ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。 半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語に興じ、 旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

美輪明宏

● 映画:『ミザリー』(ロブ・ライナー監督) 

 1990年アメリカ。

 『黒蜥蜴』と言えば、原作者の江戸川乱歩でもなく、戯曲化した三島由起夫でもなく、何十年と主役を演じ続けている美輪明宏の名前が出てくる。今となってはまるで美輪明宏のために書かれた小説、美輪明宏のために翻案化された芝居という感がある。
 実際、大胆不敵で知略に富み、「美」を何よりも愛する美貌の女賊は、メディアの中の美輪明宏のイメージそのものなので(美輪は「組合員」であっても「賊」ではないが)、乱歩も三島ももとから美輪本人をモデルにしたのではないかと思うくらい、役と演者が一体化している。
 取材の中で話していたが、美輪はこの黒蜥蜴=緑川夫人について、その完全な過去を詳細に述べられるという。どこで生まれ、どんな育ちで、初恋がいつで、処女を失ったのがいつで、そのときの相手はだれで、最初に犯罪に手を染めたのがいつで・・・・という事細かな履歴が頭の中に入っているのだそうである。
 まぎれもなく、美輪の黒蜥蜴にリアリティをもたらしているのは、この役中人物の背景に対する徹底的な理解と共感であろう。


 役者が映画あるいは舞台で一人の人物(人格)を演じることになった際に必要とする情報量は、もしその人物を血の通った生きたリアルな存在として観る者に感じさせようと意図するのならば、相当なものになるであろう。
 たいていの場合、原作となった小説や戯曲や脚本の中で書かれている情報は、ほんの一部に過ぎない。そこから演者が想像し、自らの体験やいろいろな見聞を重ね合わせ、人物像をふくらましてキャラクターを作り上げていく、すなわち「役作り」するわけである。
 こうしたことは、もちろん、演劇の始まった当初から役者達にとって、当たり前に行われていたことであろう。
 けれど、時代を追うごとに、大衆の人間理解が深まり、人格形成に関する学問上(主として精神分析学や心理学)の知見も高まり、大衆が「過去のトラウマ」なり「虐待の連鎖」なりという概念を知ってしまった現代ほど、スクリーンや舞台上の人物像のリアリティに対する目が厳しくなっている時代はないと言ってよいであろう。
 このような性格を持ち、このような場面でこのような表情でこのような振る舞いをし、このような科白をこのような調子で口にするのは、この人物がこういった過去を持ち、こういった体験を重ね、こういった感情のプールを持っているからです、と観る者に納得させなければならない。そういう説得力のある演技をしなければならない。
 おそらく、シェークスピアの生きた時代に「ハムレット」をどれほど巧みに演じ、どれほど多くの喝采を浴びた一流役者でさえも、現代の真面目で真剣なハムレット役者ほどには、ハムレットの成育歴について想像を巡らせていないであろう。
 フロイトやユングが出現し、大衆が心の問題について学んでしまってからというもの、とくに幼少時の成育環境がいかに性格形成に影響を及ぼし、大人になってからの本人の思考や行動を規定するかということを、世上を騒がす犯罪事件における容疑者の動機を推定するマスコミの文脈で馴染みのものとなってしまってからというもの、大衆は犯行の背景に隠された容疑者のトラウマを思いやるのがクセとなったのである。ハムレットの優柔不断な言動にも、なんらかの幼少時の体験なり親子関係の不具合なりを想定しないでは済まなくなったのである。

 いまや、単なる極悪人、単なる殺人鬼が存在できなくなった。純粋な悪が成り立たなくなった。
 あの『羊たちの沈黙』のレクター博士でさえ、最終的には少年期に家族を惨殺されるという忌まわしい過去を持たされずにはいなかった。あまりに早熟で鋭敏な神経を持つ少年が、凄まじい過去の体験を経たがゆえの、「ハンニバル・レクター」誕生というわけだ。


 この『ミザリー』も同様である。
 なんと言っても、オスカーに輝いたキャシー・ベイツの迫真の演技が観る者を始終圧倒する。原作は未読であるが、小説の中に出てくるアニー・ウィルクス以上の怖さ、不気味さ、リアリティを生み出しているのは間違いない。看護婦かつ殺人鬼のアニーの演技があまりに真に迫っているので、捕らわれた小説家かつ病人であるポール・シュナイダー(ジェームズ・カーン)の恐怖に怯える演技がなんだか演技に見えず、本当にキャシーそのものを怖がっているかに見えるほどだ。

 DVDの特典映像の中で、キャシー・ベイツはこんなことを語っている。
 「私と監督のロブとは、アニーのゆがんだ性格は少女の頃に父親から性的虐待を受けたためという見解をもっていた。」


 そのような悲惨な過去、思い出したくないがゆえに、思い出せないがゆえに、抑圧しているがゆえに、成人してからコントロールできない突発的な怒りに襲われて犯罪を呼びいけてしまう忌まわしい過去を持つキャシー。
 おそらく、原作ではこのようなキャシーの過去は書かれていないだろう。(性的虐待はスティーブン・キングが取り上げそうにないエピソードなので。)
 アニーを単なる精神異常者や熱狂的なストーカーや生まれついての邪悪な魂という紋切り型あるいは「怪物」から救い上げて、恐いけれどもどこか哀れな女性という印象を観る者に抱かせるのは、まさにこうしたキャラクターの掘り下げと理解、それを表情や体の動きやセリフや口調を通して観る者にわかりやすい形で変換できる演技力の賜なのである。

 「雨が嫌い」とアニーが不安げに辛そうな表情で窓の外を眺める時、彼女が聴いているのは、おそらく少女の頃に最初に父親にレイプされた晩の屋根を打つ雨の音なのだ。そんなふうに感じさせるほど、キャシー・ベイツの演技は見事である。単なるホラー映画が、虐待というトラウマを背負った女性の顛末を描いた悲劇に変わる。
 これは原作を超えた離れ業である。

 スティーブン・キングの映画化された作品の中では、『シャイニング』(キューブリック監督)のジャック・ニコルソンと並ぶ怪演であるのは間違いない。




評価: B-

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」
        ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」
        「ボーイズ・ドント・クライ」
        チャップリンの作品たち   

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」
        「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!


● 日本女性の美の2つの極北 映画:『サンセット大通り』(ビリー・ワイルダー監督)

 1950年アメリカ映画。

 今さら評価する必要もない名作である。

 主演のグロリア・スワンソンの一世一代の怪演は、同レベルのものを挙げるとしたら、『ジェーンに何が起こったか』のベティ・デイヴィス、『狩人の夜』のロバート・ミッチャム、『シャイニング』のジャック・ニコルソン、『羊たちの沈黙』のアンソニー・ホプキンズ、『ダークナイト』のヒース・レジャーなどを持って来るほかない。サイレント時代のスワンソンを知らないが、これ一作だけでも彼女は映画王国の殿堂入りを十分果たしている。ポーズをつけながら階段をゆっくり降りてくる最後の場面などは、風邪で寝込んだ夜の夢に出てきそうである。
 エリッヒ・フォン・シュトロハイムの抑制された存在感たっぷりの演技、ウィリアム・ホールデンの適役ぶり、そしてビリー・ワイルダーの見事な脚本と気の利いた科白の数々。実に見ごたえがある。この作品をこれを上回るレベルでリメイクするのは絶対に不可能であろう。

 美貌の大女優が老いて世間に忘れられることの残酷さをテーマにしたものであるが、ひるがえって日本の芸能界を見ると、本邦の往年の大女優たちは老いても結構頑張っているなあと感心する。
 もちろん、グレタ・ガルボのひそみにならって40才の若さで引退した「永遠の処女」たる原節子さまがいるけれど、CMで見ない日のない吉永小百合はもとより、若尾文子、藤(富司)純子、浅丘ルリ子、岩下志麻、岸恵子などなど、かつての銀幕のヒロインたちはさすがに映画の主役こそ張らないけれど、今でも現役で高い人気を保ちながら活躍している。たいしたものだ。
 思うに、銀幕のスターという存在がもはやいなくなってしまったことが一つにはあるのだろう。彼女たちは、今やすっかり消滅してしまった一つの文化、夢と神秘と憧れとに包まれた銀幕の彼方にあった輝ける世界、の栄光とオーラを背負っている希少な存在なのである。
 一つには、日本の文化ひいては日本人が、アメリカナイズされたとはいえ、なんだかんだ言って「わび」「さび」に示されるような枯淡の境地に対する嗜好を持っているからではないだろうか。整形を繰り返し、変に若作りする故エリザベス・テーラーやカトリーヌ・ドヌーブより、それなりに枯れて落ち着いていく八千草薫(「香醇」)に、年経るごとに苔むして渋みを増していく日本庭園を見るような好ましさを感じているのではないだろうか。
 もちろん、女優たちもそれぞれ美貌を保つため、美しく見せるための奮闘はしているだろう。撮影技術やCG等による編集技術の向上も無視できないところではある。

 とつおいつ考えていたら、思い当たったことがある。
 日本の女優の(女性の、と言ってもいいが)美を語る上で、二つの極が存在する。
 この極があるがために、この極の不動の気高さ、有無を言わさぬ輝きのために、日本の女優たち(女性たち)は、老いによる美の消失を怖れる必要など決してない。この極の方向へと自らを高めていけばよいのである。

 一つの極は、美智子皇后である。
 若い頃のあの方は類い希なる美貌の持ち主だったが、年老いた今、「老けて美しくなくなった」などという人がいるだろうか。むしろ、内面からにじみ出る慈しみの輝きはいや増す一方ではないか。ブランドの衣装も皇室伝統の宝石も、あの永年の忍耐と祈りとによって刻まれた皺ほどの美しさはなかろう。

 もう一つの極は・・・・・・・美輪明宏である。
 神武以来の美少年とうたわれたのははるか昔である。だが、やはり「美」の代名詞であり続けている。ひとえに、芸術と潔い生き方と品格の力とによって。

 こうした二つの極を持つ日本の女性は幸せである。


 さて、日本の男はどう老いたらいいのだろう?
 


評価: A-

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」
        ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」
        「ボーイズ・ドント・クライ」
        チャップリンの作品たち   

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」
        「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!










 

 
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