ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。 半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語に興じ、 旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

聖天様

● 聖天茶枳尼に近づくな2:妻沼聖天山(熊谷)

 日本三大聖天の一つ、熊谷市妻沼(めぬま)にある妻沼聖天山に行ってきた。
 熊谷は関東で最も暑い街として有名であるが、さすがに10月、正午間近の熊谷駅に降り立つと、寒くもなければ暑くもなく、散策にちょうどよい爽やかな光に包まれていた。

 妻沼聖天院行きのバスに乗って25分。市街地からだいぶ離れた素朴な町中にある。

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妻沼聖天山は斎藤別当実盛公が、当地の庄司として、祖先伝来のご本尊聖天さまを治承三年(1179)にお祀りしたのにはじまる。
 実盛公は平家物語、保元物語、源平盛衰記や謡曲実盛、歌舞伎実盛物語などに、武勇に優れ、義理人情に厚い人柄が称えられている。次いで実盛公の次男斎藤藤六が出家して阿請房良応となり、建久八年(1197)に本坊の歓喜院を開創した。(現地でもらったパンフレットより) 
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 ご本尊は国指定重要文化財であるが、当然、秘仏である。まず、二体の象が抱擁しているものと推測される。

 ここの見物はなんといっても本殿である。
 妻沼の工匠林兵庫正清の設計によって施行され、25年の歳月をかけ、宝暦10年(1760)に完成したとある。その後、平成15年より平成23年の8年間を要して保存修理工事が施工され、外壁の彫刻は創建当時の華麗な色彩が復元された。
 入場料700円を払って本殿の彫刻を、地元のボランティアガイド「阿吽の会」の男性の説明付きで拝観する。(ガイドつきでの拝観をお勧めする)

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 たしかに見事でユーモラスな彫刻、絢爛たる極彩色の美に驚嘆する。
 江戸時代の名匠で日光東照宮の「ねむり猫」で有名な左甚五郎作というが、時代的に合わない。四代目か五代目の左甚五郎ではないかという解釈もある。

 この本殿は、平成24年に国宝指定を受けている。日光東照宮の流れにさらに進んだ優れた技術と庶民の浄財により作られたことが、高く評価されたそうである。


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 浅草の聖天様は、二股大根と巾着の意匠がそこら中に施されていた。祭壇には本物の大根が山と積まれていた。
 妻沼の聖天様には、どこにも大根も巾着も見かけなかった。ガイドさんに聞いたところ、二股大根を奉納することはやっているが、国宝の多彩な彫刻群の中にも、境内のどこにも大根や巾着のデザインはないとのこと。聖天様=大根・巾着、とは限らないのだろうか。
 

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 本殿から少し離れたところに、良応僧都が開創した聖天堂の別当坊寺院がある。御本尊として十一面観世音が祀られている。
 聖天様は、もともとヒンドゥー教のガネーシャ(象の姿の神)で障碍を司る神であったものが、十一面観世音菩薩によって仏教に改宗し、以後、仏教を守護し財運と福運をもたらす天部の神になった、といういわれがある。


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 さて、なぜ熊谷駅からバスで30分も離れた、他に特に見るべきものもないこんな不便なところに聖天様を建立したのだろう?
 ――というもっともな疑問の答えは、聖天様から歩いて15分のところにあった。

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 坂東太郎、こと利根川である。
 向こうの土手は栃木県太田市。
 つまり、聖天様が創建された鎌倉から江戸時代まで交通の要は水運だったのである。
 江戸の頃は、荒川、利根川を上って、たくさんの商人や遊女が聖天様詣でをしていたとガイドさんは言っていた。
 そういえば、浅草の聖天様の近くにも遊郭(吉原)があった。
 聖天様と遊女――なんとなくいわくありげな組み合わせである。

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● 聖天茶枳尼に近づくな:待乳山聖天(浅草)

 聖天(しょうてん)も茶枳尼(だきに)も、ヒンドゥー教の神様に起源を持つ仏教の守護神である。
 聖天は、歓喜天、象鼻天とも言われ、多くは象頭人身の単身像、または抱擁している象頭人身の双身像の姿で表される。本地垂迹説では十一面観音菩薩の化身である。
 茶枳尼は、一般に白狐に乗る天女の姿で表され、剣、宝珠、稲束、鎌などを持物とする。日本では稲荷信仰と習合し、寺院の鎮守稲荷の多くは荼枳尼天を御神体としている。
 どちらの神様も祈願すれば叶わぬ願いはないと言われるほど効験あらたかなのだが、祀るのが非常に難しく、生涯かけて正しく祀らないと怒りだして子孫に至るまでの災いをもたらす、という恐ろしい神様でもある。
 そこで、昔から「下手に近づくな」と戒められてきたのである。
 とりわけ、聖天様は2体の象がみっちりと抱擁した形態が男根のシルエットを映し出すセクシュアルなお姿のためもあってか、古来秘仏とされ、厨子の中に納められているのが一般で、行者以外が目にしたら命にかかわるとまで言われている。
 
聖天様 001 この聖天様にまつわる不思議なエピソードを描いた漫画が、永久保貴一の『密教僧秋月慈童の秘儀 霊験修法曼荼羅』(朝日新聞出版)である。
 永久保の作品は、どれも面白くて、不思議で、奥が深くて、勉強になるが、特にこの作品は実在の密教僧の体験談をもとにしたノンフィクションだから、「いやあ。この世にはまだまだ人知の及ばぬことがたくさんある、不思議な力を持つ人がいるもんだ」と謙虚にならざるをえなくなる。
 現在2巻出ているが、続きが楽しみである。

 さて、日本の三大聖天様の一つが、浅草の待乳山聖天である。「まつちやましょうでん」と読む。 

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待乳山は、浅草は隅田川の西岸に臨む海抜九米半、わずか千坪に満たない小丘陵でありますが、下町の平坦な地の一画に、うっそうとした木立に囲まれた優美な山の姿が、遠い昔から多くの人々の関心を呼び起こしてきたといえましょう。
 
推古三年九月二十日、浅草寺観世音ご出現の先瑞として一夜のうちに湧現した霊山で、その時金龍が舞い降り、この山を守護したことから金龍山と号するようになった。その後、同じく推古九年夏、この地方が大旱魃に見舞われた時、十一面観世音菩薩が悲愍の眼を開き、大聖歓喜天と現われたまい、神力方便の御力をもって、この山にお降りになり、天下萬民の苦悩をお救いあそばされた。これがこの山に尊天が鎮座ましました起源であると記されております。
(待乳山本龍院の案内パンフレットより)

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 正面から階段を上る参道のほかに、正面右側に回って、隅田川の方角から入る門がある。ここから入ると、小さな可愛らしいケーブルカーを使って本堂まで上がることができる。足の悪い人はこちらを利用すると良い。

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 本堂は立派である。
 中に入って座敷で祈ることができる。
 ここでビックリするのが、目の前の祭壇に積まれた大根の山。
 ?????とハテナマークが頭の中を飛び交う。

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 実は、大根と巾着が聖天様のトレードマークなのである。
 大根は、人間の迷いの心、怒りの毒を表し、大根を供えることで聖天様がこの体の毒を洗い清めてくださる。巾着は商売繁盛を表し、聖天様の信仰のご利益の大きいことを示す。
 境内のあちらこちらに大根と巾着の意匠を発見することができる。

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 境内からはスカイツリーがきれいに見える。
 また、庭園も見ることができる。

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 仏教的な聖天様の意義は、仏道修行に専念できるよう、まず身内にある強い欲望を叶えてくれるところにあるそうな・・・。
 
 おみくじを引いたら、じゃーん、だった。

 
 生きとし生けるものが幸福でありますように。


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