ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。 半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語に興じ、 旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

浮世絵

● 浮世絵:楊洲周延「東錦昼夜競」(太田記念美術館@原宿)

 楊洲周延「ようしゅうちかのぶ」と読む。
 れっきとした日本人である。本名は橋本作太郎、江戸時代末期から明治時代にかけて活躍した浮世絵師。15歳で歌川国芳に弟子入り絵を学び始める。江戸城大奥の風俗画や明治開化期の婦人風俗画を描き、美人画絵師として一世を風靡した。
 「東錦昼夜競(あずまにしきちゅうやくらべ)」は、神話の時代から江戸時代にかけての、さまざまな歴史故事や伝説、あるいは妖怪譚などを題材としたシリーズである。一枚の絵の中に同じ登場人物の<昼の場面>と<夜の場面>を上下に描き分けているのでこの名がある。能で言えば「前ジテ」と「後ジテ」のような対称性を生み出して、物語の面白さを効果的に引き出すことを狙ったものであろう。

 伝説・妖怪譚という宣伝文句に惹かれて観に行ったのであるが、まさにその通り、本邦の有名な故事や言い伝えがリアルに色彩豊かに何十枚と描かれていて、見ごたえがあった。歴史を彩る物語の豊穣にあらためて感じ入った。

 とりわけ自分が好きなのは、能の『殺生石』の元であり、チラシのデザインに使われた「九尾の狐=玉藻の前」伝説である。

 中国・天竺を経て日本にやってきた九尾の狐は、絶世の美女「玉藻の前」として鳥羽上皇の寵愛を受けるものの、陰陽師安倍晴明によって正体を見破られ、数万の軍勢によって攻められ石となった。その後も毒気を撒き散らし悪行を繰り返したが、至徳2年(1385年)に玄翁和尚によって打ち砕かれ、そのかけらが全国3ヶ所の高田と呼ばれる地に飛散したという。(「道の駅―那須高原友愛の森工芸館」ホームページより抜粋http://nasu-kougei.main.jp/jizoo6.htm


殺生石 玄翁和尚によって打ち砕かれた石が「殺生石」として那須野の観光名所となっている。風のない日は硫化水素と炭酸ガスが立ち籠め、息が苦しいほどの臭気で、人が安易に立ち入りできないよう柵が設けてある。

 昔から那須野にあった殺生石と、中国の神話上の生き物である九尾の狐を結びつけたのは、江戸時代後期の戯作者らだと言う。そこに、鳥羽上皇の寵姫である玉藻の前をからませて、女に化けて時の権力者を手玉にとって国を滅ぼそうとする恐ろしい妖怪の成敗譚を仕立て上げたのである。素晴らしい想像力&創造力である。
 玉藻の前もまた伝説上の人物であるが、モデルとなったのは実際に鳥羽上皇の妃の一人であった美福門院(藤原得子)だと言う。NHKの「平清盛」では、松雪泰子が演じている。
 そう言えば、松雪はどことなく狐のような面差しをしている。 
 適役か。(と言ってドラマ観ていないけれど・・・・)

九尾の狐



● 世界よ、驚け!浮世絵:『歌川国芳展』(六本木、森アーツセンター)

120126_2328~01 国芳の没後150年にあたって開催された記念展。
 
 とにかく「凄い!」
 「凄い!」の一言に尽きる。

 ゴーギャンもびっくりの色彩感覚。
 ミケランジェロものけぞる大胆な構図。
 ジョットーも嫉妬する愛敬のある表情や仕草の数々。
 ダ・ヴィンチもおののく緻密で正確なデッサン力。
 レンブラントも真っ青の多作ぶり。

 江戸時代にこれほどの画家が本邦にいたことを誇りに思う。
 西洋絵画に伍して遜色ない。どころか、迫力(生命力)ではキリスト教圏の画家を凌駕している。

 魚や動物の絵がどれも見事なのだが、国芳が好きだったという猫の絵が実によく生態を観察していて、猫のとぼけた感じを描き出していて微笑ましい。

 1500円払って、絶対に損はない。

 
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