『伊豆の踊り子』『雪国』で有名なノーベル文学賞作家川端康成は、美術品の蒐集家としても知られていた。
 現在(6/19まで)、東京駅丸の内北口にある東京ステーションギャラリーで、川端が集めた美術品・工芸品の数々が展示されている。家族連れでごった返しているGW中の東京駅は、ソルティにとって鬼門以外のなにものでもないのだが、東京国際フォーラムで開催中の「ラ・フォル・ジュルネ」鑑賞と合わせ、勇を鼓して出かけた。
  
川端コレクションとラフォルジュルネ


川端コレクションとラフォルジュルネ 001


川端コレクションとラフォルジュルネ 002

 まず、コレクションの多さとバラエティに感嘆する。
 展示されている70点あまりの作品の内訳は、
  • ロダン、東山魁夷、古賀春江、草間彌生などの現代美術の粋。
  • 作者不詳の埴輪、土偶など芸術的価値と考古学的価値を兼ね備えた逸品。
  • 与謝蕪村『十宜図』、池大雅『十便図』、浦上玉堂『凍雲篩雪図』といった国宝指定の名品。
  • 人間国宝・黒田辰秋による木目の美しい漆塗りの工芸品や北大路魯山人の陶器。
  • 数は少ないが、鎌倉時代の聖徳太子立像、アフガニスタンの仏頭など仏教美術。
  • 李朝の陶器や磁器。
 いろいろである。
 個人の蒐集なのだから当たり前と言えば当たり前。川端が、縁あって出会い特に気に入ったものを、出版社に借金してまで次々と購入した結果なのである。共通するのは、川端がそこに「美」を感じたという点、そして一部の作品が購入したあとで国宝指定されたことが示すように、質の高さはまぎれもなく川端の審美眼の一流であることを証明している。

 東山魁夷の作品が多いが、魁夷の絵の持つ「人間の不在感」が川端文学のテーマと共通しているように思う。
 川端は、『反橋』という小説の中で、作者の分身と思える主人公の男にこう吐露させている。

 美術品、ことに古美術を見てをりますと、これを見てゐる時の自分だけがこの生につながってゐるやうな思ひがいたします。さうでない時の自分は汚辱と傷枯の生涯の果て、死の中から微かに死にさからってゐたに過ぎなかったやうな思ひもいたします。


 川端康成が、己の中に‘離人症的虚無’を生涯抱え続けていたのはよく指摘されるところである。生得的なものなのか、子供の頃に家族を次々失い16歳で孤児となった身の上のせいなのか。それが、愛する対象から常に一定の距離を置いて観察するような恬淡な文体を作ったのであろう。そして、まちがいなく美術品は、常に距離を置いて観察することを許してくれる愛すべき対象であり、観る者を失望させたり裏切ったりする恐れはないのである。
 昨今、川端の虚無を『魔界』といった視点から読むのが流行っているらしい。
 久しぶりに純文学してみようかな・・・。
 
 美術品のほかにも、菊池寛、横光利一、岡本かの子、谷崎潤一郎、林芙美子、三島由紀夫、瀬戸内晴美(寂聴)ら往時の有名作家との往復書簡、川端の初恋の女性・伊藤初代との失意に終わった恋文のやりとり、ノーベル文学賞のメダルと賞状、川端自身の手による見事な書、芥川賞の選考委員であった川端に太宰治が「何卒私に賞をください」と縷々に訴えている何ともいじましい手紙・・・・・等々、とても見応えある面白い展示であった。連休中なのに混んでいないのが罰当たりなくらい。
 
 ソルティが一番感動し気に入ったのは、アフガニスタンの仏頭(3-5世紀と推定)である。
 古代ギリシア彫刻の流れを汲む白大理石のブッダの頭像。西洋と東洋が見事に融合された美しく高貴で柔和な慈悲深い顔立ち。
 思わず、ガラスケースの前で手を合わせ「慈悲の瞑想」をしてしまった。
 ‘虚無’を吸い込んでくれるのは、この透徹した眼差しだけである。

アフガニスタンの仏頭
 
 (公益財団法人川端康成記念館所蔵)