●日程  1月24日(土)
●天気  晴れ
●行程
鐘付堂山&羅漢山 02612:00 東武東上線・寄居駅
       歩行開始
12:30 曹洞宗天正寺
13:00 大正池
13:30 鐘撞堂山の頂上
       昼食休憩
14:10 下山開始
14:40 円良田(つぶらだ)湖
15:00 羅漢山の頂上
       五百羅漢めぐり
16:00 曹洞宗少林寺
16:30 かんぽの宿寄居(温泉)
       歩行終了
17:30 秩父鉄道・波久礼(はぐれ)駅      
●所要時間 4時間30分(歩行時間3時間20分+休憩時間1時間10分)

 冬の日だまりハイキングもオツなもの。
 寒さと早い日没のデメリットをうまくかわせば、他の季節には得られない抜群の展望と人の少ない静かな山歩きを楽しむことができる。そのうえで最後に温泉があれば言うことなし。
 今回は、駅から駅へとたどるコースなので、帰りのバスの時刻を気にかけないで、ゆっくりした散策が満喫できた。寄居町の昔懐かしい昭和の家並み、のどかな里山風景、低山ながらも見事な展望を誇る鐘撞堂山、愛嬌ある表情と仕草がなんとも微笑ましい五百羅漢、そして展望風呂のある温泉・・・。短時間で盛り沢山のアトラクションが詰まったおすすめコースであった。

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鐘付堂山&羅漢山 005 寄居駅北口を出るとすぐ目の前にスポーツセンター風の立派な建物がある。こんなデカイ町役場って見たことない。町民全員(約35,000人)が押しかけても収容できるのではなかろうか。
 正門のところに「部落解放都市宣言の町」と書かれた大きな立看板があった。埼玉県のこのあたり(北部)は被差別部落が多かったのである。1993年の総務庁調査によると、全国の同和地区総数は4,442、そのうち関東は572、埼玉県は274となっている。よく言われるように部落は西のほうに多いのであるが、埼玉県の274という数字は県別ランキングで、福岡606、広島472、愛媛457、兵庫341、岡山295に次いで第6位である。このことは埼玉県民の多くは知らないと思う。生まれも育ちも埼玉である自分もまた、40歳を超えるまで知らなかった。教わらなかった。

 子供の頃よく見た懐かしい民家(平屋、トタンの外壁、瓦屋根、ガラスの引き戸玄関、勝手裏のプロパンガス)が立ち並ぶ道を山の方へと向かう。
 高台にある曹洞宗天正寺の鐘を慈悲の瞑想をしながら撞く。大晦日にはここから除夜の鐘が寄居の町に鳴り響いたことだろう。
 うららかである。

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 大正池に向かう途中、民家が途切れるあたりに「希望の園」という看板があった。精神障害者の社会復帰のために国内最初(1970年)に創設された施設(グループホーム)とのこと。コースを外れ建物を見学する。なんとなくアメリカの教会を思わせる小ぎれいな、親しみやすい外観である。入口につながれた番犬(?)が人なつこく、足にじゃれついてきた。こうした辺鄙なロケーションにあることの意味に思いを致す。
 ホームページは http://itp.ne.jp/ap/0485810625/

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 夜来ると恐そうな、こじんまりした大正池を越えると山道に入る。炭焼き小屋の脇を通って、一登りで鐘撞堂山登頂。
 低山でありながら胸のすくような展望が広がっている。
 それもそのはず。ここは戦国時代、小田原北条氏の所有する鉢形城(寄居駅南側にある)の見張り場だったのだ。事あるごとに鐘を突いて合図をしたことから鐘撞堂山という名前がついたのである。今はむろんお堂こそないけれど、名前の由来となった鐘が山頂に設置され「お一人様一回」撞けるようになっている。

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 山頂からは、西は両神山、城峰山など秩父の山々が連なる黒い影から浅間山の真っ白い頂がぬっと顔を出す。北は苗場山と谷川連峰が白く輝く。東は熊谷市を足下に遠く筑波山まで一望する。南は寄居町はもちろん関東平野をまるごと収めて、双眼鏡で見ると新宿や池袋の高層ビルが確認できる。見えないのは富士山くらい。冬日ならではの好展望に「来た甲斐あった!」
 晴天の土曜日で山頂は賑わっていた。なかでも高齢女性たちの元気なこと。山頂でいきなり合唱を始める。
 山には山の、うれいあ~り~♪ 

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 昼食を済ませ、下山。
 途中で見かけたグロテスクな木の幹をご神体とする神社。
 なんだろな、これ? 不思議?

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 円良田湖は、静かなひっそりした湖。この時期訪れるのは釣り人だけのようだが、4月になれば花見客がどっと来るようだ。
 湖畔の東屋で休憩していたら、どこからか現れた一匹の猫。人なつこくて、足に擦り寄ってきたり、膝に飛び乗ってきたり、地べたに寝転んで腹を見せたりと、まるで「飼い主募集中!」といったアピール攻勢。
「う~ん、飼いたい! けれど、いまのアパートじゃ飼えない。ごめんよ」

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 羅漢山頂上には釈迦像と十六羅漢、文殊・普賢菩薩が祀られている。
 ここで20分の瞑想。

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 ここから山麓の少林寺まで、五百羅漢が路傍に並ぶ。
 これが実に面白い。
 羅漢とは正しくは阿羅漢のこと。仏教で最終的な悟りに達して解脱(これ以上輪廻転生をしない)を果たした修行者のことを言う。大乗仏教の日本では、この‘羅漢’の意味がよく知られておらず、位置づけも低いのだが、本来出家者の目指すは仏陀でも菩薩でもなく、この阿羅漢なのである。釈尊を別にすれば、羅漢こそもっとも尊き存在である。
 ‘五百’というのは適当で、数が多いという意味合いで語呂の良さから付けられたネーミングだろうと思っていたが、つづれ折の道の片側をほぼ等間隔で埋めつくしている石像は確かに百や二百ではすまない。五百以上あるかもしれない。
 羅漢さんたちの表情や仕草は、実にユニークでユーモラスで見ていて飽きない。穏やかな表情、笑っている表情、とぼけている表情、ねぼけたような表情、呆けたような表情、姿勢も仕草も持ち物もいろいろである。が、共通して言えるのは、こ難しい顔をしていない。哲学者のような深刻な顔をしているのは一つもない。連想したのは小学校低学年の教室である。いろいろな顔つきの子どもたち――笑い顔、泣き顔、はなたれ小僧、悪戯そうな顔、いつも眠そうなヤツ、お茶目なヤツ、ひょうきんなヤツ――である。悟りを開いた羅漢さんは、子どものように自由闊達で天衣無縫なのである。実際そんなものかもしれない。(いま自分が勤めている老人ホームにも、この羅漢さんのモデルになりそうな認知症の男性高齢者がいる。彼の恵比寿様のような表情と奇想天外なふるまいは、いつも周囲を笑いの渦に巻き込み、場をなごませる。)

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 少林寺から秩父鉄道波久礼駅に向かう。
 民家の垣根のロウバイが香しい。

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 かんぽの宿寄居は日帰り入浴800円、露天風呂つきのアルカリ性単純温泉。浴場から見下ろす夕暮れの山村の風景に一日の疲れがほぐされる。
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 こうして一日を振り返ってみると、ストレス解消と体力保持の山歩きにもかかわらず、不思議と自分の関心の対象にそこここで出会っている。部落差別、精神障害者差別、仏教、そして猫・・・。
 自分では自覚していない部分で、自分を動かしている‘なにか(因縁?)’があるようだ。