ソルティはかた、かく語りき

首都圏に住まうオス猫ブロガー。 還暦まで生きて、もはやバケ猫化している。 本を読み、映画を観て、音楽を聴いて、神社仏閣に詣で、 旅に出て、山に登って、瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

東貴樹

● 「運命」の対義語 : フィルハーモニア・ブルレスケ第14回定期演奏会

日時 2017年7月15日(土)19:00~
会場 杉並公会堂大ホール
曲目
  • マーラー:交響曲第10番より「アダージョ」
  • チャイコフスキー:交響曲第5番
指揮 東 貴樹

 入場時にもらったプログラムや他の催し物の案内チラシを客席で読みながら開演を待つひとときは、クラシックコンサートに限らず、ライブにおける至福の瞬間と言っていいだろう。
 最寄りの喫茶店で軽く腹ごしらえをすませ、開演20分前に会場入りし、すいている1階席前方に陣取り、おもむろに本日のプログラムを開いて、思わず唸った。
 チャイコフスキー5番の曲目解説の冒頭文に、である。

 先日、高校生から突飛な質問を受けた。いわく、「『運命』の対義語ってなんですか」。この世の全てが既に決定されている必然だったのならば・・・私たちは運命に抗えず、運命の対義語は生まれ得ないのではないか、と言うのである。

 ブルレスケのトロンボーン奏者である木戸啓隆という人がしたためたこの一文にソルティが唸ったのは、上記の文章がまさに先日書いたばかりの記事『1/fの希望」に重なるからである。
 これはシンクロニシティなのか。運命の必然なのか。あるいはソルティの無意識の策略なのか。
 なんだか‘何者か’によって操作されているような気分になったことは確かである。
 それにしても、なんとも凄い高校生がいたものだ。
 太宰治予備軍か?

ブルレスケ


 木戸がそのように文章をはじめたのは、チャイコフスキー交響曲第5番が、ベートーヴェン交響曲第5番同様に、まさに「運命」をテーマにしているからである。人間が不条理なる運命にどう翻弄され、傷つき、苦悩するか。どう希望を持ち、抗い、連帯し、克服しようと努めるか。どう挫折し、落胆し、絶望し、すべてを「無」に帰す死へと押し流されていくか。そこに救いはないのか。これがテーマなのである。
 であるから、5番を聴くとチャイコフスキーの運命観がどのようなものかを垣間見ることができる。理不尽で残酷な運命とどう向き合おうとしたか、5番を作曲した時点でどんなふうに受けとめていたか、を伺うことができる。聴く者はチャイコフスキーの苦悩多き人生に思いを馳せる。何と言っても、26歳から52歳までの26年間に12回の鬱病期を経験し、53歳でスキャンダルにまみれた不慮の死を遂げた人である。

 少し長くなるが、木戸の文章を引用させてもらおう。

 最終楽章については思うところがある。「運命のテーマ」が輝かしい長調となって鳴り響く冒頭。そのテーマは終盤で凱歌として復活する。私たちは、運命に対する人間の勝利をそこに聴く。しかし、響きこそ長調になってはいても、その姿は不条理を示す「運命のテーマ」なのだ。さらに、作品は3連音が叩きつけられて終わる。(作曲者が死を歌った交響曲6番の3楽章でも、同じ終結が用いられている)。またチャイコフスキーが遺したスケッチには、「運命の前での完全な服従」、「いや、希望はない」といった言葉が並んでいる。これはいったいどういうことなのか。勝利を歌うフィナーレにて、私たちがおぼえる確かな高揚は、もしやミスリードなのだろうか?そもそも冒頭の質問通り、人間が運命に打ち克つことなど可能なのか?

 5番に続けて作られた6番『悲愴』とその数日後に訪れた死を思うとき、ソルティはチャイコフスキーが「運命に打ち克った、苦悩から脱する道を発見した」とはとても思えないのである。もちろん、死の直前に彼がどういう心境にあったかは知るところではないが。

 本日のもう一つの曲目である『マーラー交響曲10番』もまた、えらくネガティブなテーマを持っている。
 マーラーの死により第1楽章のみで未完に終わってしまったこの交響曲の構想は、ダンテ『神曲』ばりの「地獄」なのである。第3楽章「煉獄」の五線紙には「慈悲を!おお、主よ!何ゆえにわれを見捨てたまいしか?」と、第4楽章には「悪魔はわたしと一緒に踊る・・・狂気がわたしを捕らえ、呪った・・・わたしであることを忘れさせるように、わたしを破滅させる」と作曲者自身の手によって書き込まれている。
 数々の傑作を生み出し、成功と栄誉と財産と世にも稀なる美女アルマを手に入れたマーラーでさえ、晩年には『第九』のような喜びの調べを奏でることができなかったのである。(本日のプログラムはその意味で強烈に‘後ろ向き’というか重苦しいライナップである。そこにソルティは惹きつけられたのか?)

 古典派のベートーヴェンと、ロマン派のチャイコフスキーやマーラーを分け隔てるものは何か。それぞれの作曲家の個性をとりあえず脇に置けば、「神への信仰」ってことになるのではなかろうか。
 次の年表を見てほしい。
 1824年 ベートーヴェン交響曲第9番初演
 1859年 ダーウィン『種の起源』発表(進化論)
 1885年 ニーチェ『ツァラトゥストラ、かく語りき』発表(神は死んだ)
 1888年 チャイコフスキー交響曲第5番初演
 1889年 マーラー交響曲第1番初演
 19世紀後半はヨーロッパが「神」の存在に疑義を呈し、キリスト教信仰が揺らぎ、神の支配から脱し「自己」の確立へと向かい始めた時代だったのである。同性愛者であったチャイコフスキーなぞは、そうでなくとも「神」を信じることが難しかったであろう。
 「不条理な運命」も神意や天命と取れば人はどうにか受け入れ生きていけよう。だが、そこに神がいないのならば単なる「苦しみ」である。もはや神への‘明け渡し’は叶わずに、苦しむ「自己」ばかりが肥大する。近代人の苦悩である。
 
 さて、木戸はこう続ける。
 
 最初の話に戻らせてもらおう。私は「運命」の対義語は、「意思」だと考えている。確かに不条理な世界の中で、私たちは時に絶望する。しかし人間が内に秘めた「運命を乗り越えようとする意思」だけは、運命そのものに支配されないはずだ。
 
 確かに、ベートーヴェンもチャイコフスキーもマーラーも不条理なる運命を乗り越えようとする大いなる意思のもとに、後世に残る素晴らしい芸術作品を創造し得たのであろう。いや、人間のあらゆる営為は、さらに言えば人類の歴史そのものが、運命に対する抵抗の記録なのかもしれない。
 だが、くだんの高校生がもし前野隆司の「受動意識仮説」を知っていたら、こう言い返すかもしれない。
 
「意思もまた運命の一部ではないでしょうか?」
  
 前野説にしたがえば、意思は実体のない幻覚であり、無意識という名の‘運命’に組み込まれた、気晴らしのごときオプションに過ぎない。「自己=私」は幻覚である。
 
 ソルティなら高校生にこう答えるだろう。

「運命の対義語、それは‘悟り’じゃないかな」

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 ブルレスケの演奏は、気迫と情熱のこもった若さ漲るものであった。特にチャイコの5番はその真摯なまでのひたむきさに胸が熱くなった。テクニックは抜きん出ているわけではないが、奏者の思いが伝わる演奏で好感が持てる。
 
 チャイコフスキーは‘個人的には’自分は運命に屈したという思いを抱いていたかもしれない。でも、こうやって死後100年以上過ぎても作った曲が世界中で愛され、演奏され、人びとにパワーと感動を与え続けている。それを思うとき、‘人類史的には’「不幸な人生」とはほど遠いところにいるではないか、運命は彼を偉大な人間に仕立て上げたではないか、と思うのである。

 もしかしたら、運命の同義語も‘悟り’なのかもしれない。












 




 

● 亡きオネエのためのパヴァーヌ :フィルハーモニア・ブルレスケ第13回演奏会

ブルレスケ

日時 2016年7月16日(土)19:00~
会場 杉並公会堂大ホール
指揮 東貴樹
曲目
  1. ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ
  2. レスピーギ:交響詩「ローマの松」
  3. シューマン:交響曲第1番「春」
  4. アンコール マスカーニ:「カヴェレリア・ルスティカーナ」間奏曲

 フィルハーモニア・ブルレスケは、早稲田フィルハーモニー管絃楽団のOB・OGが中心となって結成されたアマチュアオーケストラ。2004年7月4日に第1回演奏会を行っている。
 ブルレスケとは、クラシック音楽の楽種の一つを表すドイツ語(英語だとバーレスク)で、「ユーモアと辛辣さを兼ね備えた、剽軽でおどけた性格の楽曲」の意。
 綾小路きみまろ、みたいな・・・?

1. 亡き王女のためのパヴァーヌは好きな曲である。典雅で優美でノスタルジックで、どこか悲哀に満ちていて・・・。この曲をライブで聴けるだけで幸せが一つ手に入る。

 この曲を聴くと思い浮かぶことが二つある。

 この曲は思わせぶりなタイトルから、ベラスケスの有名な絵「ラス・メニーナス」(プラド美術館所蔵)に描かれているマルガリータ王女がモデルじゃないかと言われている。が、事実は、ラヴェルはかの傑作からインスピレーションは受けたようだが、真意は「昔、スペインの宮廷で小さな王女が踊ったようなパヴァーヌ(行列舞踏)」ということらしい。(ウィキペディア「亡き王女のためのパヴァーヌ」参照)

マルゲリータ王女


 ソルティは、マルガリータ王女よりもむしろ、『源氏物語』の六条御息所を思い浮かべるのである。言わずと知れた、年下の光源氏に捨てられた気位の高い元皇太子妃である。
 六条御息所は源氏への思いを断ち切れず、日夜懊悩し、嫉妬の炎に焼かれ、物の怪(生き霊)となって源氏の恋人(夕顔)や奥方(葵の上)をとりころす。源氏との関係を断ち切るために娘に付き添い伊勢に下るも、気持ちが吹っ切れることはなく、死後もなお源氏の正妻(紫の上と女三宮)にとりつき、源氏に対する恨み言を述べる。本邦の物語史上、執念深く恐ろしい女の代表格である。
 だが、ソルティがいつも六条御息所に感じるのは、恐ろしさではなく、哀れさである。
 このラヴェルの曲を聴いていると、美しく立派だがひっそりと寂しい寝殿造りの館の御簾のうちから、すっかり陽も回った空を一人ぼんやりと眺めながら、源氏との間にあった過去のあれこれを回想している老境にさしかかった六条御息所の姿が目に浮かぶのである。季節は、そう、夏の終わりだ。彼女の心に嫉妬や怒りや憎しみはもはや無くて、過ぎ去った昔をかすかな痛みとともに回想し、哀しみを超えて、この世のはかなさを悟った者の諦観に達している。能で言うなら、『葵上』ではなく、『野宮』の世界に近い。
 ハープの奏でる優雅で高貴な調べから、女官たちの衣擦れの音すら聞こえてくるではないか。

夏空
 
  
 いま一つ思い浮かぶは、三十代で亡くなったゲイの知人のことである。
 アキラとしよう。
 アキラは10歳近く年下だったし、性格も合わなかったので、友人というほど親しくはなかった。出会った場所は地方のゲイのサークルだった。そこでは月一回、地元や近県から集まったゲイたちが、テーマを決めてゲイリブ的な話し合いをし、飲み会やカラオケで交流を図った。春は花見、夏は地域の祭りの踊りの列に思い思いに仮装&女装して飛び入り参加、秋は河原でバーベキュー、冬は温泉旅行・・・・・とエンターテインメントも盛りだくさんであった。インターネットも携帯電話も普及していなかった時代の話である。
 アキラが大学生の時から就職するまでの約2年間、そのサークルで顔を合わせていたので、どんな人間かという把握は自分なりにしていた。サークルが自然消滅して、付き合いがなくなった後も、アキラの動向を共通のゲイの友人から聞くことがあり、「大丈夫かなあ」と一抹の不安を感じていた。
 というのも、自分なりに把握していたアキラの性格に、あぶなっかしいものを感じていたからである。
 若くて、すらっと背が高く、なかなかのハンサムで、才気煥発、気が強くて、プライドが高くて、仲間内ではオネエの毒舌家だった。好き嫌いが激しく、いつも自分の意見をしっかりと持ち、しっかりと口に出し、いったん口論となれば理論を駆使して相手を容赦なく叩くような攻撃的なところがあった。それゆえ、どちらかと言えば自分の意見をはっきりと言えないor持っていない‘箱入り娘’のようなオネエゲイたちからは、一目置かれ、尊敬され、頼られる存在であった反面、一部からは恐れられ、嫌われてもいた。
 自分が「あぶなっかしいなあ」と感じたのは、アキラの気の強さやプライドの高さと表裏一体の‘硬直さ’ゆえであった。一本真っ直ぐ伸びた堅い杉の木が嵐にあって幹からポキリと折れるように、何か乗り越えられない障害やストレスにぶつかったとき、意外に脆く折れてしまうのではないか、そこから立ち直るのが難しいのではないか、と思ったのである。これが柳のようなタイプだったら、嵐が来てもしなやかに撓んで強風を逃がすことができる。その点では‘箱入り娘’のほうが柔軟性を有していた。
 アキラは、仲間内(ゲイ社会)ではオネエ丸出しだったので、時に応じて駄目な女を演じて自分の弱みをさらけ出すことができた。自然体に近くいられた。
 しかし、学校や地域や家庭などヘテロ社会に戻れば、オネエ言葉は封印され、‘男’を演じなければならない。アキラの両親は数年前にもう一人の息子(アキラの兄)を病気で失っていた。だから、一人残された秀才のアキラが、両親からの熱い期待を背負い、将来を嘱望されたのは無理からぬことであった。自分の勘では、アキラは「良い息子」を演じてもいたと思う。
 大学を卒業すると、「教育者になる」という信念をもって、地元の中学校に就職した。
 アキラと会う機会は無くなった。一度、夜の繁華街を歩いているときに、同僚の先生達と一緒に巡回指導をしているアキラと鉢合わせたことがあった。夏休みだったのだ。こちらから声をかけるのをためらった。当然同僚にはゲイであるとは告げていないだろう。こちらとの関係を同僚に尋ねられて、アキラが説明に困るのではないかと思ったのである。
 こちらに気づいたアキラは同僚達からつと一人離れてやって来て、「お久しぶりです」と言いながら90度上体を曲げた丁寧な挨拶をし、こちらが答える隙も与えずに、同僚達のもとへ戻って行った。
 それが最後の出会いだった。20年も前のことだ。
 その後、自分は職を変え、居を移した。アキラのことは風の便りに聞くだけとなった。曰く、「学校を移ったらしい」「彼氏と別れたらしい」「学年主任になったらしい」「同僚と結婚したらしい(マジ?あんなに女を嫌っていたのに!)」「離婚したらしい」・・・・・。
 数年前、友人Mからアキラの死を伝えるメールが届いた。Mもまた当時くだんのサークルに参加していた男で、ソルティとはどういうわけか縁があってその後も連絡を取り合っていた。Mは、同じ大学の管弦楽サークルのアキラの後輩だった。Mによると、アキラはしばらく前から病気で休職していたと言う。Mは、アキラの実家に電話して墓所を教えてもらい、墓参りに行った。家族からは詳しいことは聞けなかった(まあ、そうだろう)。ただ、そのとき一緒に墓参りに行った、アキラがもっとも最近親しくしていた友人の話によると、「仕事のストレスでかなり参っていた」と言う。
 ソルティが、若いアキラのあぶなっかしさを見抜けたのは、自分と似たところを持っていると感じたからだった。
 親しく話す機会もそうはなかったのであるが、ひとつだけ覚えている会話がある。
 あるときサークルの飲み会でクラシック音楽の話になった。自分が、『ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」が好きだ』と言ったら、アキラは嬉しそうに「アタシも!」と同調したのである。それから、この曲がいかに素晴らしいかを、当方にはチンプンカンプンの音楽理論を繰り広げて懇々と語ったのである。
 訃報を耳にして以来、この曲を聴くたびにアキラのことを思い出すようになった。
 衆人環視の夏祭りの路上を、お姫様女装して幸せそうに行列舞踏していたアキラの姿を。

ヒール
2. レスピーギ「ローマの松」は、完成度の高い、美しい曲である。
 タイトルどおり、ローマの4つの場所に植うる松に託して、ローマという都市の歴史や記憶や情景を描いている。
 4つの楽章があたかも、
(第1楽章)・・・・・ローマ庶民の活力。ラテンのり。
(第4楽章)・・・・・ローマ帝国の威光。闘争心。
(第2楽章)・・・・・ローマに染み込んでいる宗教性。
(第3楽章)・・・・・ローマの街や自然の美しさ
と見事に描き分けられている。
 演奏し甲斐、聴き甲斐のある曲と言える。
 ブルレスケの演奏は、喜(第1楽章)と怒(第4楽章)の表現に秀でていた。哀(第2楽章)は表現し切れていないように感じた。

3. シューマンの交響曲は初めて聴いた。
 率直な印象だが、「ベートーヴェンの交響曲の互換(リサイクル)インク版」という感じがした。品質は決して悪く無いし、本物が無いときに代わりにはなるが、「同じ金を払ってシューマンを聴くならベートーヴェンを聴くよ」という感じだ。
 そして、この曲に『春』というタイトルが冠されているのを訝しんだ。ヴィヴァルディやシベリウスの『春の歌』であれば、タイトルを知らずに初めて曲を耳にした人でも、「この曲のタイトルを当ててください」と尋ねられたら、おそらく数回目には正答するであろう。
 だが、シューマンの交響曲1番を聴いて、10回以内にタイトルを当てられる人がどれだけいるだろう?
 ドイツの春はそんなに他国と違うのか?

 フィルハーモニア・ブルレスケは伸びしろがあると思う。
 「下手だ」というあてこすりでは全然ない。もっと練習すればもっと良くなる素地があると思う。アンコールの「カヴェレリア・ルスティカーナ」間奏曲を聴いて、そう確信した。
 というのも、演奏の出来不出来とは別に、オケが出す‘音’自体に好感が持てたからだ。ブルレスケよりテクニックはずっと上のオケでも、「‘音’が好かん」ということはある。
 結局、人間のやることだから、どうしたってオケの人間性や関係性は‘音’に出るのだろう。
 音は嘘がつけない。




 


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