●歩いた日 4月14日(日)
●天気 晴
●タイムスケジュール
8:22 JR五日市線「武蔵五日市駅」発・数馬行バス乗車(西東京バス)
8:50 上川乗バス停着
9:00 歩行開始
10:10 浅間峠
11:05 日原峠
12:15 丸山頂上
12:30 笛吹峠
昼食休憩(60分)
13:55 数馬峠
展望休憩(20分)
14:40 田和峠
15:00 西原峠
槙寄山頂上
16:10 仲の平バス停
16:15 蛇の湯温泉「たから荘」
歩行終了
● 所要時間 7時間15分(歩行5時間25分+休憩1時間50分)
● 歩数 約30,000歩
久しぶりの長丁場。これも日が長くなったおかげである。
笹尾根は東京(檜原村)と山梨(上野原市)との境界を走っている峠から峠へとたどる山道である。昔の人は、この稜線を越えて交流し嫁取りや物物交換したのだと言う。
武蔵五日市駅で下りると、数馬行きのバス停には行列ができていた。さすが行楽日和の日曜。もう一台臨時バスが用意されていた。
「今日の山登りは混雑必死だな」と覚悟したが、上川乗で下りたのはせいぜい15名。ほとんどの人は終点「都民の森」まで行って三頭山に登るらしい。
ああ、良かった。
西武秩父線の廃線が話題になっているが、団塊世代の大量退職を受けてこれから登山者がグンと増えるのは間違いない。いっそ「秩父登山列車」と改名して車両も登山仕様に改造してみてはどうだろうか。デパートに客を引き寄せる時代はとうに終わっている。西武秩父線沿いの山々と温泉とを組み込んだハイカーサポート事業を興してはどうだろうか。狙いは団塊世代のつるみたがる習性と豊かなふところである。
上川乗バス停付近に広がるのどかな春の田舎の風景をあとに、浅間(せんげん)峠を目指す。グループ客をひとつ追い越したら、あとは先を行く一人の男の後ろ姿しかない。
やはり、山登りは静かな方がいい。
山路来て なにやらゆかし すみれぐさ (芭蕉)
杉木立が、生まれたての葉っぱも瑞々しい広葉樹林に変わる頃、あずま屋の立つ浅間峠に到着。涼風に汗があっという間に引いていく。
生藤山、三国山(神奈川県)に向かう道、棡原(山梨県)に向かう道、そして三頭山(東京都)に向かう道。人々の出会いと別れをいつも変わらず浅間様(富士山)が見守ってきたのである。二本の大杉の間に浅間社の小さな祠がある。
日原峠に向かう平坦な山道の木の間から、富士山の白い頂きがぽっかり宙に浮かんでいる。視界の良かった季節は過ぎ去った。
日原峠の道の真ん中にちょこんと立っている可愛らしいお地蔵さんに会釈して、丸山(1098m)を目指す。ゆるやかな登りが続く。
いつも山登りに際して頭を悩ます(というほどのことでもないが)のは、どこでランチをとるかである。
いくつかの条件がある。
1.展望の良いところ
2.陽当たりの良いところ(夏なら木陰)
3.座って弁当を広げられる平らなところ
4.人の少ない静かなところ
5.風の強くないところ
6.最もきつい登りは終わってから(できればあとは下るだけ)
普通は山頂が一番なのだが、これらの条件すべてが適うことはむしろ少ない。展望の良いところはたいてい人がいっぱいで落ち着かないし、眺めを遮る木々がない分、風をまともにくらって弁当を入れたビニール袋が飛んでいったりとなかなか忙しない。
また、必ずしも山頂がその山一番のビューポイントとも限らない。条件にそぐわない山頂で妥協してランチを取り休憩したあと、10分ほど下ったところにまさにすべての条件を満たした絶好のランチポイントがあったりすると、「なんだ。もうちょっと待てば良かった」などと思うのである。逆に、頂上目前で「ここはランチに最高の場所だなあ」と思ったところがあっても、「いやいや、やっぱり頂上に着いてからだ。より上にある山頂の方がもっと眺めが良いだろう。」と通過する。で、山頂が木々に囲まれてまったく展望が得られなかったりすると、「あそこで弁当食っておけば良かった」などと後悔する。もちろん、今さら戻るなど考えられない。
そんなこんなで、ガイドブック編集者にはその山のランチポイントも掲載してほしいと願うわけである。
持参したガイドブック『奥多摩奥武蔵日帰り山歩き』(ブルーガイド)では、丸山が大休止に向いていると書いてあったので、そのつもりで目指したのだが、着いてみるとほとんど展望は得られない。いや、山は見えるが木々の間からなので、今ひとつ迫力に欠ける。
「どうしようか」と思っている内に、反対側からやってきた中高年グループ客が弁当を広げだしたので、他を当たることにした。
笛吹峠(うすしきとうげ、と読む)へと向かう道は、この尾根の名の由来であろうクマザサが繁っていた。昔は尾根全体に生えていたのであろうか。
笛吹峠には大日如来を祀る岩があり大日峠とも呼ばれている。大日如来と言えば真言宗である。
日本では平安時代に浸透した密教において最高仏として位置づけられ、大日信仰が成立した。また、日本では古来から山岳信仰が存在していたが、平安末期の久安年間には駿河国の末代が富士登山を行い、大日如来を富士の本尊とする信仰が創始されたという(『本朝世紀』)。富士における大日信仰はその後、大日如来を富士の神である浅間大神の本地仏である浅間大菩薩とする信仰として発展し、富士信仰において祀られている。(ウィキペディア「大日如来」)
密教か富士信仰か、どちらだろう?
山伏も花嫁と共に笹尾根を歩いたのだろうか?
笛吹峠をすこし登ったところに松林に囲まれた日当たりの良い広いスペースがあった。丸太で作られたベンチもある。甲州から吹く南風は強いが、ここでランチにする。松の向こうに見える権現山の黒々とした長い尾根は、寝ている恐竜の背中のよう。
昼寝後に出発。
スギの植林の織物のような幾何学的な美しさに見とれる。
まもなくすると、数馬峠の素晴らしい展望に覚醒する。権現山との間に深い谷間をはさんで南側に広がるは、丹沢、道志、富士山、大菩薩嶺。ベンチもいくつか置かれている。すべての条件をクリアしたランチポイントだ。
「ん~。ここまで待てば良かったかな。」
山登りの密かな楽しみ。それは立ちションである。
便所は少ないので、道中どこかで用を足さなければならない。
周囲に誰もいないのを確認して、目の前に広がる大パノラマに向かって放尿するのは原始的な気持ちよさを呼び起こす。
おそらく、ヤマトタケルも弘法大師も国定忠治も夏目漱石も、同じ快感に身をゆだねたことだろう。
よくぞ男に生まれけり。
ここから先は、これまでの行程の木々に遮られた展望のもどかしさを払拭するような見事な眺めが続く。田和峠、西原峠、そして笹尾根の最高点である槙寄山。
数馬へと下る道からは、御前山、大岳山など奥多摩の代表的な山が望めた。
数馬は兜造り(かぶとづくり)の家で有名である。
兜造りは、合掌造りが原型だが、上階を養蚕に利用するために破風を大きくとり妻側の屋根を小さくし、採光、通風を良くした建築様式である。外観が兜に似ていることからこの名がある。築200年以上のものが村内に残っている。
実用的であると同時に形態も美しい。自然にあった建築だなあと感心する。
仲の平バス停からすぐのところに蛇の湯温泉「たから荘」がある。
昔傷ついた大蛇が川原の湯で傷を治したのでこの名があるという。
今回の登山の目的の一つはこのたから荘に来ることであった。
なぜなら、ここは「日本秘湯を守る会」に選定されている東京で唯一の温泉だからである。この会が出しているガイドブック『日本の秘湯』に載っている温泉は、裏切られることがないパワフルな気を宿している。落ち着いた木の宿の雰囲気も素晴らしい。
秘湯を守る会の提灯を確認し、日帰り入浴(1000円)する。
壁の二面に大きな窓をとった浴室からは、周囲の森林や宿の脇を流れる渓流を見ることができ、露天風呂のような錯覚を起こす。
「ああ、気持ちいい~」
湯に浸かるやいなや、腹の底から声が出る。
まぎれもない良質のお湯。
体の気を甦らせるマグマの力。
近くには人気の高い公共施設「檜原温泉センター・数馬の湯」があるが、源泉の近いからだろうか、お湯の力が格段に違う。
いっきに心と体のコリが吹っ飛んだ。
次に来る時は宿泊しよう。
メシが旨いぞ、絶対!