ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。 半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語に興じ、 旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

秋月慈童

● 再見~! 漫画:『密教僧秋月慈童の秘儀 霊験修法曼荼羅5』(作画:永久保貴一画、語り:秋月慈童)

2016年朝日新聞出版発行

PB110319


 このシリーズもこれが最終巻。
 永久保貴一の作品としては『カルラ舞う』に並ぶ代表作と言ってもいいのではなかろうか。それくらい面白かった。
 『カルラ舞う』と一番違うのは、これがノン・フィクションであること。実在する密教僧・秋月慈童が、身の回りで起こる様々な不思議な現象や恐ろしい霊的事件を、生まれついての霊能力+厳しい修行で身につけた法力で快刀乱麻のごと解決していく。ここに描かれていることがすべて本当なら(わざわざ嘘つく必要もないと思うが)、世の中の見方を180度修正しなければなるまい。

 今回も摩訶不思議な6つのエピソードが語られている。
 一例をあげると、

  1. 永久保貴一の担当編集者であるA子さんは、パワースポットとして知られる××湖畔神社に行くが、昔その湖で亡くなった二人の女性の霊に憑りつかれる。A子さんは体調をくずす。
  2. 秋月慈童の夢枕に、A子さんが足しげく参詣している地元神社の祭神(氏神)が立つ。祭神は秋月に氏子であるA子さんを悪霊から救ってくれるよう頼み、A子さんの名前と顔を伝える。(A子さんと秋月は永久保が主宰する忘年会で過去に一度会っただけ。二人に日常的な交流はない)
  3. 秋月は永久保に連絡を取り、A子さんと会う算段をはかる。この時点では理由は告げていない。
  4. 永久保の家で秋月とA子さんは面会し、秋月は「A子さんが地元神社によく参詣すること。最近××湖畔神社に行ったこと。その後体調がおかしくなったこと」を言い当てる。驚くA子さんと永久保に詳しい説明を与えることなく、秋月はその場で除霊する。A子さんはとたんに復調する。
  5. 秋月はその足で寺に戻り、お持ち帰りした二人の女性の霊の成仏を祈念する。
  6. 後日、永久保と会った秋月は、「A子さんが、その昔××湖の生贄として村人たちに殺された二人の女性に憑りつかれていたこと。A子さんの氏神が自分の夢枕に立ったこと。除霊後に氏神から感謝の贈り物があったこと」を話す。

――といった具合である。

 こうした話をどこまで信じるか、あるいはまったく信じないかは人それぞれであろう。
 ソルティは年を取るにつれて迷信深くなったというか、目に見えないものの存在を否定しがたくなってきている。霊能力はないのであるが・・・。

 ご利益や願望成就をもとめて自己努力もせずに神仏やグルや行者や易者にすがるのはどうかと思う。が一方、科学万能信仰や人類中心主義という傲慢から距離を置くために、あるいは「俺は自分一人の力で生きている!」という錯覚に陥らないために、神仏やら天狗やら龍やら物の怪やらを意識的に心に棲まわせておくのもありかなあ~、と思うのである。

 いつの日かまた、このシリーズが再開されることを願う。


PB050317
 
 
 

● お釈迦様はウルトラマン? 漫画:『霊験修法曼荼羅3』(永久保貴一作)

2014年朝日新聞出版より刊行。
 
秋月慈童3

 実在する密教僧(大阿闍梨)にしてサイキック(霊能者)、秋月慈童の体験を描いたシリーズ。
 今回も、修行中の秋月の周囲で起こる摩訶不思議な神仏体験、恐ろしい霊的現象、驚愕の秘儀エピソードなどが、永久保貴一の巧みな話術と卓抜なる画によって語られる。
 日常とは別の次元、まったく別のルールで動いている世界の存在に触れ、「う~む、これが本当ならもっと謙虚に誠実に生きなきゃならんな~」と襟を正す思いがする。その意味で、単なる怪談やゴーストバスター活劇以上の倫理的価値をもつ漫画と言えよう。
 創作を通じてスピリチュアル世界の神秘に触れ、愛する家族もできて、生き方に気をつけるようになったことで永久保貴一の顔が吉相になったことは、著者自身漫画で書いているし、実際昔と今の顔写真をくらべると「これが同一人物か」と思うほど変わっている。最近の雑誌に掲載された写真で見る限り、実に立派な、作家らしい風格のある、いい顔立ちをしている。それと同時に、永久保の描く絵もまた、プロとしての単なる技術力UPだけでなく、見て気持ちのよい絵柄になった。題材そのものは決して「気持ちいい」ものでない、どちらかと言えば「薄気味悪い」ものばかりであることを考えると、やはり筆跡に性格が表れるのと同様、絵にも性格があらわれる。それをして‘画風’というのだろう。
 精神的なものは早晩どうしたって表にあらわれる。気をつけたいものだ。
 (下は掲題書164-165ページ。秋月慈童らの秘儀‘魂抜き’によって墓所に眠る先祖たちを浄土に送るところ)

秋月慈童3-2

 今回面白かったのは「仏舎利」のエピソードである。
 仏舎利とは、お釈迦様の遺骨のことである。お釈迦様が亡くなったあと遺骨を細かく砕いて84000の寺院に分けたと古い経典にあるそうだ。
 人間の骨の分量は80歳代で2~4キログラムである。お釈迦様は堂々とした体躯の方だった。亡くなられ時の骨量を仮に5キログラムとしよう。それを84000で割ると約0.06グラムである。小さじ100分の1。小指の先についたチョークの粉みたいなものか。
 84000ってのは単に「とてもたくさん」の意であろう。1000に分けた(小さじ一杯ずつ)ってくらいが妥当だと思う。だとしても、仏教圏であるアジア全体で「仏舎利を擁しています」と申告している寺院の数は1000なんてもんじゃないはずだ。それこそ84000くらいあるかもしれない。調べたことはないが・・・。
 これまでほうぼう旅をしていて仏舎利塔などに遭遇するたびに、不思議に、というか怪しげに思っていた。あちこちにある仏舎利を集めて復元したら、おそらくお釈迦様はウルトラマンなみ(体長40メートル)の巨人になるだろう。
 アホらしい。
 
 秋月慈童によると、 
 舎利って仏陀の骨系と、もう一系統あるんです。
 聖者や賢者の体から湧き出るつぶつぶの・・・水晶とか乳白色の瑪瑙のような不思議な石があるんです。
 で、その舎利は拝むと大きくなったり分裂して子供を産んだりするんです。

 つまり、
1. お釈迦様の遺骨でなく、聖者や高僧が亡くなったときに出る謎の物質も「仏舎利」としている。
2. その物質は増える。
 そして、また日本テーラワーダ仏教協会ホームページのQ&Aコーナーの回答によると、
3. お釈迦様だけでなく阿羅漢(最終的な悟りに達して解脱した人)の遺骨も「仏舎利」と称している。

というわけで、仏舎利がかくもあちこちに多く存在する理由がわかった。
 本物の仏舎利(お釈迦様の骨)がどこにあるかは結局誰にもわからない。それぞれのお寺は「うちこそ本物」と、まるで「元祖か本舗か」本家本元争いしているラーメン屋みたいに、それぞれの正当性を由緒来歴を語って主張するだろうが、たとえそれが本物だとしても馬鹿げた話である。
 なぜなら、「諸行無常」「無執着」「私(仏陀)ではなく法を拠り所にしなさい」と説いたお釈迦様自身がそんなこと望んでいなかったことは明らかであるし、偶像崇拝はまったく非仏教的だからである。
 
永久保:舎利ってどういう力があるものなんですか?
秋月 :気の増幅器ですね。パワーを増幅させます。

 こうなるともはや仏教の話ではなくて‘気’の話である。
 ‘気’は存在する。よい気や悪い気、強い気や弱い気というのは一般人でもなんとなく分かる。気がなんらかの影響を人間の心身に及ぼすことは間違いない。携帯やパソコンや家電製品の電磁波が飛びかっている町の中と、電磁波の少ない山奥とでは、まったく体の感覚が異なる。また、風呂に入ったり土に直接触れたり瞑想したりすると、アースのように体に溜まった電磁波が抜けていくのが実感される。静電気体質の自分はとくに感じやすいように思われる。
 ‘気’と電磁波がどのような関係があるのかはわからないのだが、電磁波の多い生活は悪い‘気’につながりやすいという気がする。
 
 まあ、これも仏舎利と同じ、迷信のたぐいか。(でも、静電気体質は‘気’のせいではない。毎年、冬になるとドアノブ恐怖症にかかるのだから。)



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