ソルティはかた、かく語りき

首都圏に住まうオス猫ブロガー。 還暦まで生きて、もはやバケ猫化している。 本を読み、映画を観て、音楽を聴いて、神社仏閣に詣で、 旅に出て、山に登って、瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

親鸞

● 読者への挑戦状 本:『8・15 と 3・11 戦後史の死角』(笠井潔著)

2012年NHK出版

 笠井潔と言えばミステリー作家である。読んだことはないがそう思っていたので、こういった真面目な社会評論を書く人とは知らなかった。これが本業の傍らの手すさび?と思ったら大間違い。きわめて質の高い、鋭い、並み居る評論家を恥じ入らせるに十分な内容である。プロフィールをみると、1948年生まれで学生運動をしていたとある。若い頃から、社会的関心高く、読書量はんぱなく、思考訓練を積んできた人なのであろう。
 終戦記念日、近所の古本屋で見つけて購入した。

815と311


 本書のテーマを簡潔に言えば、日本および日本人論ってことになる。日本とはいかなる国か、日本人とは何者かということを、近・現代史上の二つの大事件を手掛かりに論じている。それが、8・15(=日米戦争)と3・11(=福島原発事故)である。
 70年という時を隔て、一見関係なさそうに見える二つの大事件に共通して存在し、両者を結びつけるものとして、ニッポン・イデオロギーという概念が呈示される。

 ニッポン・イデオロギーが必然的にもたらした二つの破局、8・15と3・11は、たんに並列的に存在しているわけではない。「終戦」の歴史的な結果として福島原発事故は生じている。8・15を真に反省し教訓しえなかった日本人が、「平和と繁栄」の戦後社会の底部に3・11という災厄の種を蒔いた。これこそ戦後史の死角である。3・11という破局的な体験が突きつけている意味を真に了解するには、8・15で切断されたように見える戦前日本の錯誤を明らかにしなければならない。

 難解な読み物を想像するかもしれないが、そんなことはない。巻措く能わない面白さで一気読みした。
 さすが本格ミステリーの大御所である。読者を物語に引きずり込むプロローグ(つかみ)の上手さ、切れ味鋭い論理、容赦ない真実の探求姿勢、謎が謎よぶサスペンス、トリック解明のスリルと説得力、心髄にこたえる真相。社会評論でありながら、やっぱりミステリー作家の手腕ここにあり、といった感じである。
 とりわけ面白いのが、つかみにあたる序章。日本(東宝)が生んだ国際的スター怪獣ゴジラを登場させる。
 ゴジラが、日米戦争の「戦死者の亡霊」を象徴しているという説ははじめて知った。海から上がってきて、東京に上陸し、怒りの雄叫びをあげながら、平和と繁栄をむさぼる戦後の日本を破壊する。その平和と繁栄こそは、大戦の反省も戦死者の追悼もなおざりのまま、敵国アメリカによってもたらされた民主資本主義下に花開いたものであった。
 「なるほどなあ」と感嘆した。
 同時に、ではソルティは子供の頃ゴジラをどう見ていたかを思い返したとき、ハッと気づくものがあった。
 自分は「ゴジラ=アメリカ」と無意識ながら受け取っていた。
 つまり、海の向こうからやって来て、放射能を巻き散らしながら日本に上陸し、日本の街を(国会議事堂を)破壊する、恐ろしく強い者=アメリカの比喩ととらえていたのである。それが証拠には、その後に東宝がモスラを登場させたとき、「モスラ=日本」と即座に受け取ったからである。ザ・ピーナッツの神秘的な唄によって、南海の孤島の緑深き森から甦るモスラ(=蚕)こそは、日本的アニミズムの象徴であろう。そんなに強くないところも日本っぽい気がした。


蚕2


 さて、ニッポン・イデオロギーとはなんであろう?  

 日米戦争の経緯を簡単に見てきたが、一目瞭然といわざるをえないのは、戦争指導者の妄想的な自己過信と空想的な判断、裏づけのない希望的観測、無責任な不決断と混迷、その場しのぎの泥縄式方針の乱発、などなどだろう。

 国会事故調が福島原発事故の「人災」性として列挙した、権威を疑問視しない反射的な従順性、集団主義、島国的閉鎖性など、あるいは目先の必要に目を奪われた泥縄式の発想、あとは野となれ山となれ式の無責任など・・・(略)

 笠井は、日米戦争について、開戦を決定する過程や戦時中の戦艦大和の無謀な出撃、ポツダム宣言受諾、手のひらを返したように鬼畜米英からアメリカ礼賛に変貌した戦後日本人の姿を追っていく。そこには、当ブログでも取り上げた猪瀬直樹『昭和16年夏の敗戦』や、岸田秀✕山本七平対談『日本人と「日本病」について』に述べられているような、日本人の宿痾とも呼びうるような負の国民性が伺える。
 福島原発事故についても同様に、戦後の原子力政策が闇雲な原発建設につながった経緯をたどり、東電を含む原子力ムラの閉鎖的体質と計画性の致命的欠如を、暴き出していく。加えていえば、3・11後の対応の拙劣さと責任の曖昧化、そして再びの原発推進路線は、ニッポン・イデオロギーによる専横以外の何物でもあるまい。別記事で取り上げた若杉冽『原発ホワイトアウト』や朝日新聞特別報道部編『プロメテウスの罠』などで指摘されているところに通じる。

 「空気」の支配と歴史意識の欠落を二本の柱とするニッポン・イデオロギーの背景には、日本に固有の自己欺瞞的な精神構造がある。

 このあたりは、ソルティも認識していた。いや、現実直視する勇気があり、冷静にものを見る目のある日本人なら誰だって、ニッポン・イデオロギーの存在とその長所と短所には気づいていることだろう。そしてそれが、多様な文化との折衝が避けられない国際社会においては、人類が原子力という魔物を手にしてしまった現代においては、むしろ短所に傾くであろうことも・・・。

 問題は、このニッポン・イデオロギーをいかにして克服できるのかである。
 そのためには、そもそもこれがどうやって生まれたのかを検証する必要がある。
 本書の一番の魅力は、そこを丁寧に行っているところにある。推理小説でいえば、まさにトリックの謎解きにあたるワクワク部分であり、ミステリー作家笠井潔の本領発揮である。

 ソルティが解したところ、次の4点がニッポン・イデオロギーの形成に関わっている。
① 土着のアニミズム的心性
② 風土に合わない稲作文化
③ 天皇制による支配システム
④ 外来文化の変容と吸収

 順に見ていこう。

① 土着のアニミズム的心性
 天皇制以前の神道的部分である。狩猟採集民に共通して見られる山川草木はじめ自然そのものに神を見る多神教的世界観。丸山眞男はその核心を「つぎつぎになりゆくいきほい」と表した。

 「いきほい」をもって、「なりゆく」自然の、無限とも思われる繁殖力に人々は感嘆し、畏怖の念さえ覚える。こうした感嘆、この畏怖がアニミズム的な宗教意識の背景にある。

 日本の徳は勢いと不可分である。中国思想とは真逆に、徳ある者が勢いを得るのではなく、「いきほい」に感応した者に徳があると見なされる。「いき」は息=空気であり、ようするにアニマだ。霊(アニマ)に感応しうる者が共同体を支配する。 


② 風土に合わない稲作文化 
 国民の性格は風土に規定される。日本人は「熱帯的、寒帯的の二重性格」を有しているとする和辻哲郎の風土論を踏まえ、笠井はそれを風土に合わない稲作文化との関係からとらえ直す。

 自然環境的に不適切な作物を無理に栽培するため、集団的な農作業が過重なまでに義務化された。契約や規律を撹乱する者を排除しなければ、全員が共倒れになりかねない。
 生産経済が普及して以降の日本列島住民の心性は、不適切な自然環境で稲作を選好した事実を規定としている。過重で単調な反復作業に耐え(「頑張ればなんとかなる」)、しかも集団的な農作業(「みんなで一緒に」)のため共同体的な相互抑圧に耐えるという二点が、この国の住民の心性を根本的に規定してきた。
 この精神的抑圧が、ときとして「日本の特殊な現象としてのヤケ(自暴自棄)」という激情の嵐を生じさせる。しかも「忍従に含まれた反抗はしばしば台風的なる猛烈さをもって突発的に燃え上がるが、しかしこの感情の嵐のあとには突如として静寂なあきらめが現れる」。    


③ 天皇制による支配システム
 ここでは吉本隆明による「グラフト国家論」を援用としている。グラフトとは「接ぎ木」のことである。
 解するに、これは侵略の一つのシステムのことである。16世紀スペイン人がインカ帝国を滅ぼしたように、あるいは17~18世紀にアメリカ入植者がインディアンを虐殺して土地をのっとったように、もとから土地に住んでいた民族を滅ぼし、その共同体を破壊するという典型的な侵略のシステムがある。古代日本の場合、これとは異なった形での侵略が起こった。

 それ以前にあった共同体における宗教的・イデオロギー的な中枢・核といったものを、次の共同体あるいは国家の権力は、自分たちのイデオロギー構造の中に包括してしまうことです。既存の共同体の宗教的な、あるいはイデオロギー的な中核の部分だけをとりいれてしまうと、どういうことがおこるかと申しますと、自分たちがすでに遠い以前からそれを掌中にしていたのだというイデオロギー的な擬制が可能になります。(吉本隆明『敗北の構造―吉本隆明講演集』弓立社)


 笠井は、出雲の国譲りの神話を例に挙げている。オオナムチを信仰していた古代出雲の共同体は、アマテラスを信仰する高天原勢力(のちの天皇制につながる)の侵略にあって支配権を譲った。その際、オオナムチは大国主命(オオクニヌシノミコト)と改名され、アマテラスの弟であるスサノオの子孫と位置付けられた。もとからの出雲の共同体の人々は、虐殺されることなく、オオナムチの信仰を許されたまま、高天原勢力の支配下におさまった。平和的な王権簒奪(支配される側から見れば自主的隷属)といったところか・・・。
 なるほど、このグラフト国家論を適用すれば、諏訪大社の謎伊勢神宮の謎に迫ることができるのかもしれない。もといた土地の神が名前と役割を変えられて、イザナミ・イザナギ・アマテラスを発端とする神統譜にグラフト(接ぎ木)される。天皇制に組み入れられていく。
 面白いなあとウキウキしていたら、しっぺ返しが待っていた。
 このグラフト国家的侵略システムが、まさにポツダム宣言受諾以降の日本で、戦勝国アメリカ(GHQ)との関係において自主的に敢行されてしまったというのである。

 奴隷である事実を隠蔽し忘却することで実際的に、あるいは理念的に保身をはかるという絶妙の自己欺瞞システムが、日本文化の基底には埋めこまれている。なにも大昔のことに限らない。8・15の翌日から日本人の大多数が望んだのは、まさに「継ぎ目」の消去だったのではないか。
 東条英機をはじめとする少数の軍国主義者が暴力と洗脳で、自分たちを「無謀な戦争」に巻きこんだ。戦争の被害者である日本国民を、軍国主義から解放してくれたのがアメリカだ。マッカーサーに与えられた戦後憲法こそ、われわれが望んだものだ。

 笠井の容赦ない追究の槍は、戦後日本人の欺瞞を突く。
 痛いッ。
 これぞ本当の自虐史観の名にふさわしい


④ 外来文化の変容と吸収

 日本列島に棲まう太古からの精霊たちは、海を渡って襲来する世界宗教や絶対観念の暴威に屈服し、いったんは征服される。しかし長い年月をかけて、仏教や儒教からキリスト教やマルクス主義にいたる普遍的で絶対的な輸入観念を骨絡みにし、最終的には消化し吸収してきた。だから日本に存在するのは、征服され頽落したアニミズム的心性と、原型をとどめないまでに変形された輸入観念の奇妙な折衷形態である。

 6世紀に大陸から入ってきた仏教が日本風に変わっていく様相は末松文美士『日本仏教史』に、16世紀にフランシスコ・ザビエルによってもたらされたキリスト教が日本という「すべてのものを腐らせていく沼」の中で変容していく様子は遠藤周作『沈黙』に描き出されている。マルクス主義もまた、日本的な学生運動や政治闘争のあげくの果てに、連合赤軍事件という目も当てられない悲惨な結末に堕してしまった。

 挫折し頽落したアニミズム的基層は、原型をとどめないまでに外来の観念や思想を変形してしまう。両者の複合体であるニッポン・イデオロギーは、いったんは成功を収めるが、歴史意識を欠如した「空気」による決定によって、繰り返し大破局を招かざるをえない。


原爆ドーム


 われわれはニッポン・イデオロギーを克服することができるのだろうか?
 それとも、8・15と3・11に続く第3の――そしておそらく最後の――破局の到来を指をくわえて待つしかないのだろうか?

 この問いかけに対して、笠井は二つの処方箋を掲げている。

 まず、原発拒否を梃子として、ニッポン・イデオロギーにNOを突きつけること。

 事故を起こす危険があるから原発に反対するのではない。社会に埋めこまれて際限なく肥大化する権力装置だから、諸個人の自由を必然的に制限し剥奪するシステムだからこそ、原発は否定されなければならない。
 8・15にはじまる戦後日本の「平和と繁栄」は、さまざまな意味で原発に依存してきた。あえて原発を拒否することは、「ゴジラ」と化して日本列島を襲った戦争犠牲者たちに、真に向き合うための唯一の道である。

 すなわち、ほとんど無意識レベルで日本国民に共有され、日々更新され、日本をすっぽり覆っているニッポン・イデオロギーという権力構造を見抜き、それに支えられ延命している原子力政策に対して、その権力構造の非人間性ゆえにNOと言おう、ということであろう。
 蓋し、正論である。原子力を扱えるだけの成熟は、まだ日本人には、否、人類には到来していない

 そして、もう一つの処方箋として挙げられているのは親鸞である。

 もしも8・15と3・11を超える契機として、日本人の宗教意識を再評価するのであれば、頽落したアニミズムとしての「神道の神々」ではなく、親鸞の絶対他力思想にこそ注目しなければならない。

 それによって、「日本独自の歴史意識が形成されはじめることを期待しよう」と笠井は結ぶ。

 謎の解明部分の密度に比べると、処方箋の呈示部分はかなり手薄で粗雑な感があるのは否めない。紙幅の関係があるのかもしれない。まだ、笠井自身も答えを探っている途中なのかもしれない。あるいは、ニッポン・イデオロギーの存在に気づき、それに支配されていることを各自が意識化することが、一番の克服手段ということなのかもしれない。人は、無意識レベルにある動機づけには抵抗できないのだから。
 であるなら、本書を書くこと、読むこと、広めることが何よりの処方箋である。


百日紅

 
 当ブログ内の多くの記事とリンクすることから分かるように、本書は、ソルティの日本および日本人に関する問題意識とほぼ重なるものであった。笠井の幅広い知識と鋭い洞察力、緻密な論理とで、自分が漠然と考えていることが文章化され、クリアに証明されていくのを見るのは、胸のつかえがとれるような爽快感があった。もっとも、暗澹たる気持ちを伴った爽快感ではあるが・・・。
 何でもっと早く笠井潔を読まなかったのだろう?

 本書を読んで疑問に思った点が二つある。

 一つは、ニッポン・イデオロギーはどのようにして相続されるのだろうか、ということである。
 どのようなシステムによって相続されるのかが判明することなしに、そこから脱出することは難しいと思うのである。

 家庭や共同体や教育機関や社会の中で、子供が長ずるにしたがい洗脳されてゆくのか。
 暮しの中に溶け込んだ神道や儒教や仏教の無数のしきたりを通して、知らず体が覚えこんでいくのか。
 日本人のDNAに書き込まれているのか。
 それとも、日本列島を包む大気の中に、目に見えない分子のように存在しているのか。
 同じ日本人でも、帰国子女のように海外生活が長ければそれに染まらないのか。
 日本に生まれ、日本で育った在日やアイヌや沖縄の人々はどうなのか。
 大部分の日本人が稲作から離れたこれからもなお、それは引き継がれていくのか。
 天皇制がなくなれば、自然消滅するのか。
 ・・・・e.t.c

 いま一つは、親鸞についてである。
 親鸞についてはよく知らない。三國連太郎の監督した映画『親鸞 白い道』を観て、『歎異抄』を読んだくらいである。他力本願や悪人正機説は言葉としては知っているレベル。
 なので、はずしているかもしれない。
 親鸞の教え(=浄土真宗)がニッポン・イデオロギー克服の手段、すくなくとも契機となるという笠井の意見には賛同できない。
 むしろ、逆じゃないかとさえ思える。
 他力本願、阿弥陀さまにすべてをおまかせするという「あなたまかせ」な態度こそは、日本人の「神風」妄想に通じるものじゃなかろうか。年金問題も少子高齢化問題もエネルギー問題も、「お国にまかせておけばなんとかなる」という、現実逃避と行き当たりばったりと自助努力の放棄を助長するものではなかろうか。それこそ、戦時中の浄土真宗本願寺派第22世宗主・大谷光端(1871-1948)の言説に見るように、国体を正当化するのに恰好な論理となったではないか。

 大谷光端は、大慈大悲の阿弥陀如来とその教えに信従する信徒との関係を、天皇と臣民との関係に適用することによって、大慈大悲の如来のごとき天皇の聖旨にただひたすら信従すべきであるという、臣民の道を説いていたのである。それは信徒のあるべき心的態度の臣民道への拡大・適用を意味した。(栄沢幸二著『近代日本の仏教家と戦争 共生の倫理とその矛盾』289ページ、専修大学出版局、2002年発行)

 だいたい、親鸞の教えがニッポン・イデオロギー克服に役立つのなら、浄土真宗信徒が一番多い日本はとっくの昔にそこから脱しているはずである。
 親鸞では無理、と思う。

 では、誰か?
 あるいは、何か?

 各自が自らの頭で考えてみることが肝要だ。

 ここは本格推理小説の人気ある仕掛けさながら、「読者への挑戦状」とするのが適切であろう。









● 犬神人とは何者か 映画:『親鸞 白い道』(三國連太郎監督)

1987年松竹。

 浄土真宗の生みの親である親鸞上人の半生を描いた伝記映画。
 と同時に、中世の下層社会に生きる‘賤民’と言われる人々を、精密な考証に基づきリアリティ豊かに活写した日本映画史上稀に見る歴史&風俗ドラマとして、かけがえのない価値を持つ作品と言える。
 カンヌ映画祭審査員賞も十分頷けるのだが、国内においては公開当時も今も評価芳しくなく、残念なことである。観る前の自分がそうだったように、「功成り名を遂げた大物俳優の道楽」「信者の大量動員をねらった布教映画」と軽んじて敬遠していたら、大層もったいない。監督としての、いやいや芸術家としての三國連太郎の凄さに感嘆した。
 実際、これだけ見応えのある魅力的な映画は滅多あるものじゃない。140分の長尺を早送りもスキップもせず2回観てしまった。
 
 親鸞上人は、1173年京都の日野の里で公家の流れを汲む家系に生まれた。源平の争いが激しさを増す中、9歳で出家、名を範宴(はんねん)と改める。以後20年にわたり比叡山で厳しい修行を積むも、悟りに至ること叶わず、29歳で山を下り、専修念仏を説かれていた法然上人を訪ねる。
 法然上人の教えに目が開かれた親鸞は、「法然上人にだまされて地獄に堕ちても後悔しない」と他力本願、専修念仏の道を選ぶ。
 33歳のとき、名を善信と改める。
 専修念仏の教えが盛んになるに連れ、当時の仏教界を支配していた延暦寺、興福寺など既存仏教組織からの弾圧が激しくなる。1206年法然の門弟が開催した念仏集会に参加した後鳥羽院の女官が出家騒ぎを起こす。それが院の逆鱗にふれ、ついに1207年に専修念仏は禁止、関係した僧侶らは死罪となる。法然上人は還俗させられ土佐に、35歳の親鸞は藤井善信と名を改めさせられ越後に流罪となる。
 越後では、非僧非俗の立場で民衆に専修念仏の布教に励まれる。39才のとき越後の豪族三善為教の娘恵信と結婚、6人の子をもうける。
 1214年、他宗からの迫害を逃れるため妻子とともに越後を離れ、東国を点々とした挙句、常陸(茨城県)の稲田の草庵に落ちつく。
 
 映画では、親鸞らが越後を脱出するシーンから始まって、稲田に落ち着くまでを描く。つまり、親鸞の生涯における最大の苦境の時である。
  
 まず、親鸞(この時期はまだ‘善信’)を演じる無名の新人森山潤久が素晴らしい。
 親鸞の人の良さ、やさしさ、誠実さ、謙虚さ、芯の強さ、悟りきれない迷いなどが、作為なく顔つきに投影されている。三國監督が演技力でなく、雰囲気や顔立ちで森山を抜擢したのは間違いあるまい。
 この映画以後、森山はいくつかの映画や芝居に出たらしいが、ほとんど話題になることはなかった。現在は札幌の浄土真宗大谷派のお寺で住職をしているそうである。なんという因縁!
 他の役者たちも適材適所で素晴らしい。
 妻・恵信を演じた大楠道代をはじめ、泉谷しげる、ガッツ石松、小松方正、盲目の老女を演じた原泉はまさに助演女優賞級の名演、小沢栄太郎、蟹江敬三、丹波哲郎、フランキー堺・・・。一癖も二癖もある個性的な役者たちが、中世の身分社会のそれぞれの階層に似つかわしい雰囲気と表情と所作とでもって、人間臭さを撒き散らしている。これを観ると、昨今のNHK大河ドラマの出演者を含めるスタッフたち、そして視聴者が、いかに浅い人間理解と平板な演技に満足しているかを、つくづく感じる。

 親鸞を取り巻き、膝と膝とを突きあわせ、説法に耳を傾けるのは、化外の民、被差別の民である。
 太子信仰の猟師、葬送人(泣き男)、ハンセン病患者、盲目の琵琶法師(『怪談』で耳なし芳一を演じた中村嘉葎雄が演じている!)、「はいち」と呼ばれる巫女から転落した遊女、皮剥ぎ職人、渡し守、「たたらもの」と呼ばれる製鉄職人、そして特筆すべき・・・犬神人(いぬじにん)。
 
 中世、京都祇園八坂神社に隷属して、社領内の治安警察ならびに清掃などの雑役に従事した者。鴨の河原に近い祇園あたりに集居。日頃は弓弦や矢の製作、販売などを業とし「弦召 (つるめそ) 」とも呼ばれた。また、境内、社頭、祇園祭の神幸路の清掃のほか、戦乱、飢饉などの際の死体の処理権、葬送権をもち、死者の衣服や副葬品を取って利益としており、応安4(1371)年には、類似の権利を主張する河原者と衝突している。(ブリタニカ国際大百科「犬神人」)

 映画に出てくる犬神人・宝来は、既存の体制派仏教の手先として親鸞や念仏衆の動向を探り、スパイのごとく暗躍する役目を果たしている。法師姿で赤い布衣、白い布で眼だけ出して覆面し、八角棒を持つ。つまり、被差別者(=非人)であることを衆目にさらしながら生活することを宿命づけられている。
 この宝来がなんとも光っている。覆面からのぞく不気味な目の光が、差別され、忌み嫌われる者の卑屈さ、悲しみ、抑えつけられた怒り、諦め、狡知さ・・・といった様々な感情を映し出していて、そんじょそこらの役者じゃ、到底つとまらない難役である。
 いったい誰が演じているんだろう???

犬神人_本願寺聖人伝絵
 
--と思っていたら、宝来、最後の最後に親鸞の前で覆面を取って素顔を晒した。
 真っ白く塗った顔に黒々した髭、額には「犬」の文字の入れ墨。
 三國連太郎その人であった。
 なるほど、この役を演じるのに三國連太郎以上にふさわしい者はいまい。
 三國の養父は被差別部落の出身であり、三國自身、差別問題に関する著作、講演活動等を行っている。民俗研究者の沖浦和光との対談本『「芸能と差別」の深層』(ちくま文庫)を読めば、三國がいかに広く深く被差別の民について研究し、そこで得たものを演技や演出に生かしているかが伺える。
 宝来こそは、三國連太郎の分身なのであろう。
「親鸞の半生を描くことは、すなわち、被差別の民を描くことにほかならない」と、三國監督は教えてくれる。

 それにしても、親鸞が比叡山での20年に及ぶ修行で悟れなかったのは、末法の世(1052年が元年とされる)に入ったからではない。それが大乗仏教の限界だったからである。
 悟りに至る方法をブッダはちゃんと説いていて、その経典も残っているのだが、それが日本に伝わらなかった。中国を通して伝えられたのは、阿弥陀如来が極楽浄土にいてどうのこうの・・・とか、56億7千万年後に弥勒菩薩が現われてどうのこうの・・・とか、悟りとは関係ない壮大なお伽噺ばかりであった。
 親鸞が迷ったのも無理はなかった。
 親鸞がもしブッダの教えをそのまま伝える原始仏教の経典の数々を目にしていたら、日本の宗教史はどれほど変わっていただろう。日本人の宗教観はどれほど今と違っていたことだろう。
 それを思うと「歴史とは因果で残酷なものよ」と思うけれど、それもまた因縁なのだろう。
 今日我々は親鸞が見たら驚喜で卒倒するような原始経典を邦訳で読むことができる。悟りに至る瞑想法を修することができる。

サードゥ、 サードゥ、サードゥ
 


評価:A-

A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!



 

● 仏教界の半沢直樹 本:『浄土真宗は仏教なのか?』(藤本晃著)

2013年サンガ刊行。
浄土真宗は仏教か

  この本は、聖徳太子爾来1400年以上の脈々たる伝統を持つ日本仏教界に投げ込まれた手榴弾、いや時限爆弾である。これほど革新的な書はそうそうになかろう。その影響は、単に出版直後に「日本仏教界に物議をかもした」とか「ネットで炎上」といったレベルではなく、この書がいずれ新書化され、文庫化され、電子書籍化され、英訳され、時を重ね版を重ねていくに連れて、患部に貼ったサロンパスのようにじわじわと効き目を顕わし、日本大乗仏教の滔々たる流れを変えた最初の杙の一本として、著者の類いまれなる勇気と仏教への揺ぎ無い信心に対する賛嘆の念とともに、その真価を唱えられ称えられることであろう。
 著者が懇意にし共著も出している日本テーラワーダ仏教協会のアルボムッレ・スマナサーラ長老もまた『般若心経は間違い?』(2007年宝島社刊行)という極めて過激で挑発的な本を出している。こちらは手榴弾というより殴りこみに近い。控えめに言っても果たし状だ。それも日本仏教界のみならず、仏教を愛するすべての日本人への。般若心経は日本人が最も好きなお経であるから。
 だが、いかほど出家生活の長い偉そうなお坊さんであろうとも、結局のところ「外人」で「小乗仏教徒」に過ぎない。おそらく、多くの読者は「そのとおり。般若心経はおかしい。もう読経するのも写経するのも止めよう」とは思わずに、「やっぱり、小乗の人には大乗が理解できないのだろう。やっぱり、外人には般若心経を愛する日本人の心が理解できないのだろう」と思ったのではないか。あるいは、般若心経の内容の真偽を云々できるほどの智慧のある人など――つまりそれは「悟った」人ってことになろう――滅多にいないだろうから、そもそも反論のしようもないのかもしれない。
 それに比して、著者の藤本晃は、日本人であり、山口県にある誓教寺という浄土真宗のお寺の16代住職である。つまり、生粋の(?)大乗仏教徒である。その男が、「浄土真宗は仏教なのか?」と内部批判めいた問いを発し、ひいては「日本にそもそも仏教はあるのか?」と神をも恐れぬ、いや仏をも恐れぬ大胆不敵なことを言い放つのである。
 この反乱は当然無視できるレベルではなかった。

 誓教寺は浄土真宗西本願寺派に属する末寺であった。よくは知らぬが、日本のお寺の組織は典型的な上意下達のピラミッドで、本山(浄土真宗の場合、京都の西本願寺)→教区→組(そ)→一般寺院というヒエラルキーの中、上からの命令には逆らえない、人事に口出しできない、勝手をやって上の逆鱗に触れようものなら破門のうえ僧籍剥奪、家族ぐるみで寺から追放の憂き目もあるらしい。というか、藤本晃はまさにテーラワーダ仏教との親交(スマナサーラ長老を自寺に呼んで説法や瞑想会を開催していた)が原因で、組と教区の不興を買い、「小乗との縁を絶って浄土真宗の法義の興隆につとめるか、さもなくば宗門を改めて家族ともども寺から出て行くか」の二者択一の最後通牒を突きつけられたのである。
 結果、この書が刊行される2年前の2011年、藤本晃は西本願寺派を脱退し、誓教寺は浄土真宗の単立の宗教法人になった。つまり、独立したってことだ。このあたりは、あとがきにくわしい。(あとがきが面白すぎる!)

 こうした経緯があるゆえに、本書で藤本は自らの思うところを臆することも遠慮することもなしに、歯に衣着せずに語っている。もはや宗門の幹部たちの顔色を気にする必要も、他の大乗仏教系の宗派との軋轢も気にかける必要もない。大切なのは、仏教の真髄(=法)を守り生きること、そして寺始まって以来の苦境を一緒に乗り越えてくれた地元の檀家さんたちの期待に応えることである。
 というわけで、大乗仏教の僧侶にして緻密な仏教研究者である男が、巨大組織を向こうに回して一人闘い信念を貫いた清新な息吹そのままに、満を持して世に問うたのが本書なのである。

 どこがどう革新的なのか。
 藤本はこう言い切る。

 本当は、日本仏教はどうなってるの?どころではないのです。日本には、はじめから仏教がなかったのです。仏教と名の付くものは以前からありました。しかしそれは、お釈迦様の仏教とは別ものだったのです。より正確に言えば、日本仏教には、僧(サンガ)と持戒の念がはじめからなかったのです。何らかの形の仏と法とは言えるかもしれませんが、それを支えるサンガ、そしてサンガの構成員たる所以である戒がなかったのです。平たく言えば、「仏教徒」がいなかったのです。(ゴチック:ソルティ付す) 

 なんつう大胆な発言。お釈迦様も真っ青だ。
 もう一度言うが、これは浄土真宗の一住職の発言である。自らのアイデンティティの基盤をよくもまあこうはっきりと断罪したものよ!
 それだけでない。この言説は、仏教によって培われたところ多の日本文化の意味を再考せざるをえない、日本人の宗教観を別の角度から読み直さなければならない、パラダイムを刷新する一撃である。
 仏教の三宝とは、仏(お釈迦様)・法(真理)・僧(出家者の集まり)である。日本にだってサンガ(僧の集まり)はあったじゃないか、あるじゃないか。西本願寺にだって、高野山にだって、永平寺にだって、起居を共にし修行しているお坊様はたくさんいるではないか。
 その通り。
 だが、サンガとは元来、「俗世間を捨て、悟り(=解脱)を目指して戒を守りながら修行している出家者たちの集団」である。日本の僧侶に、この戒を守ることが根付かなかった。般若湯(=酒)しかり、男色しかり、妻帯しかり、財産の所有しかり・・・。いったい日本で乞食(こつじき)しているお坊様を見たことがあるだろうか?
 なぜ戒を守ることの重要性が浸透しなかったか。
 それはそもそもの戒を守る最大の理由にして目的である「悟り(=解脱)」というものの実体が、我が日本仏教には伝わらなかったからである。

 仏教の証拠といえば、悟りです。世界の果てのどの文化の宗派であっても、「仏教」を名乗るなら、お釈迦様が人類ではじめて発見した悟りがあるはずなのです。悟りを表す言葉がどのように変わっていても、その説明を聞いたら、「ああ、悟りをなんとかして説明しているのだ」と分かるはずなのです。

 お釈迦様の仏教では身近であった悟りが、日本仏教を含む大乗仏教にはほとんど引き継がれませんでした。お釈迦様が説かれた悟りは、凡夫かブッダに等しい覚者かという二者択一の雲の上のようなものではありません。煩悩とそれがもたらす苦を厭い発心した凡夫が、学び修行し、やがて完全な覚者となるまでの悟りに、まだ凡夫とほとんど差のない預流果から一来果、不還果、そして完全な悟り・阿羅漢果実までの四段階(四沙門果)があると明らかにされました。しかし、その内容はおろか四沙門果という言葉さえも、大乗経典にはほとんど見られないのです。

 むろん、お釈迦様は「悟る」ための修行方法もその階梯も詳しく説いている。(ヴィッパサナー瞑想や戒を守ることもその一つである。)
 だが、仏教の最大の価値であり精髄であり目玉である‘悟るための方法論’が日本には入らなかった。あるいは入っても根付かなかったのである。たとえてみれば、多種多様の車は輸入されたが車の製造方法は伝わらなかった、なのに車を作ろうと努力し続ける途上国のエンジニア――みたいなものか。むろん、禅宗は悟りを重視している。が、やはり方法論が弱い。「只管打座」や「隻手の音声(公案)」だけでは何とも心もとない。
 この悟りの方法論が根付かなかった理由こそ、もしかしたら、日本人の国民性を解き明かす一つの鍵なのかもしれない。聖徳太子や時の為政者が「わざと」それを握りつぶしたのか、それとも民衆がそれを望まなかったのか。(→「死生観を問い直す」参照)

 設計図や工法を記したマニュアルがなくとも、出来上がった車を分解・研究・再構成することで新しく車を作ることのできる天才がいるように、ブッダ直伝の‘悟りマニュアル’がなくとも、たまたま偶然に悟ってしまった修行者や市井の人はいただろう。日本仏教史に名を残す宗祖たち――空海、法然、親鸞、一休、日蓮、栄西、道元など――は、そんな天才だったのかもしれない。彼らは「偶然悟った」がゆえに、万人に共通して適用できる悟りの方法論を残すことができなかったのだろう。

 藤本のいまひとつ革新的なところは、上記の見解から自ずから導かれるように思われる「大乗仏教は本当の仏教ではない。その一つである浄土真宗も然り。ゆえに、日本人は大乗仏教を捨てて、いますぐテーラワーダ仏教に就くべし」という安直な結論を賢明にも回避して、伝統的な大乗仏教の根本教義のうちに――すなわち後世になって装飾・歪曲・捏造された宗門の教えではなく、浄土真宗なら宗祖・親鸞聖人(と親鸞が最も影響を受けた過去七人の高僧)の言葉のうちに――元来の仏教(小乗仏教=原始仏教)まで遡ってつながっていける教えがあるはずとして、それを緻密なテキスト講読による教学研究をもとに検証していることである。仏教研究者としての藤本の面目躍如たる部分である。
 浄土真宗(親鸞)と言えば、すぐに思いつくのは「阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)」「極楽浄土」「絶対他力」「往生即成仏」「悪人正機」などのキーワードである。
 藤本は、これらの概念をテキストを頼りに一つ一つ検証しつつ、初期仏教との違いや共通点、類似点を指摘していく。初期仏教の‘悟りマニュアル’と照らし合わせながら、ほかならぬ「親鸞聖人は(預流果に)悟っていたか」なんてことまで探究する。破門されていなければなかなかできないことであろう。
 
 現代の真宗僧侶は、自分が納得した正しい教えを、自信を持って伝えているでしょうか。そもそも、自分自身が納得して心が変わっているでしょうか。親鸞聖人の求道と伝道には、生死を乗り越える真剣さがありました。何らかの真実に達した自信と安心がありました。
 浄土真宗にも、その母体となった浄土教にも、仏教の真実の断片が伝わっています。正しく受け取り、正しく伝えれば、悟りとそこに至る道筋も見えてくるのです。
 
 私たち一人一人が、狭い見方を振り捨てて、お釈迦様の正しい道に入るかどうかだけが、安心を得られるかどうかの違いなのです。自分が本当に安心して生きて死ねるのかと、自分と正直に向き合う道ですから、ごまかしはききません。他人の目はごまかせても、自分だけはごまかせないのです。自分の安心は、自分で得るしかないのです。親鸞聖人や、現代に続くたくさんの妙好人たちが示してくれたように、正直に自分の心を見据えて、仏陀の悟りと教えを目標に、自分が一歩ずつ歩むものです。それが仏道です。その道は、浄土真宗にもしっかり根付いています。

 西本願寺も早まったことをした。
 自分が教団幹部だったら、藤本を起点にして浄土真宗とテーラワーダ仏教の習合を段階的にはかる道を探ったであろう。仏仏習合――それは‘神仏習合’を超える歴史的事件となったであろう。
 それこそがこれからの日本で伝統的な大乗仏教教団が生き残るほとんど唯一の道だと思うのだが・・・。


 


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