ソルティはかた、かく語りき

首都圏に住まうオス猫ブロガー。 還暦まで生きて、もはやバケ猫化している。 本を読み、映画を観て、音楽を聴いて、神社仏閣に詣で、 旅に出て、山に登って、瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

手塚治虫

● ディケンズと手塚治虫 映画:『われらが友』(ジュリアン・ファリノ監督)

1988年イギリス製作

 上映時間352分(6時間!)に及ぶBBC(英国放送)文芸ドラマ。原作はもちろん国民的文豪チャールズ・ディケンズの Our Mutual Friend (ちくま文庫『我らが共通の友』、間二郎訳)。ディケンズが完成させた生涯最後の長編小説である。このあとに別記事で取り上げた諸説紛々たる未完のミステリー『エドウィン・ドルードの謎』が来る。

 さすがBBCというべきか。CGを多用せず、丁寧にじっくりと、テムズの流れのように悠々たる物語展開をもって作られている。視聴者の忍耐強さを信用しているのか、無視しているのか。これが全米だったら、CG中心の映像で目まぐるしく場面転換し、エピソードが其処ここで端折られ、全編120分以内に収められてしまうことだろう。結果、本編というよりもダイジェスト版か予告編を観たかのような気がすることであろう。むろん、ディケンズ文学の香りや味わいなど一片も残るまい。
 ディケンズが創造した(端役に至るまで)ユニークな登場人物はむろんのこと、19世紀末のロンドンの風景や下層階級の風俗が見事に活写・再現されている。制作者のディケンズに対する愛情と尊敬の念が伝わってくる良心的な仕上がりである。
 
 この小説、社会派ミステリーと紹介されることが多い。
 巨額な遺産をめぐる殺人がらみのミステリーと階級社会への批判が話の核にあるのでそれで間違ってはいないのだが、このBBCドラマに関して言えば、明確に「ミステリータッチの恋愛ドラマ」である。
 主軸となるのは、二組の若い男女(ジョンベラ、ユージンリジー)が様々な障害を乗り越えて結ばれるまでの道のりを描くことにあり、置かれた環境と共に移り変わっていく4人それぞれの心模様を映し出すことにある。それ以外にも作中で結ばれるカップルが二組いるので、都合四組の男女が最後にはハッピーエンドを迎える大団円。恋愛万歳!
 ディケンズは作家人生最後についに恋愛至上主義を打ち出したのだろうか。それとも圧倒的に多いであろう女性視聴者を意識したBBCが、やはりお国の女流文豪ジェーン・オースティン風に、あるいはハーレクイン的に脚色した結果であろうか。原作を読んでいないのでなんとも言えない。
 
 ディケンズ小説の登場人物たちはとにかく個性的で面白い。
 お決まりの口癖や習い性となった奇矯な言動、肌身離さず持っている所有物などによって、当の人物の個性をくっきりと浮かび上がらせるのがディケンズの人物描写の手法というか得意技なのである。漫画的に言えば‘キャラが立って’いる。その意味でまさに映像にあつらえ向きである。
 この作品でも、人骨を含む骨董品屋を経営するネガティヴ思考の中年男Mr.ヴィナスや、主人公リジーの女友達で頭は弱いが気は強い人形作りのジェニーなど、個性的で愉快で愛すべきキャラがたびたび登場し、シリアスな物語の息抜きの役を果たしている。それぞれのキャラに対するディケンズの強い愛情を感じる。(同様の手法を駆使した天才を今一人挙げるなら我らが手塚治虫であろう。実際、ストーリーテリングの上手さ、魅力あるキャラクター創造、扱うテーマの広さと博識、社会正義、あふれる人間愛など、ディケンズと手塚治虫は双子と言っていいくらい似ている。)

 一方、キャラクターに典型性を付与した結果、ディケンズ作品の登場人物たちは「ステロタイプ、書き割りっぽい、紋切り型、深みがない」という評価にさらされることもある。たとえば、善玉は最後まで善玉(本作のボフィン夫妻のように)、悪玉はあくまで悪玉(ライダーフッドやサイラス・ウェッグのように)、善と悪はきっちり分けられ最後は勧善懲悪で幕を閉じる。つまり、登場人物の性格や心理に深みや複雑さがなく、表面的な(少年漫画的な)人間理解に留まっている・・・・。
 この評価は当たっていなくもないとは思うが、ディケンズがこれだけ大衆的人気を博した(博している)秘密の一つはまさに典型化されたキャラクターの魅力が発するユーモア&ペーソスと、水戸黄門のごとく分かりやすいストーリーにあるのだから、「ないものねだり」というべきだろう。手塚治虫の作品をして「漫画的だ!」とけなすようなものである。

 ただ一方、ディケンズにはダークサイド(人間心理の暗黒面)に対する偏愛のようなものがあったことは見逃せない。物語の最後で、世間や法や宗教倫理に合わせて犯罪者や異端者を断罪し相応の罰を与え、市井の百万読者の溜飲を下げ快哉を叫び起こすのを忘れないだけのプロ意識は当然持ってはいるものの、犯罪者の内面について共感にも似た深い関心を抱いていたことが筆致からうかがえる。それはプロ作家として当然持つ人間心理に対する興味であると同時に、社会から疎外され孤独に苛まれ屈折した者のうちにこそ、その社会のいびつさが凝縮されて顕われるということを感じ取っていたゆえだと思う。本DVDで解説をほどこしている著名な英文学者の小池滋はこう指摘している。

 一方で彼(ソルティ注:ディケンズ)は健全明朗な市民道徳の立場に立って、明晰な論理や推理の力によって悪を追跡し罰する姿勢も見せているが、それと同時に彼は、追跡される悪人、善良な社会から追放され指弾される者の立場に立って、その心理を鋭く分析するとともに、「健全」であると自負している一般社会の偽善と虚偽を痛烈に批判するのである。(創元推理文庫『エドウィン・ドルードの謎』解説P.434)

 ディケンズの小説には、そうした異端者が時折登場し、大方の読者の理解を拒むような複雑で不可解な人間性の一面を垣間見せる。本作にも、単なる悪役のための悪役ではない、悪役の典型性に収斂されない非常に複雑で屈折した性格を持つ男が登場する。堅物教師ブラッドリー・ヘッドストンがその人である。(Head Stoneとはまさに「石頭」だ)
 ヘッドストンは貧乏で恵まれない家庭環境の中、苦学して進学の道を切り開き、今は周囲に尊敬される教師となっている。このまま行けば、彼を愛する同僚女性教師と結婚し、いよいよ出世し順風満帆のはずであった。それが、担当する生徒の姉リジーに出会って一目惚れしたのがきっかけで、人生を狂わせてしまう。リジーのことがどうしても忘れられず、生徒をダシにして会う機会を作るが好意は得られない。諦めること叶わず、つきまとい、しまいにはストーカーのようになっていく。リジーと相思相愛の関係にあるユージンの存在を知り、嫉妬にかられ、ユージンを夜毎つけ回した挙句、ついに殺人を決行する。
 実を言えば、この堅物教師ヘッドストンの壊れていく精神、憑かれたように狂おしさを増していく表情、転落していく人生が、作中もっとも強い印象を残すのである。主人公たちの恋愛ゲームなんか蹴散らすほどに。
 演じているのはデビッド・モリシーという名の俳優だが、オスカー級の名演である。情緒不安定でプライドが高く自己中心的なヘッドストンが、愛によって理性を失い、次第に狂気を増していく様を、役柄への深い理解を持って怖いほどリアルに演じている。単なる紋切り型の悪役の範疇を超えて、愛情のない家庭に生まれ育ち、社会的成功だけを目的として生きてきた孤独な人間の魂の飢餓と危機と破綻を好演している。
 間違いなく、才能ある男優にとって、このヘッドストンこそ登場人物中最もやりがいのある、一度はやりたい役であろう。『レ・ミゼラブル』のジャベール警部同様に。

 ここまで来てようやく、『われらが友』のブラッドリー・ヘッドストンこそ、遺作となった『エドウィン・ドルードの謎』のジョン・ジャスパーに転生するのだと、大作家ディケンズが最後に書きたかったのは単なる恋愛ドラマではなく人間心理のミステリーだったのだと納得しうるのである。(「そのへんもまた手塚治虫と似ている」と最近『MW ムウ』を読み返して思った・・・)


評価:B-

A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!



 

● オクタビウスの謎 映画:『クレオパトラ』(ジョゼフ・L・マンキーウィッツ監督)

クレパトラ 1963年アメリカ映画。

 最初に言及すべきは、リズことエリザベス・テイラーの美しさ。
 撮影当時31歳、共演のリチャード・バートンとの始まったばかりの恋に身も心も潤って、匂い立つような女らしい艶やかなオーラーを発散している。リズが出ているシーンでは、リズしか目に入らないほどである。古代エジプト最期の女王、史上随一の美女の役だけあって、どんなに着飾っても、どんなにメイクアップしても、どんなに宝石で身を固めても、どんなに尊大に振る舞っても、やりすぎることはない。その保証を手にしてリズは自らの人生の美しさの頂点をここに焼き付けた。
 自分はブラウン管でしか観たことないが、スクリーンの大画面で見たら、この美は世界遺産ものだろう。

 物語のスケールの大きさ、豪華な衣装やセット、エキストラの多さ、制作会社(20世紀フォックス)を破産寸前まで追い込んだ巨額な制作費、美貌の大スターをめぐるゴシップや逸話の数々。女優を主役とした映画では『風と共に去りぬ』(ヴィクター・フレミング監督、1939年)と並び、バビロンの如き栄華を極めた大ハリウッドの威光を伝える作品と言えるであろう。

 とりわけそれが顕著に表れているのが、クレオパトラのローマ入城シーンである。

 クレオパトラがシーザーとの間にできた未来のアレキサンダーたる(とクレオパトラは目している)息子シザリオンを、初めてローマ市民に披露するこのシーンは、物語全体からすればどうってことない一つのエピソードに過ぎない。シーザーの暗殺、アクティウムの海戦、クレオパトラの自殺・・・など、物語的に重要な、絵になるシーンは他にある。
 だが、作品中おそらく最も豪奢を極め、手間も金もかかっていて、エキストラも多く、シーン自体も一番長く、もっとも印象に残るのが、このローマ入城なのである。
 最初に登場のファンファーレがあって門が開かれてから最後にクレオパトラ(とシザリオン←添え物)が登場するまで何分かかっているだろう。延々とアフリカ風の踊りやら、槍を使った戦闘の舞いやら、火を使ったリンボーダンス風な曲芸やら、カラフルな煙幕やら、これでもかとばかりに見せ物が続く。映画では当然それぞれの見せ物は部分的に紹介されカットつなぎで次の見せ物にバトンタッチされるわけだが、おそらく実際の時間にすると軽く2時間はかかるのではないだろうか。
 観ていて連想するのは、昨今のオリンピック開会式である。
 各国の選手入場の直前まで延々と開催国をアピールする催し物が行われるのが定番となっている。その国の成り立ちを伝える神話の再現とか、歴史上の有名な出来事とか、伝統舞踊や伝統工芸や民族衣装とか、果てはその国出身の世界的歌手やスポーツマンが花を添える。オリンピックがなりふり構わぬ商業主義に走ったロス五輪以降、それがどんどんエスカレートして明らかな国力の誇示ショーになっている。
 それはどうでもいいんだが、開会式の演出家たちは、演出家を志した少年時代か青年時代にまず間違いなく、リズの『クレオパトラ』を観ていることだろう。「ローマ入城シーン」に影響されていることだろう。
 で、「ローマ入城シーン」自体は、まず間違いなく、マンキーウィッツ監督がそれまでに観たオペラ『アイーダ』第二幕の「凱旋の場」の演出を意識してつくられたはずだ。
 逆に、この『クレオパトラ』から影響を受けて、その後の『アイーダ』演出家は「凱旋の場」をつくることにもなったであろう。(とりわけフランコ・ゼフィレッリあたり。)
 『アイーダ』と『クレオパトラ』と『オリンピック開会式』は、相互に影響し合って手に手を取ってゴージャスと拝金主義とナショナリズム高揚を推し進めていると言えよう。(昨今はそこにサッカー競技も加わっている。)

 リズにばかりに目がいってしまう『クレオパトラ』であるが、今回改めて面白さを感じたのは、クレオパトラをめぐる3人の男――シーザー、アントニウス、オクタビウスーーのキャラクターの違いである。クレオパトラにとって、シーザーは父のような庇護者的存在、アントニウスは自分をひたすら賛美崇拝してくれるアッシー君(古い!)みたいな存在、そしてオクタビウスは・・・? オクタビウスとの関係が謎である。
 歴史上の権力争いの観点から言えば、次のように比較できるだろう。

 シーザー   =織田信長(最初の国家統一者)
 アントニウス =豊臣秀吉(その跡を継いだ者)
 オクタビウス =徳川家康(最終的に長期政権の基盤をつくった者) 

 ついでに
 ブルータス  =明智光秀(言わずもがな・・・)

 すると、クレオパトラは誰だろう? 
 淀君か、ネネか?

 3人の男のうちクレオパトラが最も(真に)愛したのはアントニウスらしい。自らが大将をつとめる闘いで、逃げる女の後を追って船をも部下をも見捨てるアントニウスは、天下のうつけ者(やっぱ織田信長?)であるが、「私と仕事とどっちが大事なの?」という女の究極の問いに迷わず「お前に決まっている」と答えられる男は、世の女にとってはアレキサンダー以上の英雄なのかもしれない。
 名優リチャード・バートンは、実に人間くさいアントニウスを好演して、リズでなくとも母性本能をくすぐられる。


 オクタビウスはクレオパトラの毒牙にかからなかった(フェロモンに迷わされなかった)。結果として、初代ローマ皇帝アウグストゥスとなった。
 なぜだろう?
 
1.男色家説


 この説は結構好まれている。 
 この映画でも、当時のハリウッドの規制もあって、はっきりそうとは描かれていないが、オクタビウスが女に興味がないことを示すシーンがところどころ出てくる。


アントニウス 「君も仕事ばかりしないで少し遊んだらいい。あそこにいる女達はどうだ。よりどりみどりだぞ。」
オクタビウス 「無駄なことです。」

 手塚治虫の『クレオパトラ』(1970年)ではもっと顕わである。
 朋友アントニウスを殺されたクレオパトラは、次の手段としてオクタビウス籠絡に取り掛かろうとする。フェロモン100%放射。

 オクタビウス「お前の魅力など私にはまったく効かない。」
 戸惑うクレオパトラ。 
 そこへ、クレオパトラの家臣である力自慢の闘志(グラデュエイター)が現れる。
 とたんに目の色を変え、オカマキャラ丸出しになってしまうオクタビウス。
 「きゃあー。素敵な肉体。あの日あなたを見て以来、この体に抱かれることを夢見ていたのよ。あとで、連絡先教えてね~?」
 すべてを諦めるクレオパトラ。

 男色家説は話としては面白いが、実際にはどうだろう。
 オクタビウス=アウグストゥスは、生涯に何度も結婚して子供も作っている。もちろん、後継者を作るための、あるいは勢力基盤を磐石にするための政略的結婚であったとは思う。病弱であったためかどうか、血を享けた子供は結局一人しかできなかった。それも娘だった。あまり子作りには積極的でなかったようだ。
 生涯の友であったアグリッパとの篤い関係から同性愛の匂いを嗅ぎ取ることもできる。自分の娘ユリアとアグリッパを結婚させて(アグリッパを義理の息子にして)、そこにできた息子に帝位を継がせようとしたところなんか、現代の大物ホモ政治家がやりそうな手口である。
 ともあれ、なんと言ってもキリスト誕生以前(BC)である。この時代のローマ人にとって同性愛はタブーではなかったはず。若きジュリアス・シーザーも「すべての男の妻」と呼ばれていたのである。
 曰く「オクタビウスがゲイでなかったら、世界の歴史は変わっていただろう。」 


2.クレオパトラが本気を出さなかった説


 里中満智子の漫画『クレオパトラ』がそうである。
 シーザーとの世紀の恋に破れ、アントニウスとの運命の恋の成就と死別を経験した女王はもはや政略的な結婚などしたくなかった。人生にも野望にも疲れていた。愛するエジプトを守るためでも、もう奥の手を使う気にはなれなかった。
 リズの『クレオパトラ』もアントニウスとの真実の恋に目覚めたために、後を追って自害するのである。


3.クレオパトラの魅力に翳りが・・・・説


 さて、ここで主要人物の生年没年である。


シーザー  (紀元前100年――紀元44年) 56歳で死去
アントニウス(紀元前83年――紀元30年)  53歳で死去
オクタビウス(紀元前63年――紀元14年)  76歳で死去
そして、
クレオパトラ(紀元前69年――紀元30年)  39歳で死去


 クレオパトラとシーザーの年齢差は31、アントニウスとは14、オクタビウスとは6つでクレオパトラが年上である。
 クレオパトラが3人の男をたらしこもうとした時のそれぞれの年齢を推定する。


 シーザー(52)×クレオ(21)
 アントニウス(41)×クレオ(27)
 オクタビウス(33)×クレオ(39)


リズ シーザーとアントニウスは、クレオから見れば「すっかりおじさん」だったのである。若さと美貌と奸智とエジプトの富とで彼等をたらしこむのは赤子の手をひねるようなものであったろう。また、中年クライシスを感じていたであろう「両おじ」にとって、若く夢に燃えるクレオはまたとないオアシスであり活力源であったろう。
 一方、オクタビウスから見れば、アラフォーのクレオは「もうおばさん」である。とくに、女性の容姿とフェロモンは35を過ぎると急速に衰えていく(by幸田來未)。自身「ローマ一の美少年」と言われ年上の男女からもてはやされたオクタビウスにしてみれば、クレオの美貌なぞ「どうってことない」「なに若作りしてんだか」「首の皺は隠せねえぞ」だったのかもしれない。
 証拠がある。リズがクレオパトラを演じたのは31歳の時である。それからわずか3年後『ヴァージニア・ウルフなんか恐くない』(マイク・ニコルズ監督、1966年)のリズを見よ。もはや美の衰えは隠しようもない。その代わりに演技派女優としての名声を確立していくのだが。(この作品でオスカーを獲っている。)

 子供の頃この映画をテレビで見たとき、リズのアテレコは小川真由美だった。
 これが実に素晴らしかったのである。まろやかで、色っぽくて、品があって、知性を感じさせ、女王としての風格に不足はない。しかも小川真由美は、声で芝居をすることのできる芸達者。
 お蝶夫人やオードリー・ヘップバーンの声が池田昌子で決まりであるように、クレオパトラの声は小川真由美で決まりというのが実感である。
 うれしいことに、DVDの日本語音声は小川真由美である。
 日本でのテレビ放映時の録音テープを使ったためか、テレビ放映の際にカットされたシーン(特にお色気シーン)では突然英語になる、つまりリズの肉声に切り替わるという面白いことになっている。
 ぜひぜひ日本語音声で観て(聞いて)ほしい。
 絶世の美女エリザベス・テイラーも決して声は美しくないんだなあ、喋りに品がないんだなあ、と知ることができる。声や話し方がいかにその人の魅力を引き立てるかをまざまざと知ることができる。
 小川真由美という女優を語る上で、欠かすことのできない作品である。


評価:A-

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」     

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」
     
C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」
        「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!




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