ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。 半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語に興じ、 旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

慈悲の瞑想

● 杓子ふたたび、または慈悲の瞑想の効用(鹿留1632m、杓子1598m)

●日程  11月21日(金)
●天気  晴れときどき曇り
●行程
08:40 富士急行線「富士山」駅・内野行きバス乗車(富士急山梨バス)
09:05 内野バス停着
       歩行開始
09:35 送電鉄塔
       道に迷う
10:35 立ノ塚峠
11:35 杓子・鹿留分岐点
11:45 鹿留山頂
12:30 杓子山頂
       昼食休憩
13:50 下山開始
15:15 不動の湯
       歩行終了      
●所要時間 6時間20分(歩行時間4時間20分+休憩時間1時間50分)

 9月30日の挫折を今年中にリベンジすべく、鹿留山・杓子山に再チャレンジ。
 天気は上々。紅葉と富士山の壮麗かつ雄大な景色が楽しめるであろう。
 ・・・と期待したのだが、富士急行線富士山駅に到着したら、ホームから見える神の山は五合目まで雲隠れ。
どうなることか。

杓子山 001

 
 前回より一本早いバスに乗り、歩行開始地点となる内野バス停に着く。
 見慣れた看板、見慣れた風景。
 が、前方に我を待つ鹿留と杓子の山容はすっかり冬バージョン。てっぺんに白く見えるはまさしく雪。そう、昨夕この地域ではみぞれが降ったのである。
 滑らなければよいが・・・。

杓子山 002

杓子山 003


 前回道を間違えた因縁の道路工事現場に来た。
 前回と同じ警備員さんが現場入口に立っている。
「杓子行くの? 雪が降ったから足元気をつけて」
 自分(ソルティ)のことは記憶にないようだ。思い出してもらう必要もあるまい。
 工事は整地が済んで、かなり進展していた。
 前回、誤って入った右手の山道は通行止めになっていた。
 そうだ。この標識が間違いの元。やっぱり、わかりにくい。そもそも分岐点に立っていないのがおかしい。

杓子山 006


杓子山 005


 左手の道を進むと、すぐに右側に送電鉄塔が現れた。
 これが手持ちのガイドブックに載っている(正しい)鉄塔だったのだ。
 今回はもう大丈夫。
 と思っていたら、またしても道を間違えてしまった。

杓子山 007


 森を壊して新しく造られている道路の行き止まりに来て、道は左右に分かれる。
 そこにまたして標識がない!
 左右の道を調べるに、右側の道の真ん中に工事現場によくある立看板が進入をふさぐように置かれている。その先は小暗い森の中に消えている。左側の道は広くて歩きやすそうで、日が当たって明るい。
 左側だろうと見当をつけた。
 敷き詰められた落ち葉の下が石畳なのが若干気になるが、登っていく道の先には鹿留山の頂が望まれる。こちらで良いのだろう。
 水無しダムだか砂防ダムのようなコンクリート建築を左の谷底に見ながら高度を上げていく。
 標識が出てこない。
 どうも変だ。
 こんなダム状の建造物があるなら、ガイドブックで言及しないはずがない。
 リュックを下ろして、ガイドブックを再確認。
 地図を見ると、送電鉄塔の先の雨乞山分岐で道が二つに分かれている。そこで右側に進むとある。左側の道は鹿留山頂の方にまっすぐ向かっているが、途中で切れている。
 ・・・・・・・・・・。
 さっきの分岐点が雨乞山だったのか。
 よく調べない自分も悪いが、あそこが雨乞山だとどうやって知りようか。
 やっぱり、標示が不親切。
 道路工事もいいが、工事により地形が変わり今まであった山道が消えるのだから、建設会社はハイカーのための案内標示に責任を持ってほしい。
 おそらく自分以外にも道を誤るハイカーが多いことだろう。

 雨乞分岐まで戻り右手の道に入る。
 入って少し進んだところに、「杓子山→」の標識があった。
(だから、分岐になければ意味がないんだって!)
 
 と、いらいらしながら歩を進める。
 いけない、いけない。これではせっかく山に来た意味がない。
 休憩して、心と体を休ませる。

杓子山 009


杓子山 008


 熊の看板がある(これだけは親切)立ノ塚峠を通過して、いよいよ尾根道に入る。
 アップダウンが続く。
 左手のすっかり葉を落とした木々の間から富士山が見えるはずなのだが、やっぱり雲隠れ。気がつくと、空一面雲に覆われて、お日様の所在もつかめない。天気予報では晴れると言っていたが・・・。


 鹿留(ししどめ、と読む)の名の由来は、「源頼朝が富士の巻狩りの折、頼朝の臣仁田四郎忠常がこの地で手負いのシカを射止めた」という言い伝えにある。一方、杓子(しゃくし)とはザレ場(崩壊地)を指す言葉だそうで、なるほど杓子山の南西面は大きなザレ場が見られる。
 山頂付近は岩場が多く、それまでのなだらかな山道とは打って変わって、恐怖と緊張と多量の発汗を要するスリリングな岩登りが続く。そのうえ、溶けた雪のために足元が滑りやすくなっている。岩に据え付けられたロープを頼りに、しっかりと手の置き所、足の置き所を確かめながら、よそ見しないで、余計なことを考えないように、一歩一歩登っていく。
 たいへんな作業ではあるが、このくらいの手ごたえがあってこそ山登りは面白い。

 鹿留と杓子の分岐まで来て、ホッと一息。

 雪をかぶった熊笹の道を鹿留山頂に向かう。
 山頂には立派なブナの木がある。いまはすっかり裸だが広葉樹に囲まれた静かな頂。眺望はあまり良くない。

杓子山 010


杓子山 011


杓子山 012


杓子山 013


 さきほどの分岐まで戻って、杓子山頂に向かう。
 道は歩きやすいが、アップダウンが続き、なかなかゴールが見えない。
 いくつかのピークから見える雄大な風景にパワーをもらって邁進する。


杓子山 014


 山頂到着!!

 リベンジしたぞ~!

杓子山 015


杓子山 020


 山頂はそこそこ広くてテーブルとベンチがあり、昼食休憩に最適である。
 なによりも360度のパノラマビューに圧倒される。
 東は、後にしてきた鹿留、御正体を越え、丹沢の山々を。
 南は、石割山の背面に神秘的に光る山中湖を。
 西は、富士吉田市を取り囲む河口湖と湖畔の山々、そしてはるか彼方の南アルプスを。
 北は・・・。
 北が素晴らしい。
 東北から北西にかけて開けているので、中央線と富士急行線の沿線の山々がすっかり見渡せる。
 三ツ峠山、本社ガ丸、尾崎山、高川山、鶴ガ鳥山、九鬼山、高畑山、百倉山、扇山、権現山、生藤山、陣馬山・・・。
 自分がこれまで登ってきた山々がなんだか総集編のように勢ぞろいして、箱庭の粘土細工の山のように可愛らしく並んでいる。それぞれの山と富士山との位置関係もすっかり把握できる。
 これら中央線沿いの山々を囲繞するは、奥多摩・奥武蔵の山々、大菩薩嶺、甲府の山々、そして北アルプス。
 北の空は晴れていて、空気が澄んでいるので、遠くまですっきりと見渡せる。
 一方、南の空は一面厚い雲だらけ。
 目の前に大きく見えるはずの富士山が残念ながら見えない。一つの雲の塊が風で流れても、東からまた分厚い雲が次々と押し寄せてくる。どう見ても今日はお姿拝見ならぬようだ。
 正午を過ぎた太陽も、たまに雲間から覗き込む程度。日陰になった山頂は思いのほか寒い。


杓子山 016

杓子山 019


杓子山 024


 空いているテーブルとベンチで昼食をひろげる。
 おにぎり(昆布と梅干)、いわしの缶詰、ゆで卵、ホウレン草とニンジンと油揚げの炒め物、お茶は冷たいのを入れてきたが熱くてもよかった。

杓子山 018


 ここまで途中出会ったのは、トレイルランの男性一人、カップル一組だった。杓子山頂では二組の夫婦と会った。自分を入れて都合7名。静かな山歩きだった。
 紅葉を見るにはちょっと遅かったようだ。
 一方の目的である富士山だが・・・

杓子山 021

 
 山頂にいた二組の夫婦はしばらくの滞在後、あきらめて下山して行った。
 この厚い雲の大軍を動かし、ちょっとでも山頂を覗かせるには、厩戸の王子か空海かモーゼのような超能力が必要だ。
 いくらなんでもこの空模様では無理だろうと思ったけれど、慈悲の瞑想を行なう。
 
 上座部仏教に伝わる慈悲の瞑想は、その効用として次の11が挙げられている。
1. 安眠できる。
2. 安楽な目覚めが得られる。
3. 悪夢を見ない。
4. 人に愛される。
5. 人間以外の存在(神々)にも愛される。
6. 神々によって守られる。
7. 天災や人災を免れる。
8. 心の統一が容易となる。
9. 晴れやかで明るくなる。
10. 良い死に方ができる。
11. 死後、梵天界に再生できる。

 これに自分はいま一つを付け加えたい。
12.天候を味方につけることができる。


 これまでにもいろいろな山行きで、悪天候とは言わないまでも雲行きが怪しいときに、自分は慈悲の瞑想を行なってきた。それによって、何度も雲の流れが変わり、天候が回復したり、雨が降るタイミングが上手い具合にずれたりふいに霧が晴れて見事な景色が現れたり、という経験をしてきた。
 これまではそれを半ば冗談まじりに扱っていた。たんなる偶然だろうと受け取っていた。
 しかし、今回ばかりは偶然にしてはできすぎる。
 誰がどう見たって、富士山を拝められるような状況ではなかった。
 幾重もの屏風と御簾とで姿を隠したかぐや姫のような状態だったのである。
 いくら待っても雲が途切れる時が来るとは思えなかったのである。
 山頂に一人きりになって慈悲の瞑想をしてからわずか5分後、驚いたことに、まず太陽が顔を出した。そして、五合目までを覆っていた厚い雲がなんと上下に(!)分かれたのである。
 富士山の前面の雲だけが、上と下にきれいに分かれて、その雲が造る額縁の間から山頂がひょいと顔を出した。
 こんなことがあるのだろうか!

杓子山 023

杓子山 022

杓子山 028

 
 不思議がっていても仕様がない。
 シャッターチャンスとばかりカメラを向けたが、逆光である。どうやってもデジカメの画面に光の柱が縦に入ってしまう。せっかくのチャンスなのに・・・。
 と、何たることか。
 上に舞い上がった雲が触手を伸ばすように太陽を隠したのである。

杓子山 029

杓子山 030

 
 もうこのくらいで十分と思うだけ撮りまくって、下山開始した。
 山頂を離れること正確に10分、富士山は再びすっかり雲に覆われてしまった。
 その後、下山するまで雲が晴れることはなかった。
 この日、杓子山頂から富士山をきれいに眺めることができたのは、おそらく自分一人だったろう。
 
 慈悲の瞑想、おそるべし。
 
 不動の湯は、アトピーはじめ皮膚病に効くというので有名である。
 全国から皮膚病に悩む人々が訪れるらしく、旅館の傍らにある湧き水をポリタンク容器で汲みに来る人が連日あとを立たない。NHKでも「全国指折りの良質の湯」と紹介されたことがあるそうだ。
 旅館の裏には硯水不動尊が祀られている。
 例によって弘法大師がらみの逸話が残っている。興味のある人はこちらへ

杓子山 034


杓子山 035


 日帰り入浴1000円のところ、もう時間が遅いから500円にまけてもらった。(慈悲の瞑想の効用4)
 浴室はアトピーの人用と一般客用とに別れている。造りは特に凝ったところもない普通の室内風呂である。無色透明の単純泉。匂いもない。
 湯船に浸かって目が覚める。
 水の力がはんぱない。
 他に入浴客がいるのもはばからず、腹の底から思わず「ああ!」と声が出る素晴らしさ。
 これは一度入ったら、やみつきになる。
 山登りの疲れが一気に吹っ飛んだ。
 
 隣で浸かっている70がらみの人と会話する。
 聞くと、この温泉を守るボランティアをしているとか。地元の人である。
 「この水は本当にすごいよ。マイナスイオンが豊富で、汲んでから10年間は絶対に腐らない。保健所の人が調査に来ても雑菌でひっかかったことがない。」
 富士山系の水ではなく、杓子山の山腹からここだけ湧いているとのこと。鉱泉であるから源泉は冷たい。冬はマイナス10度を下回ることもあり、当然凍る。温泉は源泉を湧かしたものなのである。
 旅館の受付には、昭和59年1月1日(30年前!)に汲まれた水が、一升瓶に入って置かれていた。
 たしかに澄んでいる。

杓子山 036

 
 旅館にはふもとの町から日帰りのばあちゃん連中がたくさん来ていた。
 マイナスイオンの効果で若返って陽気にはしゃぐばあちゃんたちと、旅館のバンに同乗し、富士山駅まで送ってもらった。
 富士山駅で名物吉田うどんを食べ、心も体も胃袋も100%富士吉田を満喫した幸福な一日を終了した。
 

杓子山 038



 生きとし生けるものが幸福でありますように。



 


● 涼快・滝めぐり:西沢渓谷(1390m、山梨県山梨市)

 JR中央線の駅の構内に貼ってあった西沢渓谷のポスターに惹かれ、メモっておいた。「森林セラピー基地」と謳っているからには相当の‘気’の良さが期待できそう。
 気がかりは人混み・・・。
 平日を選んで、いざ出発!

●日程  8月1日(金)
●天気  晴れときどき曇り、のち雷雨
●標高  1390m(標高差290m)
●行程
10:21 JR中央本線山梨市駅・西沢渓谷入口行きバス乗車(山梨市営バス)
11:20 西沢渓谷入口着
      歩行開始
12:10 三重の滝
13:10 七ツ釜五段の滝
14:10 西沢渓谷終点
      トロッコ道
14:40 大展望台
      昼食休憩
16:15 西沢渓谷入口
      歩行終了
16:25 山梨厚生病院行バス乗車
17:23 JR山梨市駅着
●所要時間 4時間55分(歩行時間3時間55分+休憩時間1時間)

 山梨市駅発1便のバス(9:12)に乗ろうと計画していたのだが、中央線はダイヤが大幅に乱れていた。どこかの駅のホームから転落した人がいたとか。
 最近多いな。
 1便に間に合わないと判断し、特急列車(あずさ3号)をキャンセルして各駅停車でのんびり山梨市駅に向かう。ゆっくり読書ができた。
 山梨市駅はなんにもないところだ。
 ウエイトリフティングの大会があるらしく、駅前広場には案内所のテントが張られていた。そこの女性から西沢渓谷の案内パンフをもらう。

西沢渓谷 001


 2便のバスはガラガラ。終点の西沢渓谷で降りたのは自分一人だった。
 ポスターの効果があまり出ていないようである。
 もっとも、夏休みとはいえ土日やお盆でなければこんなものか。
 終点で降りるときに運転手が言った。
「雨具持って来たかい? 午後から雷雨になるから気をつけて。」
 ギクッ。
 天気予報では30%の降水確率。確かに山間部は雷雨やにわか雨の可能性とあった。
 今のところ真夏の強い日差しが降り注いでいるけれど、どうなることか。頭の中を昨年の瑞牆登山の冷たい記憶がよぎる。

西沢渓谷 002



紅葉の頃 西沢渓谷は秩父多摩甲斐国立公園内に位置し、国内屈指の渓谷美を誇る。笛吹川の上流にあって、毎年4月29日の昭和の日を山開きとし、新緑、避暑、紅葉で人を集め、11月末に通行止めとなる。昭和37年から人力によって開発が始まったというから、比較的新しい行楽地と言える。自分もポスターを見るまでは聞いたこともなかった。
 約4時間で一周できるように遊歩道や案内標識が整備され、大小さまさまな滝や周囲の山々の展望を楽しみながら森林浴できる。
 案内パンフによると、渓谷内のマイナスイオンの最高値は1立方センチあたり18000個(方丈橋付近)とある。都会の生活空間では100~200個、山梨の生活空間では500~1000個だから、抜群の癒し効果である。もっとも、マイナスイオンという物質は科学的に特定されておらず、人体への効果との因果関係も立証されておらず、「似非科学」という説もある。
 
 まずは、遊歩道を少し行ったところにある山の神に今日の無事安全を祈る。

西沢渓谷 003


 ブナ、トチノキ、ミズナラなどの緑が目にやさしい。日差しを遮ってくれて肌にもやさしい。
 人の姿はまばら。
 二俣吊り橋からの光景は、広々として気持ちいい。
 降るようには思えない。

西沢渓谷 004

西沢渓谷 005


 大久保の滝を遠くから眺める。

西沢渓谷 007


 渓流を目指して谷を下りていくと、底の方に緑に囲まれたコバルトブルーの池が出現する。心が沸き立つような色合いは、サファイヤか、はたまたエリザベス・テイラーの瞳のよう。
 三重の滝に到着。(マイナスイオン値17000)
 池のように見えたのは滝壺であった。

西沢渓谷 008


西沢渓谷 011


 ああ、来て良かった!

 一瞬にして、心も体も別次元に運ばれる‘気’の凄さ。
 これまで歩きながらも心を曇らす雑念(失恋の痛手と未練)に囚われていたのだが、一気に妄想が消えうせ、「今、ここ」に意識が集中する。
 マイナスイオンの効果云々は分からないけれど、自然の威力は科学的数値なんかで到底測れない。精神に及ぼす影響は主観的なものだから。
 
 木々の間から空を見上げると、片や入道雲が細胞分裂を繰り返すようにぐんぐんと膨れ上がり、片や黒い雲が流れてきた。
 バスの運転手の言ったことがどうやら当たりそうな気配。
 もうちょっと持ってほしいのだが。
 奥の手を出すか。
 慈悲の瞑想をし、念を空に放つ。
 しばらくすると、雲の合間から再び太陽が顔を覗かせた。
 
 ここからはずっと渓流沿いの歩きとなる。
 ごつごつした岩が並ぶ足元は、よそ見していると、意外に危ない。
 しかし、いくつもの滝と、思わず飛び込みたくなるほど美しく澄んだ滝壺と、軽快な調べを奏でる渓流の連続に、つい足元に注意を向けるのが疎かになる。一度濡れた岩に滑って尻餅をついてしまった。 

西沢渓谷 012


西沢渓谷 013


西沢渓谷 015


 マイナスイオン最高値の方丈橋を渡って、いよいよコース最大の目玉である七ツ釜五段の滝に対面する。
 いやあ。
 豪壮にして麗しく優美な姿は何にたとえよう。
 男性的であると同時に女性的な。
 リボンの騎士か。
 オスカルか。
 その名の通り、上部から五段の滝がそれぞれに美しい滝壺をつくりながら、最後の落差50メートルの瀑布へと連動している。
 日本の滝100選に選ばれるだけのことはある。

西沢渓谷 018


西沢渓谷 020



 渓谷歩きの最後は急な登りが待っている。
 ここで一挙に高度を上げて、山腹につけられたかつてのトロッコ道の址を行く。
 先程そばを通った滝壺を、今度は上空から見下ろす。
 緑とブルーの配色が爽やかで神秘的。

西沢渓谷 024


西沢渓谷 030


西沢渓谷 031

 

西沢渓谷 025


 渓谷めぐりと山歩きの両方が楽しめるとは贅沢このうえない。
 大展望台からは、鶏冠山(とさかやま、2,115m)、木賊山(とくさやま、2,468m)、破風山(はふさん、2,318m)などがよく見える。
 ここで遅い昼食とする。

西沢渓谷 026

 
 空はすでに一面雲に覆われているが、どういうわけか太陽のところだけぽっかりと穴が開いたように雲が途切れている。
 少し足を速めたほうがいいかもしれない。

西沢渓谷 032


 大岩の上に祀られた山の神を拝み、下りの近道をたどって、無事一周を終える。
 バス停到着は、発車時刻10分前だった。

 帰りのバス(乗客3名)に乗って5分もしないうちに、待ち構えていたように空は薄墨の雲で覆われて、路面は一瞬にして黒くなった。

ホントかよ。
 
 



     
     
 
 

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