ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。 半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語に興じ、 旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

田久保裕一

● 艶と毒 : OB交響楽団第193回定期演奏会

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日時 2017年6月17日(土)14:00~
会場 杉並公会堂大ホール
曲目
  • ワーグナー : 「タンホイザー」序曲
  • R.シュトラウス : 交響詩「ドン・ファン」作品20
  • ベートーヴェン : 交響曲第3番 変ホ長調 作品55「英雄」
  • アンコール ワーグナー:「ローエングリン」より エルザの大聖堂への行列
指揮 田久保裕一

 今回のプログラムは3人の‘英雄的’な男が主人公である。性愛と聖愛の間を揺れ動いたタンホイザー、稀代の猟色家ドン・ファン(ドン・ジョヴァンニ)、皇帝ナポレオン。奇しくもドイツ人、スペイン人、フランス人と国籍も分かれている。
 ナポレオンは間違いなく英雄の名にふさわしいけれど、前の二人はエッチ方面で活躍した伝説上の人物である。「千人切り」の男を称え上げる男根主義における「英雄」なんである。「英雄⇒色を好む」が倒置して、「色を好む⇒英雄」になったわけだ。

 田久保裕一&OB交響楽団を聴くのは2回目。
 前回のマーラー1番は非常に良かった。田久保がOBオケの長所を巧みに引き出しているなあと思った。今回聴いてその印象を強めた。とてもいいコンビである。OBオケは松岡究ともよく組んでいるが、個人的には田久保との共演のほうが精彩を放っていると感じる。響きがフレッシュで構造が繊細である。ミニチュアの精密模型のドイツのお城のような印象を受けた。
 
 3曲とも素晴らしかったが、あえて欲を言うなら、1曲目と2曲目にもそっと‘艶と毒’がほしい。どちらも性愛がテーマなので、人を惹きつけすべてを忘れさせる性の圧倒的な魔力と、人を狂わせ破滅させる性の恐ろしい毒と、つまり‘官能’がにじみ出ていると良かった。(‘官能’と言えば、ヴィスコンティの『夏の嵐』に尽きる)
 もしかしたら、オケのメンバーがそういう方面は‘卒業’している人が多いから、そのぶん淡白になったのか?
 いやいや、そんなはずはあるまい。 

 次回演奏会(10/28)のプログラムは、「トリスタンとイゾルデ」とマーラー5番。今回以上に‘艶と毒’が要求されるラインナップである。指揮の太田弦とOBオケのコンビがどうアプローチするか楽しみである。




 



 

● マーラー交響曲第1番「巨人」 :OB交響楽団第191回定期演奏会

日時 2016年10月16日(日)14:00~
会場 かつしかシンフォニーヒルズ・モーツァルトホール
指揮 田久保裕一
曲目
  • モーツァルト/交響曲第38番ニ長調K504「プラハ」
  • マーラー/交響曲第1番ニ長調「巨人」(花の章付き)
  • アンコール チャイコフスキー/『くるみ割り人形』より「花のワルツ」

 ここ一年ばかり、アマオケめぐりが趣味となって実感したことの一つに、「あちこちに良いホールがあるんだなあ」というのがある。機能的で音響効果に優れ、どこからでも舞台がそれなりによく見えるよう配置された座り心地良い椅子が並び、内装やインテリアにも品がある。そんなホールが下町のど真ん中にデンと構えていたりする。悪名高きバブルの残した数少ない恩恵と言うべきか。
 かつしかシンフォニーヒルズもその一つで、バブル終息期(1992年)にオープンしている。
 葛飾区は、先ごろ最終回を迎えた秋本治作の世界最長の少年マンガ『葛飾区亀有公園前派出所』で全国的(世界的?)に有名になった東京の代表的な下町である。京成電鉄の青砥駅で降りると、いかにも‘両さん’が歩いていそうな下町風(昭和風)の商店街が広がっていて、10分ほど歩いたところに不意にモーツァルトの立像を抱いたモダンで美しいシンフォニーヒルズが出現する。いっきに昭和から平成を回避してウィーンに来たかのような印象を受ける。

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 OB交響楽団を聴くのは2回目。
 オケのメンバーの平均年齢が高いのが最大の特徴(ベテラン揃い)で、長所も短所もそこに由来する。なにせ数年後には200回に達する演奏歴を誇っている。
 前回書いたが、オケの音に厚みと粘りがある。技術はまったく問題ない。団員の呼吸も合っている。最初から最後まで統一感を保持できる。安心して聴いていられる。やはり‘スライム’を連想した。

スライム

 一方で、新鮮味のない、譜面どおりの上手な演奏に終わってしまう可能性がある。
 特に、前回のシューベルトや今回のモーツァルトのような古典的な形式の有名曲をやると、短所が顕わになりがち。なぜかわからないが、『プラハ』はテンポも終始ゆっくりでメリハリに欠いていたので、ますます短所が強調されて、前回の『未完成』同様、凡庸で退屈なものになってしまった。モーツァルトの曲は、たとえオペラ『ドン・ジョバンニ』のような悲劇であろうと、旋律の輝かしさと心はやる疾走感が生命線であることに変わりはない。古典的な曲をやるのならもう一工夫ほしいところである。
 それとも、スロースターターの団員たちの指と心を温めるための戦術なのだろうか?
 
 一曲目が終わってちょっとがっかりして、せっかく誘った友人に申し訳ない気持ちになった。が、そこはやはりスライム。二曲目で見事リベンジした。

 マーラー交響曲1番は、若々しさと独創性が漲って、新しい時代の天才音楽家の登場を告げるに十分なノベルティ(新奇さ)と刷新の気風に満ちている。4つの楽章(今回は‘花の章’含め5楽章だった)のそれぞれが非常に印象的で、耳について残りやすく、ヴィジュアル喚起し、それこそ‘両さん’のようにキャラが立っている。実際、どの楽章も甲乙つけがたく魅力的で、面白い。

 第1楽章は「カッコウ行進曲」とでも名づけたいような、楽しくさわやかで希望に満ちた調べ。自然賛歌であり、同時に生の喜びの押さえきれない表出であり、これから始まる人生への期待を歌っているように感じる。
 
カッコウ

 第2楽章は、通常なら省かれる「花の章」。
 当初第2楽章として構想されたのだが、後にマーラー自身の手により削除されたと言う。青年時代のマーラーの恋愛がモチーフと言われるだけあって甘美で夢見るような調べ。メロディラインの美しさでは、交響曲5番のアダージョと双璧と言っていいかもしれない。これほど聴く人の心をつかむ名曲を埋もれさせるのはもったいない。ぜひ、今後も挿入してほしいものである。

花の章

 第3楽章は、もっともソルティが好きな部分。ここは何といっても低弦が繰り返し刻むリズム「バン・ボ・バンバン・ボ」が心地よい。専門用語で「オスティナート」と言うらしい。この浮き立つように快適なリズムに乗って、人生の門出および順風満帆の社会生活が歌われる。終わりのほうでは、優美な民族音楽風のワルツが奏でられ、華やかな社交界と大人の恋愛模様とでもいったブルジョアっぽい風景が描かれる。指揮者として頭角を現し女性関係も賑やかだったマーラーのイケイケ青春時代を表現しているかのようである。

順風まんぱん

 人生、山あり谷あり。
 第4楽章は一転して暗く沈うつな曲調。「挫折、哀愁、宿命、鬱」といった言葉が思い浮かぶ。
 マーラーは双極性障害いわゆる躁鬱病だったんじゃないかと思う。すべてが「上手く行っている」と意気軒昂になるかと思えば、どこからか宿命の「スラブ的な」調べが鳴り響いてきて、すべてが「暗く見えてくる」。あたかも運命が「お前には幸福になる資格はない」とでも言っているかのよう・・・。
 だが、この楽章が聴く者をそれほど暗澹たる気分にさせないのは、使われている主要旋律のもとになっているのがおなじみのフランス民謡『鐘が鳴る』だからである。この曲がNHKの子供番組の中で『グーチョキパーでなにつくろう』という手遊び歌として紹介されてヒットしたことが示すように、子供にも覚えやすい単純なメロディで『かえるのうた』のように輪唱(カノン)して楽しむことができる。
 実際ここでも、コントラバスから開始された主要旋律を他の楽器が次々と追いかけて、多彩な音色を重ねながら輪唱して行くさまは、とても聴きごたえがあって面白い。だから、暗く沈うつではあるけれど、のちの交響曲5番や6番の第1楽章のようには重々しく深刻な印象は与えない。(しかも、この楽章の中間部には、のちの「アルマのテーマ」につながる情熱的で包み込むような美しい旋律が挿入される。)

鐘


 「引きこもりの平和」とでも言うべき、静かで穏やかな心境で終わった第4楽章は、シンバルの一撃とともにいきなり破られる。その印象はまさに、

泰平の 眠りを覚ます 上喜撰
たった四杯で 夜も寝られず

 すなわち、幕末(1853年)のペリーによる黒船来航の際の日本である。まさかマーラーを聴いて、この狂歌が思い浮かぶとは!(ちなみに上喜撰とはお茶の銘柄。蒸気船とかけてある)
 その意味では、この第4楽章から第5楽章の転換は、ベートーヴェン《第九》の第3楽章から第4楽章の転換と似ている。《第九》同様、ここは平和を破られた悲劇と言うよりも、「見せかけの安眠を貪っている場合じゃない。目覚めよ!危急のときだ。世界はお前を待っている。さあ、活動せよ!」と、覚醒を誘う叱咤の声という感じがする。
 
青春は終わった。ここからが本当の大人の社会。
自分の足と才覚とで難事に立ち向かえ(第1主題)。
その先には、(もしかしたら)アルマのように美しく女性らしいパートナーが待っているかもしれない(第2主題)。

 ここから先は、この曲を作っていた当時のマーラーには未知数だったのだろう。なんとなく苦しい展開部になっている。
 ただ、成功に対する強い野心と確信が30歳手前のマーラーにはあった。全曲のフィナーレは、金管楽器の吹き鳴らす強く輝かしい凱歌で聴く者を圧倒する。

勝利の女神


 こんな独自の解釈をしたくなるくらい、OB交響楽団の演奏と田久保裕一の指揮は、表現豊かで素晴らしかった。ソロパートが多いこの曲こそ、腕の達者なベテランメンバーが揃っているこのオケにはふさわしい。どのソロも難なくこなしていて「さすが」であった。粘りのあるスライム感は、マーラーを構成するモチーフの一つである「スラブ的(ユダヤ的?)因縁」を表現するのにうってつけである。古典派の交響曲に比べると複雑で支離滅裂なようにも思えるマーラーのカオス世界も、しっかりした技術と長年の経験と調和のとれたOBオケだからこそ、方向性を見失ってバラバラに空中分解することなく、最後まで凛とした力強いフォルムを呈示できる。
 OBオケ、意外にも(失礼!)マーラー合っている。
 
 田久保裕一は、今年の11月にウィーンの楽友協会大ホールで、この「巨人」を振る予定らしい。このレベルなら拍手喝采&「ブラヴォー!」を受けると思う。
  誘った友人も「こんなにマーラーが面白いとは思わなかった」と満足そうであった。ほっとした。
 
 帰りの駅のホームから、タイタン(巨人あるいは土星)ならぬ満月が、滴るような赤い光を放っているのが眺められた。

 
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