おもしろいな、おもしろいな、お天気が悪くって外へ出て遊べなくってもいいや、笠を着て、蓑を着て、雨の降るなかをびしょびしょぬれながら、橋の上を渡ってゆくのは猪だ。(『化鳥』)
この谷間こそ、大昔多摩川によって浸食され作られた国分寺崖線いわゆるハケであって、今はその谷底を密集する住宅街を縫いながら野川が流れている。









ちょうど市(まち)の場末に住んでる日傭取、土方、人足、それから、三味線を弾いたり、太鼓を鳴らして飴を売ったりする者、越後獅子やら、猿廻しやら、附木を売る者など、唄を謡うものだの、元結よりだの、早附木の箱を内職にするものなんぞが、目貫(めぬき)の市へ出て行く往帰りには、是非母様(おっかさん)の橋を通らなければならないので、百人と二百人づつ朝晩賑やかな人通りがある。(泉鏡花『化鳥』、以下同)

母親はその昔被差別部落のある側で立派な家の奥方として裕福に暮らしていたが、落ちぶれて、夫を亡くし、人から散々苛められ、今はこのような物乞いすれすれの暮らしをしている。
人に踏まれたり、蹴られたり、後足で砂をかけられたり、苛められて責(さいな)まれて、煮湯を飲ませられて、砂を浴びせられて、鞭打たれて、朝から晩まで泣通しで、咽喉がかれて、血を吐いて、消えてしまいそうになってる処を、人に高見で見物されて、おもしろがられて、笑われて、慰みにされて、嬉しがられて、眼が血走って、髪が動いて、唇が破れた処で、口惜しい、口惜しい、口惜しい、口惜しい、畜生め、獣めと始終そう思って、五年も八年も経たなければ、ほんとうに分ることではない、覚えられることではない・・・・
それが「おもしろいな、おもしろいな」という子供らしい呟きの正体なのである。