ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。 半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語に興じ、 旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

溝口健二

● 映画:『元禄忠臣蔵』(溝口健二監督)

前編 1941年12月1日公開
後編 1942年2月11日公開
製作 松竹、興亜映画

 まずは公開日に着目。
 赤穂浪士の吉良邸への討入りは元禄15年(1703年)12月14日であるから、12月公開は何ら不思議なことではない。重要なのは1941年という年。この年の12月8日は日本がハワイオアフ島の真珠湾を攻撃した日。この映画は太平洋戦争開戦直前に封切られたのである。
 さらに、後編の封切りは、紀元節(今の建国記念日)であり大日本帝国憲法の発布日(1889年)である。むろん、紀元節とは神武天皇の即位日とされている。
 製作は松竹だが、金の出所は情報局すなわち大日本帝国。
 忠臣蔵の主要テーマである「報復と忠義」「武士道」を、忠心愛国・大和魂に結びつけ、戦意高揚をはかったわけである。

 なにぶん古いフィルムの上に、話される言葉も時代劇調(歌舞伎調)なので、登場人物が何を言っているのかよくわからない。あらすじが分かっていなければ、途中で観るのを断念しただろう。(字幕があったらいいのに・・・)
 それでも観続けざるを得ないのは、徹頭徹尾、この映画が‘本物’だからである。
 綿密な時代考証に基づいたセットや風俗や衣装(松の廊下は原寸大だという)はもとより、格調高い演出、役者の重厚な演技、撮影技術・・・・・どれも当時の日本映画産業のなし得る最高レベルの贅沢を誇っている。
 それを可能ならしめたのは出資者がほかならぬ日本国だったから。DVD特典映像の新藤兼人監督――この作品で建築監督を務めた――へのインタビューによると、当時映画一本の製作費が6-8万円のところ、この映画はセット代だけで38万円使ったとのこと。内容以外のところでは、費用や期間に頭を悩ますことなく、やりたいことが全部できたのである。

 なにより特筆すべきは、主人公大石内蔵助を演じた四代目河原崎長十郎の存在感たっぷりの風格ある演技である。本当に昔の役者は‘格が違う’と言わざるを得ない。鷹揚とした表情はむろんのこと、身のこなしも口振りも威厳があって、「この男になら命をあずけよう」と家臣たちが思うのも無理もないと感じさせる。(この人の息子は一昔前にテレビドラマでよく温厚な父親役を演じていた河原崎長一郎である。)
 内蔵助の妻おりくを演じている山岸しづ江は、実生活上でも長十郎の連れ添いであった。なので、二人の演技の息がぴったりなのも当然である。しづ江の姉の山岸美代子もまた役者であったが、その娘が岩下志麻である。(つまり、河原崎長一郎と岩下志麻はいとこ同士になる。) フィルムの山岸しづ江の姿に志麻姐さんの面影を探したが、それほど似ていない。志麻姐さんは父親似(野々村潔)なのだな。

 キャストのうち知っている役者がほぼ皆無という中で、当時23歳の高峰三枝子が最後の最後に登場し、ミスキャストぶりを発揮している。切腹が迫っている恋する浪士と最期に一目会うために小姓姿に身をやつす一途な娘の役は、冷徹な大人の美貌をもつ高峰には似合わない。しかも、恋人の自死を前に自らの命を絶って操を捧げるとは・・・。
 おそらく当時国民的スターであった高峰の登用を決めたのは溝口ではなく、情報局だろう。高峰は溝口映画には、後にも先にもこれ一本しか出ていない。
 溝口が選びそうにない女優だもの。

 前後編あわせて3時間40分もあるこの映画には、なんと肝心要の吉良邸への討入りシーンが出てこない。40分くらいはそこに使われるだろうと思っていたので、肩すかしの感があった。
 自分(ソルティ)は時代劇のチャンバラシーンや西部劇の銃撃シーンが昔から好きではないので、別にがっかりということはなかったのだが、世間一般的には「なぜ一番大事な、一番心湧き立つシーンを撮らなかったの?」であろう。
 上記の新藤兼人のインタビューによれば、「リアリズムを重視した溝口監督が討入りシーンを撮るなら、本当に人を斬らなければならないから」とか、「映画全体のトーンを配慮して」とか、「あくまで原作(青山青果)にしたがったまで」とか、確たる理由は明らかでない。
 ここからは推測だが、溝口監督はやはり国策映画を撮らされることに内心忸怩たるものがあったのではなかろうか。
 だから、もっとも観客を興奮させ戦意を奮い立たせる討入りシーンをあえて挿入しないことで、秘めたる抵抗を示したのではないだろうか。
 溝口健二と反戦思想は馴染まない気もするが、孤高の芸術至上主義者で個人主義的であった溝口監督とファシズム(情動に煽られた全体主義)は、まったく相容れない関係のように思うのである。
 
 だとしたら、木下恵介とはまた異なったふるまいによる戦時の芸術家の世過ぎと言うべきか。 


評価:B+

A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!



 



● 木暮実千代と浦辺粂子 映画:『雪夫人絵図』(溝口健二監督)

1950年新東宝。

雪夫人絵図
 
 溝口健二が1952年の『西鶴一代女』から始まる怒涛の傑作連発期(『雨月物語』『祇園囃子』『山椒大夫』『噂の女』『近松物語』)に入る直前の作品である。世間的評価は良くなかったようだが、この翌年に撮った『お遊さま』『武蔵野夫人』同様、まぎれもなく溝口スタイルが刻印されている高い水準の映画である。
 
 溝口スタイルとはなにか。
1. 転落していく美しい女性(達)が主人公である。
2. それは恋愛相手の男から見て年上である(姉様)ことが多い。
3. 悲劇の結末が用意されている。
4. 自然描写とりわけ水(湖、川、海、雨)を背景とするシーンが象徴的である。

 溝口監督の生育歴なんか読むと、どうやらこの姉様と年下男の関係は、溝口自身と家計を助けるため芸者や妾になった溝口の姉との関係がオーバーラップされているらしい。つまり、シスコンだったのだ。
 それはともかく。
 見るべき味わうべきは、まず舞台となる熱海の景観である。
 50年代初頭の熱海はこんなにも美しかったのかと驚嘆する。『武蔵野夫人』でもそうだが、やはり美しい背景あっての恋愛悲劇である。光る海、霧の中の木立、木々の陰影、静かに波立つ湖面・・・風景がそのまま登場人物たちの心理描写となる。これが『源氏物語』の昔から続く、我が日本の伝統的な写実のありようだろう。そのテクニックを手中に収めた時から、溝口監督の国際的な快進撃が始まったと言うべきだ。
 とりわけ、水の使い方では溝口に並ぶ監督は古今東西そうそうにおるまい。ここでも山々に抱かれる熱海の海面や木立に潜む芦ノ湖の水面が、日常と非日常、現実と夢幻との境界のように映し出され、元華族である雪夫人(=木暮実千代)がその境界をさまよいつつ、現実に負けて、次第に非日常へと誘われていく道行きを象徴的に表している。
 
 木暮の演技が素晴らしい。
 生涯350本以上という映画への出演本数――それも黒澤、小津、溝口など巨匠作品に主役級で出演――と「ヴァンプ女優」と評された妖艶な姿態、そしてCM女優第一号という栄誉に比すと、現在の木暮実千代の名の低さは意外なほどである。悪役、純情可憐な主人公の敵役が多かったせいであろうか。
 『祇園囃子』での「芸は売っても身は売らぬ」の筋の通った気立てのいい芸者・美代春。『赤線地帯』での病弱の夫と幼い子供を抱え「なりふり構わず」生きていく強い娼婦・ハナエ。そして、愛人を平気で家に連れ帰ってくる酷い夫とどうしても別れることのできない元華族の弱い女・雪。育ちも環境も性格も異なる三人の女を、木暮は見事に演じ分けている。この演技力、昨今なかなか見られないレベルである。
 
 もう一人見るべきは、雪夫人の家の女中頭役で出演している往年の「おばあちゃん役者」浦辺粂子(1902-1989)である。このとき浦辺は50歳。女優業スタート時点から脇役一筋、間違っても元華族のおひい様役など回ってこない。この映画でも、後年耳についてはなれなくなる、あの独特の声と節回しで、雪を虐げる周囲の者たちをなじる。その姿は、自分(ソルティ)が子供の頃楽しんで観た榊原るみ主演のTVドラマ『気になる嫁さん』(1971-72年)の家政婦たま(「リキおぼっちゃま!」)にまで、地続きで繋がっている。
 間違ってもスター女優ではない。
 だが、記憶に残る女優である。
浦辺粂子

評価:B-

A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!



● 田中絹代、絶賛!! 映画:『武蔵野夫人』(溝口健二監督)

1951年東宝。

 大岡昇平原作のメロドラマである。
 あらすじを簡単に言うなら、
「壊れた夫婦関係の中で、夫・忠雄は近所の派手な人妻と浮気して駆け落ち。残された妻・道子は、同居する年下の親類のイケメン・勉から熱い思いを寄せられる。貞淑を貫くべきか、真実の愛に生くるべきか。迷う道子の取った行動は、思い切った、驚くべきものであった・・・。」
 昼メロレベルのどうってことない陳腐なストーリーである。
 が、迷う人妻が田中絹代で、駆け落ちする夫が森雅之で、監督が溝口健二で、舞台が武蔵野の森と来れば、見事、文芸調に昇華される。

 とにかく田中絹代の演技が巧い。
 美人でないのに主役を張り続けられたのは、この演技力の賜物。
 駆け落ちした忠雄に家の権利書を持ち逃げされた道子は、両親から受け継いだ家屋敷を守るためには、自分が死ぬ以外にないことを知る。一方、勉の若々しい情熱に戸惑い、貞淑であり続けることに揺らぎを感じてもいる。
 思い悩む道子(=田中絹代)は、両親の墓の前で途方にくれる。
 この短いシーンの田中の演技が途轍もない。
 道子が、逡巡の末に自殺を決意するに至る過程を、刻一刻の表情と所作の変化を通して、観る者に伝えることに成功している。
 あまりの素晴らしさに、DVDプレイヤーを一時停止し、繰り返し見てしまった。

 武蔵野の自然も素晴らしい。
 舞台となるのは、国分寺の「はけ」と呼ばれる、崖線の下を野川が流れる地域である。散策する二人の会話から、どうやら今の中央線の武蔵小金井駅付近から国分寺、恋ヶ窪、東村山あたりの場景らしい。
 今ではすっかり住宅地になってしまったが、50年代初頭にはこんなに豊かで麗しい森と水圏が残っていたのだ。なんともったいない・・・。
 道子と勉が野川の水源を求めて散策するシーンがある。二人がたどり着いたのは、恋ヶ窪にある小さな美しい池であった。
 それは今、国分寺駅の近くの日立中央研究所の敷地内にあって、毎年、桜と紅葉の時期の2回、研究所の門が一般に開放されている。

 喪われた貞淑という徳を偲びながら、今度の休みは「はけの道」をたどってみようかな。



評価:B+


A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」  

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」
        「ボーイズ・ドント・クライ」 

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!


 

● 浪華悲歌ーなにわエレジー(溝口健二監督)

 1936年第一映画。

 1917年生まれの山田五十鈴は、いま95歳である。表舞台からは姿を消したが、どうしているのだろう? 
 自分の世代(40代後半)はテレビ時代劇『必殺』シリーズの三味線弾きのおりくの山田五十鈴が、人を殺める時のあの撥さばきと共に強烈な印象として残っている。舞台は残念ながら見ることがなかった。
 あとは、リバイバル上映で見た黒澤明の『蜘蛛巣城』の城主の奥方役、すなわちマクベス夫人の鬼気迫る演技。能を手本とした緊張をはらんだ緩やかな動きと、目だけで感情を表現する能面のような表情と、黄泉からの声とでも言いたいようなくぐもる声。マクベス夫人の勝ち気と野心と狂気と苦悩をあれほど巧みに演じたのは、おそらく、他にはマリア・カラスくらいであろう。

 ここにいるのは19歳の山田五十鈴である。美貌の新進女優として映画界で花開いたばかり。
 しかるに、十代の乙女に期待するような初々しさや可憐さはない。物語の筋や彼女の役柄(負けん気の強い一途な女)のせいではない。すでに19歳の時点で、山田五十鈴は初心とか清純とかアイドルとは遠い地点にいる。
 これは意外であった。吉永小百合や原節子は言うまでもないが、若尾文子も高峰秀子も田中絹代も大竹しのぶも浅丘ルリ子も松坂慶子も十代の頃は清純で売っていた。実生活がどうであろうと、清純で売れるだけの雰囲気を持っていた。以後、監督や作品との運命的出会いや実生活上の経験を経て、清純派を脱し大人の女優となっていったのである。
 山田五十鈴は十代にしてもう大人の女優の風情を醸している。別の言葉で言えば、すでに役者の顔をしている。
 彼女は日本の映画史上の三大美人女優の一人と言われる。あとの二人は、原節子と入江たか子である。
 が、あまり彼女の美貌について云々言われることがないのは、この役者魂の前では表層的な顔の美醜などを言い立てるのも愚か、という気になってしまうからではなかろうか。
 実際、流行の洋装姿の山田はグレタ・ガルボばりの美貌なのである。

 溝口監督の記念碑的作品でもある。転落していく女を描くというオリジナルテーマの追求は、ここから始まったのであろう。




評価: B-

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」
        ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」
        「ボーイズ・ドント・クライ」
        チャップリンの作品たち   

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」
        「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!





 
 

● 田中絹代と市原悦子の共通項 映画:『お遊さま』(溝口健二監督)

 1951年大映。

 見るべきは田中絹代の気品ある姉様ぶりと、宮川一夫のカメラ。どちらも際立った瑞々しさと風格がある。この二人は日本映画の至宝として、あまたの名匠や名優を措いても「いの一番」に殿堂入りすべき二人であろう。

 それにしても、飛びぬけて美人でも華があるでもない田中絹代がなぜこうも存在感があるのだろう。
 美しさという点では、映画の中の妹・お静役の音羽信子の方が「べっぴん」だろう。だが、観る者は劇中の慎之助(堀雄二)同様、お静よりも後家である姉のお遊(田中絹代)に惹きつけられる。
 もちろん、田中の演技の巧さがある。宮川のカメラマジックも預かって力ある。

 観る者を惹きつけて止まないのは、実は田中絹代の喋りにあるのではないだろうか。
 あの余分な力がいっさい入っていない自然な(自然のように聞こえる)なだらかな口調と、声音に含まれる郷愁をそそるような深い滋味ある響きこそ、彼女の魅力の秘密にして武器ではなかろうか。同じタイプの女優を挙げるなら・・・そう、市原悦子である。
 市原が『まんが日本昔話』のナレーターとしてその真価を示したように、田中の語り口もまたどこか昔話の語り部のような響きがある。それは、観る者(聴く者)を母親の膝で物語を聞いた幼子の昔に戻す。幾重の時代も受け継がれてきた日本の庶民の哀しみと貧しさと大らかさを耳朶に甦らせる。
 その快楽に惹きつけられない者があろうか。
 幼くして母親を亡くした慎之助が惹かれるのも無理はない。

 我々は映画の中の役者を見るときに、どうしても視覚的魅力にこだわってしまうけれど、サイレント映画でない以上、聴覚的魅力というものも実は馬鹿にならない。気がつかないだけで、役者の魅力の半分は占めているのである。
 いやいや、映画の中だけではない。日常生活においても、自分で思っている以上に、声の魅力、口調の魅力、話し方の魅力に我々は影響されているはずである。
 
 史書によると、クレオパトラは確かに美女であった。けれど、周囲の男たちの心をとらえたのは、彼女のまろやかな話し声と、人の話を楽しそうに聞いてくれるその笑顔であったという。

 田中絹代や市原悦子はまさに「声美人」なのである。




評価: B+


A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」
        ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」
        「ボーイズ・ドント・クライ」
        チャップリンの作品たち   

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」
        「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!


● ダイナミズムを演じる女優 映画:『夜の女たち』(溝口健二監督)

 1948年松竹。

 溝口健二はフェミニストだろうか?
 社会派だろうか?

 もちろんこの質問は反語である。
 溝口健二はフェミニストでも社会派でもない。


 『祇園囃子』『赤線地帯』そしてこの『夜の女たち』と並べると、どの作品も共通して、(男)社会の中で弱い立場に置かれ虐げられている悲惨な女たち―売春婦―を描いているので、一瞬、溝口は「女の味方」であり、こういった不平等で残酷な社会に対して現実を示すことで一石を投じているのだと思いたくなる。
 しかし、『西鶴一代女』を挙げるまでもなく、溝口はこういった女たち、女性群像を好んで描いているのである。つまり、「転落する女の姿」に対するフェチズムがあるのではないかと思うのだ。
 であるから、これらの映画に出てくる女たちが売春業から足を洗って更正する姿は決して書き込まれることはなく、一等底に落ちた地点で物語は終わるのである。女たちを更正させようと目論む善意の人々のかけ声のなんとしらじらしいことか。溝口は更正を信じていないかのようである。
 しかるに、なぜか不快な印象を与えないのは、溝口がこれらの女たちに向ける視線にはまぎれもない愛情と讃嘆の念が宿っているからである。自分が愛し讃美するものの転落する姿を悦ぶというのは倒錯に違いない。それとも、転落してはじめてその女を愛することが可能となるのか。としたら、溝口の劣等感は強烈である。

 例によって、田中絹代が圧倒的に見事である。
 きまじめな戦争未亡人が、ひょんなことから夜道で客を獲るパンパンに身を落としていく、その変わり様をまったく不自然を感じさせず、いずれの役をもリアリティを持って演じている。これを観ると、小津安二郎が『風の中のめんどり』においていかに田中絹代を生かせなかったかが非常に良くわかる。どちらも普通に暮らしていた未亡人が春を売らざるをえなくなるという設定であるのに、小津には溝口のようなダイナミズムが感じられない。そう、小津が描いたのは「喪失」であって「転落」ではなかった。(→ブログ記事参照http://blog.livedoor.jp/saltyhakata/archives/5091416.html )
 そして、田中絹代はなによりダイナミズムを演じる女優なのである。



評価: B-


A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」
        ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」
        「ボーイズ・ドント・クライ」
        チャップリンの作品たち   

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」
        「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!


● ただただ傑作。映画:『近松物語』(溝口健二監督)

 1954年大映作品。

 つくづく50年代の日本映画って凄かったんだなあと思う。

 1951年『羅生門』(黒澤明)    ・・・ヴェネツィア国際映画祭グランプリ
 1952年『西鶴一代女』(溝口健二) ・・・ヴェネツィア国際映画祭監督賞
 1953年『生きる』(黒澤明)    ・・・ベルリン国際映画祭ベルリン市政府特別賞
 1953年『雨月物語』(溝口健二)  ・・・ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞
 1954年『地獄門』(衣笠貞之助)  ・・・カンヌ国際映画祭グランプリ
 1954年『山椒大夫』(溝口健二)  ・・・ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞
 1954年『七人の侍』(黒澤明)   ・・・ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞
 1954年『二十四の瞳』(木下恵介) ・・・ゴールデングローブ賞外国語映画賞
 1956年『ビルマの竪琴』(市川昆) ・・・ヴェネツィア国際映画祭サン・ジョルジオ賞
 1958年『無法松の一生』(稲垣浩) ・・・ヴェネツィア国際映画祭グランプリ

 あまり有名でない国際賞など含め抜けているものがあると思うが、まったく凄い勢いである。海外の賞を受賞すること=傑作、と素直に認めるのもどうかと思うが(例えば小津安二郎は現在の国際的評価の高さを考えると信じられないくらいこうした賞とは無縁であった)、50年代こそ日本映画の黄金期だったのは間違いない。
 特にヴェネツィアでの評価が高いのはなんか理由があるのだろうか?
 このうち、『羅生門』『雨月物語』『山椒大夫』の3本を宮川一夫が撮影している。本当にすごいカメラマンがいたもんだ。(宮川一夫は99年に亡くなっている)

 このブログでも取り上げた『祇園囃子』『赤線地帯』同様、『近松物語』もまた溝口-宮川コンビによるものである。悪いわけがない。
 どころか、水も漏らさぬ傑作である。
 演出、構成、撮影、演技、美術、音楽、脚本(セリフ)、編集、叙情性、ドラマ性・・・どれをとっても非の打ちどころがない。

 ブログを初めて以来、初の「A+」の誕生である。(溝口作品は『西鶴一代女』がA+、『雨月物語』『山椒大夫』はA-)

 ときに、溝口健二は日本のヴィスコンティなんだと思う。いや、ヴィスコンティがイタリアの溝口健二なのか。
 テーマや作風、スタイルが似ているというのではなく、監督としての映画への向き合い方、風格のようなもののことを言っている。妥協を許さぬ完全主義、本物にこだわる貴族主義、大時代的な(歌舞伎っぽい、オペラっぽい)演出を好むところ(とくに俯瞰にあらわれる)、何より芸術家としての揺るぎない矜持。ミラノの貴族であったヴィスコンティはヴェネツィアびいきであったけれど、ヴェネツィアと溝口作品の相性の良さはもしかしたら、この二人の相似にあるのかもしれない。
 あるいは、溝口作品にときおり印象的・象徴的に出てくる水のシーンのすばらしさがヴェネツィアンのプライドをくすぐるのだろうか。
 この作品でも、物語の重要な場面で水が出てくる。不義密通を疑われて屋敷から逃げるおさん(香川京子)と茂兵衛(長谷川一夫)が湿地を横切るシーン。素性がばれて宿から逃げる二人が手を取り合って湖岸をゆくシーン。心中を決意した二人が舟上で愛を確認するシーン。
 生きがたい浮き世から主人公が逃避する場面で、溝口はいつも水を用意する。『雨月物語』でも、妖魔にたぶらかされた主人公が、夫の帰りを故郷で待つ妻を忘れて湖水で遊ぶ圧倒的に美しいシーンがある。
 現実を忘れさせ、夢と幻想の世界に旅人を誘うヴェネツィアの魔力と、溝口作品には通じるものがあるのだろう。

 素晴らしい『第九交響曲』の演奏は、指揮者の名前よりベートーベンの凄さを再認識させる。感動的な『リア王』は演出家や俳優の名前よりシェークスピアの偉大さを再認識させる。同様に、この映画も見ているうちに次第に溝口健二の名前が薄れていって、近松門左衛門の息吹が肌身で感じられてくる。
 その中で、まぎれもない溝口印がありありと浮かび上がってきたシーンがどこかといえば、湖での心中シーンである。
 舟から一緒に飛び込むつもりで、茂平衛はおさんの足を縛る。「いまわの際だから許されましょう」と茂平衛はおさんに忍び恋を打ち明ける。とたんに、死ぬ覚悟を決めていたおさんが「生」へと立ち戻るのである。
 「わたしは死にたくない。」
 茂平衛に抱きつくおさん。戸惑う茂平衛。絡み合う二人をのせて、小舟は行方も知らぬ方へと漂流していく。(ここのところのカメラワークは本当に巧い!)

 男に愛されていることを知った瞬間に、「生」へとベクトルを逆転させる女の性(さが)。
 これを溝口は描きたかったんだろうなあ。

 女の溝口、男の黒澤か。



評価: A+

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」
        ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」
        「ボーイズ・ドント・クライ」
        チャップリンの作品たち   

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」
        「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!


●  映画:『祇園囃子』(溝口健二監督)

祇園囃子 1953年、大映作品。

 冒頭のタイトルバックで延々と映される京都の街並み。
 高いビルディングも広告も電線もなく、古い木造の家並みからすっと抜け出るように五重塔や鐘楼などが点々とそびえる。背景に黒々と迫るは北山、はたまた東山か。空が広い。
 このような幻想的な京都の光景は、もはや二度と目にすることができない。
 古き良き古都は喪われてしまった。
 永遠にー。

 芸妓の世界もまた能やお茶と同様、古き良き日本文化の伝統を伝えるものである。
 だから、舞妓になる決心をした少女・栄子(若尾文子)は、他の娘たちと一緒に師匠について芸事の稽古に明け暮れる。芸妓のなんたるかもよく知らないままに。
 いきなり抱きついてきた贔屓客の口を噛み切る、戦後育ちのアプレ(現代風)なじゃじゃ馬娘を演じる弱冠二十歳の若尾がなんとも可愛いらしい。デビュー当時、「低嶺の花」と言われ、庶民的な魅力で売っていたと言うが、後年の若尾にはその形容はまったくふさわしくない。わずか3年後の『赤線地帯』ではすでに大女優のきざしがうかがえる。
 これは、若尾が脱皮する前の初々しい姿をとどめた貴重なフィルムなのである。

 栄子の面倒を引き受ける先輩芸者・美代春(木暮実千代)。
 花街の風習にあらがい、特定の旦那をつくらない。凛とした美しさのうちに、情のもろさや女が一人生きる哀しみを漂わせる名演である。

 もう一人の主要な女は、置屋の女主人お君(浪花千栄子)。芸者達から「かあさん」と頼りにされ、客の男たちの欲望の裏も表も知り尽くした花街の伝統を体現する女だ。

 世代の異なるこの三人の女の生き方やふるまい方、そして栄子の不始末と男たちの欲望をめぐって仲違いする三人の関係を鮮やかに描いている。
 カメラの宮川一夫の丁寧な仕事ぶりも健在である。

 三人の生き方は、各々の花街との関わりの長さ、深さ、洗脳度によって異なる。
 お君の務めは茶屋を切り盛りし、花街をささえること。そのためには、客の男たちの企みの手先となって、抱える芸妓たちを駒のように動かすのは当たり前。
 売れっ子芸妓の美代春は、芸は売っても心は、いや、体は売らぬ。好きでもない男の手に落ちるはまっぴらごめんと一人頑張ってきたが、栄子の不始末が原因でお君からお座敷を干されてしまう。妹分の栄子を守るために、ついに大企業のお偉いさんに体を許す。
 「日本国憲法の基本的人権は、好きでもない客から私たちを守ってくれる」と息巻いていた栄子は、美代春の犠牲を知って、ついに「日本が世界に誇る伝統文化なんて嘘八百。芸妓とは結局、きれいなおべべを着た娼婦と変わりがない。」という事実を知る。
 三人の女はみな、花街という構造の、芸者遊びを求める男たちの欲望の犠牲者である。そこから抜け出すすべもなく、おのれに降りかかる運命をそれぞれのやり方で闘いながら受け入れるしかない。

 しかし、男たちもまた組織という構造の犠牲者である。自分の会社を守るため、大口の仕事を取るために、取引先のお偉いさんを接待するのに汲々としている。そのためには「女」を使うのが一番なのだ。
 では、取引先のお偉いさん、金持ちで地位ある男の一人勝ち、一番得するのだろうか。
 溝口は、美代春にこう言わせている。
 「どんなに金持ちだって、どんなに地位があったって、一人ぼっちはやはり寂しいもの。それより、貧乏でもこうやって仲間同士助け合って生きていくのが一番。」
 なんと美代春は深いことか。やさしいことか。

 そう。この構造は誰にとっても不幸なものである。

 この映画からすでに60年近く経った。
 構造は消えたのだろうか。
 好きでもない男に体を売らなければ生きていけない女たちは消えたのだろうか。
 会社のために女を利用して接待する男たちは消えたのだろうか。
 「花街」「芸者遊び」という体裁すらもはや必要としないところで、欲望があからさまに取引きされているのが現代ではないだろうか。

 古き良きものが失われた代償として、古き悪しきものも消えたのであればまだ救われる。
 古き良きものがなくなって、古き悪しきものだけが残っているとしたら、日本のこの数十年はなんだったのだろう?




評価: B-

参考: 

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 

「東京物語」 「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。

「風と共に去りぬ」 「未来世紀ブラジル」 「シャイニング」 「未知との遭遇」 「父、帰る」 「フィールド・オブ・ドリームス」 「ベニスに死す」 「ザ・セル」 「スティング」 「フライング・ハイ」 「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」 「フィアレス」 ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。

「アザーズ」 「ポルターガイスト」 「コンタクト」 「ギャラクシークエスト」 「白いカラス」 「アメリカン・ビューティー」 「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。

「グラディエーター」 「ハムナプトラ」 「マトリックス」 「アウトブレイク」 「タイタニック」 「アイデンティティ」 「CUBU」 「ボーイズ・ドント・クライ」 チャップリンの作品たち   

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)

「アルマゲドン」 「ニューシネマパラダイス」 「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ~。不満が残る。

「お葬式」 「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった

「レオン」 「パッション」 「マディソン郡の橋」 「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!


● 若尾文子礼讃! 映画:赤線地帯(溝口健二監督)

 1956年大映作品。

 いや、これは面白い映画である。
 一級のエンターテインメントと言っていい。
 さすが世界の溝口。


 タイトルからして社会派映画っぽいものを想像していた。
 なにせ「赤線地帯」である。
  1956年と言えば、「売春防止法」が公布され、赤線(公娼制度)が消えていく端緒となった年である。となると、赤線で働く女性たちの悲惨さや、売春や防止法をめぐる是非をテーマにした重苦しい映画を想像してしまうのも無理からぬではないか。しょっぱなに流れる黛敏郎によるテーマ曲も、「ゲゲゲの鬼太郎」に使ってもいいような、おどろおどろしいムンク風の曲なので、見終わった後に暗い気分になるのを覚悟していた。
 ところがどっこい。
 見終わった後の不思議な昂揚感。すっきり感。

 確かに赤線で働く女性たちの悲惨さはたっぷりと描かれている。
 吉原の「夢の里」で働く6人の娼婦たちの、そこで働くように追いやられたそれぞれの事情や、家族やお客とのやりとりをめぐる顛末を、ひとつひとつ丁寧に描き出しながら、一方で売春防止法制定前夜の国会での論議や吉原の雰囲気をからませて、物語はすすんでいく。86分という短い時間でそれをさばき切った脚本がすばらしい。
 しかしながら、後に残るのは、娼婦たちへの同情や、売春の是非や、理不尽な世の中に対する苛立ちなどではなく、女の強さ、たくましさ、したたかさ、愚かさ、一途さ、哀れさ、そして女同士の連帯の強さである。
 「やっぱり女性は強い」と恐れ入って、讃嘆して、DVDを取り出すことになる。

 溝口監督が描きたかったのもそこであろう。映画人生の最後の最後まで(これが遺作である)女性をこそ描きたかったのだ。
 そして、素の女性、ナマの女性、ありのままの女性の姿が一番出ているのが、娼婦であり、赤線地帯なのである。 「捨てるものなんか何もない、見栄も体裁もかまっていられるかい」という状況において、女性は本来の女性性をあらわし、自分にとって一番大切なものを浮き彫りにする。それは、ある女にとっては病気の夫と赤ん坊であり、ある女にとっては故郷にいる息子であり、ある女にとっては享楽であり、別の女にとってはお金である。それがある限り女性は生きられる。男なら、とっくのとうに自尊心を失って破滅しているであろう一線をはるかに超えて。
 自殺未遂をした結核持ちの夫と赤ん坊を一人で食わしているハナエ(木暮実千代)の啖呵が耳に残る。
 「私は絶対生きてやるんだ。赤線を廃止して、私らから仕事を奪って、そのあとの私がどうなるか。どんな風に生きてみるか、自分の目で確かめてやる。」

 つ・つよい・・・・・・・。
 
 『西鶴一代女』は、運のない女が転落していく様を描いた作品であった。
 田中絹代演じる主人公は、御所づとめの身分から始まって、大名の側室、遊郭の人気太夫、三味線弾きの乞食と身を落としていき、最後はやはり娼婦(夜鷹)となって夜の街で客を引く。仲間の夜鷹たちと冗談めかして交わすセリフがふるってる。
 「人間どう生きたって結局おんなじだもんね~。」


 ここなのだ。
 この心境に至れるところに彼女たちの強さの秘密があるように思う。
 それは一種の開き直りなのか、諦念なのか、負け惜しみなのか、自暴自棄なのか。それとも、現実を見切った末に達した生活哲学なのか。
 男は捨てられないものを多く持っている。その最たるものがプライドである。昔から男たちはプライドを無くすよりは、自死を選んできた。
 女にもプライドはあろう。だが、プライドでは「食えない」という当たり前の事実を無視しない。女はもっと大切な具体的なものを優先させる。愛する男であったり、子供であったり、食べ物であったり、いのちであったり・・・。そして、女は連帯することができる。

 どうあがいても男に勝ち目はない。


 自分が潔く認めた負けの分だけ、この作品は暗さ・重さから救われるのだろう。


 それにしても、若尾文子は当時23才。
 本当に美しい。
 いまどきの23才とは比較にならない品と落ち着きとあだっぽさがある。豪華で練達な共演女優陣に伍して、したたかな女を演じてヒケを取るところまったくなし。すばらしい。
 55年後のいま。
 愛されまくりの「バロック」の夫(黒川紀章)が亡くなったあと、どうなるかと思ったけれど、前にも増して自由に活躍しているのは知ってのとおり。ソフトバンクのCMでは白戸家の一員として、孫ほどの男と再婚し家族を驚かせ、ロックバンドではノリノリでサックス吹いて・・・。これが、CMでなく実生活であっても驚くに値しない。
 今まで演じてきた何百もの女~しとやかにして、したたかな~の仮面が素に張りついて、もはや仮面でも素顔でもなくなっている、そんな境地にいるかのように思える。

 溝口監督、増村監督もきっとご満悦だろう。




評価: A-


参考: 

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
         「東京物語」 「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
         「風と共に去りぬ」 「未来世紀ブラジル」 「シャイニング」 「未知との遭遇」 
         「父、帰る」 「フィールド・オブ・ドリームス」 「ベニスに死す」 「ザ・セル」
         「スティング」 「フライング・ハイ」 「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」
         「フィアレス」 ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
         「アザーズ」 「ポルターガイスト」 「コンタクト」 「ギャラクシークエスト」 「白いカラス」 
         「アメリカン・ビューティー」 「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
         「グラディエーター」 「ハムナプトラ」 「マトリックス」 「アウトブレイク」
         「タイタニック」 「アイデンティティ」 「CUBU」 「ボーイズ・ドント・クライ」 
         チャップリンの作品たち   


C+ ・・・・・ 退屈しのぎにはちょうどよい。レンタルで十分。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
         「アルマゲドン」 「ニューシネマパラダイス」 「アナコンダ」 「ロッキー・シリーズ」

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ~。不満が残る。 「お葬式」 「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
         「レオン」 「パッション」 「マディソン郡の橋」 「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。もう二度とこの監督にはつかまらない。金返せ~!!



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