ソルティはかた、かく語りき

首都圏に住まうオス猫ブロガー。 還暦まで生きて、もはやバケ猫化している。 本を読み、映画を観て、音楽を聴いて、神社仏閣に詣で、 旅に出て、山に登って、瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

熊井啓

● Shōgun オーラー 映画:『お吟さま』(熊井啓監督)

1978年東宝
154分

 7/10~7/25に池袋の新文芸坐で三船敏郎特集をやっていた。『酔いどれ天使』、『蜘蛛巣城』、『無法松の一生』、『日本誕生』、『連合艦隊司令長官 山本五十六』、『上意討ち 拝領妻始末』、『男はつらいよ 知床旅情』ほか、三船が出演した33本の映画を一挙上映という凄いプログラムである。
 特集の最後を飾る2本立て、『お吟さま』と『銀嶺の果て』を鑑賞した。


新文芸坐1


 『お吟さま』は、侘び茶の完成者として知られる千利休の娘・吟と、幼馴染のキリシタン大名・高山右近との悲恋を描いた、今東光の同名小説の映画化。
 吟は一途に右近を恋い慕うも、右近の信仰の固さゆえ結ばれること叶わず、最後は豊臣秀吉に追い詰められて自害する。利休に吟という娘がいたことは事実のようだが、それ以外はフィクションらしい。
 カラー映画でなく、わざわざセピア調に画像処理しているのが意図不明。豪華な甲冑や着物がふんだんに出てくるだけにもったいない気がする。

 利休役の志村喬のそれこそ侘び茶のような深みある渋さ(当時72歳)、お吟役の中野良子の凛とした美しさ(28歳)、高山右近役の中村吉右衛門の滲み出る色気(34歳)、主役3名の甲乙つけがたい好演が手堅い演出とあいまって魅せる。
 なれど、やはり群を抜いた存在感と王様オーラーで画面に艶をもたらしているのは、豊臣秀吉役の三船敏郎(58歳)である。志村喬と同一画面にいると、完全にこの世界の名優を食ってしまっている。「名演 V.S. オーラー」ではオーラ―に軍配が上がる、という役者稼業の残酷な掟を示す証左のよう。

 高校生の頃(1980年)、ジェームズ・クラベルの小説 "Shōgun" を原作とした連続ドラマがアメリカNBCで制作・放送され、高い視聴率を上げて全米の話題をさらった。もちろん、すぐに日本でもテレビ放送された。そのとき徳川家康を演じた三船敏郎を観たのが、ソルティの三船デビューだった。
 あれほど徳川家康に、というか日本国の天下統一者に似つかわしい威厳とオーラーある役者は(勝新太郎、仲代達也、渡辺謙、高橋ジョージ含めて)その後観ていない。物語の主役三浦按針を演じたアメリカきっての名優リチャード・チェンバレンを、やはり共演シーンでは完全に食っていた。(三船)家康と同等レベルの存在感を放っていたのは、家康が腕に留まらせている巨大な鷹(本物)のみであった。
「こんな凄い俳優が日本にいるんだ」
と衝撃を受けた。 


鷹匠


 戦国時代のキリシタン大名の描写、若き中野良子の張りつめた美貌など、興味深く見甲斐ある作品だが、なにせ154分は長すぎる。120分内に収めて通常のカラー映画仕立てにしていたら、もっと評価は高かったであろう。(もしかしたら、カラーにすると(三船)秀吉が目立ちすぎて、物語を壊してしまうからだったのか? それなら分かる)







● おやじギャグ 本:『わたしが・棄てた・女』(遠藤周作著、1963年発表)

 ハンセン病の〈誤診〉を受けた森田ミツのドラマチックな人生を描いた遠藤周作の代表作である。1997年に熊井啓監督、酒井美紀、渡部篤郎主演で『愛する』(日活)というタイトルで映画化されたのを観た記憶がある。ミツには井深八重という実在のモデルがいた。

 『海と毒薬』『沈黙』『深い河』などと同じ系列の格式高い(こむずかしい)純文学かと勘違いしていた。当時『主婦の友』に連載されていたことが示すように、どちらかと言えば軽いタッチの通俗小説である。すらすらと読めた。
 とは言え、「キリスト(神)のとは何ぞや?」――というこの作家ならではのテーマとその切り込みの深さは、上記の純文学作品と較べておさおさひけを取らない。むしろ、余分な形而上学的叙述や煩瑣な描写がない分、テーマは際立って開示されていると言えるのではないか。
 本書解説の中で、キリスト教の文芸評論家武田友寿がこう述べている。


 遠藤氏が描く人間の救いはいつもエゴから脱出する機会の発見におかれている。それは特定の教派の信仰心をもつことでなければ主義、思想というようなイデオロギーに身を委ねることでもない。自分の弱さを自覚しつつ、弱さに耐えて自分を生き、弱さゆえに他者の弱さを共に哀しみ、苦しむことのできる〈運命の連帯感〉に自分を委ねることのできるとき、エゴをこえる機会が訪れるのだ。


 この文章を読んで、北海道浦賀の「べてるの家」を想起した。あるいは、読んだばかりの『御直披』や別記事で書いた『オペラ座の怪人』を。
 「強さ、喜び、幸運」を通してよりも「弱さ、苦しみ、逆境」を通して人は人と本当に繋がることができるというのは、人間に与えられた大いなる逆説であり、手酷いジョークである。世界が凍り付くような神のおやじギャグを、一抹の苦さと共に笑い飛ばすときに「ユーモア」が生まれる素地ができるのだろう。
 クリスチャンの純文学者・遠藤周作が、まるで二重人格者であるかのように、狐狸庵先生というぐうたらでとぼけたキャラを合わせ持っていたのは、そういった背景があったのかもしれない。


白アジサイ





 

● 映画:『黒部の太陽』(熊井啓監督)

1968年日活。

 黒部ダム建設の苦闘を描いた骨太の人間ドラマ。上映時間196分(3時間以上!)は破格の長さであるが、長さをまったく感じさせない脚本のうまさ、役者たちの演技の熱さ、セットのリアルさ、撮影技術や演出の見事さに舌を巻く。さすが、『地の群れ』、『サンダカン八番娼館』の熊井啓。
 ダム建設自体も大変な苦労だったろうが、この映画の撮影もまた相当な苦労だったろう。当時(50年代後半)の日本社会が持っていた人的・財的・技術的資源と巨大ダム建設に賭ける男たちのほとばしる情熱は、そのまま当時(60年代後半)の日本映画界が持っていた人的・財的・技術的資源と映画制作に賭ける男たちのみなぎる情熱そのものである。これが戦後の復興を可能ならしめたパワーというものだろう。
 ・・・どこかに消えて久しい(いい悪いは別として)。
 
 役者陣の充実ぶりも凄い。 
 石原裕次郎演じるキザな熱血男児・岩岡と、あこぎで破天荒なその父・源三(辰巳柳太郎)の父子相克は、『美味しんぼ』の山岡士郎と海原雄山のそれとダブる。リアリティあふれる辰巳柳太郎の土方の演技を見るだけでもこの映画を見る価値はある。
 父子と言えば、なんと宇野重吉・寺尾聰親子が共演している。これは寺尾聰(『ルビーの指輪』)の映画デビュー作(当時21歳)なのだ。
 
当時、石原プロの元にはスタッフ・キャスティングに必要な人件費が500万円しか無かった。石原裕次郎はこの500万円を手に、劇団民藝の主宰者であり、俳優界の大御所である宇野重吉を訪ね、協力を依頼した。宇野は民藝として全面協力することを約束し、宇野を含めた民藝の所属俳優、スタッフ、必要な装置などを提供。以降、裕次郎は宇野を恩人として慕うようになった。(ウィキペディア「黒部の太陽」より抜粋)
 
 この宇野重吉の相貌がいまの寺尾聰そっくりである――順序から言えば逆か。いまの寺尾聰が当時の宇野重吉そっくりなのだ。当たり前といえば当たり前なのだが、映画撮影当時はここまで相似するとは予期できなかっただけに、なんだか感動する。
 
 三船敏郎と石原裕次郎。
 やはり昭和が生んだ大スターの名に恥じない存在感である。
 相性も悪くない。
 二人を一緒に並べて観ることで、俳優としての二人の資質の違いを実感した。
 石原裕次郎は、何をやっても石原裕次郎である。それ以外にはなれない。裕次郎としての個性が強すぎて、役柄よりも個性が前に出てしまう。吉永小百合や高倉健と同じである。
 一方、国際的俳優でアクの強さでは本邦随一とも言える三船敏郎は、演じる役に同化することができる。‘大スター三船敏郎’はスクリーンのうちに存在を消して、役柄になりきることができる。この映画でも、誠実で娘思いで渋さの際立つ建設会社管理職そのものになりきっている。たとえば、三船が出演していることを知らずにこの映画を観た人が、「あれ?この役者確かにどっかで見たことあるけれど、だれだったかなあ?」と思ってしまうほどの、確かな役の造形力、演技力である。
 三船敏郎は演技派だったのだ。 
 
 それから、気になったのは音楽。
 ソルティが最近はまっているマーラーの交響曲になんだか似ている。いつくかの主要な動機(=メロディ)もそうだし、様々な楽器の――特に金管楽器の使い方がマーラー風である。
 「誰だ? 音楽担当は?」
 クレジットを見直したら、黛敏郎だった。
 なるほど、大自然を相手の人間の涙ぐましい死闘、人知を尽くして苦難を克服した輝かしい一瞬の栄光、その裏に隠された幾多の犠牲と悲劇、そしてその後(バブル崩壊後)わが国に訪れることになる、生きるパワーの停滞と不安と虚しさ・・・・・。これらを表現するのにマーラーの音楽ほど適したものはないかもしれない。トンネル開通の浮かれ騒ぎの中で娘の死を知った三船敏郎の深い苦悩の表情とともに、この音楽もまた、黒部ダム建設が「人間の勝利、技術の光輝」という単純な‘プロジェクトX’図式に回収される話ではないことを物語っているようだ。

 

 
評価:B-

A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 


C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!



 

● 戦後は終わった! 映画:『地の群れ』(熊井啓監督)

1970年ATG制作。
 
 原作は井上光晴の同名小説。
 熊井哲は『サンダカン八番娼館 望郷』の監督。 

 ともかく暗く、重く、忌まわしさに満ちた映画である。
 「地の群れ」というタイトルが示すとおり、日本社会の最下層を鼠のように蠢く者たちの恥と苦しみと抑圧された怒りと呪い、貧困と差別と絶望と無明とが、全編から漂っている。よくこんな映画が撮れたなあと感心するほかない。表現の自由に関しては今より70年のほうがよっぽど進んでいる。
 
 戦前戦後の佐世保を舞台に、炭鉱、在日朝鮮人、被差別部落、被爆者、米軍基地、水上生活者、アカ(共産党)、強姦、リンチ、暴徒・・・・といったトピックが、何らわかりやすい説明もないままに次々と描き出されていく。(ストーリーを理解するには2回は観なければならない。) 
 日本社会の負の部分を抉り出したという点では、ドキュメンタリー映画『山谷 やられたらやりかえせ』(1985年)に近い。
 しかし、圧倒的に『地の群れ』のほうが暗くて重い。
 なぜなら、『山谷』には労働条件の向上をもとめるドヤ(低額宿泊所)の男たちの連帯と勇気に満ちた闘いがあった。一方、『地の群れ』には差別された者同士の足の引っ張り合いのようなネガティブないさかいがあるばかりで、そこになんの希望も見出せないからである。後味悪い。
 
 物語の最後、主人公の青年・信夫は、生まれ育った被爆者の隠れ住む村・海塔新田を飛び出し、佐世保が包含するすべての負から逃げ出すように、何処へかに向って走り去る。被差別部落を抜け、米軍基地を抜け、港を抜け、河原を抜け、教会を尻目にする。いつのまにか、白い団地が整然と並ぶ新興住宅地にやってくる。樹木に囲まれた美しい公園、ベンチで談笑する子連れの主婦たち、明るく屈託のない笑顔、豊かさを感じさせる整った身なり・・・。これまでの画面にはまったくなかった眩いばかりに清潔なカットが続く。主婦たちは不思議そうに、団地の中を懸命に走りぬける信夫に目を向ける。なかば無関心な目を。
 信夫が駆け抜けたこの二つの世界こそ、「地」と「天」であり、戦中および戦後の貧しい日本から、「もはや戦後は終わった」高度経済成長時代の日本への転換であり、アメリカから輸入された近代消費社会という毛皮によって日本人がいかにしておのが恥部を隠したかの象徴である。
 「地の群れ」を生きる人びとがいなくなったわけではない。『山谷』に見るとおり、それはバブルの頃でさえ、わが国の重低音として地の底から響いていたのだ。多くの日本人はそれを聴かなかった。「暗さ、重さ、忌まわしさ」に蓋をして、「明るさ、軽さ、屈託のなさ」ばかり追求してきた。一億総「躁」状態になっていたのである。
 バブル崩壊、ホームレス増加、雇用の崩壊、格差社会、ヘイトクライムの増加、少子化と高齢者の孤独死、原発事故、安保・・・・・・。
 そのつけが今になって回ってきた。
 --なんて、うがったことを高みから言うつもりは毛頭ない。
 むしろ、自分はこう思う。
 いまやっと、戦後が終わったのだ。
 アメリカナイズされた個人主義の大量消費社会という夢(=呪縛)から解けて、いまやっと、日本人はおのれが抱える「暗さ、重さ、忌まわしさ」を、否認することなく、怯えることなく、地の底に引き摺り込まれることなく、冷静に向き合えるときがやって来たのだ、と。
 戦後70年にしてPTSD(トラウマ)は消失した。
 
 この映画はいまこそ観るにふさわしい。



評価:B+


A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!



 

記事検索
最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ別アーカイブ
最新コメント
ソルティはかたへのメッセージ

ブログ管理者に非公開のメッセージが届きます。ブログへの掲載はいたしません。★★★

名前
メール
本文