降旗コンマス 006

日時 2016年9月11日(日)14:00~
会場 戸田市文化会館・大ホール(埼玉県)
指揮 笹崎榮一
管弦楽 戸田交響楽団
ソプラノ独唱 東城弥恵
ゲストコンサートマスター 降旗貴雄(NHK交響楽団)
曲目
  • チャイコフスキー:バレエ音楽『白鳥の湖』より抜粋
  • マーラー:交響曲第4番 ト長調
  • アンコール チャイコフスキー:『白鳥の湖』よりチャルダッシュ

 都民交響楽団による『マーラー3番』を聴いてからというもの、ソルティの頭の中は(というより)耳の中はマーラーでいっぱいである。毎晩、バーンスタイン&ニューヨーク・フィルハーモニックによる1961年録音の『3番』第6楽章をプレイヤーにかけて床に入る日々が続いている。
 だいたい15分くらいで寝入ってしまうので、最後までは聴けない。クライマックスの大音量のところで半ば目が覚めて、意識の奥のほうでフィナーレの大太鼓打ち鳴らしを心臓の鼓動のように感じながら、また寝入ってしまう。
 しばらくは、機会あればマーラーを聴きに行って、その音楽の不思議な魅力の理由を探りたいと思う。

降旗コンマス 004


 戸田市文化会館はJR埼京線戸田駅から歩いて7分。
 1210席ある大ホールは、ほぼ満員であった。
 ソルティは2階席の舞台向かって右手の袖に陣取った。

 
降旗コンマス 003
 
降旗コンマス 002


 『4番』はマーラーの交響曲の中では短くて(と言っても60分弱)、オケの規模も小さくて、ソプラノの声楽で美しくしめやかに終わるという、他とちょっと異なるところがある。
 鈴の音を取り入れた第一楽章は、どことなく牧歌的で親しみやすい雰囲気がある。第二楽章のヴァイオリン・ソロによるいわゆる‘死神のメロディ’も恐ろしいというよりどこかユーモラスで奇妙な味わいがある。第三楽章はひたすら美しい。天上の聖人たちの愉しい生活を歌った第四楽章は、ソルティが聖書に出てくる人々にそれほど親しんでいないからなのか、どうにも共感できない。なんとなく地上に置き去りされた感を味わい、淋しい気持ちの入り混じった拍手を送ることになる。
 
 今回はしかし、メインのマーラーよりも『白鳥の湖』のほうが断然良かった!
 壮麗で、美しく、哀しく、ドラマチックだった。
 「やっぱりチャイコは天才的メロディメーカーだなあ~」とつくづく思った。
 立役者は、何と言っても、ゲストコンマスの降旗貴雄である。
 
 オーボエ・ソロによる有名な主旋律(情景)のあと、主役オデッタは追ってきた王子に自らの悲しい身の上を打ち明ける。親の犯した罪が原因で、昼は白鳥になり、夜の間だけ人間に戻れるというさだめを背負ったのである。このストーリーをヴァイオリン・ソロが語る。
 降旗が第一音を発した瞬間から、舞台上の空気が変わり、劇場内の空気が一変した。
 
 音色が違う!
 
 なんというノーブル(高貴)で、生命力に満ちた、浸透力ある響きだろう!
 なんという表現力か!
 
 もちろんNHK交響楽団に所属するプロの使っているヴァイオリンは、アマチュアの使っているものとは、質も(値段も)比較にならないに違いない。弦も弓も最高級のものだろう。
 だが、この音色は楽器の質自体の問題ではない。
 たとえば、『白鳥の湖』という話をまったく知らない人でも、この曲がどういう場面に使われているかを知らない人でも、降旗のヴァイオリンを聴いて涙することだろう。「物語」で泣かせるのではない。音色と表現力によって心を打つのである。
 しかも、降旗の演奏が突出していることで、他の演奏者たちとの距離がプリマと群舞くらいに開いてしまい、アマチュアたちの素人ぶりが目立ってしまうかと思えば、そんなことはなかった。
 逆に、降旗の見事な演奏による感化により楽団全体のレベルが一気に上昇したのである。技巧があがったのではない。想像力と集中力が焚きつけられて「物語世界」への突入を可能ならしめたのだ。当然、客席もそれに続いた。

 これがコンサートマスターの偉力か。
 これがプロか。
 痺れた。

 

降旗コンマス 001