体力の低下よりむしろ体力の回復が課題の今日この頃である。あとあとの事を考えて慎重になってしまうのは寄る年波。若い時はあとの事など考えなくてよかった。人間の性質というのは体力に規定されるところ大きいとつくづく思う。
舞台はいよいよ秩父の街を離れ、山裾から山間へと分け入っていく。そのわかりやすい徴しが第28番橋立寺にある鍾乳洞。石灰岩でできている武甲山の西端にあり、酸化した雨水によって彫琢された大自然の芸術である。
古来、巡礼者はこの荘厳を見て何を思ったのだろう?
●挙行日 2018年5月26日(土)
●天気 晴れのち曇り
●行程
07:25 西武秩父駅よりタクシー乗車
07:35 佐久良橋
歩行開始
07:50 第24番・法泉寺(滞在15分、以下同)
08:30 秩父十三仏霊場・向岳山宝林院(5)
08:50 第25番・久昌寺(25)
09:35 柳大橋
10:05 第26番・円融寺(15)
10:45 岩井堂(10)
11:10 護国観音
昼食(30)
12:00 第27・大渕寺(10)
12:15 第28番・橋立寺(45)
鍾乳洞見物
13:35 第29番・長泉院(20)
15:40 秩父鉄道・白久駅(15)
16:20 第30番・法雲寺(30)
17:25 秩父鉄道・三峰口駅
歩行終了
●所要時間 9時間50分(歩行時間6時間10分+休憩時間3時間40分)
・・・休憩時間には昼食および各寺での滞在時間を含む
●歩行距離 約21キロ(毎時約3.5キロ)
ここからしばらく荒川沿いの県道72号を行く。
初夏の陽射しに武甲山が神々しい。

右手に急な石段が現れた。
第24番法泉寺である。
登ったところでやおら振り向いた景色は一幅の絵のよう。



山門と本堂が一体になっている(江戸中期の建築)
面白い言い伝えがある。
武州恋ヶ窪の遊女が口の中の痛みに悩んでこの観音に祈願したところ、修行者から爪楊枝をもらった。それで手入れしたら痛みがすっかり無くなった。以来、口腔の病に霊験ありと謳われるようになった。
一昔前の恋ヶ窪と言えば、大岡昇平&溝口健二の『武蔵野夫人』に出てくる武蔵野の森と豊かな水流を想起する。現在は堂々の住宅地である。こんなところに遊女がいたのである。果たして遊郭があったのだろうか?
調べてみると、鎌倉時代このかた恋ヶ窪は奥州方面から鎌倉・京都への交通の要衝で大きな宿場町だったそうである。となると、もちろん遊郭はあった。なんと源頼朝に仕えた秩父の武将畠山重忠と夙妻太夫(あさづまだゆう)の悲恋伝説が伝えられている。額絵の遊女は夙妻太夫その人か?
『武蔵野夫人』もそうであるが、恋ヶ窪というロマンチックな名前が人をして恋愛モードに突入させるのであろうか。
秩父には34ヵ所観音巡礼のほかに80年代に生まれた十三仏霊場(とみ参り)というのもある。その第4番が宝林院である。

県道沿いに生い茂る木々の間より荒川にかかる朱色の巴川橋(ともえかわばし)を望む。秩父の町は橋がユニークである。

水田に苗を植える男たち
観音堂の裏手に池があり、春は桜やカタクリ、夏は蓮、秋は曼殊沙華や紅葉、冬は雪景色と、四季折々の風情が水面に映えて、とても優美である。
岩屋に棲んでいた鬼女の伝説に見るように、昔は里人が近寄らぬ地だったらしいが、いまでは四季折々に訪ねたい秩父の隠れた名所と言えよう。


野原や民家の垣根に咲いた素朴な花々、犬を散歩させるおじさん、ゆったりした足取りで地区の公民館に向かう老人たち。田舎の休日らしい平和な光景である。今日はまだ二つの寺に参詣しただけであるが、心はすでに浄土にいるかのような夢見心地。何かが憑いているような、何かに歩かされているような、自分でない不思議な気持ちがする。


なるほど橋のたもとに柳の大木がある

スタンプラリーはどちらかと言えば男の道楽である。その昔、鉄道スタンプに凝っていた少年たちは長じて御朱印コレクターになるのかもしれない。(ソルティは乗り鉄であるが、スタンプには興味ない)
御朱印は本堂でもらえる。が、お参りすべき観音堂は山の上。ここから山歩き。
昭和電工の敷地内を通って、石段を登り琴平神社へ。その裏手から琴平ハイキングコースに入る。


巡礼路が敷地内を通っており警備員が道を教えてくれる



護国観音の足元でランチタイム。
眺望がすばらしい。
ベンチに腰かけていると、1.5m離れたあたりを全長3センチはあろう熊ん蜂が一匹飛び回っている。場所を変えようかと思ったが、慈悲の瞑想の効用を信じてそのまま食べ続けていたら、蜂は1.5mまで接近すると八の字を描くように離れていくことを繰り返していた。

白く塗り直したようだ。
レンタサイクルで札所を巡っている男子学生のグループと出会った。自転車だと(ところどころ歩いて)3日で回れると言う。御朱印は受けていない。たしかに「御朱印料300円×寺数」は学生の懐には厳しいだろう。感心な学生だ。


浦山口駅より武甲山登山口に向かう途上に第28番橋立堂はある。
12時を過ぎていたので、まず鍾乳洞見学。
券売所のおばあちゃんに「竹笠とリュックサックをここに置いていきなさい」と言われる。
「やれ助かる」と喜んだが、もっともな理由があった。
洞窟の中は身の丈160センチのソルティが始終中腰で歩かなければならない天井の低さ、ほとんど腹這いになって潜らなければならない箇所もあった。竹笠やリュックを身につけてはとても進めない。




お堂に向かって左手に大きな岩があり、そのてっぺんに中年の男の像が彫り出してある。
「だれ?」
御朱印をいただくときに納経所で聞いてみたら、なんと
「昭和天皇の弟の秩父宮殿下ですよ」
そう。いまでは秩父宮雍仁親王は秩父の守護神の一人なのである。



途中、浦山口駅そばの高架近くに不動名水という湧き水があった。飲用できる湧き水が電車の走る住宅街にある。昔の「あたりまえ」が、今では貴重にして「ぜいたく」。

浦山川を眼下に見下ろしながら、緩やかに登っていく。
浦山川は荒川の支流であり、日本屈指の大ダムと言われる浦山ダム(堤高156.0m)を有している。24番から25番へ向かう道中でその姿は遠く山間に望めたが、間近に見ることになるとは思わなかった。

長泉院では貫禄あるしだれ桜の古老が迎えてくれる。開花の頃は圧巻のいで立ちだろう。
境内は、しだれ桜、染井吉野、銀杏、椿、モミジ、ハナミズキ、百日紅(さるすべり)、竹、松、杉・・・・・と多彩な樹木が入り混じる中に、禅寺らしい枯山水の庭があって、とても落ち着ける。休日にこういう場所に来て、瞑想や思索や読書をしたり、弁当食って昼寝したり、友人と清談したりするのは気持ち良いことだろう。
考えてみたらお寺というのは元来、住民誰にでも開かれたひろばなのである。墓参りや法事の時だけ行く場所となってしまったのが凋落の一因である。
納経所では係の人が熱心に卒塔婆を書いていた。




仏を拝む 身こそたのもし
と言っても、30番直下の白久駅までほぼ秩父鉄道沿いの平坦な道なので、迷うことはあり得ないし、上手い具合に陽が陰っているので暑さでバテる心配もない。時間的にも十分余裕がある。
何も考えないで周囲の光景を楽しみながらタラタラと歩く。

こういうのを見ると元気が出る



武州中川駅と武州日野駅の間で安谷川を渡る。これもまた荒川に注ぐ渓流である。
安谷橋から延びる国道のはるか先に霞んで見えるのは、なつかしき四阿屋山ではなかろうか。
次回5時間歩きの最中に山麓を通過する予定である。

ランドセルを背負った学校帰りの小学生女子が駅前のベンチで寄り道していた。声をかけようかと思ったが、怪しいおじさんと思われる昨今なので止めておいた。悲しいご時世かな。

山間の静かなお寺で、空気が澄んでいる。早朝はさぞや素晴らしい霊気に満たされることだろう。
ご本尊の如意輪観音は、クレオパトラ、小野小町と並ぶ絶世の美女たる楊貴妃にまつわる謂れがある。美しくなりたい女子は(男子も)即刻参るべし。

納経所のそばのベンチで瞑想していたら、お寺の人と話す男の声が耳に入った。
「今日は14番から走って来たんですよ」
ええっ!
14番今宮坊は秩父の街中にある。そこから順に回って来たなら距離にして31キロ以上ある。8時からスタートして約8時間。途中休憩や17の寺での滞在時間を入れたら移動時間は正味4時間ほどか。相当のペースで走ってきたはずだ。
目を開けてみると、ソルティと同年代くらいのTシャツに短パン姿の男で、すっかり日に焼けた顔、アスリートらしい引き締まった体つきをしている。
男の話は続く。
「あと一日で満願する予定でいます」
ひゅう、やるなあ~。
速く巡ればいいというものではないけれど、全行程100キロをたった三日で走り抜く体力はうらやましい。

次回はいよいよ最終回。二日に分けて31番から34番の寺を回る予定である。
秩父鉄道三峰口駅を次回の出発点とするべく、そこまで歩いておく。


ここまでずっと行く手に武甲山を見据えていたが、ついにここで文字通り(鍾乳洞という形で)懐に入り、そこから飛び出して武甲山を背にすることになった。次回からは秩父のもう一つの名峰両神山を迎えることになろう。
一つ気づいたが、これほど秩父巡礼が心をくつろがせる理由の一つは、そこに見る風景が幼いころに遊んだ風景を思い起こさせるからである。80年代バブルはもちろん70年代日本列島改造計画以前の、60年代の郊外の風景である。
青々した水田があり、草ぼうぼうの野原があり、コンクリで囲われてない池があり、砂利道があり、路傍に花が咲き乱れ、鎮守の森があり、素朴な顔つきの子供たちが恥ずかしそうに挨拶をくれ、荷を背負った老婆が道を歩き、古くからの信仰や伝説が息づいている。
いつの間にやら40年以上前にタイムスリップして、過去の日本、過去の自分と出会うのである。
それが鍾乳洞の胎内巡りさながら、生まれ変わったように心をサラにしてくれるのではあるまいか。

