ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。 半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語に興じ、 旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

西谷亮

● フロイデ雑感3 “ウ・チ・の・ご・はん”

 12/28、いよいよ本番。
 
 久しぶりの式服はいいが、白いワイシャツと蝶ネクタイがない。介護の仕事じゃ、ワイシャツなんか着ないものなあ・・・。ましてや蝶ネクタイなんて、レクの時間に手品の余興でもしない限り、とんと縁がない。
 ワイシャツを購入し、蝶ネクタイは100円ショップで仕入れた。どうせ一回こっきりだから使い捨てで十分。

 今回の公演はオール・ベートーヴェン・プログラムで、午後3時スタートし、終演は午後9時。延々6時間に及ぶ長丁場である。
 曲目と演者は以下の通り(演奏順)。

1.ヴァイオリンと管弦楽のためのロマンス第2番ヘ長調 Op.50
ヴァイオリン:中村太地、指揮:曽我大介
2.ピアノ協奏曲第1番
ピアノ:石井楓子、指揮:曽我大介
3.ピアノ協奏曲第2番
ピアノ:仁田原祐、指揮:碇山隆一郎
4.ピアノ協奏曲第3番
ピアノ:冨永愛子、指揮:和田一樹
5.ピアノ協奏曲第4番
ピアノ:今川裕代、指揮:中島章博
6.ピアノ協奏曲第5番
ピアノ:高橋望、指揮:西谷亮
7.ヴァイオリンと管弦楽のためのロマンス第1番ト長調Op.40
ヴァイオリン:中村太地、指揮:西谷亮
8.交響曲第9番「合唱付き」
指揮:曽我大介、合唱:平和を祈る《第九》特別合唱団

 管弦楽はすべてブロッサムフィルハーモニーオーケストラである。オケの人たちは6時間出ずっぱり。たいへんな労力である。
 ヴァイオリニストやピアニストについてはよく知らないが、上記の指揮者はプロフィールを見ると、すべて曽我大介門下生である。その一人西谷亮(合唱指導をしてくれた)は、ブロッサムフィルハーモニーの音楽監督兼常任指揮者をつとめている。合唱団は公募で集まった有志だが、その中核となるのは、やはり曽我大介が指導するアマチュア合唱団「一音入魂」のメンバーたちである。
 つまり、今回のコンサートは、曽我大介一座総出演による慈善活動という意味合いがあるわけだ。「親分の号令で一族郎党大集結!」って感じか・・・?
 ともあれ、6時間にわたってベートーヴェンの有名な曲ばかり聴けるのだから、ベートーヴェンマニアにはたまらない企画である。出演していなかったら、客席でじっくり聴きたかった。

 ステージリハーサルは午前10時40分に始まった。
 最初が《第九》の第四楽章。4名のソリストと共に歌う。
 ソプラノの辰巳真理恵は、俳優の辰巳琢郎の娘である。今回が《第九》デビューとのこと。ウィキによると1987年生まれの28歳。父親の体格(180cm)からすると、思ったより小柄で可憐な感じであった。が、一声聴いてビックリ。芯のしっかりしたよく通るきれいな声である。今後、あちこちの《第九》に引っ張りだこになるのは間違いあるまい。(本番には父親が応援しに来ていた。)

 《第九》リハーサル終了から本番まで8時間以上ある。
 昼食まで、他の曲のリハーサル風景を客席で見て聴いて過ごした。こういう経験もめったにできないので新鮮である。
 印象に残ったのは、まずヴァイオリニストの中村太地。これまた20代のイケメンである。女性ファンが多いことだろう。リハーサル中の指揮者とのやりとりなど見るに、「曲に対する自分なりの解釈をしっかり持っていて、妥協せずにしっかり共演者と意見を戦わせる人」という感じがした。
 指揮者の和田一樹。小柄で剽軽な雰囲気の持ち主であるが、ひとたび指揮台に立ち演奏が始まるや、「う~ん」と唸った。深いクレパス(谷間)を瞬時に形作る手腕は並みの才能ではない。オケの人たちもどうやら彼の才能には一目置いているようで、安心して心地よく演奏している様子であった。この先、注目したい指揮者である。
 それにしても、生演奏で聴くベートーヴェンの音楽は格別の美しさがある。本番前の緊張も解けて、陶然と聞き惚れていた。

《第九》リハーサル


 午後は人と会う約束があった。いったんホールを出て、用事を済ませ、午後7時前に会場に戻った。

ティアラこうとう

 式服に着替えて会議室に集合。
 最後の発声練習をして、舞台上での細かな段取り(楽譜はどこで開くか、最後にお辞儀はするかe.t.c.)を確認する。曽我流を知悉している一音入魂のメンバーがてきぱきと仕切ってくれる。
 トイレを済ませ、喉を潤し、いざ出陣。
 列を成して、長い通路を舞台袖まで移動する。
 音楽が耳に入った。
 すでに第2楽章の終わりまで来ている。
 のぞき窓から舞台とホールの様子を伺う。
 指揮台の曽我大介氏。
 かっこいい。
 デカい体、長い腕、豊かな表情、まさにからだ全体を使って、自分の意図するところをオケに表現する。見ていて飽きないパフォーマンスである。
 客席は・・・・。
 空席が目立つ。
 チケット代高かったからなあ~。
 それにしても、難民支援に対する日本人の関心の低さが歴然と表れているような気がして残念でならない。寄付先の国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の歴代もっとも有能な弁務官は、日本人の緒方貞子なのになあ~。
 まあ、気を取り直して。
 ここまで来たからには、客の入りなんか気にしまい。ただ、音楽とベートーヴェンに奉仕し、仲間と共に演奏することを楽しみ、そして‘喜び(フロイデ)’を自分なりに表現するだけだ。
 
 合唱団は第4楽章で登場する指示が出ていたので、第3楽章はまるまる舞台袖に立ちながら聴いた。
 なんという甘美さ!
 なんという流麗なタッチ!
 曽我大介の《第九》を聴くのはこれが二度目であるが、前回とはまったく違っていた。
 オケが違うと、ホールが違うと、趣旨が違うと、これほど異なるものなのか。
 またしても本番前の緊張が解けてゆく。
 最後の一音が余韻を引きながら鳴り止む。
 出番だ。

 友よ、この調べではない ♪


 出来が良かったのかどうか、歌っている自分にはなんとも言えない。
 だが、歌っている間、ずっと驚きっぱなしであった。
 合唱団の息がピッタリ合っていた。フレーズの終わり終わりで子音を入れるところなど、ぴたっと揃っていた。練習の時に曽我氏や西谷氏が注意したいずれの箇所も、いずれの音楽記号も、みなきちんと覚えていて、一つ一つ見事にクリアしていた。
 そう、個人的意見かもしれないが、練習よりずっと良かった。
 なんてすごい人たちだろう!(自画自賛)
 演奏終了後に湧き起こった拍手は、来場した客の数に比すれば盛大な、心からの、熱いものであった。


 《第九》の最後は、管弦楽の荒れ狂うような‘Prestissimo(できるだけ速く)’の歓喜の雄たけびで終わる。
 最後の最後は、4分音符の5連打である。
 
 タ・タ・タ・タ・タン

 ここのところが全楽器きれいに歯切れよく揃って5連打し、最後にスパッと断ち切れると効果抜群、圧倒的な感銘を聴く人に与えること間違いなし。
 それを成し遂げるために曽我大介が編み出したのが、なんと

 ウ・チ・の・ご・はん

という森高千里のキッコーマンのCMのフレーズだった。
「そこのところは、《ウ・チ・の・ご・はん》で合わせて」なんていう指示が実際に指揮台から発せられるのを見るとは、よもや思わなかった。
「いまの《ウ・チ・の・ご・はん》はよく出来ていた」なんて、まるで漫才のようではないか。
 しかし、実際にこのフレーズを意識してオケが演奏すると、実に鮮やかにケツが揃うのである。
 使えるものはなんでも使うんだなあ。

 ただ一つ困ったことがある。
 「ウ・チ・の・ご・はん」の衝撃が自分の頭にこびりついてしまったため、今後どの指揮者の《第九》をどこで聴こうが、きっと最後はオケの5連打と一緒に「ウ・チ・の・ご・はん」と頭の中で歌ってしまうだろうという、ほぼ100%確実な未来が生まれてしまったことである。
 《第九》と「ウチのごはん」。
 まあ、どちらも他では味わえない格別な‘喜び’には違いないのだが・・・。
 
 
 《つづく》
 
  

● フロイデ雑感1 ベートーヴェン作曲:交響曲第九番「合唱付き」

 20年ぶりに第九を歌った。

 前回は仙台に住んでいた時。
 仙台フィルハーモニー管弦楽団と当時音楽監督だった外山雄三指揮のもと、合唱のテノールパートを二日間歌った。
 なにぶん、プロオケ&プロ指揮者との共演による初めての第九だったので、当日までは音をとる(メロディを覚える)のにいっぱいいっぱい。本番は無我夢中で歌っただけ。外山雄三が日本の指揮者の中でどんな位置づけなのか、どんな人なのかももちろん知らなかった。加山雄三と間違われやすいなあと思ったくらいである。
 本番一日目。高音のある箇所で声が裏返った。刹那、指揮台の外山氏がひな壇にいる自分のほうをギョロリと睨んで舌打ちした。二日目、その部分が来ると、外山氏はちらっとこちらに視線を投げた。むろん、今度はしっかりコントロールして無難に歌い切った。すると、氏は満足したように小さくうなずいた。
 この件に限らず、プロの音楽家の耳の良さは凄いもんだなあ~と、しきりに感心したのを覚えている。
 ちなみに、二日目の演奏はとても素晴らしい出来だった。客席からは合唱隊が舞台を降りるまでの延々たる盛大な拍手をもらった。外山氏も満足そうであった。自分もまた、最後のクライマックスの「ディーゼン・クス・デル・ガンツェン・ヴェルト(全世界に口づけを!)」の繰り返しあたりから、会場との一体感、世界との一体感、音楽との一体感に包まれた。終演後しばらくは、大いなる開放感と宙を漂っているような高揚感に包まれていた。
 まさに、合唱の‘喜び’を味わうことができたのである。
 
 20年ぶりの今回、陣容は以下の通りであった。
日時  12月28日(月)
会場  ティアラこうとう大ホール(東京都江東区)
指揮  曽我大助
演奏  ブロッサムフィルハーモニックオーケストラ
ソプラノ 辰巳真理恵
アルト  成田伊美
テノール 芹澤佳通
バリトン 吉川健一
合唱団  平和を祈る《第九》特別合唱団

第九2015 004


 この「平和を祈る《第九》特別合唱団」の一員として参加したわけである。
 この大仰な団名には相応の理由がある。このコンサートの収益の一部と当日の会場での募金は、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に寄付され、世界各地での難民救援活動に役立てられる。
 自分は、別の第九のコンサート会場で合唱団募集のチラシを見て、趣旨に賛同すると共に、「久しぶりにあの高揚感を味わうのも悪くはないな」と思って挑戦したのであった。

 さて、本番2ヶ月前から週1回ペースで稽古が始まった。
 なによりの心配は「高い声が出るか」である。
 第九合唱のテノールパートに要求される最高音は、普通の(変声期前の男子や成人女性の音域の)「ラ」である。それをクライマックスでは、連続して、フォルティシモで、出さないとならない。20年前の30代前半の自分には何の苦労も無くこれができた。(自信過剰でコントロールを怠ったため本番裏返ったのだ。)
 普段、特に喉を鍛えているわけでも、大事にしているわけでもない。カラオケ好きなわけでもない。あえて言うなら、普段の介護の仕事で、ご利用者と一緒に大声で童謡なんかを歌っていることくらい。むろん、発声も音程も気にしちゃいない。
 いまや50代の自分に可能だろうか?
 
 プロの指導(曽我大介の弟子であり指揮者の西谷亮)はたいしたものである。
 稽古を重ねるうちに、とくに力むことなく「ラ」の音が出るようになった。発声方法のまずさによる声のつぶれを懸念していたが、それもなかった。
 久しぶりにお腹の底から大声を出すことの快感、大勢で声を合わせハモることの快感、だんだんと言葉(ドイツ語)や表現(音楽記号など)をマスターし上達していくことの快感。稽古が終わってスタジオを出ると、いつもフロイデ(躁)状態であった。
 
 20年前は結局、最後の最後まで音が取れない部分があった。
 それは、全員合唱による有名な「喜びの歌」の少し後に来る、合唱のもう一つの聴きどころとも言えるフーガの部分。この途中から、メロディラインが非常に複雑でスラーが続き、音が取りにくい箇所がある。
 
  ヴィル ベトレテン ダーイン・ハーーーーーーーーーーーイリヒトゥム

 の箇所だ。
 前回はどうしてもマスターできなかった。
 しかも、ここが素人にとってのネックであることは先刻承知済みなのか、稽古でもパートごとに音取りする機会は設けられなかった。ある意味、「適当に歌って」みたいな感じだったのである。なので、口パクを使いながら適当に歌った。
 今回は、ちゃんとマスターしたいと思った。
 稽古の時にテノールパートの仲間に相談すると、こう教えてくれた。
 「YouTubeにテノールパートだけの練習用動画があるよ」

  YouTube!
 インターネット!

 20年前にはなかった!!
 いや、インターネットはあるにはあったが今のようには普及していなかった。なにせWindows95発売直後の話である。
 スマホで検索してみると、あるわあるわ、いくつもの第九合唱パート練習用の動画が出てくる。

 時代は変わった・・・・。

 かくして、声も取り戻し、メロディも覚えこんで、12月28日の本番に向けて気持ちを高めていったのである。


《つづく》
 
 

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