ガイドブックによると、歩くと6日から8日かかるらしいが、現地での一泊を入れて5日間の予定を立てた。無謀か?
2日目(日帰り) 西武秩父駅~12番野坂寺・・・25番久昌寺~秩父鉄道影森駅(約24キロ)
3日目(日帰り) 秩父鉄道影森駅~26番円融寺・・・30番法雲寺~秩父鉄道三峰口駅(約14キロ)
4日目(宿泊) 秩父鉄道三峰口駅~31番観音院~宿(小鹿野町)(約22キロ)
5日目(満願日) 宿~32番法性寺・・・34番水潜寺(約18キロ)
100を5で割れば一日20キロずつの勘定になるが、札所の配置や札所間の距離、最寄り駅との関係を考慮すると、単純に均等配分できない。日帰りとは言え、すべての札所間を抜けなく歩き通したいので、前の回に歩き終わった地点から次の回は歩き始める。となると、鉄道駅から始めて鉄道駅で終わるのが基本となる。
1番から29番までは各札所間の歩行時間はすべて1時間未満(最短10分から最長50分)にすぎない。が、29番からいきなり間隔があき、最短2時間から最長5時間の長丁場になる。4日目と5日目が正念場ということになろう。
むろん、日本の寺社巡礼のメッカである四国を制した人にしてみれば、5時間の歩行など「鼻先でフン」ってところだろう。高知では札所間3日ってところがあるようだから。
秩父札所めぐりに関しては「秩父札所連合会」「秩父札所観音霊場パワースポットを巡る」のホームページが詳しくて役に立つ。
●天気 晴れ(最高気温28度)
●行程
07:50 秩父鉄道・和銅黒谷駅出発
08:30 第1番・四萬部寺
お仕度
09:00 同寺発
09:40 第2番・真福寺
10:20 光明寺(第2番納経所)
10:45 第3番・常泉寺
11:10 第4番・金昌寺
12:00 第5番・語歌堂
12:10 長興寺(第5番納経所)
13:10 第7番・法長寺
昼食休憩
13:50 同寺発
14:10 第6番・卜雲寺
14:45 第8番・西善寺
15:25 第9番・明智寺
16:10 第10番・大慈寺
16:30 第11番・常楽寺
17:10 西武鉄道・西武秩父駅着
●所要時間 9時間20分(歩行時間6時間+休憩時間3時間20分)
・・・休憩時間には昼食休憩および各寺での滞在時間(10~30分)を含む
●歩行距離 約22キロ(毎時3.7キロ)
天気は上々。気持ちの良い出立である。
第1番へはいきなりバスで門前に乗りつける無粋な手段はとらず、最寄りの秩父鉄道和銅黒谷駅から江戸古来の巡礼路をたどる。
国道140号に立てられた看板を目にすると、いやがおうでも気分が高まっていく。
約40分で第1番四萬部寺(しまぶじ)にぶじ到着。
まずは観音堂にお参り。
四国遍路同様、通常は般若心経を唱えるらしいのだが、テーラワーダ仏教を学んでいるソルティは、以下の読経をパーリ語で誦することにした。
① 礼拝
② 三帰依
③ 懺悔誓願の文(日本語)
④ 諸仏の教え
⑤ 慈悲の瞑想(日本語)
第1番にはいろいろな巡礼用品が揃っている。白衣、菅笠、金剛杖、数珠、日本手拭い、おいずる・・・。御朱印帳は必須アイテムであるが、それ以外は特に身につけなければならないものではない。普段着で全然かまわない。
ソルティは巡礼気分を楽しみたいのと、巡礼者であることが一目で分かったほうが土地の人や巡礼仲間との会話のきっかけになるだろうと思って、それなりの支度を整えた。
● 白衣のかわりの白ツナギ・・・綿100をネットで購入
● 輪袈裟(わげさ)・・・首にかけて簡易の袈裟とする
● 竹笠・・・菅笠より安い、が重い
● 数珠
竹笠、輪袈裟、御朱印帳の3点セット(計4千円)
さすがに休日の第1番だけあって次から次へと参詣者が訪れる。高齢社会のあおりもあって寺社巡礼が昨今盛んなのだろう。このさき同行者には事欠かないなと思っていたら、第2番へ行く途上に誰も見当たらず。高齢社会のあおりもあって、みな車移動なのであった。
巡礼路を示す標識
これにずいぶん助けられる
第2番真福寺は山の中にある。第1番からはゆるやかな登りが続く。杉木立の中を歩くので気持ちは良いけれど、なかなか息が切れる。「秩父を甘く見るなよ」という最初の洗礼のよう。
樹々に囲まれた無人のお堂は涼やかな風が通り、清々する。ウグイスやコジュケイの鳴き声に耳を傾ければ、都心の喧騒や慌ただしさが悪夢のよう。
来てよかった
ここで寺社名や日付を墨書し御朱印を押してもらう
御朱印は山を下りたところにある別当寺でいただく。納経所の前で寺の子供たち(おそらく)が大きなプラスチックのたらいに放した2羽のアヒルと遊んでいた。懐かしい光景に思わず立ち止まる。近所の農家で飼っていたアヒルと遊んだ子供の頃を思い出した。
道しるべ石
こんなのがあちこちにあって信仰の歴史を感じさせる
札所の観音堂には寺の縁起を伝える大きな額絵のかかっているところが多い。極彩色の錦絵のようである。
第3番の額絵
曰く「本尊観世音像は行基の彫刻と伝えられ・・・」
境内から見た景色
横瀬川にかかる橋
陽炎のように霞む武甲山
「参詣者の足腰がいつまでも丈夫なように」という願いを込めて土地の人たちが作っているそうだ。
わらじのほかにも、本尊の十一面観音立像、数千の素朴な石仏、和風ピエタ(by ミケランジェロ)とでも称したい子育て観音像が有名である。境内は昼食をとる団体客らで賑わっていた。
石仏に囲まれて昼食をとっている団体バスツアーの初老の男に声かけられた。
「全部歩いて回るんですか?」
「ええ」
「お経も上げるんですか?」
「ええ」
「そりゃあ、いいことだ。きっと良い功徳がありますよ」
「ありがとうございます」
そう言って別れたが、すでに功徳は十分いただいていることにすぐ気づいた。
こうやって自分の足で100キロ歩いて回れる環境にあるということが最大の功徳なのである。健康と、それなりの経済的および時間的余裕と、このようなことをしようと思い立つ(発心する)縁がなければ到底叶わない行為である。国土に平和と自由がなければできないことである。
ソルティはそもそも特段願いごとがあって回っているのでも、懺悔のために回っているのでもない。なんとなく呼ばれた気がして始めたことであった。
だが、「今ここにこうしてある」ことに感謝しながら回ることにしようと思った。
納経時間はどこも原則午前8時から午後5時まで、12時から12時半が昼休みになっている。
12時過ぎに到着したので、境内の日陰に座って休息。ここまでの歩行で固くなった足をもみほぐす。後日の筋肉痛を防止するコツである。
ここで順序を入れ替えて6番より先に7番に行く。道順だとそのほうがスムーズなのである。
徐々に迫ってくる武甲山。石灰石の発掘で無残な山肌をさらしているが、ピラミダルな山容はあくまでも雄々しい。
左手には横瀬川の源流のある二子山もくっきりと望める。このあたりは歩いてとても気分がいい。
名前のとおり牛が伏せている
境内は広々して、眺めも良く、居心地よい。
ここで昼食にする。
言うまでもなく、巡礼は速さや歩行距離を競うものではない。道中を楽しむことが一番である。景色や花や鳥の鳴き声や人々との出会い、土地の伝承や信仰や名物を味わうのが大切である。そして、長い一本道をとぼとぼ歩きながら、自らの心を見つめるのも一人旅ならではの特権である。
卜雲寺の額絵
西武鉄道のガードをくぐって、いよいよ武甲山が近づく。
奥多摩・奥武蔵の有名どころの山はほとんど踏破したソルティだが、武甲山は未踏。無事満願したあかつきに登ることにしよう。
武甲山御嶽神社(里宮)
さすがに足が疲れてきた。明日の仕事に障るのではないかと気になりつつも前に進むしかない。なんだか次の札所に引っ張られるように足が運ばれる。
振り返れば西武鉄道の走る里山風景
第9番明智寺の真ん前に三菱セメントの工場がある。秩父と言えばセメントだが、江戸時代の巡礼者には想像もつかなかった景色だろう。
ここは安産子育ての観音として、各地から女性の参詣者が訪れるという。
10番へは住宅地を抜けていく。道標やネギ畑や地蔵さんがローカルカラーを映し出す。
第10番大慈寺は最近つとに有名になった。
秩父を舞台にした青春アニメ『心が叫びたがってるんだ。』の舞台となったからである。休日にはアニメファンが「聖地巡礼」にやって来るらしく、境内に置かれた大学ノートには訪れたファンらの青いメッセージがあふれていた。なるほど、参詣を終えて山門を出ると、寺社詣でにはフィットしない風情の青年らが門前でカメラを構えていた。
本日最後の第11番常楽寺。
16時半到着。日もすっかり傾いている。
団体客が参拝をすましたばかりで、納経所ではツアーガイドらしい女性がまとめて何やら処理を頼んでいる様子。夕刻迫る賑やかな秩父市街を眺めながら、座ってしばらく順番を待つ。
ここから見る夕焼けはさぞ美しいことだろう。
が、3番からあとは寺社間が短く、平地であることもあって、「疲れた」と思う前に次の札所に到着している感じであった。
特に時間に追われ速足で歩くこともなく、途中でダウンすることもなかった。
巡礼姿であることも手伝ってか、すれ違う地元の人々から挨拶をもらった。子供から老人まで、それが当たり前のようであった。中には、「えっ!こんなヤンキーっぽい少年まで!」とビックリするようなときもあった。四国で聞くような「おせったい」はさすがになかったけれど、巡礼が地域に根付いている様子がうかがえた。
祭りの湯デビューして初日の無事完遂を祝った。