2013年スタジオジブリ制作。
宮崎駿の生涯最後の長編アニメ映画である。(今のところ)
いわば白鳥の歌、辞世の句、老いの入舞ってことになるのだろうか。
この作品を観ている途中からずっとある言葉が頭にリフレインしていた。
その言葉とは--虚無への供物。
『虚無への供物』は1964年に刊行された中井英夫の推理小説で、小栗虫太郎『黒死館殺人事件』、夢野久作『ドグラ・マグラ』とともに、日本探偵小説史上の三大奇書と並び称されている。
読んだのは30年以上前のことなので内容はあらかた忘れてしまった。が、この印象的なタイトルだけは忘れることがない。
なので、『風立ちぬ』と『虚無への供物』が作品として似ているというのではなくて、『風立ちぬ』のテーマが全般として「虚無への供物」、すなわち「無意味(0)に還元される生の営み」といった感じを受けたのである。
主人公の二郎(零戦を設計した実在の堀越二郎がモデル)は、少年のころから飛行機が大好きでパイロットに憧れたが、目が悪いため諦めざるをえず、設計家を志す。優秀な成績で学業を終え、飛行機の開発会社に就職する。挙国一致で戦争に向かっているご時世、二郎が設計するのは戦闘機である。試行錯誤の末、二郎は素晴らしい性能を持つ零戦の開発に成功する。その間に、関東大震災時に知り合った少女・菜穂子と再会し、菜穂子の結核を知りつつも結婚する。
といったあらすじなのだが、「虚無への供物」という言葉が途中から浮かんでくるのは、二郎が一生懸命とりくんでいる戦闘機の設計が戦争という大いなる殺戮の為の仕事であること、そして二郎が終戦後の荒れた焦土を前に「自分の作った零戦は一機も戻らなかった」と呟いた通り戦闘機として何の役にも立たなかったこと、むしろ無駄死にした大量の若者の棺おけとなってしまったことを、観る者が登場人物である二郎より先に知っているからである。青春の情熱をかけて二郎がやったことは、文字通り「ゼロ」に帰したのである。
しかも、最愛の菜穂子を二郎は戦後の平和を待たずに失ってしまう。
物語の最後で、二郎が目にする焦土はまさに「虚無」の体現であり、二郎の半生は「虚無への供物」となったわけである。
むろん、二郎はこう言うかもしれない。
「自分はただ性能がよくて美しい飛行機を作りたかっただけ。戦争も敗戦も大量死も関係ない。それは国がやったことで、自分には責任はない。これからも自分は性能がよくて美しい飛行機を作るために生きていく」と。
奇妙なことに、作中で二郎が自らの戦闘機作りという仕事について、葛藤したり、罪悪感を抱いたり、嫌悪したりというシーンはまったくない。かといって、逆にお国の為に尽くせることに誇りを持っている風でもなければ、敵国の兵隊を殺戮する武器の製作に関わることにサディスティックな悦びを抱いている風でもない。二郎は最後まで子供のように‘無自覚’なのだ。
むしろ、二郎の同僚であり親友でもある本庄のほうがこのあたりは自覚的である。「俺たちは武器を作っているわけではない」と自己韜晦をはかっている。二郎はそれに対して何の返答もしない。
むしろ、二郎の同僚であり親友でもある本庄のほうがこのあたりは自覚的である。「俺たちは武器を作っているわけではない」と自己韜晦をはかっている。二郎はそれに対して何の返答もしない。
こうした二郎の子供のような無意識(状況への鈍感さ)こそは、ある意味「天才」の証なのかもしれないが・・・。
戦争が終わり、すべてを無に帰した二郎の前に広がる虚無の大地。
もはや高性能戦闘機作りという‘崇高な’目的もなければ、愛する菜穂子もいない。
さあ、どうやって生きていこうか。
そのときにはじめてこの作品のタイトルが重要な意味を持つ。
風が吹いている。
生きることを試みなければならない。
これはフランスの詩人ポール・ヴァレリーの『海辺の墓場』という詩の中の一節である。
生きることを「試みなければならない(try to live)」ような生とはなんだろうか。
「風が吹いている。さあ生きていこう」ではなぜいけないのか。
ヴァレリーにとっての生とは、海辺に広がる墓場に象徴されるような「すべてを無に帰す虚無」なのであろう。ほうっておくと「死」の誘いに引き込まれるような・・・。
だから、あえて「生きることを試みよう」と自らを鼓舞する必要があるのだ。
すべてを失った二郎は、菜穂子の後を追い、死ぬこともできた。
でも、生きることを引き受けた。
そのとき、無意識的に(流されるように)生きてきた人生と決別して、意識的に「虚無への供物」を捧げる決心をしたのであろう。
というのも、人殺しと戦勝のための戦闘機を作るのも、ビジネスと観光のための飛行機を作るのも、自己表現と子供たちの為にアニメ映画を作るのも、すべからく、「虚無」の前の営みという点では等しいからである。
というのも、人殺しと戦勝のための戦闘機を作るのも、ビジネスと観光のための飛行機を作るのも、自己表現と子供たちの為にアニメ映画を作るのも、すべからく、「虚無」の前の営みという点では等しいからである。
この映画のキャッチコピー「生きねば!」が含意するもの、そしてアニメの神様にたくさんの良質の供物を捧げてきた宮崎監督が最終的に言いたかったのは、そのあたりではないか。
調べてみたら、「虚無への供物」という言葉もまた、ポール・ヴァレリーの詩『失われた美酒』の一節であった。
失われた美酒一と日われ海を旅して(いづこの空の下なりけん、今は覚えず)美酒少し海へ流しぬ「虚無」に捧ぐる供物にと。おお酒よ、誰か汝が消失を欲したる?あるはわれ易占に従ひたるか?あるはまた酒流しつつ血を思ふわが胸の秘密の為にせしなるか?つかのまは薔薇いろの煙たちしがたちまちに常の如〔ごと〕すきとほり清げにも海はのこりぬ・・・この酒を空〔むな〕しと云ふや?・・・波は酔ひたり!われは見き潮風のうちにさかまくいと深きものの姿を!
(堀口大学訳)
評価:B-
A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」
A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」
B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」
B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」
C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」
C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」
D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」
D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!