ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。 半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語に興じ、 旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

第九

● アンダンテ・モリオカーノ 都民交響楽団 2017年特別演奏会 :『ベートーヴェン《第九》』

日時 2017年12月24日(日)13:30~
会場 東京文化会館大ホール(東京都台東区)
曲目
 ワーグナー/歌劇『タンホイザー』序曲
 ベートーヴェン/交響曲第9番 ニ短調 「合唱付き」 作品125
独唱
 ソプラノ:文屋 小百合
 アルト :管有 実子
 テノール:渡邊 公威
 バリトン:大山 大輔
合唱 ソニー・フィルハーモニック合唱団
指揮 末廣 誠

 今年最後の演奏会はお決まりの《第九》である。
 クリスマスイヴの日曜日。パンダでにぎわう上野公園。人波は覚悟していたが、曇りがちで寒かったためか、思ったほどの混雑でなかった。


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東京文化会館


 会場はほぼ満席だった。前から4列目の席だったので、最初から最後まで全身で音を浴びているようであった。
 都民交響楽団の実力は折り紙付き。安心して聴いていられる。あまりに安心しすぎたのか、『タンホイザー』も『第九』も途中で意識が遠のいた。めずらしいことである。一年の疲れが出たのかしらん?
 合唱のソニー・フィルは、ソニーグループの社員およびOB・OG、家族らにより構成される合唱団で20年以上の歴史がある。これが圧巻の上手さだった。世界のSONYとしてのプライドと愛社精神を基盤とした団結力、週一回行っているという練習の賜物であろう。これほど四声(テノール、バリトン、ソプラノ、メゾソプラノ)のバランスが拮抗&均衡して、合唱の面白さを引き出している《第九》を聴くのははじめてかもしれない。とりわけ、テノールパートはたいていの場合、人数が少ないのと高音がつらいのとで客席まで声が届くのはまれなのであるが、今回は非常によく響いていた。

 今回の《第九》のポイントは、何と言っても第3楽章であった。
 「アダージョ・モルト・エ・カンタービレ」(歌うように、非常にゆっくりと)
 「アンダンテ・モデラート」(ふつうに歩く速さで)

という指示を与えられている第3楽章は、全曲中もっともテンポが緩やかで、まったりしている。ここは癒しと安らぎの章である。現世的なストレスと気ぜわしさに満ちた第1、第2楽章から曲調は一転し、心はしばし天上にたゆたう。第4楽章の歓喜の爆発を前に「嵐の前の静けさ」とも言える平和と安息を十分味わい、怒涛のクライマックスに備える。たとえベートーヴェンの指示がなくとも、どの指揮者も第3楽章をゆっくりと演奏することだろう。
 今回の末廣の挑戦は、これまでソルティが聴いた《第九》の中でも、もっともテンポの遅い第3楽章であった。あの譬えようもなく美しいメロディラインが間延びして崩壊するのではないかと思うギリギリの線だった。つまり、ある歌をあまりにゆっくり歌い過ぎると、なんの歌かわからなくなるという現象と同じである。危険な挑戦だが、これが可能なのは《第九》があまりにも有名で、あまりにも耳馴染んでおり、第3楽章の甘美そのもののメロディをほとんどの聴衆がこれまでに何度も聴いて、すっかり諳んじているからだろう。速度を落としてもメロディラインは把握できるのである。(今回はじめて《第九》を耳にした人がどう感じたかは微妙である)

 このアンダンテ(歩く速さ)で思い出したのは、盛岡人のことである。
 20代を東京で過ごしたソルティは30歳を前に仙台に移住したが、その際驚きをもって発見したのは「仙台人の歩く速さは東京人の歩く速さの半分。つまり2倍遅い!」ということであった。
 だいたい宮城県民は休日になると家族や友人らと仙台の街中に出てきて、アーケード商店街をぶらぶら歩くのが一番の娯楽なのである。基本歩行者天国なので、横に広がって連れとワイワイおしゃべりしながら、気になった店をのぞき込み、途中のベンチで休憩し、何にせかされることなく暇つぶしするのである。ソルティも半年くらいでその速度に馴染んで、仙台の街を楽しむようになった。たまに用事で東京に出ると、東京人の歩く速さに逆に吃驚する、というか恐怖を感じるまでになった。池袋や新宿の雑踏で他人とぶつからないで歩く能力を喪失してしまったのである。

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仙台市街


 数年経って、すっかり仙台人化したソルティは用事があって盛岡に行った。そして、盛岡随一の商店街を歩いて、また驚いたのである。
「盛岡人の歩く速さは、仙台人の半分。つまり2倍遅い!」
 つまり、盛岡人は東京人の4倍、歩くのが遅い。
 これは県民性・地域性の違いもあるのだろうが、単純に、盛岡随一の商店街(目抜き通り)は仙台人の速さで歩くと「あれれ?」という間に終わってしまう、東京人の速さで歩いたら瞬時に終わってしまうというところに主たる原因はあろう。(今は盛岡の街も随分発展していると聞いた)

 何の話をしていたんだっけ?
 ああ、《第九》の第1楽章や第2楽章が「東京人の歩く速さ」だとしたら、第3楽章は「仙台人の速さ」、そして本日の末廣の第3楽章は「盛岡人の速さ、というか遅さ」と感じたのである。
 そのスロウなペースがどういう効果をもたらしたか。
 タメをつくってメロディラインの美しさを強調し聴衆を陶酔させるためでないのは、上に書いたとおりである。それなら、メロディ崩壊のリスクを生むまで遅くする必要はない。
 ソルティがなにより感嘆したのは、このゆっくりした盛岡テンポによって明瞭に開示された、第3楽章の構成の巧みさ、それぞれの楽器の特色を最大限生かしたオーケストレーションの繊細さと諧謔味とウィット(才知)、つまるところベートーヴェンの天才であった!
 美しいメロディラインという長所は、そこにのみ聴き手の関心を引き付けてしまい、かえって上記のような細やかでユニークな工夫を見逃してしまうという短所にもなりうる。新幹線の車窓から見る富士山がいかに美しかろうが、鈍行列車の車窓から見る富士山のほうが味わい深いのと同様である。速度を落としたところではじめて見えてくるものがある。
 そういった意味で、今回の末廣の第3楽章は数年前に聴いたロジャー・ノリントンのピリオド奏法の《第九》を想起させるものであった。
 考えてみれば、ベートーヴェン時代のドイツ人の「歩く速さ」は現代人より相当遅いだろう。アンダンテ・モリオカーノが正解なのかも・・・。(ただ、逆に今回の第4楽章のラストは東京人を軽く追い越す加速度付きハイスピードで、会場の撤収時間が迫っているのかと思うほどだった
 
 のんびりと街を歩く盛岡人の眼に映る風景が、目的地に向かって一心不乱に歩く東京人の眼に映る風景より、豊穣で味わい深いのは間違いあるまい。


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盛岡夜景



 
 

● 第九の季節 映画:『バルトの楽園』(出目昌伸監督)

2006年東映。

 楽園(がくえん)と読む。音楽の「楽」なのだ。第一次世界大戦中、ベートーヴェン第九交響曲の日本初演(1918年6月1日)が行われた徳島県板東町(現・鳴門市)の板東俘虜収容所が舞台である。
 この島で捕虜として収容された総督(=ブルーノ・ガンツ)を長とするドイツ兵たちの2年ほどにわたる生活と、人道的待遇で俘虜たちに敬愛された収容所長の松江豊寿(=松平健)を描いている。
 第九演奏は、ドイツが正式に降伏し、捕虜たちが夢見た祖国への帰郷が決まり、収容所閉鎖が目前に迫った最後の演奏会として開催された。俘虜たちと仲良くなった島民を集めての演奏会の模様と第九の響きが映画のクライマックスを形作る。
 
 正直、第九に対する興味がなかったら、この映画を最後まで観ることは不可能だったろう。しょっぱなの青島での戦闘シーンのセットのあまりの薄っぺらさ、演出の拙劣ぶりにゲンナリし、見続けるのがつらかった。DVDの停止ボタンに指が伸びては、「まあ、第九初演の背景を知るだけでもいいか」と考え直して、忍耐しつつ見続けた。
 日本映画がこれほどの最底辺をなめたこともなかろう。映画館で見ていたら、スクリーンに向かって「金返せ」と叫びたくなるレベルである。
 これと比較すべき映画として、マイク・ミズノ監督『シベリア超特急』シリーズ、いわゆる「シベ超」がある。どちらも戦時中の実在の偉人――「シベ超」では日本陸軍大将・山下奉文→むろん演じるは水野晴郎――が主役であり、どちらも軍服姿の男が右往左往し、どちらもロケセットのハリボテっぽさが全編横溢している。そして、水野晴郎演じる山下泰文と、松平健演じる松江豊寿の似ていることよ。いろんな意味で似ている。
 しかし、「シベ超」はそのハリボテ加減が衝撃的で、ギャクの域にまで達していた。完璧なるB級(C級?)映画であり、逆に‘突っ込みどころ満載’という快楽を観る者に提供してくれる。これはこれで良い。その証拠に「シベ超」にはマニアックなファンが今もついている。
 『バルトの楽園』が許せないのは、ヒューマンドラマを描いたA級映画といった、もっともらしい顔をしているからである。そこに世界の名優ブルーノ・ガンツ出演で箔をつけようとし、クライマックスに第九を持って来るのだから始末が悪い。軍隊と音楽というからみで、おそらくは市川崑監督の『ビルマの竪琴』(1956年、1985年)を意識したシーンがある。ソルティは映画作家としての市川崑はあまり高く評価していないが、それでもなお、市川崑作品とこの映画を同じ日本映画として語ってしまうことに多大な抵抗を感じざるを得ない。
 観客もなめられたものである。
 日本映画もなめられたものである。
 
 唯一の救いどころは、松平健のはまりぶり。「暴れん坊将軍」でも「マツケンサンバ」でも「王様と私」でも「NHK大河ドラマ」でもなく、この映画の松江豊寿ほど、松平健が気持ちよさそうに自然体で演じているのは観たことがない。「やっと、やりたい役にめぐり合った」と言っているかのようなご満悦ぶり。そこが『シベ超」の水野晴郎と重なるのかもしれない。
 バルト(髭)がよほど気に入ったのだろうか。



評価:D+

 
A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!





● フロイデ雑感1 ベートーヴェン作曲:交響曲第九番「合唱付き」

 20年ぶりに第九を歌った。

 前回は仙台に住んでいた時。
 仙台フィルハーモニー管弦楽団と当時音楽監督だった外山雄三指揮のもと、合唱のテノールパートを二日間歌った。
 なにぶん、プロオケ&プロ指揮者との共演による初めての第九だったので、当日までは音をとる(メロディを覚える)のにいっぱいいっぱい。本番は無我夢中で歌っただけ。外山雄三が日本の指揮者の中でどんな位置づけなのか、どんな人なのかももちろん知らなかった。加山雄三と間違われやすいなあと思ったくらいである。
 本番一日目。高音のある箇所で声が裏返った。刹那、指揮台の外山氏がひな壇にいる自分のほうをギョロリと睨んで舌打ちした。二日目、その部分が来ると、外山氏はちらっとこちらに視線を投げた。むろん、今度はしっかりコントロールして無難に歌い切った。すると、氏は満足したように小さくうなずいた。
 この件に限らず、プロの音楽家の耳の良さは凄いもんだなあ~と、しきりに感心したのを覚えている。
 ちなみに、二日目の演奏はとても素晴らしい出来だった。客席からは合唱隊が舞台を降りるまでの延々たる盛大な拍手をもらった。外山氏も満足そうであった。自分もまた、最後のクライマックスの「ディーゼン・クス・デル・ガンツェン・ヴェルト(全世界に口づけを!)」の繰り返しあたりから、会場との一体感、世界との一体感、音楽との一体感に包まれた。終演後しばらくは、大いなる開放感と宙を漂っているような高揚感に包まれていた。
 まさに、合唱の‘喜び’を味わうことができたのである。
 
 20年ぶりの今回、陣容は以下の通りであった。
日時  12月28日(月)
会場  ティアラこうとう大ホール(東京都江東区)
指揮  曽我大助
演奏  ブロッサムフィルハーモニックオーケストラ
ソプラノ 辰巳真理恵
アルト  成田伊美
テノール 芹澤佳通
バリトン 吉川健一
合唱団  平和を祈る《第九》特別合唱団

第九2015 004


 この「平和を祈る《第九》特別合唱団」の一員として参加したわけである。
 この大仰な団名には相応の理由がある。このコンサートの収益の一部と当日の会場での募金は、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に寄付され、世界各地での難民救援活動に役立てられる。
 自分は、別の第九のコンサート会場で合唱団募集のチラシを見て、趣旨に賛同すると共に、「久しぶりにあの高揚感を味わうのも悪くはないな」と思って挑戦したのであった。

 さて、本番2ヶ月前から週1回ペースで稽古が始まった。
 なによりの心配は「高い声が出るか」である。
 第九合唱のテノールパートに要求される最高音は、普通の(変声期前の男子や成人女性の音域の)「ラ」である。それをクライマックスでは、連続して、フォルティシモで、出さないとならない。20年前の30代前半の自分には何の苦労も無くこれができた。(自信過剰でコントロールを怠ったため本番裏返ったのだ。)
 普段、特に喉を鍛えているわけでも、大事にしているわけでもない。カラオケ好きなわけでもない。あえて言うなら、普段の介護の仕事で、ご利用者と一緒に大声で童謡なんかを歌っていることくらい。むろん、発声も音程も気にしちゃいない。
 いまや50代の自分に可能だろうか?
 
 プロの指導(曽我大介の弟子であり指揮者の西谷亮)はたいしたものである。
 稽古を重ねるうちに、とくに力むことなく「ラ」の音が出るようになった。発声方法のまずさによる声のつぶれを懸念していたが、それもなかった。
 久しぶりにお腹の底から大声を出すことの快感、大勢で声を合わせハモることの快感、だんだんと言葉(ドイツ語)や表現(音楽記号など)をマスターし上達していくことの快感。稽古が終わってスタジオを出ると、いつもフロイデ(躁)状態であった。
 
 20年前は結局、最後の最後まで音が取れない部分があった。
 それは、全員合唱による有名な「喜びの歌」の少し後に来る、合唱のもう一つの聴きどころとも言えるフーガの部分。この途中から、メロディラインが非常に複雑でスラーが続き、音が取りにくい箇所がある。
 
  ヴィル ベトレテン ダーイン・ハーーーーーーーーーーーイリヒトゥム

 の箇所だ。
 前回はどうしてもマスターできなかった。
 しかも、ここが素人にとってのネックであることは先刻承知済みなのか、稽古でもパートごとに音取りする機会は設けられなかった。ある意味、「適当に歌って」みたいな感じだったのである。なので、口パクを使いながら適当に歌った。
 今回は、ちゃんとマスターしたいと思った。
 稽古の時にテノールパートの仲間に相談すると、こう教えてくれた。
 「YouTubeにテノールパートだけの練習用動画があるよ」

  YouTube!
 インターネット!

 20年前にはなかった!!
 いや、インターネットはあるにはあったが今のようには普及していなかった。なにせWindows95発売直後の話である。
 スマホで検索してみると、あるわあるわ、いくつもの第九合唱パート練習用の動画が出てくる。

 時代は変わった・・・・。

 かくして、声も取り戻し、メロディも覚えこんで、12月28日の本番に向けて気持ちを高めていったのである。


《つづく》
 
 

● モーツァルトのような「第九」(ロジャー・ノリントン指揮、NHK交響楽団)

NHKホール 12月26日NHKホールにて。

 第九交響曲が人気あるのは、聴く人がそこにドラマを見るからである。
 特に、年末に第九を聴く慣習を持つ日本人は、自らの一年を振り返り、「今年も悲喜こもごもいろいろあったけれど、何とかこうして第九を聴くことができた」喜びを、第一楽章から第四楽章まで波瀾万丈たる人生ドラマを見るかのようなメリハリある第九の構成に重ね合わせ、しみじみと感動にひたるのである。終わりよければすべて良し。
 自分も年末に第九を聴くようになって20年近くになるが、それぞれの楽章に仮託するイメージは次のようなものである。

第一楽章  青春篇・・・情熱、激情、怒濤、野望、不羈、不安、迷い、孤独
第二楽章  生活篇・・・多忙、混乱、浮つき、拡張、華やぎ、活動、交流、雑踏
第三楽章  休息篇・・・夢、憧憬、逃避、回顧、癒し、眠り、甘美なる愛、田園
第四楽章  信仰篇・・・喜び、友愛、受容、厳粛、神秘、讃歌

 いわば「音楽」の中に「文学」を見ているわけである。


 ベートーヴェンがドラマ性を企図して第九を作ったのは間違いない。シラーの詩による合唱を付けたことは明らかに「喜び」というテーマを中核に据えたわけだし、第四楽章のはじまりで第一楽章、第二楽章、第三楽章それぞれの主題が低弦によって次々と否定されるところなどは、あたかもオーディションみたいで、吹き出してしまいかねないほどベタなドラマ性を感じる。
「情熱でもなく、活動でもなく、癒しでもなく、信仰と友愛こそ一番。時よ止まれ。お前は美しい!」
 おそらく日本人が第九の中に見ているのは、実はシラーでなくてゲーテ『ファウスト』なのだと思う。自分はそうである。
 たいがいの指揮者は、このドラマ性を最大限効果的に発揮するべく頑張って振っているのだと思う。聴衆もまた、もっともドラマチックに振ってくれた指揮者に桂冠を与える傾向にある。
「感動させてくれてありがとう」


 ロジャー・ノリントンは当夜のプログラムに寄せたエッセイの中でこう述べている。

 ベートーヴェンは「交響曲」というジャンルにドラマ性を持ち込んだ先駆者であり、それは第3番「英雄」に始まって、第5番「運命」や第7番へと発展しました(ある意味では第6番「田園」も仲間です。第9番「合唱付き」はその極めつけだと言えるでしょう。
 ドラマ性という要素は、19世紀に入ってから巻き起こるロマン派的な発想ですが、ベートーヴェンの面白いところは、作風が一貫して18世紀的であり、秩序と即興性を重視した手法が反映されているところなのです。つまり、ハイドンがちょっとばかりハイになったような感じだと言えるでしょうか。その上でドラマ性という、ロマン派のワイルドな部分も加味されていますから、とても独特なのです。
 古典派の音楽――ここではJ.S.バッハの後期からメンデルスゾーンに至る時代の作品を想定していますが――を演奏するにあたっては、ウィットと対話の重要性を理解しなくてはいけないでしょう(メロディは二の次だったのです)。


 この言葉が示すとおり、ロジャー・ノリントンの指揮はほとんどの第九指揮者が目指すものードラマ性の追求―とは対極にくるものであった。
 むろん、まったくドラマ性を無視しているわけではないが、ドラマチックな第九に聞き慣れてそれをもっぱら期待する耳にとって、ノリントンの第九は「なんとなくものたりない」感じがする。はぐらかされた感じ。欲求不満。


 自分のように何十回と第九を聞き続けている聴き手は、感動を与えてくれるツボというかサビの部分を熟知している。それはたとえば、第三楽章の甘美なメロディがそうであるし、第四楽章のテナーのヒロイックな独唱とそれに続くめまぐるしい弦楽器の奔流(フーガ)、しまいに三度のノックごとに転調し、
 フロイデ シェーネル ゲッテル フンケン トッホテル アウス エリィージウム
 (晴れたる 青空 漂う 雲よ)
 と、歓喜の歌の主題を合唱団全員が一丸となって歌うところである。
 こうしたサビの部分をいかに感動的に聴かせてくれたかが、その日のコンサート及び指揮者を評価するポイントとなるのである。
 だから、第三楽章なら、マーラーの交響曲第五番の第四楽章「アダージェット」同様、できるだけ音を引き延ばして緩やかなテンポでメロディの美しさを存分に味あわせてくれることを期待するし、歓喜の歌の大合唱の前の数小節は、歓喜の爆発が一層輝かしいものになるよう、できるだけ悲壮な荒れ狂った感じで一気呵成に聴かせてほしいと望むのである。

 しかし、ノリントンはこうした聴衆の期待をものの見事に裏切ってくれる。
 第三楽章は、いつものように椅子に体を深く沈めて陶酔感にひたる暇もなく、あっという間に終わってしまった。歓喜の大合唱の前の部分では、ここまで丁寧に音符を追わなくてもいいのに・・・と思うほど、一音一音丁寧に拾っていくので、全体の勢いが削がれてしまい、合唱の迫力が半減してしまった感じを受けた。

 全体こんな調子なのである。
 これまで聴いてきた第九とは根本的なところで違いがあった。
 演奏終了後の聴衆の反応も拍手喝采こそ大きかったものの、出口に向かう人々の会話の切れ端や表情には戸惑いが見られた。
 たとえば、これがコバケン(小林研一郎)だったら、帰りの客の表情はもっと晴れ晴れと満足感にあふれていただろう。
 「来年もいい年でありますように」

 だが、ノリントンはこう言う。

 「ベートーヴェンの意図に忠実なのは、私のほうですよ」


 鍵は「ピリオド奏法」という言葉にある。
 テンポや音の強弱、アーティキュレーション(音と音のつなげ方)を見直して、弦楽器はヴィブラートをかけないなど、作曲家在世当時のスタイルを再現する演奏方法を言うらしい。最初に挙げた「ウィットと対話の重要性」なんかもそれに連なるわけである。


 確かに、現代日本人が年末に聴いている「第九」と、19世紀初頭のドイツ人が聴いていた「第九」は違って当たり前だ。後者は前者ほどドラマにかぶれていなかった。どんなところにもドラマと感動を求める気質は、文学→映画→テレビによって洗脳された20世紀人の特徴であろう。(21世紀生まれの子どもはドラマ性を突き破るであろう) ベートーヴェンが狙ったドラマ性以上のものを、現代人は過剰に読み込んでいる可能性大である。
 そして、音楽が時代と共に生きる(生き残る)ということは、時代精神を身にまとうということである。我々現代人の聴く第九は、2度の世界大戦や原爆投下やチェルノブイリやベルリンの壁崩壊や貿易センタービル倒壊や福島原発臨界事故を経験した精神の聴く第九なのである。どうしたってでっかいドラマ性を内包せざるをえない。


 その意味でノリントンの第九は自分にとってはすこぶる刺激的であった。
 文学によって毒されてしまった第九が解放されて、ふたたび音楽の世界に見出されたのである。
 第四楽章の大合唱の前のフーガ部分を自分はいかに聴いていなかったか。そこをクライマックス(サビ)に至る前フリのようなものとして漠然とメロディを追うだけに終始し聞き流していたことに気づいたのである。ゆっくりとしたテンポで丁寧に一音一音が浚われた結果、この部分がいかに趣向を凝らし、様々な楽器の掛け合いも楽しく、カンディンスキーの絵のように豊かな表情と諧謔を持って作られているかを知ることになった。
 第九のすべてのフレーズがいかに作曲者のウィットと利発さとで彩られているか、すべての楽器がいかに生き生きとそれぞれの「喜び」を歌っているか、に気づかされたのである。第一楽章などはまるでモーツァルトの『ジュピター』を聴いているような軽みとスピード感と華やぎがあった。

第九看板 ドラマ性(文学)なしには第九は今日のような人気を得ることはなかったであろう。それは確かである。
 しかし、文学から解放された時、我々は音楽(音の楽しみ)をもう一度発見することができる。

 悩みと悲愴の権化であるベートーヴェンのイメージもなんだか少し変わった。


 来年もいい年でありますように。

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