ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。 半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語に興じ、 旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

認知症

● 介護の仕事1(開始一ヶ月)

 家の近くの老人ホームで働きはじめて一ヶ月が経った。

 この一ヶ月は本当にしんどかった。
 体力的にも精神的にもこれほどしんどい思いは久しくなかった気がする。
 いわゆる3K(つい、たない、けん)と言われる介護の仕事そのものの問題もあるけれど、やはり四十代後半という年齢によるしんどさをつくづく感じた。
 毎日、仕事が終わるとヘトヘトになって帰宅し、風呂を湧かすのさえ億劫に感じるほど。朝起きても疲れは抜けず、頭もすっきりせず、「この仕事、自分には無理」と何度思ったことか・・・。
「少なくとも3日坊主はかっこ悪いよな」
「少なくとも一週間は頑張ろう」
「少なくとも一ヶ月は続けよう」
 そう思いながら自分を鼓舞し、なんとか乗りきった一ヶ月であった。

 我ながら賢かったと思うのは、正職員にならず週4日のアルバイトとして採用してもらったこと。疲れが限界になる頃に休日が入るので、リセットすることができる。これが週5日だったら、絶対にもう辞めているだろう。
 本当に「へたれ」になったものだ。

 一ヶ月時点での気づきを記す。

1. 介護の仕事は覚えることがたくさん。

 基本的な仕事の手順や一日の流れ、物品の配置、同僚スタッフの顔と名前はもちろんだが、なんと言っても、利用者の顔と名前と気質とADL(日常生活動作)と介護上のポイントを頭に叩き込まなければ話にならない
 具体的に言えば、Aさんについて、
○ 食事介助は必要か。誤嚥を防ぐために飲み物にトロミをつける必要があるか。DM(糖尿病)による糖分の摂取制限はないか。食べこぼし防止のエプロンをつける必要あるか。食前・食後薬を出すタイミングはいつか。投薬の仕方は? 嫌いな食べ物はなにか。
○ 口腔ケアに介助はどこまで必要か。義歯をつけているか。
○ 排泄介助はどの程度必要か。立位はどこまで取れるか。パットは何を使っているか。オムツの場合、オムツカバーは何を使っているか。
○ 入浴介助はどの程度必要か。個浴かリフト浴か機械浴か。衣服の着脱の注意点は何か。(脱健着患~健常部から脱ぎ、患部から着る~が基本) 湯上り後に軟膏等の処置はあるか。
○ トランス(移乗)介助はどの程度必要か。ベッドに移乗したあと、ベッド柵はどの位置にセッティングするか。褥瘡や痛みを予防するための体位やクッションの配置はどうするか。
○ どんな話題を好むか。どんな話題がタブーか。どんなこだわりを持っているか。例えば、お茶は熱いのが好き、風呂はぬるめが好き、食席は定位置、お風呂は嫌い、Bさんとは仲が悪い・・・e.t.c.

 こういった利用者についてのデータを頭にインプットしなければならないのであるが、担当フロアだけで30名以上いる。基本の介助テクすらまだ身に付いていないのに、これらも合わせて覚えなければならない。
 一生懸命メモを取り、毎日帰っては読み直し、休みの日にはデータ入力し、記憶を長期記憶に落とそうと努めていたが、情けないくらい「覚えられない」。
 30代なら少なくとも1回言われれば記憶できたことが、2回も3回も同じ間違いをしでかし、そのたび指導者に注意されることになる。注意されるのは腹が立たないが、自分の頭の悪さに腹が立つ。落胆する。
 短期記憶が鈍っている。さっき言われたことをもう忘れている。
 メモリーも小さくなっている。一度にたくさんの情報が注がれると、頭がフリーズしてしまう。結局、パニックするだけで、なにも残らない。
 若年性認知ではないかと、マジ思ってしまう。
 体力的なつらさもあるが、データ処理能力の低下がこたえる。

 自分は学生時代どちらかと言えば優等生であった。この歳になって「できの悪い子」の気持ちを理解するとは、面白いものだ。



2. 介護の仕事は気が抜けない。


 1時間の休憩時間以外は、ずっと気を張りつめていなければならない。
 なぜなら、利用者の中に転倒リスクのある人が多いからだ。自分でまったく歩けず車椅子を使っている人はまだいいが、杖や歩行器を使えば自分でなんとか歩ける人で認知のある人が危ない。自分の歩行能力を自覚していないので、車椅子から立ち上がって一人で歩きだしてしまうからだ。転倒すれば高齢者は骨折しやすい。下手をすると命に関わる。
 また、居室まで車椅子で自力で漕いでいって、車椅子からベッドに自己トランス(移乗)しようとして滑落することもある。そういう人からは目が離せない。
 たとえ、目の前の一人の利用者の排泄ケアなり口腔ケアなりに携わっていようが、全体に気を配り、誰が今どこにいてどういう状態かということを把握してないとならないのである。
 聖徳太子のようなアンテナが必要だ。

3. 介護の仕事は時間に追われる


 シフト入りしてから上がるまで、分刻みでやることがある。
 利用者の一日のスケジュールは決まっているから、それに合わせるようにすべての利用者を介助しなければならない。
 例えば、朝食を終えて、服薬介助して、口腔ケアして、排泄ケアして、居室に連れて行って、ベッドに寝かせて、必要に応じオムツ交換して・・・。全利用者がこの流れを終えて「ホッと一息」と思った頃には、もう10時のお茶の時間がせまっている。寝かせたばかりの利用者を起こしていかなければならない。(気持ちよさそうに眠っている利用者を起こすのは可哀相なのだが、日中熟睡すると夜間に眠れなくなるから仕方ないのだ。) お茶のあとはレクリエーション実施。昼食までの時間に記録をつけて、昼食のあとにはまた口腔ケアから始まる一連の流れが繰り返される。3時のおやつのためにまた起こして、レクリエーション。この流れの中に、各利用者のナースコールに対応しなければならない。「トイレに行きたい」「今日は何曜日か」「いつ家に帰れるのか」「オムツが塗れたので交換してほしい」「コーヒーが飲みたいから食堂に連れて行ってほしい」「頭が痛い」・・・・・等々。
 一日中、フロアを駆けずり回っている感じである。
 今度万歩計をつけてみよう。



4. 介護の仕事は矛盾が多い
 
 利用者の話をじっくり良く聴いて、気持ちを受けとめて、できる限り要望に添うように介護したい、と心ある介護者なら誰もが思う。介護者と利用者とが陽の当たる気持ちよさそうなフロアで笑顔でコミュニケーションしている姿が、介護職の募集広告などによく載っているので、利用者と会話するのが介護の仕事のメインと思ってしまうが、実情はそうではない。
 コミュニケーションの大切さは職員は分かっているし、もっと利用者と話す時間がほしいと思っている人も多いのだが、忙しすぎて一人一人の利用者とじっくり向き合う余裕がない。それに、一人に深く関わりすぎると、全体が見えなくなる危険もある。
 かくして、コールに追われ、忙しくフロアを走り回っている職員達を尻目に、食堂の決まった席で日がな一日、何することもなくボーッと時間を潰している老人達。
 これではボケも進むよな~、と正直思う。
 たとえば、一日30分でもいい。一人一人の利用者と向き合い、当人が一番したい話を丁寧に聞くことができたなら、当人の意識はずいぶんしっかりしてくるだろう。なにより、生き生きしてくるだろう。それが認知の改善やADL向上につながるだろう。
 だが、それができない現実がある。
 問題の一端は、人手不足。自分のところは30名近い利用者を常時2人か3人で見ている。これはどこの施設でも似たようなものだろう。安月給でも休みが満足に取れなくても利用者のためを思ってよく働く、良心的な介護職の自己犠牲によって、どうにか日本の介護は成り立っているのだとつくづく思う。
 もう一つは、利用者の側にある。
 独りでいる自分を支えるスキルを持っていない人が多い。一人で楽しめる趣味もなく、他者とのコミュニケーション能力もなければ(これは男の利用者に多い)、あり余るほどの時間は地獄の苦しみとなろう。
 ここがボケ老人と幼稚園児との違いである。幼稚園児は一人で楽しみを見つけることができる。友達をつくって(つくるという意識もなく)遊ぶことができる。
 逆に言えば、そういう人(一人遊びができない、コミュニケーション能力がない)が認知になりやすいのかもしれない。
 施設にいる間にどんどんボケが進んでいく老人を目の前に見ていると、いったい日本の介護はこれでいいのだろうかと思う。
 いや、日本人の年の取り方はこれでいいのか、と思う。



 とりあえず、自分の第一の使命は、仕事を覚えること、介護技術を身につけること、そして利用者の役に立てる介助ができることである。

 一ヶ月後には、どんな報告ができるだろうか。
 「辞めました~」でないことを祈る。


→「介護の仕事2」http://blog.livedoor.jp/saltyhakata/archives/6355170.htmlに続く。

● 「このあたり、ボケさん多し」 11/13介護のコト体験フェア(有楽町・東京国際フォーラム)

介護フォーラム1 なぜかは知らねど、11/11は「介護の日」。
 
 東京都福祉人材センター主催の上記イベントが、日曜の午後いっぱいかけて開催された。
 介護業界は、働き手不足(というか高齢化に供給が追ッつかないのが実情だろう)なので、介護職で働きたいという人をこの機会に増やしたいという意図も当然ある。会場には、福祉系らしき学生たちのみならず、これから介護にかかわろうという転職組、求職組(自分だ)の働き盛り世代などがあふれていた。


介護フォーラム2 高齢者とは65歳以上を言う。これは国際標準である。
 高齢化率とは、総人口に対する高齢者の割合。
 これが、先進国の中で日本は飛びぬけて高い。
 2010年現在で23.1%、まもなく4人に1人になろうとしている。
 2015年には団塊の世代が高齢者となる。
 平均寿命と少子化がこのままの推移で続けば、2030年時点で3人に1人が、2050年には人口の約4割が高齢者になると予測されている。
 まさに、チョ~超高齢社会である。
 
 介護フォーラム4それだけでない。
 65歳~74歳を前期高齢者、75歳以上を後期高齢者と呼ぶが、団塊の世代が後期高齢者に達する2025年の時点で、介護が必要となる高齢者の総数は500万人以上(日本人の20人に1人)、そのうち認知症の老人が323万人と予測されている。

 日本の、いや世界の歴史上かつてない、未曽有の状況が、ここ日本に到来しようとしているのである。

 一体、どうなるのだろう?

 介護の人手不足、施設の不足、年金の枯渇、若い世代の負担増。
 チョ~超高齢社会を前に不安要素はいろいろあるけれど、逆に良い点はないものだろうか。

 こんなのはどうだろう?

 高齢者が増えると、

1.生活ペースが全体的にゆっくりとなる。
 切符を買うのに手間取っているお年寄り、階段を一歩一歩確かめるように上り下りするお年寄りにいちいち目くじら立ててもしようがない。みんな、慣れていくだろう。
「前を高齢者の一団が歩いていたので遅刻しました。」
「そうか、仕方ないな。」
という会話が会社でされるようになるかもしれない。

ボケ老人マーク2.車が安全運転するようになる。
 認知症の老人(以下ボケさん)がいつ飛び出してくるかわからない。事故を恐れ、車の運転手は気をつけて走るようになるだろう。「このあたりボケさん多し。徐行」のボケ老人マークが作られるかもしれない。(左イラスト参照)

3.外を歩く人々が、周囲のお年寄りに気を使うようになる。
 ボケさんたちはゾンビのように町に繰り出す。それが当たり前になれば、一人でさまよっているお年寄りを見た人たちは、「あの人の家族はいま捜索中かも・・・」と気を使うようになるだろう。

4.バリアフリーの拡大

5.標識や看板の文字が見やすく大きくなる。

6.他人にも自分にもやさしくなる。(日本人のラテン化)
 社会全体で間違いや失敗が多発するようになるだろう。それは、A型気質完璧主義者の多い日本人にとって、「いい加減」を学ぶ良い機会になるだろう。多少のことは、互いに大目に見るゆとりが生まれてくる。

7.笑いが生まれる。(日本人のラテン化)
 ボケさんの天然ボケにあちこちで笑いの渦が起こり、世の中は明るくなるだろう。

8.見知らぬ者同士の助け合いが当たり前になる。
 
もはや他人ごとではないのだから、「情けは人の為ならず」(元来の意味で)

9.介護することが当たり前の社会になる。
 原則、介護の社会化は維持するにしても、圧倒的な人材不足から、身内の要介護者のちょっとした介護は家族ができるようになる必要がある。あるいは、外出時に困っている人を見かけたときに誰でもさっと手助けできるようになる必要がある。
 すべての人が基礎的な介護技術を身に着けざるを得なくなるだろう。義務教育あるいは高校の授業で必修になるかもしれない。
 それは、民度を高める良い手段である。

10.お年寄りだけでなく、障がい者にとってもよりいっそう暮らしやすくなる。

11.介護の人手不足から、若い外国人ヘルパーを受け入れざるを得なくなる。結果として、多文化共生社会への足掛かりとなる。

12.「老いること」「死ぬこと」が巷にあふれているから、若者にとっては、それが当たり前の風景となる。そこを前提とした新たな価値観、世界観が生まれてくる可能性がある。

 
 考えようによっては、結構面白い世の中になるかもしれない。



 
 
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