ソルティはかた、かく語りき

首都圏に住まうオス猫ブロガー。 還暦まで生きて、もはやバケ猫化している。 本を読み、映画を観て、音楽を聴いて、神社仏閣に詣で、 旅に出て、山に登って、瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

秩父事件

● 秩父34ヵ所札所めぐり 第3日(24番から30番)

 第3日は山歩きも含めての長丁場なので、翌日も休みの土曜日を選んだ。
 体力の低下よりむしろ体力の回復が課題の今日この頃である。あとあとの事を考えて慎重になってしまうのは寄る年波。若い時はあとの事など考えなくてよかった。人間の性質というのは体力に規定されるところ大きいとつくづく思う。

 舞台はいよいよ秩父の街を離れ、山裾から山間へと分け入っていく。そのわかりやすい徴しが第28番橋立寺にある鍾乳洞。石灰岩でできている武甲山の西端にあり、酸化した雨水によって彫琢された大自然の芸術である。
 古来、巡礼者はこの荘厳を見て何を思ったのだろう?


鍾乳洞
注:これは橋立鍾乳洞ではありません


●挙行日  2018年5月26日(土)
●天気   晴れのち曇り
●行程
07:25  西武秩父駅よりタクシー乗車
07:35  佐久良橋
        歩行開始
07:50  第24番・法泉寺(滞在15分、以下同)
08:30  秩父十三仏霊場・向岳山宝林院(5)
08:50  第25番・久昌寺(25)
09:35  柳大橋
10:05  第26番・円融寺(15)
10:45  岩井堂(10)
11:10  護国観音
        昼食(30) 
12:00  第27・大渕寺(10)
12:15  第28番・橋立寺(45)
        鍾乳洞見物
13:35  第29番・長泉院(20)
15:40  秩父鉄道・白久駅(15)
16:20  第30番・法雲寺(30)
17:25  秩父鉄道・三峰口駅
        歩行終了 
●所要時間  9時間50分(歩行時間6時間10分+休憩時間3時間40分)
       ・・・休憩時間には昼食および各寺での滞在時間を含む
●歩行距離  約21キロ(毎時約3.5キロ)

 西武秩父駅よりタクシーに乗り、前回巡礼路を離れた地点である佐久良橋へ。ワンメーター。
 ここからしばらく荒川沿いの県道72号を行く。
 初夏の陽射しに武甲山が神々しい。

秩父札所めぐり3日 001


 右手に急な石段が現れた。
 第24番法泉寺である。
 登ったところでやおら振り向いた景色は一幅の絵のよう。


秩父札所めぐり3日 002



秩父札所めぐり3日 003



秩父札所めぐり3日 004
法泉寺観音堂
山門と本堂が一体になっている(江戸中期の建築)


 境内ではお寺の関係者が掃除をしていた。お寺を清めることから一日を始めるのはさぞ気持ちいいことだろう。
 面白い言い伝えがある。
 武州恋ヶ窪の遊女が口の中の痛みに悩んでこの観音に祈願したところ、修行者から爪楊枝をもらった。それで手入れしたら痛みがすっかり無くなった。以来、口腔の病に霊験ありと謳われるようになった。
 一昔前の恋ヶ窪と言えば、大岡昇平&溝口健二の『武蔵野夫人』に出てくる武蔵野の森と豊かな水流を想起する。現在は堂々の住宅地である。こんなところに遊女がいたのである。果たして遊郭があったのだろうか?


秩父札所めぐり3日 005


 調べてみると、鎌倉時代このかた恋ヶ窪は奥州方面から鎌倉・京都への交通の要衝で大きな宿場町だったそうである。となると、もちろん遊郭はあった。なんと源頼朝に仕えた秩父の武将畠山重忠と夙妻太夫(あさづまだゆう)の悲恋伝説が伝えられている。額絵の遊女は夙妻太夫その人か?
 『武蔵野夫人』もそうであるが、恋ヶ窪というロマンチックな名前が人をして恋愛モードに突入させるのであろうか。
 
 第25番久昌寺に向かう途中に秩父十三仏霊場と書かれた幟を見かけた。
 秩父には34ヵ所観音巡礼のほかに80年代に生まれた十三仏霊場(とみ参り)というのもある。その第4番が宝林院である。

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宝林院普賢堂
 

 県道沿いに生い茂る木々の間より荒川にかかる朱色の巴川橋(ともえかわばし)を望む。秩父の町は橋がユニークである。

秩父札所めぐり3日 007
巴川とはこの付近を蛇行して流れる荒川の異名


秩父札所めぐり3日 008
振り向けば武甲山
水田に苗を植える男たち


 荒川を離れ、これまで左前方に仰いできた武甲山を背にする形で久昌寺に至る。
 観音堂の裏手に池があり、春は桜やカタクリ、夏は蓮、秋は曼殊沙華や紅葉、冬は雪景色と、四季折々の風情が水面に映えて、とても優美である。
 岩屋に棲んでいた鬼女の伝説に見るように、昔は里人が近寄らぬ地だったらしいが、いまでは四季折々に訪ねたい秩父の隠れた名所と言えよう。


秩父札所めぐり3日 009



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観音堂の傍らに祀られている像。役行者? 脱衣婆?


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弁天池の向こうに観音堂を望む


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本堂を望む


秩父札所めぐり3日 013
凶暴な性格のため村人から疎まれ岩屋に隠れ住んだ鬼女
思うにある種の精神障害だったのではなかろうか


 ここからしばらくのどかな里の道を辿り、下って荒川を渡り、上って秩父鉄道を超え、武甲山の麓に至る。
 野原や民家の垣根に咲いた素朴な花々、犬を散歩させるおじさん、ゆったりした足取りで地区の公民館に向かう老人たち。田舎の休日らしい平和な光景である。今日はまだ二つの寺に参詣しただけであるが、心はすでに浄土にいるかのような夢見心地。何かが憑いているような、何かに歩かされているような、自分でない不思議な気持ちがする。
「そうか。これが人が巡礼にはまる理由なんだなあ」


秩父札所めぐり3日 014
荒川で渓流釣り


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柳大橋
なるほど橋のたもとに柳の大木がある



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秩父鉄道影森駅付近


 第26番円融寺で数名の男たちを見かけた。みな御朱印をもらっていた。
 スタンプラリーはどちらかと言えば男の道楽である。その昔、鉄道スタンプに凝っていた少年たちは長じて御朱印コレクターになるのかもしれない。(ソルティは乗り鉄であるが、スタンプには興味ない)
 御朱印は本堂でもらえる。が、お参りすべき観音堂は山の上。ここから山歩き。
 昭和電工の敷地内を通って、石段を登り琴平神社へ。その裏手から琴平ハイキングコースに入る。


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第26番円融寺本堂


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昭和電工秩父事業所
巡礼路が敷地内を通っており警備員が道を教えてくれる


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琴平神社の境内にある土俵


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琴平ハイキングコース


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第26番観音堂(岩井堂)


 かつては山岳修行の地であった琴平ハイキングコースは、あなどることのできない鎖場や岩場もある。秩父観音巡礼の難所の一つと言える。ソルティは5年前に歩いている。

 護国観音の足元でランチタイム。
 眺望がすばらしい。
 ベンチに腰かけていると、1.5m離れたあたりを全長3センチはあろう熊ん蜂が一匹飛び回っている。場所を変えようかと思ったが、慈悲の瞑想の効用を信じてそのまま食べ続けていたら、蜂は1.5mまで接近すると八の字を描くように離れていくことを繰り返していた。


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5年前と比べると格段ときれいになっている。
白く塗り直したようだ。


 第27大渕寺も2度目。たかだか5年前であるが、まさか巡礼で再訪することになるとは思わなかった。
 レンタサイクルで札所を巡っている男子学生のグループと出会った。自転車だと(ところどころ歩いて)3日で回れると言う。御朱印は受けていない。たしかに「御朱印料300円×寺数」は学生の懐には厳しいだろう。感心な学生だ。


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第27番大淵寺月影堂


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護国観音(左上)が邪気を払う


 秩父鉄道沿いの小道をしばらく歩く。
 浦山口駅より武甲山登山口に向かう途上に第28番橋立堂はある。
 12時を過ぎていたので、まず鍾乳洞見学。
 券売所のおばあちゃんに「竹笠とリュックサックをここに置いていきなさい」と言われる。
 「やれ助かる」と喜んだが、もっともな理由があった。
 洞窟の中は身の丈160センチのソルティが始終中腰で歩かなければならない天井の低さ、ほとんど腹這いになって潜らなければならない箇所もあった。竹笠やリュックを身につけてはとても進めない。


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ここから入る。天然クーラーの爽やかな冷気。


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この岩の中を登っていく(内部は撮影禁止)


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ここから出る。10分間200円の胎内巡り。


 馬頭観音を祀った観音堂は、岩壁の足下にある。
 お堂に向かって左手に大きな岩があり、そのてっぺんに中年の男の像が彫り出してある。
「だれ?」
 御朱印をいただくときに納経所で聞いてみたら、なんと
「昭和天皇の弟の秩父宮殿下ですよ」
 そう。いまでは秩父宮雍仁親王は秩父の守護神の一人なのである。




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第28番橋立堂


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秩父宮雍仁親王


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馬頭観音は交通の守り神


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茶屋の前は置き物がにぎやか


 第29番長泉院まで約30分。
 途中、浦山口駅そばの高架近くに不動名水という湧き水があった。飲用できる湧き水が電車の走る住宅街にある。昔の「あたりまえ」が、今では貴重にして「ぜいたく」。


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 浦山川を眼下に見下ろしながら、緩やかに登っていく。
 浦山川は荒川の支流であり、日本屈指の大ダムと言われる浦山ダム(堤高156.0m)を有している。24番から25番へ向かう道中でその姿は遠く山間に望めたが、間近に見ることになるとは思わなかった。

秩父札所めぐり3日 040
浦山ダム


 長泉院では貫禄あるしだれ桜の古老が迎えてくれる。開花の頃は圧巻のいで立ちだろう。
 境内は、しだれ桜、染井吉野、銀杏、椿、モミジ、ハナミズキ、百日紅(さるすべり)、竹、松、杉・・・・・と多彩な樹木が入り混じる中に、禅寺らしい枯山水の庭があって、とても落ち着ける。休日にこういう場所に来て、瞑想や思索や読書をしたり、弁当食って昼寝したり、友人と清談したりするのは気持ち良いことだろう。
 考えてみたらお寺というのは元来、住民誰にでも開かれたひろばなのである。墓参りや法事の時だけ行く場所となってしまったのが凋落の一因である。
 納経所では係の人が熱心に卒塔婆を書いていた。


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入口のしだれ桜


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どことなく中華風、なんとなく洋風な石札堂


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分けのぼり 結ぶ笹の戸 おしひらき
仏を拝む 身こそたのもし 


 さて、いよいよ本日一番にして、これまでの三日間で一番の長丁場。第30番法雲寺まで7.1㎞、約2時間を歩く。
 と言っても、30番直下の白久駅までほぼ秩父鉄道沿いの平坦な道なので、迷うことはあり得ないし、上手い具合に陽が陰っているので暑さでバテる心配もない。時間的にも十分余裕がある。
 何も考えないで周囲の光景を楽しみながらタラタラと歩く。


秩父札所めぐり3日 045
地域の人が用意してくれた休憩所
こういうのを見ると元気が出る


秩父札所めぐり3日 046



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振り向けば武甲山が最後の挨拶している


秩父札所めぐり3日 048
国道140号より熊倉山1,427mを望む


 武州中川駅と武州日野駅の間で安谷川を渡る。これもまた荒川に注ぐ渓流である。
 安谷橋から延びる国道のはるか先に霞んで見えるのは、なつかしき四阿屋山ではなかろうか。
 次回5時間歩きの最中に山麓を通過する予定である。


秩父札所めぐり3日 049


 白久駅待合室で15分の休憩。昔ながらの駅舎が好ましい。
 ランドセルを背負った学校帰りの小学生女子が駅前のベンチで寄り道していた。声をかけようかと思ったが、怪しいおじさんと思われる昨今なので止めておいた。悲しいご時世かな。


秩父札所めぐり3日 050


 白久駅から30分弱の登りで法雲寺に到着。
 山間の静かなお寺で、空気が澄んでいる。早朝はさぞや素晴らしい霊気に満たされることだろう。
 ご本尊の如意輪観音は、クレオパトラ、小野小町と並ぶ絶世の美女たる楊貴妃にまつわる謂れがある。美しくなりたい女子は(男子も)即刻参るべし。



秩父札所めぐり3日 052
 


秩父札所めぐり3日 053



秩父札所めぐり3日 051



 本日の巡礼はこれにて終了。
 納経所のそばのベンチで瞑想していたら、お寺の人と話す男の声が耳に入った。
「今日は14番から走って来たんですよ」

 ええっ!

 14番今宮坊は秩父の街中にある。そこから順に回って来たなら距離にして31キロ以上ある。8時からスタートして約8時間。途中休憩や17の寺での滞在時間を入れたら移動時間は正味4時間ほどか。相当のペースで走ってきたはずだ。
 目を開けてみると、ソルティと同年代くらいのTシャツに短パン姿の男で、すっかり日に焼けた顔、アスリートらしい引き締まった体つきをしている。
 男の話は続く。
 「あと一日で満願する予定でいます」

 ひゅう、やるなあ~。

 速く巡ればいいというものではないけれど、全行程100キロをたった三日で走り抜く体力はうらやましい。

秩父札所めぐり3日 054
第30番納経所


 次回はいよいよ最終回。二日に分けて31番から34番の寺を回る予定である。
 秩父鉄道三峰口駅を次回の出発点とするべく、そこまで歩いておく。



秩父札所めぐり3日 055
薄暮の谷間に沈む白久駅


秩父札所めぐり3日 058
秩父鉄道三峰口駅


 今回の巡礼は札所七ヶ所のみで、そのぶん歩く時間が長かった。距離的には第1日とほぼ同じであるが、山歩きもあったので「ほんとによく歩いた」という気がした。
 ここまでずっと行く手に武甲山を見据えていたが、ついにここで文字通り(鍾乳洞という形で)懐に入り、そこから飛び出して武甲山を背にすることになった。次回からは秩父のもう一つの名峰両神山を迎えることになろう。

 一つ気づいたが、これほど秩父巡礼が心をくつろがせる理由の一つは、そこに見る風景が幼いころに遊んだ風景を思い起こさせるからである。80年代バブルはもちろん70年代日本列島改造計画以前の、60年代の郊外の風景である。
 青々した水田があり、草ぼうぼうの野原があり、コンクリで囲われてない池があり、砂利道があり、路傍に花が咲き乱れ、鎮守の森があり、素朴な顔つきの子供たちが恥ずかしそうに挨拶をくれ、荷を背負った老婆が道を歩き、古くからの信仰や伝説が息づいている。
 いつの間にやら40年以上前にタイムスリップして、過去の日本、過去の自分と出会うのである。
 それが鍾乳洞の胎内巡りさながら、生まれ変わったように心をサラにしてくれるのではあるまいか。



秩父札所めぐり3日 038
この道はいつか見た道



秩父札所めぐり3日 039



 6時間かけて歩いてきた道程を、秩父鉄道でわずか15分で出発点に戻った。




第4日に続く。












● 秩父34ヵ所札所めぐり 第2日(12番から23番)

 第1日を終えてからというもの、早くまた秩父に行きたくて仕方なかった。
 毎晩のように巡礼マップや各札所の案内を読んで心を秩父に飛ばしていた。秩父が舞台のアニメ映画『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』と『心が叫びたがってるんだ。』を視聴した。
 すっかり秩父と巡礼の魅力にとりつかれてしまった。


秩父札所めぐり2日 049
いらっしゃ~い!(三枝ふうに)


●挙行日  2018年5月10日(木)
●天気   くもり時々雨、のち晴れ
●行程
07:30  西武鉄道・西武秩父駅出発
07:50  第12番・野坂寺
08:30  第13番・慈眼寺
08:45  今宮神社
09:00  第14番・今宮坊
09:20  第15番・少林寺
09:40  秩父神社
10:15  ファミリーマート
        休憩(25分)
10:50  第16番・西光寺
11:20  第17番・定林寺
11:50  第18番・神門寺
        休憩(25分)
12:35  第19番・龍石寺
12:55  秩父橋
13:10  第20番・岩之上堂
        昼食休憩(50分)
14:15  第21番・観音寺
14:40  第22番・童子寺
15:20  第23番・音楽寺
16:30  佐久良橋
17:00  西武秩父駅着
●所要時間  9時間30分(歩行時間4時間40分+休憩時間4時間50分)
       ・・・休憩時間には昼食休憩および各寺での滞在時間(10~40分)を含む
●歩行距離  約17キロ(毎時約3.6キロ)


 当初の計画では第25番久昌寺まで打って、秩父鉄道影森駅より帰途につく予定であった。が、途中で無理と判断し、第23番で切り上げて出発点の西武秩父駅に戻った。
 思った以上に各寺社での滞在時間が伸びたことが理由の一つ。面白い、気持ちいい、見所あるお寺がたくさんあって、御朱印だけもらって「はい、さよなら」というのはあまりにもったいなかった。
 いま一つの理由は天候である。予報では「曇りのち晴れ」だったのだが、澄み切った青空を覗かせながらも重い黒雲の塊りが次々とやって来ては流れ去り、「晴れたり曇ったり降ったり」の繰り返し、ところどころ雨宿りしたからである。
 ちなみに、札所でお経をあげ御朱印をもらうことを「打つ」と言う。


秩父札所めぐり2日 068



 早朝、西武秩父駅に到着。
 土砂降りの中をサラリーマンや高校生が飛び込むように駅構内に入ってくる。待合室で身支度を整え、慈悲の瞑想を行っているうちに小降りになった。リュックをビニール袋でおおい、竹笠をかぶり、いざ出発。


秩父札所めぐり2日 001


 第12番野坂寺は芝桜で有名な羊山公園の丘陵を背に、街はずれの緑濃い静かな一角に立つ。雨に洗われた樹々が美しく、心が清められる気がする。巡礼のスタートを切るには最高の札所である。山門では当地で昔活躍した伝説の牛が見送ってくれた。

秩父札所めぐり2日 002


 雨上がりの道を西武秩父駅までいったん戻る。御花畑駅を右手に見ながら秩父鉄道の踏切を渡ると第13番慈眼寺はもう目の前。34の札所中、一番の繁華街にある。
 と言ってもそこは秩父。境内は夏休み早朝に近所の人が集まってラジオ体操するのに恰好の雰囲気である。ここは以前参拝した。

秩父札所めぐり2日 003


 第14番今宮坊に行く途中に今宮神社がある。明治初年の神仏分離令の前は、この神社と今宮坊の観音堂を合わせて八大権現社といったそうである。現在は両者間に住宅が立ち並んでいるが、もとはとても広い社地を誇っていたのである。神社は本殿を再建中で仮の参拝所が設けてあった。その横の大ケヤキのド迫力。
 パワ―スポット認定!

秩父札所めぐり2日 005


秩父札所めぐり2日 004
樹齢1000年を越えるという 幹の周囲は約7.9m


秩父札所めぐり2日 006
今宮坊


 第15番少林寺に行く道は秩父市内で最も賑やかな界隈で、車や人の往来が盛ん。一歩路地に入るとローカル色の濃い面白そうなお店、美味しそうなお店が並んでいる。そちらに気を取られているとつい見落としてしまいそうな路地の奥の、秩父鉄道の小さな踏切りを超えた向こうに、少林寺が奥ゆかしくたたずんでいる。

秩父札所めぐり2日 007
モダンなような、なつかしいような


秩父札所めぐり2日 011
秩父鉄道踏切(本日幾度も超えることになる)


秩父札所めぐり2日 010


 ここは秩父事件と関連の深いお寺である。
 秩父事件とはなにか。

 1884年埼玉県秩父郡で起った自由党員と農民の蜂起事件。いわゆる自由民権運動における激化諸事件の一つ。当時,松方デフレ政策の影響を受けて養蚕,製糸業を主業とする多摩,秩父地方の農家の大半は窮境に陥り,高利貸からの借金に頼らざるをえなくなった。
 このため,井上伝蔵ら秩父の指導者は警察や高利貸に対して請願を続けていたが,84年2月,大井憲太郎の秩父遊説を機に自由党に入党。そして,同8月秩父困民党を結成し,同郡大宮郷の顔役であった田代栄助を総裁とした。
 彼らは運動の目標を,借金の 10年据置き,40年賦返済,校費雑収税,村費の減免などにおき,陳情,請願を続けた。しかし,10月井上ら指導者たちは合法運動に限界を感じ,武力による目的実現へと準備を開始するにいたった。
 11月1日同郡下吉田村椋神社に数千名の武装農民が結集,翌2日大宮郷を占拠した。暴動発生を知った埼玉県当局は憲兵隊派遣を要請,3日憲兵隊が出動したが,農民軍に敗れ退却。4~5日東京鎮台兵2個大隊が出動するに及んで,同5日農民軍は制圧された。
 事件後,田代ら7名の死刑を含め,有罪 3386名が確定した。
(出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)

 上記に大宮郷とあるのが、現在の秩父市である。
 思うに、秩父という土地柄、地域性、気風をうかがうには、この秩父事件を抑えておく必要があるのではないか。古来ヤマトタケル(三峰神社)や平将門(城峯神社)を英雄視する土地の人の心性も重ね合わせて、お遍路の先輩である四国と同じような反官意識、反骨精神が根付いているのではなかろうか。
 少林寺にはこのとき出動した官軍側の殉職警官2名の墓(下写真)がある。いまや解読不能の碑文は時の内閣総理大臣山形有朋が書いたものである。


秩父札所めぐり2日 009


秩父札所めぐり2日 008
少林寺境内より武甲山をのぞむ


 秩父鉄道を渡り返した目と鼻の先に、ご鎮座2100年と言われるちちぶ国の総鎮守・秩父神社がある。ご祭神は次の四神。
  • 八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)・・・・天岩戸にこもった天照大御神を外に引っ張り出す知恵を考え出した神
  • 知知夫彦命(ちちぶひこのみこと)・・・・ちちぶ国の初代国造
  • 天之御中主神(あめのみなかねのみこと)・・・・この世に最初に現れた神 
  • 秩父宮雍仁親王(ちちぶのみややすひとしんのう)・・・・昭和天皇の弟。登山やスポーツを愛好した。
 広い境内は凛と清らかな空気に包まれて、まぎれもないパワースポット。やはり、寺より神社のほうが一般に‘気’は高いようである。
 本殿の周囲には左甚五郎作と言われる虎や龍の彫刻が見られる。


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日光東照宮とは逆に「よく見・よく聞き・よく話す」のお元気三猿


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左甚五郎作:つなぎの龍


 境内にいる間に雲間より陽が差してきた。喜んだのも束の間、国道沿いのファミリーマートでコーヒーブレイクしていたら、いきなり土砂降りに。店内の喫茶スペースから窓越しに見上げる空にはどす黒い雲が・・・。 
 傘を買うかどうか迷っていたら、やがて雲は通り抜けて雨はやんだ。タイミング良き雨宿り。


秩父札所めぐり2日 016


 国道を渡り住宅街に入る。入り組んだ路地に道標を探しつつ、第16番西光寺(さいこうじ)に向かう。分岐に立つ井上工務店の道標がありがたい。


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 西光寺は南国のお寺といった風情。豊かな緑の中に茅葺き屋根の酒樽が置かれているためであろうか。この酒樽の中には商売繁盛の大黒天が祀られていて、様々な企業の名刺が散らばっていた。
 真言宗豊山派のここには四国八十八ヶ所の本尊が祀られた回廊がある。黄金の仏像が居並ぶ回廊は神秘的。 

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秩父札所めぐり2日 018


 道中も面白い。
 ユニークなお店や家屋、植物などを見かけると、思わず立ち止まってデジカメに手が伸びてしまう。


秩父札所めぐり2日 022
ベタな店名
おそらく店主はオペラ好き?


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便所たわしの木(ソルティ命名)

秩父札所めぐり2日 023


 第17番定林寺(じょうりんじ)は『あの花』のメッカ(聖地)である。幼いメンマやアナルやジンタンやポッポがかくれんぼうした舞台である。
 鎮守の森に囲まれたひっそりと目立たぬ境内は、ソルティが子供の頃遊んだ近所の神社を髣髴とさせ、懐かしさを覚えた。
 納経所では『あの花』の登場人物を描いた絵馬が売られており(一枚800円)、今もアニメファンが訪れているのが知られる。寺の関係者や近所に住む者にしてみれば、降って湧いたようなブレイクであろう。

秩父札所めぐり2日 028


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 すっかり晴れて、汗ばんできた。
 第18番神門寺(ごうどじ)は、東に進んで秩父鉄道を渡り(本日4度目)、国道140号にぶつかったら左折する。前回最初に和銅黒谷駅から歩いたのが、この国道であった。すいぶん前のことのような気がする。
 ふと気づくと12時前である。納経所は正午より12時半まで休憩に入る。間に合わなかったら第18番で30分以上の足止めになる。
 「12時までに打たなければ・・・」
 急ぎ足になる。
 無事5分前に到着し、読経を後回しにしてまず納経所に飛び込み御朱印をもらう。
 間に合った

秩父札所めぐり2日 030


 境内からは国道の車の往来が見え、喧騒の中にある。
 にしては、落ち着く。
 お堂の前に参詣者が休憩できる東屋があり、暑さや寒さをしのいで腰を下ろし、一服することができる。今も初老の巡礼者がくつろいでいるのが見える。
 読経を終え、東屋に入って持参したスポーツドリンクを飲み、今後の計画を練る。正午までに第19番まで打って秩父橋を渡っておきたかったのであるが、すでに1時間近い遅れが生じている。これから速足で取り戻そうか?
 ちょっと迷った挙句、決心した。
「予定は捨てる。のんびり楽しみながら行けるところまで行こう」
 いまさっき第18番からの道を急ぎ足で脇目もふらずに来たことを後悔した。途中、気になる大師堂が目の隅に見えたのに、無視して通り過ぎてしまった。
 巡礼はスタンプラリーではない。オリエンテーリングでもない。競歩大会でもない。
 「いまここにある」ために歩く。気づきをもって歩くのだ。
 そう悟った瞬間、目の前のテ-ブルに活けられた紫色の花に気がついた。檀家の手によるものだろう。参詣者が心地よく過ごせるよう、無事満願できるよう、心を込めて活けてくれたのだろう。このお寺の落ち着いた雰囲気の秘密はきっとここにある。その花の名前を僕はまだ知らない。


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第18番神門寺の休憩所


 気分新たに国道に戻る。しばらくして国道を離れ、5度目の秩父鉄道越え。道は荒川に向かってじょじょに下っていく。

 第19番龍石寺は、巨大な水成岩の岩盤上にある。空も境内も広く、解放感がある。
 ここは、閻魔大王や三途の川の脱衣婆が祀ってあったり、茶筅塚があったり、プラスチックの赤ちゃん人形が飾られていたり、ちょっと風変わりな印象。
 茶筅塚は初めて見た。納経所で聞くと、地元に有名なお茶の先生がいた関係らしい。


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閻魔大王

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茶筅塚

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 龍石寺のよって建つ岩盤を見上げるように回り込み、くねくね道をたどっていくと、不意に秩父橋が出現する。
 荒川だ。
 橋の上から見る景色は疲れを忘れさせる爽快さ。


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 第20番岩之上堂はその名のとおり荒川沿岸の崖の上にある。この秩父橋から20番、そして21番へと続く道が、今回一番の快適ポイントであった。いにしえの旅人も同じような風景に心を休ませたのだろうと思われる。

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 岩之上堂はまるでジャングルか熱帯植物園のような生き生きした緑に包まれて、異次元ポケットにでも入り込んだような気分になる。生命力あふれるお寺である。

 
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お堂の中に吊るされた布製のお守り 「お猿さん」という

 居心地よさそうな東屋があったので、笠を脱いでここで昼食とする。
 メニューは山歩きの定番。
 おにぎり2個、イワシのかば焼き(缶詰)、枝豆、ゆで卵、お茶。


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蓮池にウグイスという不思議な取り合わせ


 なんたることか。
 食べ始めて5分したら猛烈な雨が降ってきた。屋根を打つ音からするにヒョウも混じっているらしい。さっきまで晴れていたのに????
 もっと驚いたことに、食べ終わって足揉みして、「そろそろ行くべ」と腰を上げると、つと雨が上がった。慈悲の瞑想の効用であろう。

 ここからは県道72号を武甲山を左前方に眺めながら歩く。
 第21番観音堂では入口に並ぶ赤い胸かけした六地蔵が、一家の主人を見送るイギリスの従僕たちのようである――なんて罰当たりな・・・。
 
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 第22番童子堂もまた面白い。
 茅葺き屋根の山門のたたずまいはキノコのよう。近寄って柱を覗いて思わずにんまり。怖い顔した仁王様が左右に侍しているかと思えば、さくらももこの漫画の登場人物を思わせる剽軽な風貌の仁王様。



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阿形

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吽形


 開山は遍照僧正(816‐890)と言う。百人一首の「天つ風 雲の通ひ路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ」の作者である。桓武天皇の孫とも言われる高貴な方が本当にこんな秩父くんだりまで来たのだろうか? ありえない。
 伝承によると、915年に一帯で天然痘が流行し沢山の子供が亡くなった。観音堂から湧き出た清水を薬にすると、病はたちどころに治った。その後、子供を病から救う観世音信仰が広まり「童子堂」の名がついたそうだ。
 真偽はともあれ、古来より貞子まで、天然痘ほど恐れられた病はなかった。


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第22番額絵


 このあたりから、荒川にかかる秩父公園橋のアーティスティックな巨大な山型の橋梁が目立つ。手前にある橋が大きく眼に映る関係で、武甲山とほぼ同じ大きさに見える。まるで双子山のよう。と思っていたら、歩いているうちに角度が変わって、二つの山が一つに重なった。そのように計算されて設計されたに違いない。


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 第23番音楽寺は秩父ミューズパークに続く丘の上にある。傾斜はなだらかだが、一日歩いてきた身には結構こたえる登り道。ここを最後に打って一日を終えるのが正解かもしれない。
 音楽堂という風雅な名前のためか、ゲンをかついだ音楽関係者がヒット祈願に訪れている。観音堂の脇には歌手のポスターやコンサートのチラシが一面貼られていた。知っている歌手はいなかった。


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 楽しそうなミーハー系のお寺と思っていたら大間違い。ここは第15番少林寺同様、秩父事件にゆかりの深い史跡でもある。
 上記の「秩父事件」説明文の中にあるように、数千名の武装農民が下吉田村椋神社に結集したあと、襲撃開始の出発点としたのがこの音楽堂なのである。秩父の町全体を見下ろす地点にあるので、状況を伺うのにも士気を高めるのにも都合よかったのであろう。

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「われら秩父困民党 暴徒と呼ばれ暴動といわれることを拒否しない」


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この鐘の乱打を合図に秩父市内に突入した


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 お堂をさらに登ったところに、秩父札所の開設にかかわる13人の聖者の石仏が並んでいる。閻魔大王、具生神といった悪玉キャラ、花山法王、白河法皇といった煩悩まみれキャラが入っているのが面白い。

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倶生神(くしょうじん、skt:Soha-deva)は、人の善悪を記録し死後に閻魔大王に報告するという二神のこと。倶生とは、倶生起(くしょうき)の略で、本来は生まれると同時に生起する煩悩を意味する。人が生まれると同時に生まれ、常にその人の両肩に在って、昼夜などの区別なく善悪の行動を記録して、その人の死後に閻魔大王へ報告する。(ウィキペディア「倶生神」)

 納経所で御朱印をもらい、そばにあったベンチで松風に吹かれる。五色の仏教旗がはためいて、パラパラと雨が落ちてきた。今日は座ると降る。

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 第23番と第24番のほぼ中間地点に佐久良橋がある。この橋で荒川を渡って道なりにずっと進むと、第13番慈眼寺を脇に見て、秩父鉄道を超え(6度目)、西武秩父駅に戻れる。ちょうど良いゴールである。
 次回はこの佐久良橋からスタートすればよい。

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 今回は平日を選んだせいか巡礼者は少なく、とくに徒歩組は4~5人しか出会わなかった。朝方の天候が悪かったためもあろうか。
 秩父の街中から始まり、じょじょに郊外に出て、荒川を渡って里山を歩くコースだった。ちょうど一日目と逆の展開である。街中も面白いけれど、やはり気持ちいいのは野道や山道。次回からだんだんと道は険しさを増していき、幽谷の風情が漂ってくるはず。楽しみだ。


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西武秩父駅跨線橋から本日歩いたあたりを望む


 帰りは西武秩父線・横瀬駅で途中下車して、徒歩10分の武甲温泉に浸かる。傍らを流れる横瀬川には200匹を超えるこいのぼりが風に泳いでいた。


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第3日に続く。

 

● 大喜利は大展望の :大霧山(767m、埼玉県秩父)

日時 2017年12月30日(土)
行程
09:40 西武秩父駅・タクシー乗車(2530円)
09:50 定峰バス停
    歩行開始
10:10 定峰神社
10:50 パワースポットの森
11:10 旧定峰峠
12:00 山頂
    昼食休憩
12:50 下山開始
13:15 粥仁田峠
14:00 橋場バス停
    歩行終了
14:12 イーグルバス乗車
14:40 東武東上線・小川町駅着
最大標高差 570m
所要時間 4時間10分(歩行3時間10分+休憩1時間)

 前回は2012年7月15日に登っている。そのときは曇りがちでガイドブックに謳われている「山頂からの大展望」が得られなかった。
 今回は眺望の冴える初冬の晴天を選んだ。
 リベンジだ~! 
 と、勢い込んで西武秩父駅に到着したら、定峰行きのバスがなかった。むろん事前にネットで土日祝の時刻表を調べて09:20発のバスに乗るつもりでいた。が、駅のバス停に貼られた紙を見ると「12月30日~1月×日」は年末年始スケジュールだと!
 09:20のバスはなく次は11時台。
 そ、そんな・・・・。

 気を取り直してタクシーを使う。

ソルティ 「年々、お正月気分ってのがなくなりますねえ」
運転手  「ほんとにね。元日も午後2時過ぎたら、もう人が出てきますから。それに昔のように子ども達も凧揚げだ羽根つきだと、外で遊ばなくなりましたね」
ソルティ 「ああ、お正月だけの風景が見られなくなりましたね。餅つきも最近やってるとこ見かけませんね」

・・・などとお正月らしい会話をしているうちに目的地に到着。


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 定峰バス停から、来た道を3分ほど戻った右手に定峰神社へとつながる小道がある。前回はこの入口がわからず遠回りしてしまった。今回は「定峰神社」と書かれた石碑をしっかり確認し、ちょうど通りがかった地元のお爺さんにも教えられ、「お達者で!」と見送られて登り道に入る。


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 定峰神社は天正11年(1583年)創建。祭神は伊弉諾(イザナギ)、伊邪那美(イザナミ)、菊理姫(ククリヒメ)、八意思金(オモイカネ)、大山祓(オオヤマヅミ)、市杵嶋姫(イチキシマヒメ)、素戔嗚(スサノオ)と盛沢山。いくつかの神社が明治の頃に合祀されたようだ。小さい地味な神社だが手入れは行き届いており、清新な空気が気持ちよい。土地の人々が大切にしているのを感じる。

 前回もそうだったが、道標が十分でなく途中どっちに行っていいのか迷ってしまうところがある。(とくに車道によって山道が寸断されるところ)
 こんなときにたよりになるのは、長年の山登りの勘と道端の古い石碑である。「白山大権現」と刻まれた石が正しい登山路を教えてくれた。

大霧山2017 007
定峰神社のもともとの祭神は白山権現
すなわち菊理姫命だったようだ


 山道を歩きながら、いろいろなことを考える。
「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば・・・」
――なんて高尚なことではなく、今年あったもろもろ、来年やりたいこと、今後の人生設計、仏道修行についてe.t.c.である。せっかく秩父くんだりまで足を伸ばして新鮮な大気に触れたというのに、街の思考や日常意識をそのまま運んでいる。山歩きそのものを楽しめていない。自分でもそのことに気づいて一歩一歩に注意を向けるようにするのだが、知らぬ間に思考に乗っ取られてしまう。
 と、その時。

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パワースポット(埼玉県森林公社管理の森らしい)

 さっと目の前に広がった杉木立の森とその空間に満ちている清浄な‘気’に接触したとたん、思考のおしゃべりが止んで日常意識が吹っ飛んだ。
 意識は「いま、ここ」に収斂した。
 これこそパワースポットの威力。自我の放つちっぽけでいじましい‘気’を一瞬にしてどこかに追い払って、場の持つ力強く生き生きとした‘気’を全身に浸透させる。意識が山と一体化する。
 すると、木を駆け下りるムササビに出会ったり、枯木立の下に生える鮮やかな緑に気づいたり、裸の木々の間にのぞく穏やかな峰のつくるスカイラインに心安らいだり、純粋に山歩きを楽しめた。自らの思考を背中のリュックサックに入れて自由に扱えるようになった。


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旧定峰峠

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三方を一枚岩の壁で囲まれた可愛らしい祠がある


 正午ちょうどに山頂到着。

大霧山2017 017
リベンジ完了!

大霧山2017 018
山頂にある展望板


 南西(武甲山)から北東(日光男体山・女峰山)まで200度以上の展望が見事に開けている。
 晴天で空気が乾燥している上に、都心は仕事納めで排気ガスがほとんどない。
 澄みきった青空の下のダイヤモンドのように眩い景観にしばし我を忘れた。


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左端の三角が秩父の親分格・武甲山


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左端のテーブル状が信仰の山・両神山(りょうがみやま)


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両神山の脇に赤岳・横岳・蓼科山がのぞく


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雲の下に白くけぶるは浅間山


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北側には谷川連峰・尾瀬の連山が並ぶ


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赤城山~日光男体山を背景に利根川が太田市を洗う


 山頂は時に冷たい風が吹くも日当たりがよく、弁当を食べた後は同じ年頃の単独行の男と世間話をした。男がネットからプリントアウトしたという帰りのイーグルバスの時刻表を見せてもらったところ、ソルティのプリントアウトしたものと違っていた。
「やれやれ、また年始年末バージョンか・・・」

 下山はスイスイとあっという間に粥仁田峠に着いた。

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 ここには昭和60年に建てられた粥仁田地蔵というのがある。横に立っている石碑にその謂れが刻まれていた。

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 要は、昭和57年に封切られた秩父事件を描いた映画『山襞の叫び』(渡辺生監督)の製作の際、使われなかったフィルムが膨大に残った。それを捨てるに偲びず、事件に関係の深い粥仁田の地に埋めて地蔵を建てて供養した。
 なんと、映画のフィルム供養のお地蔵様なのである。そんな地蔵尊はじめて聞いた。
 前回は気づかなかったのに今回気づいたのも縁だろう。『山襞の叫び』を観たいものである。


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 大霧山を崇めるような庚申塔の石碑


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 橋場バス停
ソルティの時刻表が正しかった。山頂で会った男よ、無事帰還したか?


 大みそか前日、それほど有名でもなくアクセスもさして良くない山に登る酔狂者は自分一人くらいだろうと思っていた。
 が、蓋をあけてみたら10名(うち5名は単独行の中年男性)と犬2匹と出逢った。
 ソルティ同様、年の締めくくりに山の大気で禊ぎし、壮麗な景色で心を清めたいという人間が多いのであろうか。

大霧山2017 002


大霧山2017 001


 小川町駅近くの温泉「かわらの湯」で一年の体と心の垢を落とす。
 終わりよければすべてよし。












● 炎天苦行:城峰山(1,038m、埼玉県秩父)

●歩いた日  7月9日(火)
●天気     晴れ、ときどき曇り
●行程
09:05 西武秩父駅発「吉田元気村行」バス乗車(西武観光)
10:00 「万年橋」停留所着
      歩行スタート
10:35 加藤織平の墓
11:30 城峰神社大鳥居
11:50 男衾登山口
12:30 休憩所
13:00 城峰神社
13:30 山頂
      昼食休憩
15:00 下山開始
16:30 西門平登山口
16:50 「小前」停留所
      歩行終了
17:30 秩父鉄道「皆野」駅着
●所要時間  6時間50分(歩行4時間40分、休憩2時間10分)

 西武秩父駅ロータリーは、強い日差しに焙られていた。
 セメント採掘のため露わになった山肌が、皮膚を剥かれた因幡の白兎さながら痛々しい武甲山が、陽炎の向こうに揺らめいて見える。

城峰山 001


武甲山


 万年橋バス停で降りると、道路わきには城峯神社の入口を示す立派な石柱が立っていた。 
 しかし、ここからが長い。車道を1時間40分も歩かなければならない。

城峰山 002


 35度を超える炎天下に山登りに行く自分とはなんだろう?
 マゾか? 苦行好きか? 罪ほろぼしか?
 せっかくの休日。クーラーの効いた自分の部屋か落ち着いた雰囲気の喫茶店で、本でも読んでいればよいものを、こうやって熱中症になるリスクを背負い、重いリュックを抱えて何キロも歩くとき、捕虜の行軍を連想するのである。倒れたら置いて行かれて野垂れ死にだ。歩け、歩け!


 途中にある加藤織平の墓で一服する。
 この人は秩父事件の主要人物の一人である。
 秩父事件とは、1884年(明治17年)、政府の悪政を批判し、貧民の救済を訴えた日本近代史上最大の農民蜂起。目的は、暴力行為を行わず、高利貸しや役所等の帳簿を破棄し、租税の軽減を請願することにあったとされる。その副総理(組織のNo.2という意味)を務めたのが加藤織平である。
 事件は政府によって鎮圧され、加藤を含む首謀者らは死刑となる。享年36歳。
 貧しきものの味方、村の英雄といったところだろう。
 この頃の日本人は血気盛んというか、沈黙した羊ではなかったのだ。

城峰山 003



 全身汗だくで、シャツもパンツも帽子代わりに頭に巻いたタオルもぐっしょりと濡れて重くなった頃、神社の大鳥居に到着。白銀色の立派な鳥居である。


城峰山 007


城峰山 009


 が、まだまだ半分来たばかり。ここから山登りが始まる。
 民家を周り込んで、道を横切る蛇をまたいで、裏から崖を登ると、ようやっと待ちに待った木陰に入る。
 登りはきつくなるが、せせらぎを聞きながら梢を揺らす微風を肌に感じれば、山登りに来た喜びが湧き上がってくる。100分の炎天下行路も報われる爽快さ。行けども行けども人の姿が見あたらないのも悦びを増幅する。

城峰山 010

 
 すくっと頭をもたげた不気味ないでたちはマムシグサ。青い実をつけているのは雌株だが、この草は栄養状態によって性を変えるというから面白い。当然、栄養が充足すれば雌株になるのだろう。

城峰山 012


城峰山 011


 休憩所でしばし休んで、最後の一登りで城峰神社に到達。
 キャンプ場があって、ここまで車で登って来られるのはなんとも興ざめであるが、平日の猛暑のせいか、やはり人も車も姿が見えない。
 ゆっくりと参拝する。 

城峰山 015


城峰山 014


 城峰山には平将門伝説がある。
 平将門一党は官軍(藤原秀郷ら)に追われてこの地に落ちのび、城を築いて立て籠もった。それが城峰という名の由来だという。包囲された将門と郎党はことごとく討ち死にする。滅びた将門の霊を鎮めるために城峰神社は置かれたと伝えられている。また、将門は、愛妾であった桔梗が敵側に内通しているものと勘違いし、彼女を斬り殺した。その恨みでこの山には秋になっても桔梗の花だけは咲かないと言う。
 史書では、平将門は下総(現在の千葉県)で討ち死にしたとされているので、上記の伝説の真偽はあやしいところである。将門には7人の影武者がいたと言われているから、もしかしたらそのうちの一人がここで死んだのかもしれない。
 それにしても、城峰神社の祭神、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)はいいとして、もう一柱の藤原秀郷は将門の敵なので不思議である。荒ぶる将門をこそ神に祀り上げて鎮めるのが日本古来のやり方であろうに。
 推測だが、もともと将門が祀られていたが、官軍に歯向かった人間ということで明治時代に座を追われ、官の英雄である秀郷に取って代わられたのかもしれない。(現在平将門を主神とする神田明神がそうであったように。)
 城峰神社の拝殿の前面に「将門」と金文字で書かれた板が飾られているのは、密やかな復権の証であろうか。
 加藤織平といい、将門伝説といい、この土地は官(=朝廷)に対する反抗心が旺盛なところなのだ。 


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 神社から20分ほどで山頂に到達する。
 一等三角点を有すこの山は360度の素晴らしい展望に恵まれている。
 山頂に立つ電波中継塔に昇れば、東西南北どちらを向いても折り重なる山々の壮麗さに嘆息するのは間違いない。冬の晴天の午前中に来たら、うつ病の人でさえ心が晴れ晴れすることだろう。
 ただ、電波中継塔のデザインはいただけない。
 ウルトラ怪獣キングジョーに似た外見は、あまりに場違い。将門伝説をぶち壊す味気なさである。もうちょっと、何とかならなかったのだろうか。

城峰山 020


城峰山 021

 

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キングジョー



 昼食をとっていると、都心のほうから積乱雲がぐんぐん膨れ上がってこちらに近づいてくる。市街地に近い山々が灰色の雲に覆われ姿を消して、雷がとどろく。
 今日もまたゲリラ豪雨か。
 頭上を通過した雲は、電波塔に雨を降らすことなく、北へと去っていった。


 下山は行きの半分の時間しかとらなかった。
 皆野町営バスに乗って、途中下車して秩父華厳の滝を見、秩父温泉満願の湯につかる予定だったのだが、午後5時にしてそれ以降のバスがないのでまっすぐ皆野駅へ。
 過疎化によってバスが少なくなっていくのは、自分のように車を使わないハイカーにとって残念なものである。簡単には行けない山が多くなる一方だ。

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