ソルティはかた、かく語りき

首都圏に住まうオス猫ブロガー。 還暦まで生きて、もはやバケ猫化している。 本を読み、映画を観て、音楽を聴いて、神社仏閣に詣で、 旅に出て、山に登って、瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

木下恵介

● 男には決して分からない 映画:『香華』(木下恵介監督)

 1964年松竹。

 奇矯な関係にある母と娘の波乱の生涯を描いた有吉佐和子同名小説の映画化である。

 木下恵介と有吉作品がこれほど相性が良いとは意外であった。
 二人の女--母と娘--が実に良く描けていて、実に面白かった。前後編あわせて202分を一気に観てしまった。
 女性が主役の、女性視点の物語を、かくも上手に、かくも細やかに撮れるのは、木下監督のゲイセクシュアリティゆえであろうか。その意味で、木下監督の本領がもっとも良く発揮されている作品の一つと言えるのではなかろうか。

 母親と娘の関係というものは、男たちのまったくわからない世界である。
 それは、父親と息子の関係を世間の女性たちがよくは理解できないのと照応するわけであるが、後者については『巨人の星』をはじめ典型的な物語がたくさんあるし、男同士の関係はなんだかんだいって単純で劇画調でわかりやすいので、謎というほどのことはない。
 しかるに、母親と娘の関係は、世間の男たちにとって謎の中の謎と言っていいだろう。
 まず、一般に男たちは単体の「女」を理解できない。理解するためのプログラム言語を持っていない。母と娘の関係と来た日には、「女」の二乗である。わからなくってあったりまえだのクラッカー。というか、そもそもそこに興味を持つ男はそういまい。理解できないことには興味を持たないのが「男」という生き物である。
 だから、この作品を映画化できた木下恵介は偉大なのである。

 娘を生計のたつきにしか思っていない身勝手な母親・郁代と、その母を終生慕い続けるしっかり者の娘・朋子。観る者は母親の冷酷さ、その人非人ぶりに怖気を奮いつつ観ることになるのだが、唯一母と娘の心が通い合う場面がある。
 ほかならぬ実の母によって遊郭に芸妓として売られた娘。こともあろうに亭主に捨てられた母親は同じ遊郭で女郎として雇われるはめになる。芸は売れども体は売らぬ娘と、年をごまかして体を売る母親。娘は周囲に知られぬようにこっそりと母親の元に通い、食べ物を差し入れる。
 そんなある日、娘は初潮を迎える。点々と床に滴る徴からそれを見知った母親は、娘を思わず掻き抱く。
 それは決して娘の成長を喜ぶ母親の喜びではない。同じ「女」になってしまった娘に対する憐憫なのである。
『ああ、お前もこれから男社会の中で、一人の女として、「女であること」を弱みとも武器ともして、生きていかなければならないんだ』

 こんなシーンをまともに撮れる男性監督なんて、滅多いない。
 溝口健二にも市川昆にもできなかったであろう。形だけは原作どおり(脚本どおり)に作れたかもしれないが、母と娘の一見‘共依存’の陰に隠された、切っても切れない女同士の絆は、木下の細やかなる女性的感性によってしか表現されえなかったと思われる。


 年端の行かない娘を遊郭に売ってしまうひどい母親を乙羽信子が演じ、その母を終生面倒見続けるしっかり者の娘を岡田茉莉子が演じている。甲乙つけがたい好演である。
 現代ならこの母娘の関係は、児童虐待とかストックホルム症候群とか共依存とか指摘されてしまうのであろうが、なんだかそんな精神医学的解釈が味気なく感じられるほど、この母娘は花柳界の現実をなまなましく逞しく生きて、個人主義という言葉が冷たく感じられるほど、強い縁で結ばれている。
 岡田茉莉子の気丈な視線を観ていると、外野が文句つける筋合いはないなあ、とくに男はうかつに近寄るべからず、とつい思ってしまうのである。

評価:B+

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」
      
C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!


● 不愉快なコメディ 映画:『カルメン故郷に帰る』(木下恵介監督)

高峰秀子 1951年松竹。

 『二十四の瞳』『浮雲』と並ぶ高峰秀子の代表作である。
 この女優が演技達者なのはいまさら言うまでもない。その後物書きとしても成功したけれど、頭がいいのも間違いない。
 が、自分は高峰秀子人気がよくわからないのである。
 とりたてて美人ではない。スタイルも純日本人体型の大根足である。セクシー女優というには庶民的すぎる。
 これまでにはなかったタイプの女優――といったところが魅力だったのだろうか。

 国産初の総天然色映画として有名なこの作品は、喜劇に分類されている。
 都会でストリッパーをしているオツムの弱いリリィ・カルメン(=高峰)が、「故郷に錦を飾る」べく浅間山麓の村に同僚マヤと帰省して一騒動起こす、という単純なストーリー。
 高峰の演技はあくまで伸びやかで屈託がない。素朴な田舎の人びとの反応も滑稽で微笑ましい。ストリッパーとなった娘を愛しながらも恥に思う父親(=坂本武)の複雑な胸中が描かれるとはいえ、全体には喜劇的トーンで統一されているのは間違いない。全編オールロケ、村人の騒動を悠然と見守る浅間山をバックに、広々としたすがすがしい風景が適確なロングショットで捉えられている。牧歌的という言葉の似合うコメディではある。
 しかし、自分は素直に楽しめなかった。

 リィリィは最初、東京で成功した人気舞踏家という触れ込みで帰郷する。村人は、垢抜けた都会風のリィリィとマヤを持て囃す。彼女たちの行くところには人垣ができる。男たちはやに下がる。
 しかるに、リィリィがかつて好きだった男(=佐野周二)に迷惑をかける羽目になって、名誉挽回のため村人への「芸術披露」を行うくだりに至って状況は一変する。
 村人たちは、リィリィの言う芸術とはストリップのことであり、舞踏とは裸踊りのことであると知る。
 東京に帰る前日、リィリィとマヤは、父親や子供たちをのぞいた村人総出の舞台で裸踊りを披露する。男たちが首を伸ばし固唾を呑んで見守る中、ビキニが、そして最後の一枚が、はらりと宙に舞う。
 翌日、謝礼をもらい汽車に乗って故郷をあとにするリィリィは満足気である。
「田舎の人たちに本物の芸術を見せてやった。」
 女優のような鷹揚な笑みを浮かべ、見送る男たちに悠然と手を振る。
 一方、男たちはもはやリィリィを馬鹿にしている。鼻でせせら笑い、いやらしい仕草で、二人を見送る。転落した女への侮蔑丸出しである。
 
 不愉快きわまる話ではないか。
 これが喜劇として喝采を博すほど、当時の大衆も批評家もお目出度かったのである。フェミニズム的に盲だったのである。
 赤線や青線がまだあった、街角にパンパンが立っていた1951年じゃ仕方のないことであろう。
 
 監督(脚本)の木下恵介はどうだったのか。
 登場する男たちと同じ視線、同じ価値観でリィリィを見たのだろうか。
 そこが興味深いところである。
 ゲイである木下監督(←決めつけてる)は、ヘテロの男のようには状況を見ていなかった可能性がある。彼なら、劇中の真面目な校長先生(=愛すべき笠智衆)同様、リィリィのストリップショーに行かなかったかもしれない。行っても、他の男のようには興奮せずに、冷めた目で舞台や周囲の観客たちを観察していたであろう。
 自分を喜ばせ満足させてくれるものを下に見て侮蔑する男たちの倒錯した性は、木下恵介の目にはどう映ったのだろうか。
 この作品が実は喜劇ではなく風刺劇なのではないか、と思うのはその点である。
 そのように観たときに、映画の冒頭で流れ、劇中でも繰り返し流れる、おそらくはこの映画のために作られたであろう『ふるさと』という歌が、喜劇には似合わないもの哀しい旋律を帯びている不可解に合点がゆくのである。その調べには、懐かしいけれど愚昧な風土に対するアンビバレントな思いが響いている。
 
 この映画のパロディとして、1978年に同じ松竹から『俺は田舎のプレスリー』(満友啓司監督)が上映された。こちらは、青森県が舞台で、故郷の秀才である青年・真実男がフランスで性転換手術をし「女」になって帰還するという話である。主演は、まさに適役カルーセル麻紀であった。
 「カルメン」と同じような転落(男から女への!)の物語で、村人は最初から冷たい目でかつての秀才に遇する。
 しかしながら、この映画は途方もない美しさに輝く傑作であった。それはカルメンが帰郷で得られなかったものを真実男は得たからである。
 
 木下監督は『プレスリー』を観て歯ぎしりしたに違いない。

 
 
評価:B-

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」    

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!

● 映画:『夕やけ雲』(木下恵介監督)

木下恵介1 1956年松竹。
 
 木下恵介監督はゲイだったそうな。

 確かに監督の有名なポートレイトを見ると、その垢抜けたお洒落なたたずまい、柔らかな物腰はゲイっぽい。助監督には美青年ばかり雇っていたと言う。手元にある『日本映画ベスト150』(文藝春秋発行)の372ページに、坂東妻三郎と並んだ若い頃の木下の写真が載っているが、少年のようなスレンダーな体、白い半袖シャツに白い半ズボン、どう見てもマスカラをしているとしか思えない麗しい瞳をした、性別を超越した美青年が、坂妻に寄り添いながらカメラに媚を売っている。若き日の美輪明宏ばりのシスターボーイである。


木下恵介&坂妻 002


 ゲイの芸術家など珍しくもない。
 ゲイの映画監督もまた珍しくない。ヴィスコンティ、パゾリーニ、デレク・ジャーマン、ジェームズ・アイボリー、ガス・ヴァン・サント、ペドロ・アルモドバル、ローランド・エメリッヒ、・・・・・。本邦では橋口亮輔がカミングアウトしている。
 だから、作り手がゲイであるという観点でその作品についてあれこれ言うのはあまりに芸がない。
 しかし、観る者もまた同じセクシュアリティの持ち主であるときに、どうしたってゲイ的な部分を作品中に探してしまうのである。
 組合意識とでも言うべきか。
 で、木下恵介の作品は題材的にはほとんどゲイチックなものはない。ヴィスコンティが『ベニスに死す』を撮り、パゾリーニが『ソドムの市』を撮り、フランコ・ゼフィレッリの映画には若い男の裸のケツが必ず出てくるといったふうには、わかりやすい性的嗜好は見られない。むしろ抑圧・隠蔽している。男女の恋愛もの、家族ドラマ、文芸もの、戦争もの・・・木下監督の取り上げるテーマは大衆(=マジョリティ)の好みに即したもので、だからこその人気監督だったのである。唯一の例外が『惜春鳥』という作品らしい。これは日本最初のゲイ映画と言われている。(ソルティ未見)


 『夕やけ雲』も、貧乏のため船乗りになる夢をあきらめ、家業の魚屋を継がなければならなかった少年の物語で、貧しい庶民の生活と心情とがあたたかい眼差しで描かれている良品である。丁寧な語り口、節度ある確かな演出、豊かな演技。少年のやるかたない心が、まさに空を染める夕やけのように観る者の心に切なくも哀しく染み入ってくる。
 あえてゲイチックなところを言うならば、主人公の少年洋一と親友原田との仲のよさであろうか。学ラン姿の二人が手をつないで歩いているところなど(その握り合った手と手がアップにされるところなど)、思わずキュンとくる。
 しかし、それは作り手がゲイであることの決め手――決めてどうするという意見はあるが――となるほどのショット(絵)ではない。
 むしろ、自分がゲイっぽさを発見したのは、洋一の勝気な姉である豊子(=久我美子)の描かれ方にある。

 久我美子は、小津安二郎の映画に出てくるきれいなお嬢さん女優というイメージしかなかった。
 が、この映画では貧乏から脱出するために自らの若さと美貌を武器に金持ちの男を追いかける、強引でエゴイスティックな女を演じていて、それがまた非常にはまっている。この演技でブルーリボン助演女優賞を得たのも頷ける好演である。
 木下監督は、久我を綺麗に撮ってはいる。
 しかし、色気がないのである。着替えるシーンや鏡台に向かって化粧するシーン、ヒラヒラの純白のドレスを着るシーンなどが出てくるにも関らず、画面はまったく乾いている。男性監督が女優を撮るときに巧まずも滲み出て来るような艶がない。増村保造が若尾文子を、吉田喜重が岡田茉里子を、篠田正浩が岩下志麻を、小津安二郎が原節子を撮ったような具合では「おんな」を撮ってはいない。くだんのドレスのシーンなんか、久我そのものより久我の着ているドレスの美しさを強調したいかのようだ。 
 それはまさにゲイ的な女性の見方である。

 決めつけるのはまだ早い。
 木下作品は今ブームで、多くの作品がDVD化され、レンタルショップに並んでいる。
 ほかの作品で検証してみよう。
 
 
評価:B-

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」    

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」
    
C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!

 
 
 
 
 
 
 
  

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