swan 1976年~1981年まで週刊マーガレットに連載された大人気漫画。バレーを描いた少女漫画として、山岸涼子の『アラベスク』と双璧である。
 今も続編を連載中らしいが、第2部21巻までを3夜に分けて読了した。
 読み手をぐいぐい引っ張る力は驚異的。

 有吉は1950年(昭和25年)生まれということだから、萩尾望都、竹宮恵子、大島弓子ら、いわゆる「24年組」と同世代である。
 これら団塊の世代の女たちが自己表現の手段として選び、幅広い世代の同性の共感を呼び作家としての成功を収めたのが、少女漫画であったという事実は意味深である。
 おそらく、文学、映画、音楽など、他の伝統的な表現領域が男中心主義に毒されていたことと無縁ではないだろう。いくら才能や伝えたい思いがあっても、そこには女性たちが入り込む余地はまだまだなかったであろうから。
 読者が女性に限定され、世の男たちが馬鹿にしてほっといてくれたおかげで、自由なまったく新しい(衝撃的な)テーマや表現スタイルへの模索や挑戦が許された少女漫画という実験場で、水を得た魚のように、彼女たちはおのれの魂の叫びをGペンの先からほとばしらせたのである。
 その輝きは、仮名文字を手に入れた王朝時代の女流作家たち(紫式部や清少納言)に比肩されよう。

 SWANは、途中までは山本鈴美香の『エースをねらえ』のバレリーナ版の域を出ていない。事実、人物設定やネームなどに、『エース』の強い影響を見ることができる。
 そのままでは、二番煎じでしかなかったろう。

 有吉の真価が発揮されるのは、主人公の聖真澄(名前が良くないなあ)がモダンバレーを習いにニューヨークに飛んでからである。
 そこで、真澄は一人の男を愛し、同棲し、バレーより恋を選び、いったんバレーを離れてしまう。岡ひろみが藤堂との恋の成就よりもテニスを選び、物語の最後まで処女のままでいたのと対照的である。
 このニューヨークエピソードにおいて、SWANは完全にその生みの親である『エース』から離脱し、まごうかたない有吉の作品となった。(おそらく、有吉の実生活・実体験が反映されているのだろう。)
 スポーツである(でしかない)テニスに比べ、バレーはスポーツであると同時に芸術である。バレーで一流になるとは、技術を完璧にマスターした上に、オリジナルな表現を深めてゆくことである。そのためには、真澄は恋を知り、性愛を知り、別れを知る必要があった。(性愛に関しては当然「少女漫画コード」ゆえに描写されていないが。)

 物語前半の真澄のバレーの才能の描写が、コンクールの最終審査に残ったとか、その道の目利きによる引き抜きとか、いささか説明的で無理を感じるのにくらべ、ニューヨーク後の才能の描写は絵そのものによって説得力がある。有吉自身の内的成長が作画力向上に結びついているのだろう。

 『エース』が最終的には、岡ひろみのスポ根テニス漫画を離れて、竜崎麗香(お蝶夫人)という女性の成長物語になったように、SWANも聖真澄という女性の成長物語になったのである。