように訪れた横溝正史ブームに便乗するように企画・製作されたこの映画について、記憶の底のほうに埋もれてしまうほどのマイナーな価値しか感じていないかもしれない。実際、映画の出来自体は、たとえ往年の名キャメラマン宮川一夫の安定した職人技による支えがあるにしても、あるいは、佐分利信の存在感、室田日出男のいぶし銀、石橋蓮司の殺気、岸本加世子の天真爛漫をもって味付けに工夫しているにしても、成功作とは言い難い。同じ金田一耕助ものなら、野村芳太郎の『八つ墓村』(1977)や市川崑の『犬神家の一族』(1976)のほうが断然面白く、完成度が高い。
 
 しかし、岩下志麻という日本映画史に残る大女優の美貌と貫禄、「勝気と狂気」の演技において存分に発揮される他の女優には替えがたい個性的魅力を、40歳の円熟した色気が発散するままに艶やかにフィルムに移し撮った記念碑的作品として、『悪霊島』は決して軽んじてはならないと思うのである。
 
 勝気と狂気――。
 岩下志麻なら、理想的なマクベス夫人を演じられたであろうに・・・。




評価:B-

A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!




● フラジャイル、あるいは僕の瞳が失禁した 映画:『紀ノ川』(中村登監督)

1966年松竹。

 原作は有吉佐和子の同名小説。紀州和歌山の素封家を舞台に、有吉の祖母、母親、そして有吉自身をモデルに女三代の生きざまを描いた自伝的小説。映画では、祖母にあたる花(=司葉子)の嫁入りから死までを、明治・大正・昭和の時代背景の推移に重ねながら描いている。
 とりわけ中心となるのが、花とその娘・文緒(=岩下志麻)の愛憎関係である。その意味では、別記事で書いた有吉原作&木下恵介監督『香華』に通じる。美空ひばり母子と同様に、売れっ子作家であった有吉とその敏腕なマネージャーであった母親との実際の関係が投影されているのかもしれない。

 監督の中村登はよく知らなかった。岩下志麻主演の『古都』(1963)、『智恵子抄』(1967)、萬屋錦之介主演の『日蓮』(1979)が代表作らしいが、ソルティ未見である。前2作はアカデミー外国語映画賞にノミネートされており、国際的評価も高い。「端正かつ鮮やかな作風は映画の教科書と評されている」とウィキに紹介されている。実際、この作品も一部の隙も見られない見事な‘映画’に仕上がっている。
 特に素晴らしいのが冒頭の嫁入りシーンである。
 
 川霧の立ち昇る初夏の早朝の紀ノ川を、川下にある嫁ぎ先に向かう婚礼衣装の花や付き人たちを乗せた何艘かの舟が滑るように進んで行く。滔々とした流れは川辺の緑を映し、晴れ上がった空と山は鮮やかな紀州の風景を観る者の目に焼き付ける。夜の帳の下りる頃、川面に映る篝火とたくさんの提灯に迎えられ、花は嫁ぎ先に仰々しく迎えられる。武満徹の因習的でありながらドラマチックにして雄大な音楽と共に、タイトルバックが極めてスマートに挿入される。
 このシークエンスこそ映画そのもの。「映画とは何か、映画的時間・空間とは何か、映画の快楽とは何か」をまさに教科書のように真正面から教えてくれる。大きなスクリーンで観たら、全身を震わす愉悦に瞳が失禁しそうである。

 主演の司葉子も、これまであまり注目していなかった。小津安二郎作品『秋日和』(1960)、『小早川家の秋』(1961)に原節子の娘役としてキャスティングされていたのと、市川箟監督の金田一耕助シリーズにおける着物姿の控え目なたたずまいが印象に残っている。それと、もちろん、元代議士夫人の肩書きである。
 彼女の女優としての格付けがよく分からなかったのだが、この『紀ノ川』こそが彼女の代表作であり、役者として一世一代の演技であるのは間違いない。この作品でブルーリボン主演女優賞はじめ、いろいろな賞をもらっている。

家柄や家風の違う他家に嫁いだ花は、自己を滅却して亭主に仕え、家を盛り立てていこうと献身する。亭主の浮気や娘の反抗、戦火を乗り越えて、賢く逞しく忍耐強く生きていくも、時の流れに逆らえず、家は没落し財産は奪われる。最後は、娘と孫娘・華子(=有川由紀)に見守られながら、息を引き取っていく。
 
 20代の初々しい娘から、家制度に積極的に殉じる賢婦の誉れ高い議員夫人、そして夫亡き後「家」の束縛から逃れた自由を味わいつつ来し方を振り返る老いたる女まで、明治・大正・昭和を凛として生き抜いた一人の女を実に見事に造形化している。
 調べてみると、司葉子は鳥取県のある村の大庄屋の分家の娘であり、「祖先が後醍醐天皇の密使を務めた」との伝説をもつほどの格式の高い家柄。芸能界に入るにあたって、本家から「そんな河原乞食のようなマネは許さん」と諌められたそうだ。結婚した相手は、弁護士で元自由民主党衆議院議員の相澤英之。親類縁者にも著名人が多い。
 つまり、『紀ノ川』は、作者有吉佐和子の家系の話であると同時に、司葉子自身の家系や半生と通じているのである。主役・花の置かれた環境についてよく理解し得るところであったろうし、感情移入もしやすかっただろう。後年、同じように代議士夫人になったところを見ると、性格的にも花に近いものがあったかもしれない。司葉子は、この作品と運命的な出会いをしたわけである。
 
 娘・文緒を演じる岩下志麻も強い印象を残す。
 岩下は、気の強い剛毅な女性や、ちょっとファナティック(狂気)なところのある女性を演じるとはまる。
 前者の代表は、言うまでもなく『極妻』シリーズ、ほかにNHK大河ドラマ『草燃える』の北条政子や『霧の子午線』(1999)で犯罪者を演じる桃井かおりの顔面に赤ワインをぶっ掛けた有能弁護士役がすぐに思い浮かぶ。演技上のことだとしても、桃井かおりにワインをぶっ掛けることのできる、そしてそれを桃井が許さざるを得ない女優が志麻さまのほかにいるだろうか。
 後者の代表は、『鬼畜』(1978)、『悪霊島』(1981)、『魔の刻』(1985)あたりが浮かぶ。
 『紀ノ川』公開時、彼女は25歳。水仙のように清らかで凛とした美貌が匂ってくる。絣の着物に袴姿、長く垂らした髪に大きなリボンといった大正時代のハイカラ女学生が、自転車を乗り回し、権力横暴を訴え女学生の先頭に立って校長室に直談判しに行く。まさにここで見られるのは‘気の強い’岩下志麻さまである。
 クレジットを見ると、彼女の実の父親である野々村潔の名前があった。新劇出身の役者である。どこに出ているのだろう?と探したら、なんと面白いことに、主人公・花の父親役、つまり岩下志麻演じる文緒の祖父役で出ていた。

 花の亭主(=田村高廣)の弟役で丹波哲郎が出ている。
 やっぱり演技はうまくない。が、存在感は抜群である。
 同じようなタイプの役者を挙げると、ターキーこと水の江滝子がいる。
 丹波はほんとうに作品に恵まれている。出会いの天才だったのだろう。

 173分の長尺を二夜に分けて十全に楽しんだ。
 つくづく思ったのは、「こういう映画はもう二度と作れないんだなあ~」
 お金の問題ではない。題材の問題でもない。
 華のある存在感ある役者がいなくなった。演出や撮影やセット製作や編集の技術も低下した。日本全土開発されて、歴史ドラマのロケ地が見つけられなくなった。なによりも、このような本格的な3時間近い大河ドラマを望んで映画館に足を運ぶ観客がいなくなってしまった。
 むろん、平成時代には平成ならではの映画が撮れるはずである。
 だが、この映画の冒頭シーンに見る美しさを再現することはもう絶対に不可能であろうと思うとき、映画というものがいかにフラジャイルで奇跡的な現象なのかを痛感せざるをえない。
 


評価:A-

A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!





● 武士道を‘斬る’! 映画:『切腹』(小林正樹監督)

1962年松竹。

 小林正樹作品は『怪談』(1965年)に次ぎ、二作目の鑑賞となる。
 やっぱり日本が世界に誇る名監督である。小津、黒澤、溝口、木下に並んで、もっと評価・称賛されても良いと思う。名前が平凡なのが割を食っている一因だろうか。
 
 この作品も一級のサスペンスドラマに仕上がっている。黒澤の『天国と地獄』に勝るとも劣らない。
 二人の男の会話の応酬を中心としながら、ラストの謎の解明と破壊的悲劇に向けて、次第に募りゆく圧倒的緊迫感。三國連太郎と仲代達矢の重厚にして凄みある演技。丹波哲郎の独特の風格。この役者は演技そのものは決して巧くないのだが、演出家が使いたくなるような‘何かもっている’人だ。霊的な‘何か’?
 何より称賛すべきは、脚本の巧みさ。謎の解明と同時に‘生きて’くる伏線をそれとなく張り巡らしながら、緊迫感を醸成するセリフや構成でドラマを形作っていく。さすが空前絶後の天才脚本家・橋本忍。橋本と小林が組んだ時点で、この作品の成功は決まったというべきだろう。 

 『怪談』で魅せた様式美はここでも健在である。
 武家屋敷の簡素で清潔な建築美。侍達の無駄のない振る舞いの美しさ。殺陣の美しさ。それらを十全に生かす演出と照明とカメラワーク。ウィキによると、小林監督は大学時代東洋美術を専攻していたらしい。美的センスは生来のものなのだろう。
 
 平和な江戸の世、仕官先を失い生活に窮した武士が、大名屋敷を訪れて「切腹したいから庭先を貸してくれ」と迫る。困った屋敷方は、彼に金子を与えて引き取り願う。これが世に広まって、引取り料目当ての狂言切腹が横行する。
 こうした世相の中、一人の武士津雲半四郎(仲代達矢)が名門井伊家を訪れて、庭先での切腹許可を申し出る。井伊家の家老斎藤勘解由(三國連太郎)は「その手には乗らず」と、本人の要望のままに切腹を許可する。
 だが、半四郎はただの金子目当ての狂言切腹ではなかった。
 いったい彼の目的は何か。
 
 謎が明かされるにしたがい、観る者は武家社会(封建制)の残酷さや本質的矛盾――武家社会が安定したら武士の存在(出番)は必要で無くなる――を察することになる。武士道の非情や‘張子の虎’のようなくだらないプライドばかりの上っ面加減を知ることになる。
 そしてまた、組織や制度というものが持つ人間性への抑圧を痛感することになる。
 社会のすべての矛盾の一番の犠牲となって苦しむのは常に弱者である。
 この映画では、出演者中ただ一人の女優であるうら若き岩下志麻(半四郎の娘の美保役)が、結核に侵され、乳飲み子と共にあばら家で死んでいく。美保の夫もまた井伊家の犠牲となった一人であった。
 単なる時代劇ではない。現代にも十分通用する社会派ドラマである。

 2011年に三池崇史監督が3Dで再映画化している。
 が、これほど最高のスタッフ陣を揃えた、これほど完成度の高い傑作を前に、はたしてその必要があったのだろうか。疑問である。


評価:A-

A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!



 

● 映画:『元禄忠臣蔵』(溝口健二監督)

前編 1941年12月1日公開
後編 1942年2月11日公開
製作 松竹、興亜映画

 まずは公開日に着目。
 赤穂浪士の吉良邸への討入りは元禄15年(1703年)12月14日であるから、12月公開は何ら不思議なことではない。重要なのは1941年という年。この年の12月8日は日本がハワイオアフ島の真珠湾を攻撃した日。この映画は太平洋戦争開戦直前に封切られたのである。
 さらに、後編の封切りは、紀元節(今の建国記念日)であり大日本帝国憲法の発布日(1889年)である。むろん、紀元節とは神武天皇の即位日とされている。
 製作は松竹だが、金の出所は情報局すなわち大日本帝国。
 忠臣蔵の主要テーマである「報復と忠義」「武士道」を、忠心愛国・大和魂に結びつけ、戦意高揚をはかったわけである。

 なにぶん古いフィルムの上に、話される言葉も時代劇調(歌舞伎調)なので、登場人物が何を言っているのかよくわからない。あらすじが分かっていなければ、途中で観るのを断念しただろう。(字幕があったらいいのに・・・)
 それでも観続けざるを得ないのは、徹頭徹尾、この映画が‘本物’だからである。
 綿密な時代考証に基づいたセットや風俗や衣装(松の廊下は原寸大だという)はもとより、格調高い演出、役者の重厚な演技、撮影技術・・・・・どれも当時の日本映画産業のなし得る最高レベルの贅沢を誇っている。
 それを可能ならしめたのは出資者がほかならぬ日本国だったから。DVD特典映像の新藤兼人監督――この作品で建築監督を務めた――へのインタビューによると、当時映画一本の製作費が6-8万円のところ、この映画はセット代だけで38万円使ったとのこと。内容以外のところでは、費用や期間に頭を悩ますことなく、やりたいことが全部できたのである。

 なにより特筆すべきは、主人公大石内蔵助を演じた四代目河原崎長十郎の存在感たっぷりの風格ある演技である。本当に昔の役者は‘格が違う’と言わざるを得ない。鷹揚とした表情はむろんのこと、身のこなしも口振りも威厳があって、「この男になら命をあずけよう」と家臣たちが思うのも無理もないと感じさせる。(この人の息子は一昔前にテレビドラマでよく温厚な父親役を演じていた河原崎長一郎である。)
 内蔵助の妻おりくを演じている山岸しづ江は、実生活上でも長十郎の連れ添いであった。なので、二人の演技の息がぴったりなのも当然である。しづ江の姉の山岸美代子もまた役者であったが、その娘が岩下志麻である。(つまり、河原崎長一郎と岩下志麻はいとこ同士になる。) フィルムの山岸しづ江の姿に志麻姐さんの面影を探したが、それほど似ていない。志麻姐さんは父親似(野々村潔)なのだな。

 キャストのうち知っている役者がほぼ皆無という中で、当時23歳の高峰三枝子が最後の最後に登場し、ミスキャストぶりを発揮している。切腹が迫っている恋する浪士と最期に一目会うために小姓姿に身をやつす一途な娘の役は、冷徹な大人の美貌をもつ高峰には似合わない。しかも、恋人の自死を前に自らの命を絶って操を捧げるとは・・・。
 おそらく当時国民的スターであった高峰の登用を決めたのは溝口ではなく、情報局だろう。高峰は溝口映画には、後にも先にもこれ一本しか出ていない。
 溝口が選びそうにない女優だもの。

 前後編あわせて3時間40分もあるこの映画には、なんと肝心要の吉良邸への討入りシーンが出てこない。40分くらいはそこに使われるだろうと思っていたので、肩すかしの感があった。
 自分(ソルティ)は時代劇のチャンバラシーンや西部劇の銃撃シーンが昔から好きではないので、別にがっかりということはなかったのだが、世間一般的には「なぜ一番大事な、一番心湧き立つシーンを撮らなかったの?」であろう。
 上記の新藤兼人のインタビューによれば、「リアリズムを重視した溝口監督が討入りシーンを撮るなら、本当に人を斬らなければならないから」とか、「映画全体のトーンを配慮して」とか、「あくまで原作(青山青果)にしたがったまで」とか、確たる理由は明らかでない。
 ここからは推測だが、溝口監督はやはり国策映画を撮らされることに内心忸怩たるものがあったのではなかろうか。
 だから、もっとも観客を興奮させ戦意を奮い立たせる討入りシーンをあえて挿入しないことで、秘めたる抵抗を示したのではないだろうか。
 溝口健二と反戦思想は馴染まない気もするが、孤高の芸術至上主義者で個人主義的であった溝口監督とファシズム(情動に煽られた全体主義)は、まったく相容れない関係のように思うのである。
 
 だとしたら、木下恵介とはまた異なったふるまいによる戦時の芸術家の世過ぎと言うべきか。 


評価:B+

A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!



 



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