1962年日活制作。

 鋳物の街でキューポラ(鉄の溶解炉)が多く見られた埼玉県川口市を舞台とした青春ドラマ。主人公ジュン(吉永小百合)の周りで起こる貧困や親子問題、民族、友情、性など多くのエピソードを描いている。
 脚本は浦山の師である今村昌平との共同執筆であり、日活の助監督だった浦山の監督昇格デビュー作である。ブルーリボン賞作品賞受賞作品。主演の吉永も今作でブルーリボン賞主演女優賞などを受賞し、大きく飛躍するきっかけになった作品である。(ウィキペディア「キューポラのある街」より抜粋)
 
 何といっても当時17歳の吉永小百合の輝きが最大の見どころ。
 まさにスター誕生!
 道で擦れ違った100人が100人とも振り向かずにはいられない可憐なる美少女ぶりもなるほど凄いものではある。が、最大の魅力は、溌剌とした生の輝きと、作為をまったく感じさせない体当たり演技の爽快感である。大人になった小百合が身につけてしまった「美しく」撮られることへの使命感から来る作為や、抑制された感情表現のつまらなさ、サユリストによって作り上げられてしまった「清純イメージ」の結界の中での自縄自縛が、まったくない。――でありながら、天然に「美しく、清純」な小百合がここにいる。
 全作品を観ていないので断言できないが、おそらく吉永小百合の生涯ベスト1であろう。
 半世紀以上、彼女がこれを超える作品と出会えなかったこと、これを越える印象的な演技を生み出せなかったことは、はなはだ残念だしもったいない気もするけれど、たとえば外国の女優を見ても、オードリー・ヘップバーンの『ローマの休日』、ヴィヴィアン・リーの『風と共に去りぬ』、リンダ・ブレアの『エクソシスト』など、若い日のたった1本の作品が女優としての代表作にして最高傑作になってしまう例はたくさんある。
 むしろ、吉永小百合と『キューポラのある街』との出会いの奇跡を祝福し、監督デビューにして見事、十代の小百合の魅力をあますところなくフィルムに焼き付けた浦山桐郎の手腕を称えるべきであろう。
 
 小百合のみならず登場する子役たちも素晴らしい。
 ジュン(小百合)の弟タカユキを演じる市川好郎は助演男優賞ものの闊達な演技。この人は、その後、『美しい十代 』(1964)、『網走番外地 悪への挑戦』 (1967)、『太陽を盗んだ男』 (1979)、『二百三高地』 (1980)、『人生劇場』 (1983)などを経て、1993年に亡くなっている。享年45歳とは若すぎる。この役者の代表作もやはりこれであろう。
 さらに、ソルティ世代では水戸黄門と言えばこの人、東野英治郎が頑固一徹の職人で酒癖の悪いジュンの父親・辰五郎を演じている。何の映画に出ていても、この人の存在感は半端ではない。
 日活時代の小百合の黄金のパートナー浜田光夫も隣家に住む青年として登場する。当時を知らない者からすると、「なぜこの人がそんなに人気あったの?」と不思議に思わざるを得ない平凡なルックス、平凡な演技である。小百合が引き立つから?
 さらに、ジュンの担任教師を演じている加藤武がいい味出している。この人は実際に英語の先生だったはず。昨年亡くなっている。市川崑監督「金田一耕助シリーズ」の「よしっ! 分かった!」が懐かしい。
 
 この映画では60年代初頭の貧しい庶民の暮らしぶりが描かれている。
 鋳物工場の危険な重労働、劣悪な労働条件、みすぼらしい路地の家々、職を失い酒浸り(今なら「アルコール依存症」)の一家の主、貧乏子沢山、お金がなくて進学をあきらめる子供たち、将来に希望が見出せず不良化する若者たち、在日朝鮮人差別と北朝鮮帰還運動、そして福祉の欠如・・・。
 ともすれば自暴自棄になりそうな底知れないぬかるみの中で、泥中の蓮のごとく、一人希望の光を放っているのがジュンこと吉永小百合であり、物語を暗さから救っているのが子供たちの無邪気さである。
 現在ソルティは社会福祉士国家試験の勉強をしていることもあって、こういうドラマを見ると、頭の中で自然とソーシャルワークしてしまう。
 この貧困と絶望の連鎖から抜け出るために、ジュンの一家はどういう制度が活用できるのか。
 シュミレーションしてみよう。
 まず、辰五郎は長年働いてきた鋳物工場を体の故障と年齢が原因で解雇される。そのことが、そうでなくとも貧しい一家の家計に深刻なダメージをもたらす。
 まず、解雇に正当な事由があるとしても、
  1. 退職金がもらえるかもしれない。
  2. 告知なしの解雇ならば、一ト月分の給料はもらえる。
  3. 雇用保険(失業保険)が3ヶ月の待機期間なしで受給できる。
  4. 辰五郎の体の故障はそもそも仕事中の事故が原因らしい。ならば、労災(労働者災害補償保険)認定が可能である。障害補償一時金や障害補償年金がもらえるかもしれない。
  5. 辰五郎夫妻には中学生以下の子供が4人いる。児童手当がもらえる。
  6. 辰五郎の再就職先が見つからず、どうにもこうにも生活が立ち行かないのであれば、生活保護を申請という手がある。
  7. 年金や健康保険料の納付に関しては減免手続きができる。
  8. ジュンの高校進学の学費については奨学金を申請する。 
――といった福祉制度の利用が考えられる。
 辰五郎一家はこのうちの一つも受給していない。社会扶助らしいものが出てくるのは、修学旅行に行く費用が工面できないジュンに川口市から補助が出るエピソードくらい。それも、担任教師の差配で可能になったのである。
 むろん、1962年にはなかった制度や特例もある。たとえば、⑤の児童手当は1972年開始だから、もらえるはずがない。(これがあったら、一家はかなり救われたであろう。今なら中学生以下4人の子供について月額50,000円もらえる勘定になる)
 それ以外の制度は、今ほど中身が充実していないにしても62年にはすでにあった。
 いくら良い制度があっても、実際に利用できないことにはどうしようもないという現実がここにはある。
 制度の存在(社会資源)と実際の活用状況(ニーズ)とのズレの原因は、いろいろあろう。
  1. 市民がそもそも制度の存在について知らない。福祉制度は基本、申請主義なので知らないことには利用できない。
  2. 制度の存在を知っていても(映画の辰五郎がそうであったように)意地やプライドから、あるいは「負け組」スティグマがつくのを恐れて、利用するのを拒む。
  3. 手続きの煩雑さにメンドクサさが先立つ。
  4. せっかく申請しても役所にシャットアウトされる。
  5. 表立って会社や公的機関と争う――争うのではなく当然の権利の行使なのだが――のを好まない日本人特有の謙譲の精神。
 映画では、一家の長である辰五郎の昔ながらの職人気質、依怙地なプライド、組合や労働運動(=アカという偏見を持っている)に対する不信感が、制度の利用を阻む主因となっている。クビになった工場の仲間たちが善意から集めた見舞金さえ、「アカの世話にはならない」と受け取るのを断る辰五郎。妻やジュンをはじめとする子供たちはそんな辰五郎をどうにも説得しようがない。気に食わないことがあれば酒を飲んで暴力すら振るうのだ。
 ここに、福祉制度の利用を阻む今ひとつの壁が指摘できる。
 ――家父長制。
 
 権力と決定権を持った一家の主が「ウン」と言わなければ、どんなに良い社会資源があっても、またそれが家族にとって役立つものであることが明白であっても、ニーズと資源とがマッチングすることは叶わない。妻子は、頑固親父の犠牲になるしかない。

 物語の最後で、元の職場にめでたく復帰することが決まり、祝い酒に酔う辰五郎に向かって、ジュンは宣言する。
「わたしは全日制の高校には行かないことにした。昼間は工場で働きながら、自ら稼いだお金で定時制高校に通う。お父さんにまた何かあると困るから」
 こうやって、戦後の女性たちは自立の道を歩んで行ったのだろう。
 
 「キューポラ」とは家父長制の象徴なのかもしれない。



評価:B+

A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!