ソルティはかた、かく語りき

首都圏に住まうオス猫ブロガー。 還暦まで生きて、もはやバケ猫化している。 本を読み、映画を観て、音楽を聴いて、神社仏閣に詣で、 旅に出て、山に登って、瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

巡礼

● カイコするすべもなく 本:『秩父巡礼ひとり旅』(福田常雄著)

1981年現代書林。

 著者は1917年岩手県生まれ。
 教職、岩手日報を経て、岩手放送代表取締役をつとめるも61歳で現役を退く。その後は、「来たるべき高齢社会において中高年層はどう生きるべきか」を命題とし、バンクーバーで一人暮らしをしたり、寺社巡礼したり、故郷盛岡のスケッチ画集を作ったり、中国の古典文学『菜根譚(さいこんたん)』を紐解いて本(『今だから読む菜根譚―強く淡然と生きる』PHP研究所)を書いてみたり・・・・・と、著者の言葉を借りれば、自らを対象として「生体実験」してきた。
 日本中が浮かれ騒いだ狂乱のバブル直前に、まだ十分活躍できるのに一線を退き、高齢社会の老いのあり方をいち早く模索した福田は、慧眼の士と言えるだろう。30年以上前に彼が投げかけた問いが、いまや日本中の中高年の命題となっているのである。
 生きていれば101歳だが・・・。

 福田が60代前半に行った秩父34ヵ所札所巡礼を綴ったのが本書である。近所の図書館のホームページの検索機能で見つけた。
 
 いま自分が歩いているのと同じ道を37年前に歩いた人の見聞録を読むのはなんとも面白い体験である。その記録が旅行案内書的なものでも寺院建築や仏像の解説書風なものでもなく、個人の実感を中心にした生き生きしたものであるならばとくに。そのうえ福田は写生の心得があり、道中出会った風景や事物を味のある巧みな筆さばきで描いている。それがデジカメ撮影の写真より、数段も風土や旅情を感じさせてくれる。
 37年前とは変わらぬ現在の秩父を確認したり、月日の流れに変貌を余儀なくされた在りし日の秩父を思い浮かべたり、まったく同じ道を歩いて同じものを目にしても歩く人が違えばまったく異なる見解を抱くことになるという当たり前の事実に思い至ったり、そもそも同じ道を歩いても人間が違えば見えるもの聞くものが違ってくる、つまり興味を惹かれる事物が異なることに納得したり。ソルティはいま秩父札所30番まで打ったところであるが、本書を読んでずいぶん「見落としたなあ~、気づかなかったなあ~」と思うところがあった。逆に、ソルティが惹かれて記事にした事柄で本書に触れられていないものもあるわけで、「旅とはあくまでオーダーメイドなのだ、いや人生そのものがオーダーメイドなのだ」と気恥ずかしくもベタな感慨に耽った。
 
 著者とソルティの共通した関心に秩父事件がある。
 やっぱり、この事件を語らずして秩父および秩父人を語ることはできないのだろう。

(平将門のエピソードが)今も地名や橋にその名をとどめているというのは、権力に対して抵抗した秩父事件のこの地方として、もっともなことかも知れない。秩父人に流れる血の潜流かも知れない。

 一方、37年間でずいぶん開発が進んでいるのも確か。
 ソルティが歩いた住宅地が当時は田畑や森林である。バブル直前・エコロジーブーム到来前ならではのイケイケ列島開発の模様が、粉塵を上げて国道を爆走するセメント会社のトラックの記述から浮かび上がる。著者が見学した札所15番と16番の間にあった製糸工場(秩父蚕糸会社)も今はない(平成8年操業停止)。著者が道中ところどころで目にしている養蚕農家の風景もソルティはまったく気づかなかった。カイコするすべもない。

蚕


 巡礼ブームの訪れる前だった当時、秩父を巡る人はそれほど多くなかったであろう。無住で荒れ果てたお堂(21番観音寺)の記述も見られる。また、徒歩巡礼者のための手ごろな地図もなかったようで30番以降の長距離で途方に暮れている著者の様子が今は昔である。現在は、秩父札所連合会作成のきめ細かいわかりやすい地図を各札所で無料でもらえるし、Googleマップも簡単に見られる。ソルティもここまでほとんど迷わなかった。


「なぜ巡礼しているのですか?」
 

 結願を目の前にした吉田町の食堂で、福田は隣に座った都心から来たセールスマン風の青年から問いかけられ、虚を突かれる。
 このくだりが本書の肝であろう。
 福田はこう記している。

 私ははじめから願いごとを胸に秘めて発ったのではなかった。須弥壇の秘仏の本尊を前にしてて、般若心経をあげる時も、あやかろうとする気持ちは何もない。
 しかし静寂な堂宇のしじまにひとり坐って、畳の感触を膚に覚える時、遠く過ぎ去った子供のころ、田舎のお寺で聞いた梵鐘が耳によみがえり、浮世の波で流失した魂が、再びわが胸に戻るのを知る。

 自分を見失って走り回った若さの傲りを、私は今こうした六十路の旅で、遅ればせながら反省している。
 しかし、若い者たちの時代には、その傲りも許されていいのではないか。だから私の心理過程はその青年には説明しないで別れた。


 残り2日(札所4つ)の遍路を前に、本書を読めたのはラッキーであった。





 

● 秩父34ヵ所札所めぐり 第3日(24番から30番)

 第3日は山歩きも含めての長丁場なので、翌日も休みの土曜日を選んだ。
 体力の低下よりむしろ体力の回復が課題の今日この頃である。あとあとの事を考えて慎重になってしまうのは寄る年波。若い時はあとの事など考えなくてよかった。人間の性質というのは体力に規定されるところ大きいとつくづく思う。

 舞台はいよいよ秩父の街を離れ、山裾から山間へと分け入っていく。そのわかりやすい徴しが第28番橋立寺にある鍾乳洞。石灰岩でできている武甲山の西端にあり、酸化した雨水によって彫琢された大自然の芸術である。
 古来、巡礼者はこの荘厳を見て何を思ったのだろう?


鍾乳洞
注:これは橋立鍾乳洞ではありません


●挙行日  2018年5月26日(土)
●天気   晴れのち曇り
●行程
07:25  西武秩父駅よりタクシー乗車
07:35  佐久良橋
        歩行開始
07:50  第24番・法泉寺(滞在15分、以下同)
08:30  秩父十三仏霊場・向岳山宝林院(5)
08:50  第25番・久昌寺(25)
09:35  柳大橋
10:05  第26番・円融寺(15)
10:45  岩井堂(10)
11:10  護国観音
        昼食(30) 
12:00  第27・大渕寺(10)
12:15  第28番・橋立寺(45)
        鍾乳洞見物
13:35  第29番・長泉院(20)
15:40  秩父鉄道・白久駅(15)
16:20  第30番・法雲寺(30)
17:25  秩父鉄道・三峰口駅
        歩行終了 
●所要時間  9時間50分(歩行時間6時間10分+休憩時間3時間40分)
       ・・・休憩時間には昼食および各寺での滞在時間を含む
●歩行距離  約21キロ(毎時約3.5キロ)

 西武秩父駅よりタクシーに乗り、前回巡礼路を離れた地点である佐久良橋へ。ワンメーター。
 ここからしばらく荒川沿いの県道72号を行く。
 初夏の陽射しに武甲山が神々しい。

秩父札所めぐり3日 001


 右手に急な石段が現れた。
 第24番法泉寺である。
 登ったところでやおら振り向いた景色は一幅の絵のよう。


秩父札所めぐり3日 002



秩父札所めぐり3日 003



秩父札所めぐり3日 004
法泉寺観音堂
山門と本堂が一体になっている(江戸中期の建築)


 境内ではお寺の関係者が掃除をしていた。お寺を清めることから一日を始めるのはさぞ気持ちいいことだろう。
 面白い言い伝えがある。
 武州恋ヶ窪の遊女が口の中の痛みに悩んでこの観音に祈願したところ、修行者から爪楊枝をもらった。それで手入れしたら痛みがすっかり無くなった。以来、口腔の病に霊験ありと謳われるようになった。
 一昔前の恋ヶ窪と言えば、大岡昇平&溝口健二の『武蔵野夫人』に出てくる武蔵野の森と豊かな水流を想起する。現在は堂々の住宅地である。こんなところに遊女がいたのである。果たして遊郭があったのだろうか?


秩父札所めぐり3日 005


 調べてみると、鎌倉時代このかた恋ヶ窪は奥州方面から鎌倉・京都への交通の要衝で大きな宿場町だったそうである。となると、もちろん遊郭はあった。なんと源頼朝に仕えた秩父の武将畠山重忠と夙妻太夫(あさづまだゆう)の悲恋伝説が伝えられている。額絵の遊女は夙妻太夫その人か?
 『武蔵野夫人』もそうであるが、恋ヶ窪というロマンチックな名前が人をして恋愛モードに突入させるのであろうか。
 
 第25番久昌寺に向かう途中に秩父十三仏霊場と書かれた幟を見かけた。
 秩父には34ヵ所観音巡礼のほかに80年代に生まれた十三仏霊場(とみ参り)というのもある。その第4番が宝林院である。

秩父札所めぐり3日 006
宝林院普賢堂
 

 県道沿いに生い茂る木々の間より荒川にかかる朱色の巴川橋(ともえかわばし)を望む。秩父の町は橋がユニークである。

秩父札所めぐり3日 007
巴川とはこの付近を蛇行して流れる荒川の異名


秩父札所めぐり3日 008
振り向けば武甲山
水田に苗を植える男たち


 荒川を離れ、これまで左前方に仰いできた武甲山を背にする形で久昌寺に至る。
 観音堂の裏手に池があり、春は桜やカタクリ、夏は蓮、秋は曼殊沙華や紅葉、冬は雪景色と、四季折々の風情が水面に映えて、とても優美である。
 岩屋に棲んでいた鬼女の伝説に見るように、昔は里人が近寄らぬ地だったらしいが、いまでは四季折々に訪ねたい秩父の隠れた名所と言えよう。


秩父札所めぐり3日 009



秩父札所めぐり3日 010
観音堂の傍らに祀られている像。役行者? 脱衣婆?


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弁天池の向こうに観音堂を望む


秩父札所めぐり3日 012
本堂を望む


秩父札所めぐり3日 013
凶暴な性格のため村人から疎まれ岩屋に隠れ住んだ鬼女
思うにある種の精神障害だったのではなかろうか


 ここからしばらくのどかな里の道を辿り、下って荒川を渡り、上って秩父鉄道を超え、武甲山の麓に至る。
 野原や民家の垣根に咲いた素朴な花々、犬を散歩させるおじさん、ゆったりした足取りで地区の公民館に向かう老人たち。田舎の休日らしい平和な光景である。今日はまだ二つの寺に参詣しただけであるが、心はすでに浄土にいるかのような夢見心地。何かが憑いているような、何かに歩かされているような、自分でない不思議な気持ちがする。
「そうか。これが人が巡礼にはまる理由なんだなあ」


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荒川で渓流釣り


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柳大橋
なるほど橋のたもとに柳の大木がある



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秩父鉄道影森駅付近


 第26番円融寺で数名の男たちを見かけた。みな御朱印をもらっていた。
 スタンプラリーはどちらかと言えば男の道楽である。その昔、鉄道スタンプに凝っていた少年たちは長じて御朱印コレクターになるのかもしれない。(ソルティは乗り鉄であるが、スタンプには興味ない)
 御朱印は本堂でもらえる。が、お参りすべき観音堂は山の上。ここから山歩き。
 昭和電工の敷地内を通って、石段を登り琴平神社へ。その裏手から琴平ハイキングコースに入る。


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第26番円融寺本堂


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昭和電工秩父事業所
巡礼路が敷地内を通っており警備員が道を教えてくれる


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琴平神社の境内にある土俵


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琴平ハイキングコース


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第26番観音堂(岩井堂)


 かつては山岳修行の地であった琴平ハイキングコースは、あなどることのできない鎖場や岩場もある。秩父観音巡礼の難所の一つと言える。ソルティは5年前に歩いている。

 護国観音の足元でランチタイム。
 眺望がすばらしい。
 ベンチに腰かけていると、1.5m離れたあたりを全長3センチはあろう熊ん蜂が一匹飛び回っている。場所を変えようかと思ったが、慈悲の瞑想の効用を信じてそのまま食べ続けていたら、蜂は1.5mまで接近すると八の字を描くように離れていくことを繰り返していた。


秩父札所めぐり3日 023



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5年前と比べると格段ときれいになっている。
白く塗り直したようだ。


 第27大渕寺も2度目。たかだか5年前であるが、まさか巡礼で再訪することになるとは思わなかった。
 レンタサイクルで札所を巡っている男子学生のグループと出会った。自転車だと(ところどころ歩いて)3日で回れると言う。御朱印は受けていない。たしかに「御朱印料300円×寺数」は学生の懐には厳しいだろう。感心な学生だ。


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第27番大淵寺月影堂


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護国観音(左上)が邪気を払う


 秩父鉄道沿いの小道をしばらく歩く。
 浦山口駅より武甲山登山口に向かう途上に第28番橋立堂はある。
 12時を過ぎていたので、まず鍾乳洞見学。
 券売所のおばあちゃんに「竹笠とリュックサックをここに置いていきなさい」と言われる。
 「やれ助かる」と喜んだが、もっともな理由があった。
 洞窟の中は身の丈160センチのソルティが始終中腰で歩かなければならない天井の低さ、ほとんど腹這いになって潜らなければならない箇所もあった。竹笠やリュックを身につけてはとても進めない。


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ここから入る。天然クーラーの爽やかな冷気。


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この岩の中を登っていく(内部は撮影禁止)


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ここから出る。10分間200円の胎内巡り。


 馬頭観音を祀った観音堂は、岩壁の足下にある。
 お堂に向かって左手に大きな岩があり、そのてっぺんに中年の男の像が彫り出してある。
「だれ?」
 御朱印をいただくときに納経所で聞いてみたら、なんと
「昭和天皇の弟の秩父宮殿下ですよ」
 そう。いまでは秩父宮雍仁親王は秩父の守護神の一人なのである。




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第28番橋立堂


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秩父宮雍仁親王


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馬頭観音は交通の守り神


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茶屋の前は置き物がにぎやか


 第29番長泉院まで約30分。
 途中、浦山口駅そばの高架近くに不動名水という湧き水があった。飲用できる湧き水が電車の走る住宅街にある。昔の「あたりまえ」が、今では貴重にして「ぜいたく」。


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 浦山川を眼下に見下ろしながら、緩やかに登っていく。
 浦山川は荒川の支流であり、日本屈指の大ダムと言われる浦山ダム(堤高156.0m)を有している。24番から25番へ向かう道中でその姿は遠く山間に望めたが、間近に見ることになるとは思わなかった。

秩父札所めぐり3日 040
浦山ダム


 長泉院では貫禄あるしだれ桜の古老が迎えてくれる。開花の頃は圧巻のいで立ちだろう。
 境内は、しだれ桜、染井吉野、銀杏、椿、モミジ、ハナミズキ、百日紅(さるすべり)、竹、松、杉・・・・・と多彩な樹木が入り混じる中に、禅寺らしい枯山水の庭があって、とても落ち着ける。休日にこういう場所に来て、瞑想や思索や読書をしたり、弁当食って昼寝したり、友人と清談したりするのは気持ち良いことだろう。
 考えてみたらお寺というのは元来、住民誰にでも開かれたひろばなのである。墓参りや法事の時だけ行く場所となってしまったのが凋落の一因である。
 納経所では係の人が熱心に卒塔婆を書いていた。


秩父札所めぐり3日 041
入口のしだれ桜


秩父札所めぐり3日 044
どことなく中華風、なんとなく洋風な石札堂


秩父札所めぐり3日 042



秩父札所めぐり3日 043
分けのぼり 結ぶ笹の戸 おしひらき
仏を拝む 身こそたのもし 


 さて、いよいよ本日一番にして、これまでの三日間で一番の長丁場。第30番法雲寺まで7.1㎞、約2時間を歩く。
 と言っても、30番直下の白久駅までほぼ秩父鉄道沿いの平坦な道なので、迷うことはあり得ないし、上手い具合に陽が陰っているので暑さでバテる心配もない。時間的にも十分余裕がある。
 何も考えないで周囲の光景を楽しみながらタラタラと歩く。


秩父札所めぐり3日 045
地域の人が用意してくれた休憩所
こういうのを見ると元気が出る


秩父札所めぐり3日 046



秩父札所めぐり3日 047
振り向けば武甲山が最後の挨拶している


秩父札所めぐり3日 048
国道140号より熊倉山1,427mを望む


 武州中川駅と武州日野駅の間で安谷川を渡る。これもまた荒川に注ぐ渓流である。
 安谷橋から延びる国道のはるか先に霞んで見えるのは、なつかしき四阿屋山ではなかろうか。
 次回5時間歩きの最中に山麓を通過する予定である。


秩父札所めぐり3日 049


 白久駅待合室で15分の休憩。昔ながらの駅舎が好ましい。
 ランドセルを背負った学校帰りの小学生女子が駅前のベンチで寄り道していた。声をかけようかと思ったが、怪しいおじさんと思われる昨今なので止めておいた。悲しいご時世かな。


秩父札所めぐり3日 050


 白久駅から30分弱の登りで法雲寺に到着。
 山間の静かなお寺で、空気が澄んでいる。早朝はさぞや素晴らしい霊気に満たされることだろう。
 ご本尊の如意輪観音は、クレオパトラ、小野小町と並ぶ絶世の美女たる楊貴妃にまつわる謂れがある。美しくなりたい女子は(男子も)即刻参るべし。



秩父札所めぐり3日 052
 


秩父札所めぐり3日 053



秩父札所めぐり3日 051



 本日の巡礼はこれにて終了。
 納経所のそばのベンチで瞑想していたら、お寺の人と話す男の声が耳に入った。
「今日は14番から走って来たんですよ」

 ええっ!

 14番今宮坊は秩父の街中にある。そこから順に回って来たなら距離にして31キロ以上ある。8時からスタートして約8時間。途中休憩や17の寺での滞在時間を入れたら移動時間は正味4時間ほどか。相当のペースで走ってきたはずだ。
 目を開けてみると、ソルティと同年代くらいのTシャツに短パン姿の男で、すっかり日に焼けた顔、アスリートらしい引き締まった体つきをしている。
 男の話は続く。
 「あと一日で満願する予定でいます」

 ひゅう、やるなあ~。

 速く巡ればいいというものではないけれど、全行程100キロをたった三日で走り抜く体力はうらやましい。

秩父札所めぐり3日 054
第30番納経所


 次回はいよいよ最終回。二日に分けて31番から34番の寺を回る予定である。
 秩父鉄道三峰口駅を次回の出発点とするべく、そこまで歩いておく。



秩父札所めぐり3日 055
薄暮の谷間に沈む白久駅


秩父札所めぐり3日 058
秩父鉄道三峰口駅


 今回の巡礼は札所七ヶ所のみで、そのぶん歩く時間が長かった。距離的には第1日とほぼ同じであるが、山歩きもあったので「ほんとによく歩いた」という気がした。
 ここまでずっと行く手に武甲山を見据えていたが、ついにここで文字通り(鍾乳洞という形で)懐に入り、そこから飛び出して武甲山を背にすることになった。次回からは秩父のもう一つの名峰両神山を迎えることになろう。

 一つ気づいたが、これほど秩父巡礼が心をくつろがせる理由の一つは、そこに見る風景が幼いころに遊んだ風景を思い起こさせるからである。80年代バブルはもちろん70年代日本列島改造計画以前の、60年代の郊外の風景である。
 青々した水田があり、草ぼうぼうの野原があり、コンクリで囲われてない池があり、砂利道があり、路傍に花が咲き乱れ、鎮守の森があり、素朴な顔つきの子供たちが恥ずかしそうに挨拶をくれ、荷を背負った老婆が道を歩き、古くからの信仰や伝説が息づいている。
 いつの間にやら40年以上前にタイムスリップして、過去の日本、過去の自分と出会うのである。
 それが鍾乳洞の胎内巡りさながら、生まれ変わったように心をサラにしてくれるのではあるまいか。



秩父札所めぐり3日 038
この道はいつか見た道



秩父札所めぐり3日 039



 6時間かけて歩いてきた道程を、秩父鉄道でわずか15分で出発点に戻った。




第4日に続く。












● 秩父34ヵ所札所めぐり 第2日(12番から23番)

 第1日を終えてからというもの、早くまた秩父に行きたくて仕方なかった。
 毎晩のように巡礼マップや各札所の案内を読んで心を秩父に飛ばしていた。秩父が舞台のアニメ映画『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』と『心が叫びたがってるんだ。』を視聴した。
 すっかり秩父と巡礼の魅力にとりつかれてしまった。


秩父札所めぐり2日 049
いらっしゃ~い!(三枝ふうに)


●挙行日  2018年5月10日(木)
●天気   くもり時々雨、のち晴れ
●行程
07:30  西武鉄道・西武秩父駅出発
07:50  第12番・野坂寺
08:30  第13番・慈眼寺
08:45  今宮神社
09:00  第14番・今宮坊
09:20  第15番・少林寺
09:40  秩父神社
10:15  ファミリーマート
        休憩(25分)
10:50  第16番・西光寺
11:20  第17番・定林寺
11:50  第18番・神門寺
        休憩(25分)
12:35  第19番・龍石寺
12:55  秩父橋
13:10  第20番・岩之上堂
        昼食休憩(50分)
14:15  第21番・観音寺
14:40  第22番・童子寺
15:20  第23番・音楽寺
16:30  佐久良橋
17:00  西武秩父駅着
●所要時間  9時間30分(歩行時間4時間40分+休憩時間4時間50分)
       ・・・休憩時間には昼食休憩および各寺での滞在時間(10~40分)を含む
●歩行距離  約17キロ(毎時約3.6キロ)


 当初の計画では第25番久昌寺まで打って、秩父鉄道影森駅より帰途につく予定であった。が、途中で無理と判断し、第23番で切り上げて出発点の西武秩父駅に戻った。
 思った以上に各寺社での滞在時間が伸びたことが理由の一つ。面白い、気持ちいい、見所あるお寺がたくさんあって、御朱印だけもらって「はい、さよなら」というのはあまりにもったいなかった。
 いま一つの理由は天候である。予報では「曇りのち晴れ」だったのだが、澄み切った青空を覗かせながらも重い黒雲の塊りが次々とやって来ては流れ去り、「晴れたり曇ったり降ったり」の繰り返し、ところどころ雨宿りしたからである。
 ちなみに、札所でお経をあげ御朱印をもらうことを「打つ」と言う。


秩父札所めぐり2日 068



 早朝、西武秩父駅に到着。
 土砂降りの中をサラリーマンや高校生が飛び込むように駅構内に入ってくる。待合室で身支度を整え、慈悲の瞑想を行っているうちに小降りになった。リュックをビニール袋でおおい、竹笠をかぶり、いざ出発。


秩父札所めぐり2日 001


 第12番野坂寺は芝桜で有名な羊山公園の丘陵を背に、街はずれの緑濃い静かな一角に立つ。雨に洗われた樹々が美しく、心が清められる気がする。巡礼のスタートを切るには最高の札所である。山門では当地で昔活躍した伝説の牛が見送ってくれた。

秩父札所めぐり2日 002


 雨上がりの道を西武秩父駅までいったん戻る。御花畑駅を右手に見ながら秩父鉄道の踏切を渡ると第13番慈眼寺はもう目の前。34の札所中、一番の繁華街にある。
 と言ってもそこは秩父。境内は夏休み早朝に近所の人が集まってラジオ体操するのに恰好の雰囲気である。ここは以前参拝した。

秩父札所めぐり2日 003


 第14番今宮坊に行く途中に今宮神社がある。明治初年の神仏分離令の前は、この神社と今宮坊の観音堂を合わせて八大権現社といったそうである。現在は両者間に住宅が立ち並んでいるが、もとはとても広い社地を誇っていたのである。神社は本殿を再建中で仮の参拝所が設けてあった。その横の大ケヤキのド迫力。
 パワ―スポット認定!

秩父札所めぐり2日 005


秩父札所めぐり2日 004
樹齢1000年を越えるという 幹の周囲は約7.9m


秩父札所めぐり2日 006
今宮坊


 第15番少林寺に行く道は秩父市内で最も賑やかな界隈で、車や人の往来が盛ん。一歩路地に入るとローカル色の濃い面白そうなお店、美味しそうなお店が並んでいる。そちらに気を取られているとつい見落としてしまいそうな路地の奥の、秩父鉄道の小さな踏切りを超えた向こうに、少林寺が奥ゆかしくたたずんでいる。

秩父札所めぐり2日 007
モダンなような、なつかしいような


秩父札所めぐり2日 011
秩父鉄道踏切(本日幾度も超えることになる)


秩父札所めぐり2日 010


 ここは秩父事件と関連の深いお寺である。
 秩父事件とはなにか。

 1884年埼玉県秩父郡で起った自由党員と農民の蜂起事件。いわゆる自由民権運動における激化諸事件の一つ。当時,松方デフレ政策の影響を受けて養蚕,製糸業を主業とする多摩,秩父地方の農家の大半は窮境に陥り,高利貸からの借金に頼らざるをえなくなった。
 このため,井上伝蔵ら秩父の指導者は警察や高利貸に対して請願を続けていたが,84年2月,大井憲太郎の秩父遊説を機に自由党に入党。そして,同8月秩父困民党を結成し,同郡大宮郷の顔役であった田代栄助を総裁とした。
 彼らは運動の目標を,借金の 10年据置き,40年賦返済,校費雑収税,村費の減免などにおき,陳情,請願を続けた。しかし,10月井上ら指導者たちは合法運動に限界を感じ,武力による目的実現へと準備を開始するにいたった。
 11月1日同郡下吉田村椋神社に数千名の武装農民が結集,翌2日大宮郷を占拠した。暴動発生を知った埼玉県当局は憲兵隊派遣を要請,3日憲兵隊が出動したが,農民軍に敗れ退却。4~5日東京鎮台兵2個大隊が出動するに及んで,同5日農民軍は制圧された。
 事件後,田代ら7名の死刑を含め,有罪 3386名が確定した。
(出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)

 上記に大宮郷とあるのが、現在の秩父市である。
 思うに、秩父という土地柄、地域性、気風をうかがうには、この秩父事件を抑えておく必要があるのではないか。古来ヤマトタケル(三峰神社)や平将門(城峯神社)を英雄視する土地の人の心性も重ね合わせて、お遍路の先輩である四国と同じような反官意識、反骨精神が根付いているのではなかろうか。
 少林寺にはこのとき出動した官軍側の殉職警官2名の墓(下写真)がある。いまや解読不能の碑文は時の内閣総理大臣山形有朋が書いたものである。


秩父札所めぐり2日 009


秩父札所めぐり2日 008
少林寺境内より武甲山をのぞむ


 秩父鉄道を渡り返した目と鼻の先に、ご鎮座2100年と言われるちちぶ国の総鎮守・秩父神社がある。ご祭神は次の四神。
  • 八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)・・・・天岩戸にこもった天照大御神を外に引っ張り出す知恵を考え出した神
  • 知知夫彦命(ちちぶひこのみこと)・・・・ちちぶ国の初代国造
  • 天之御中主神(あめのみなかねのみこと)・・・・この世に最初に現れた神 
  • 秩父宮雍仁親王(ちちぶのみややすひとしんのう)・・・・昭和天皇の弟。登山やスポーツを愛好した。
 広い境内は凛と清らかな空気に包まれて、まぎれもないパワースポット。やはり、寺より神社のほうが一般に‘気’は高いようである。
 本殿の周囲には左甚五郎作と言われる虎や龍の彫刻が見られる。


秩父札所めぐり2日 012


秩父札所めぐり2日 015


秩父札所めぐり2日 013
日光東照宮とは逆に「よく見・よく聞き・よく話す」のお元気三猿


秩父札所めぐり2日 014
左甚五郎作:つなぎの龍


 境内にいる間に雲間より陽が差してきた。喜んだのも束の間、国道沿いのファミリーマートでコーヒーブレイクしていたら、いきなり土砂降りに。店内の喫茶スペースから窓越しに見上げる空にはどす黒い雲が・・・。 
 傘を買うかどうか迷っていたら、やがて雲は通り抜けて雨はやんだ。タイミング良き雨宿り。


秩父札所めぐり2日 016


 国道を渡り住宅街に入る。入り組んだ路地に道標を探しつつ、第16番西光寺(さいこうじ)に向かう。分岐に立つ井上工務店の道標がありがたい。


秩父札所めぐり2日 017



 西光寺は南国のお寺といった風情。豊かな緑の中に茅葺き屋根の酒樽が置かれているためであろうか。この酒樽の中には商売繁盛の大黒天が祀られていて、様々な企業の名刺が散らばっていた。
 真言宗豊山派のここには四国八十八ヶ所の本尊が祀られた回廊がある。黄金の仏像が居並ぶ回廊は神秘的。 

秩父札所めぐり2日 021


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秩父札所めぐり2日 020


秩父札所めぐり2日 018


 道中も面白い。
 ユニークなお店や家屋、植物などを見かけると、思わず立ち止まってデジカメに手が伸びてしまう。


秩父札所めぐり2日 022
ベタな店名
おそらく店主はオペラ好き?


秩父札所めぐり2日 024
便所たわしの木(ソルティ命名)

秩父札所めぐり2日 023


 第17番定林寺(じょうりんじ)は『あの花』のメッカ(聖地)である。幼いメンマやアナルやジンタンやポッポがかくれんぼうした舞台である。
 鎮守の森に囲まれたひっそりと目立たぬ境内は、ソルティが子供の頃遊んだ近所の神社を髣髴とさせ、懐かしさを覚えた。
 納経所では『あの花』の登場人物を描いた絵馬が売られており(一枚800円)、今もアニメファンが訪れているのが知られる。寺の関係者や近所に住む者にしてみれば、降って湧いたようなブレイクであろう。

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 すっかり晴れて、汗ばんできた。
 第18番神門寺(ごうどじ)は、東に進んで秩父鉄道を渡り(本日4度目)、国道140号にぶつかったら左折する。前回最初に和銅黒谷駅から歩いたのが、この国道であった。すいぶん前のことのような気がする。
 ふと気づくと12時前である。納経所は正午より12時半まで休憩に入る。間に合わなかったら第18番で30分以上の足止めになる。
 「12時までに打たなければ・・・」
 急ぎ足になる。
 無事5分前に到着し、読経を後回しにしてまず納経所に飛び込み御朱印をもらう。
 間に合った

秩父札所めぐり2日 030


 境内からは国道の車の往来が見え、喧騒の中にある。
 にしては、落ち着く。
 お堂の前に参詣者が休憩できる東屋があり、暑さや寒さをしのいで腰を下ろし、一服することができる。今も初老の巡礼者がくつろいでいるのが見える。
 読経を終え、東屋に入って持参したスポーツドリンクを飲み、今後の計画を練る。正午までに第19番まで打って秩父橋を渡っておきたかったのであるが、すでに1時間近い遅れが生じている。これから速足で取り戻そうか?
 ちょっと迷った挙句、決心した。
「予定は捨てる。のんびり楽しみながら行けるところまで行こう」
 いまさっき第18番からの道を急ぎ足で脇目もふらずに来たことを後悔した。途中、気になる大師堂が目の隅に見えたのに、無視して通り過ぎてしまった。
 巡礼はスタンプラリーではない。オリエンテーリングでもない。競歩大会でもない。
 「いまここにある」ために歩く。気づきをもって歩くのだ。
 そう悟った瞬間、目の前のテ-ブルに活けられた紫色の花に気がついた。檀家の手によるものだろう。参詣者が心地よく過ごせるよう、無事満願できるよう、心を込めて活けてくれたのだろう。このお寺の落ち着いた雰囲気の秘密はきっとここにある。その花の名前を僕はまだ知らない。


秩父札所めぐり2日 029
第18番神門寺の休憩所


 気分新たに国道に戻る。しばらくして国道を離れ、5度目の秩父鉄道越え。道は荒川に向かってじょじょに下っていく。

 第19番龍石寺は、巨大な水成岩の岩盤上にある。空も境内も広く、解放感がある。
 ここは、閻魔大王や三途の川の脱衣婆が祀ってあったり、茶筅塚があったり、プラスチックの赤ちゃん人形が飾られていたり、ちょっと風変わりな印象。
 茶筅塚は初めて見た。納経所で聞くと、地元に有名なお茶の先生がいた関係らしい。


秩父札所めぐり2日 034


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閻魔大王

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茶筅塚

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 龍石寺のよって建つ岩盤を見上げるように回り込み、くねくね道をたどっていくと、不意に秩父橋が出現する。
 荒川だ。
 橋の上から見る景色は疲れを忘れさせる爽快さ。


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 第20番岩之上堂はその名のとおり荒川沿岸の崖の上にある。この秩父橋から20番、そして21番へと続く道が、今回一番の快適ポイントであった。いにしえの旅人も同じような風景に心を休ませたのだろうと思われる。

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 岩之上堂はまるでジャングルか熱帯植物園のような生き生きした緑に包まれて、異次元ポケットにでも入り込んだような気分になる。生命力あふれるお寺である。

 
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秩父札所めぐり2日 041
お堂の中に吊るされた布製のお守り 「お猿さん」という

 居心地よさそうな東屋があったので、笠を脱いでここで昼食とする。
 メニューは山歩きの定番。
 おにぎり2個、イワシのかば焼き(缶詰)、枝豆、ゆで卵、お茶。


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蓮池にウグイスという不思議な取り合わせ


 なんたることか。
 食べ始めて5分したら猛烈な雨が降ってきた。屋根を打つ音からするにヒョウも混じっているらしい。さっきまで晴れていたのに????
 もっと驚いたことに、食べ終わって足揉みして、「そろそろ行くべ」と腰を上げると、つと雨が上がった。慈悲の瞑想の効用であろう。

 ここからは県道72号を武甲山を左前方に眺めながら歩く。
 第21番観音堂では入口に並ぶ赤い胸かけした六地蔵が、一家の主人を見送るイギリスの従僕たちのようである――なんて罰当たりな・・・。
 
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 第22番童子堂もまた面白い。
 茅葺き屋根の山門のたたずまいはキノコのよう。近寄って柱を覗いて思わずにんまり。怖い顔した仁王様が左右に侍しているかと思えば、さくらももこの漫画の登場人物を思わせる剽軽な風貌の仁王様。



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阿形

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吽形


 開山は遍照僧正(816‐890)と言う。百人一首の「天つ風 雲の通ひ路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ」の作者である。桓武天皇の孫とも言われる高貴な方が本当にこんな秩父くんだりまで来たのだろうか? ありえない。
 伝承によると、915年に一帯で天然痘が流行し沢山の子供が亡くなった。観音堂から湧き出た清水を薬にすると、病はたちどころに治った。その後、子供を病から救う観世音信仰が広まり「童子堂」の名がついたそうだ。
 真偽はともあれ、古来より貞子まで、天然痘ほど恐れられた病はなかった。


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第22番額絵


 このあたりから、荒川にかかる秩父公園橋のアーティスティックな巨大な山型の橋梁が目立つ。手前にある橋が大きく眼に映る関係で、武甲山とほぼ同じ大きさに見える。まるで双子山のよう。と思っていたら、歩いているうちに角度が変わって、二つの山が一つに重なった。そのように計算されて設計されたに違いない。


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 第23番音楽寺は秩父ミューズパークに続く丘の上にある。傾斜はなだらかだが、一日歩いてきた身には結構こたえる登り道。ここを最後に打って一日を終えるのが正解かもしれない。
 音楽堂という風雅な名前のためか、ゲンをかついだ音楽関係者がヒット祈願に訪れている。観音堂の脇には歌手のポスターやコンサートのチラシが一面貼られていた。知っている歌手はいなかった。


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 楽しそうなミーハー系のお寺と思っていたら大間違い。ここは第15番少林寺同様、秩父事件にゆかりの深い史跡でもある。
 上記の「秩父事件」説明文の中にあるように、数千名の武装農民が下吉田村椋神社に結集したあと、襲撃開始の出発点としたのがこの音楽堂なのである。秩父の町全体を見下ろす地点にあるので、状況を伺うのにも士気を高めるのにも都合よかったのであろう。

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「われら秩父困民党 暴徒と呼ばれ暴動といわれることを拒否しない」


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この鐘の乱打を合図に秩父市内に突入した


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 お堂をさらに登ったところに、秩父札所の開設にかかわる13人の聖者の石仏が並んでいる。閻魔大王、具生神といった悪玉キャラ、花山法王、白河法皇といった煩悩まみれキャラが入っているのが面白い。

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倶生神(くしょうじん、skt:Soha-deva)は、人の善悪を記録し死後に閻魔大王に報告するという二神のこと。倶生とは、倶生起(くしょうき)の略で、本来は生まれると同時に生起する煩悩を意味する。人が生まれると同時に生まれ、常にその人の両肩に在って、昼夜などの区別なく善悪の行動を記録して、その人の死後に閻魔大王へ報告する。(ウィキペディア「倶生神」)

 納経所で御朱印をもらい、そばにあったベンチで松風に吹かれる。五色の仏教旗がはためいて、パラパラと雨が落ちてきた。今日は座ると降る。

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 第23番と第24番のほぼ中間地点に佐久良橋がある。この橋で荒川を渡って道なりにずっと進むと、第13番慈眼寺を脇に見て、秩父鉄道を超え(6度目)、西武秩父駅に戻れる。ちょうど良いゴールである。
 次回はこの佐久良橋からスタートすればよい。

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 今回は平日を選んだせいか巡礼者は少なく、とくに徒歩組は4~5人しか出会わなかった。朝方の天候が悪かったためもあろうか。
 秩父の街中から始まり、じょじょに郊外に出て、荒川を渡って里山を歩くコースだった。ちょうど一日目と逆の展開である。街中も面白いけれど、やはり気持ちいいのは野道や山道。次回からだんだんと道は険しさを増していき、幽谷の風情が漂ってくるはず。楽しみだ。


秩父札所めぐり2日 073
西武秩父駅跨線橋から本日歩いたあたりを望む


 帰りは西武秩父線・横瀬駅で途中下車して、徒歩10分の武甲温泉に浸かる。傍らを流れる横瀬川には200匹を超えるこいのぼりが風に泳いでいた。


秩父札所めぐり2日 060


秩父札所めぐり2日 059



第3日に続く。

 

● 秩父34ヵ所札所めぐり 第1日(1番から11番)

 薫風に誘われ、秩父34ヵ所の札所巡りを開始した。
 約100キロを徒歩でたどる。
 ガイドブックによると、歩くと6日から8日かかるらしいが、現地での一泊を入れて5日間の予定を立てた。無謀か?

1日目(日帰り) 秩父鉄道和銅黒谷駅~1番四萬部寺・・・11番常楽寺~西武秩父駅(約22キロ)
2日目(日帰り) 西武秩父駅~12番野坂寺・・・25番久昌寺~秩父鉄道影森駅(約24キロ)
3日目(日帰り) 秩父鉄道影森駅~26番円融寺・・・30番法雲寺~秩父鉄道三峰口駅(約14キロ)
4日目(宿泊)  秩父鉄道三峰口駅~31番観音院~宿(小鹿野町)(約22キロ)
5日目(満願日) 宿~32番法性寺・・・34番水潜寺(約18キロ)


 100を5で割れば一日20キロずつの勘定になるが、札所の配置や札所間の距離、最寄り駅との関係を考慮すると、単純に均等配分できない。日帰りとは言え、すべての札所間を抜けなく歩き通したいので、前の回に歩き終わった地点から次の回は歩き始める。となると、鉄道駅から始めて鉄道駅で終わるのが基本となる。
 1番から29番までは各札所間の歩行時間はすべて1時間未満(最短10分から最長50分)にすぎない。が、29番からいきなり間隔があき、最短2時間から最長5時間の長丁場になる。4日目と5日目が正念場ということになろう。
 むろん、日本の寺社巡礼のメッカである四国を制した人にしてみれば、5時間の歩行など「鼻先でフン」ってところだろう。高知では札所間3日ってところがあるようだから。

 秩父札所めぐりに関しては「秩父札所連合会」「秩父札所観音霊場パワースポットを巡る」のホームページが詳しくて役に立つ。

秩父巡礼図
秩父札所連合会作成のマップ


秩父巡礼1日目 031
ちちぶテクテク坊や(ソルティ命名)


●挙行日  2018年4月22日(日)
●天気   晴れ(最高気温28度)
●行程
07:50  秩父鉄道・和銅黒谷駅出発
08:30  第1番・四萬部寺
        お仕度
09:00  同寺発
09:40  第2番・真福寺
10:20  光明寺(第2番納経所)
10:45  第3番・常泉寺
11:10  第4番・金昌寺
12:00  第5番・語歌堂
12:10  長興寺(第5番納経所)
13:10  第7番・法長寺
        昼食休憩
13:50  同寺発
14:10  第6番・卜雲寺
14:45  第8番・西善寺
15:25  第9番・明智寺
16:10  第10番・大慈寺
16:30  第11番・常楽寺
17:10  西武鉄道・西武秩父駅着
●所要時間  9時間20分(歩行時間6時間+休憩時間3時間20分)
       ・・・休憩時間には昼食休憩および各寺での滞在時間(10~30分)を含む
●歩行距離  約22キロ(毎時3.7キロ)


 天気は上々。気持ちの良い出立である。

秩父巡礼1日目 001


 秩父巡礼1日目 002
秩父鉄道和銅黒谷駅
日本最初の流通貨幣「和銅開珎」で有名


 第1番へはいきなりバスで門前に乗りつける無粋な手段はとらず、最寄りの秩父鉄道和銅黒谷駅から江戸古来の巡礼路をたどる。
 国道140号に立てられた看板を目にすると、いやがおうでも気分が高まっていく。


秩父巡礼1日目 003

 
 約40分で第1番四萬部寺(しまぶじ)にぶじ到着。

秩父巡礼1日目 004


 まずは観音堂にお参り。 
 四国遍路同様、通常は般若心経を唱えるらしいのだが、テーラワーダ仏教を学んでいるソルティは、以下の読経をパーリ語で誦することにした。
① 礼拝
② 三帰依
③ 懺悔誓願の文(日本語)
諸仏の教え
慈悲の瞑想(日本語) 

 読経を終えたあとに納経所で御朱印をいただく。参詣した証である。

御朱印


 第1番にはいろいろな巡礼用品が揃っている。白衣、菅笠、金剛杖、数珠、日本手拭い、おいずる・・・。御朱印帳は必須アイテムであるが、それ以外は特に身につけなければならないものではない。普段着で全然かまわない。
 ソルティは巡礼気分を楽しみたいのと、巡礼者であることが一目で分かったほうが土地の人や巡礼仲間との会話のきっかけになるだろうと思って、それなりの支度を整えた。
● 白衣のかわりの白ツナギ・・・綿100をネットで購入
● 輪袈裟(わげさ)・・・首にかけて簡易の袈裟とする
● 竹笠・・・菅笠より安い、が重い
● 数珠 

 結構カタチから入るほうです、ワタシ(笑)

巡礼三点セット
竹笠、輪袈裟、御朱印帳の3点セット(計4千円)


 さすがに休日の第1番だけあって次から次へと参詣者が訪れる。高齢社会のあおりもあって寺社巡礼が昨今盛んなのだろう。このさき同行者には事欠かないなと思っていたら、第2番へ行く途上に誰も見当たらず。高齢社会のあおりもあって、みな車移動なのであった。


秩父巡礼1日目 005
巡礼路を示す標識
これにずいぶん助けられる


 第2番真福寺は山の中にある。第1番からはゆるやかな登りが続く。杉木立の中を歩くので気持ちは良いけれど、なかなか息が切れる。「秩父を甘く見るなよ」という最初の洗礼のよう。
 樹々に囲まれた無人のお堂は涼やかな風が通り、清々する。ウグイスやコジュケイの鳴き声に耳を傾ければ、都心の喧騒や慌ただしさが悪夢のよう。

 来てよかった


秩父巡礼1日目 006
第2番納経所
ここで寺社名や日付を墨書し御朱印を押してもらう


 御朱印は山を下りたところにある別当寺でいただく。納経所の前で寺の子供たち(おそらく)が大きなプラスチックのたらいに放した2羽のアヒルと遊んでいた。懐かしい光景に思わず立ち止まる。近所の農家で飼っていたアヒルと遊んだ子供の頃を思い出した。


秩父巡礼1日目 007
道しるべ石
こんなのがあちこちにあって信仰の歴史を感じさせる


 第3番常泉寺はのどかな田園風景の中にある。
 
秩父巡礼1日目 008
第3番常泉寺

 札所の観音堂には寺の縁起を伝える大きな額絵のかかっているところが多い。極彩色の錦絵のようである。

秩父巡礼1日目 009
 第3番の額絵
曰く「本尊観世音像は行基の彫刻と伝えられ・・・」


秩父巡礼1日目 010
境内から見た景色


 1番から10番までは、横瀬川の両岸に点々と、川を遡るような配列で連なっている。行く先にデンと聳えるは秩父の名峰武甲山である。


秩父巡礼1日目 011
横瀬川にかかる橋


秩父巡礼1日目 015
陽炎のように霞む武甲山


 山門の両側に飾られた大きなわらじが特徴的な第4番金昌寺
 「参詣者の足腰がいつまでも丈夫なように」という願いを込めて土地の人たちが作っているそうだ。 
 わらじのほかにも、本尊の十一面観音立像、数千の素朴な石仏、和風ピエタ(by ミケランジェロ)とでも称したい子育て観音像が有名である。境内は昼食をとる団体客らで賑わっていた。



秩父巡礼1日目 012
第4番金昌寺


秩父巡礼1日目 013
子育て観音像


秩父巡礼1日目 014


 石仏に囲まれて昼食をとっている団体バスツアーの初老の男に声かけられた。

「全部歩いて回るんですか?」
「ええ」
「お経も上げるんですか?」
「ええ」
「そりゃあ、いいことだ。きっと良い功徳がありますよ」
「ありがとうございます」

 そう言って別れたが、すでに功徳は十分いただいていることにすぐ気づいた。
 こうやって自分の足で100キロ歩いて回れる環境にあるということが最大の功徳なのである。健康と、それなりの経済的および時間的余裕と、このようなことをしようと思い立つ(発心する)縁がなければ到底叶わない行為である。国土に平和と自由がなければできないことである。
 ソルティはそもそも特段願いごとがあって回っているのでも、懺悔のために回っているのでもない。なんとなく呼ばれた気がして始めたことであった。
 だが、「今ここにこうしてある」ことに感謝しながら回ることにしようと思った。



秩父巡礼1日目 017


 第5番語歌堂もまた無人である。風通しのいい広々した田園の中にあって小休止にあつらえ向き。ここは聖徳太子にまつわる伝承がある。


秩父巡礼1日目 016


 納経所は少し離れた長興寺にある。
 納経時間はどこも原則午前8時から午後5時まで、12時から12時半が昼休みになっている。
 12時過ぎに到着したので、境内の日陰に座って休息。ここまでの歩行で固くなった足をもみほぐす。後日の筋肉痛を防止するコツである。

 ここで順序を入れ替えて6番より先に7番に行く。道順だとそのほうがスムーズなのである。


秩父巡礼1日目 018
まさに「武甲山ストリート」

秩父巡礼1日目 019


秩父巡礼1日目 020


 徐々に迫ってくる武甲山。石灰石の発掘で無残な山肌をさらしているが、ピラミダルな山容はあくまでも雄々しい。
 左手には横瀬川の源流のある二子山もくっきりと望める。このあたりは歩いてとても気分がいい。


秩父巡礼1日目 021
カワセミが教える道順

 
 第7番法長寺の本堂(牛伏堂)は34ヵ所随一の大きさで、平賀源内の原図を基に設計したと言われている。源内先生のマルチな才能に脱帽。そういえば、ほんのちょっと前に台東区橋場にある平賀源内の墓を詣でたところであった。やっぱり呼ばれたのかな。


秩父巡礼1日目 022
第7番法長寺


秩父巡礼1日目 023
名前のとおり牛が伏せている


PB040315
台東区橋場にある墓所

PB040313
背後にあるのは源内に仕えた従僕福助(おそらくは恋男)の墓


 境内は広々して、眺めも良く、居心地よい。
 ここで昼食にする。

秩父巡礼1日目 024



 第6番卜雲寺に向かう途中で、やっと二組の徒歩巡礼派に会った。おばさん二人組(60代?)と青年二人組(20代?)である。前者はふうふう言いながらチンタラ歩いていた。後者は颯爽とサクサク歩いていた。ソルティは、おばさん組を追い越して、青年組に追い抜かれた。
 言うまでもなく、巡礼は速さや歩行距離を競うものではない。道中を楽しむことが一番である。景色や花や鳥の鳴き声や人々との出会い、土地の伝承や信仰や名物を味わうのが大切である。そして、長い一本道をとぼとぼ歩きながら、自らの心を見つめるのも一人旅ならではの特権である。


秩父巡礼1日目 025
卜雲寺の額絵


秩父巡礼1日目 026
高く泳ぐや こいのぼり


 西武鉄道のガードをくぐって、いよいよ武甲山が近づく。
 奥多摩・奥武蔵の有名どころの山はほとんど踏破したソルティだが、武甲山は未踏。無事満願したあかつきに登ることにしよう。


秩父巡礼1日目 028


秩父巡礼1日目 027


秩父巡礼1日目 029
武甲山御嶽神社(里宮)


 第8番西善寺は臨済宗のお寺らしい静謐な落ち着きに包まれていた。なにより目を惹くのは境内にそびえるコミネモミジの巨木。幹周り2.9メートル、樹高9メートル、樹齢600年の長老である。秋にはすばらしい紅葉が見られることだろう。

秩父巡礼1日目 034



秩父巡礼1日目 032



秩父巡礼1日目 033


 さすがに足が疲れてきた。明日の仕事に障るのではないかと気になりつつも前に進むしかない。なんだか次の札所に引っ張られるように足が運ばれる。


秩父巡礼1日目 035
9番へ向かう途上 
振り返れば西武鉄道の走る里山風景


秩父巡礼1日目 036

 
 第9番明智寺
の真ん前に三菱セメントの工場がある。秩父と言えばセメントだが、江戸時代の巡礼者には想像もつかなかった景色だろう。
 ここは安産子育ての観音として、各地から女性の参詣者が訪れるという。

 10番へは住宅地を抜けていく。道標やネギ畑や地蔵さんがローカルカラーを映し出す。



秩父巡礼1日目 037


秩父巡礼1日目 038


秩父巡礼1日目 039


 第10番大慈寺は最近つとに有名になった。
 秩父を舞台にした青春アニメ『心が叫びたがってるんだ。』の舞台となったからである。休日にはアニメファンが「聖地巡礼」にやって来るらしく、境内に置かれた大学ノートには訪れたファンらの青いメッセージがあふれていた。なるほど、参詣を終えて山門を出ると、寺社詣でにはフィットしない風情の青年らが門前でカメラを構えていた。


秩父巡礼1日目 041


秩父巡礼1日目 040



 本日最後の第11番常楽寺
 16時半到着。日もすっかり傾いている。
 団体客が参拝をすましたばかりで、納経所ではツアーガイドらしい女性がまとめて何やら処理を頼んでいる様子。夕刻迫る賑やかな秩父市街を眺めながら、座ってしばらく順番を待つ。
 ここから見る夕焼けはさぞ美しいことだろう。


秩父巡礼1日目 043


秩父巡礼1日目 044


秩父巡礼1日目 045



 今回の行程は、出発点の和銅黒谷駅から第3番までは札所間それぞれ40分以上かかり山越えもあって長く感じた。「この調子でいくと今日中に11番までは無理かもしれない。9番まで行けば恩の字かな」と思った。
 が、3番からあとは寺社間が短く、平地であることもあって、「疲れた」と思う前に次の札所に到着している感じであった。
 特に時間に追われ速足で歩くこともなく、途中でダウンすることもなかった。

 巡礼姿であることも手伝ってか、すれ違う地元の人々から挨拶をもらった。子供から老人まで、それが当たり前のようであった。中には、「えっ!こんなヤンキーっぽい少年まで!」とビックリするようなときもあった。四国で聞くような「おせったい」はさすがになかったけれど、巡礼が地域に根付いている様子がうかがえた。


秩父巡礼1日目 042


 西武秩父駅は、駅に隣接していた食事処兼みやげ物売り場である仲見世通りを大々的に改装し、こじゃれたショッピングモールに、その並びに祭りの湯という温泉施設を昨年オープンした。そのせいか、これまで見たことのないほどの賑わいであった。GWはさぞかしすごいことだろう。
 祭りの湯デビューして初日の無事完遂を祝った。


秩父巡礼1日目 046




第2日につづく。
  
 
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