1960年日本映画。
部落問題を描いたドキュメンタリー映画としてはもっとも早い時期に作られたものである。
制作にあたっては部落解放同盟、全国同和教育研究協議会(現・全国人権教育研究協議会)ら当事者団体の協力を得ている。したがって、『破戒』や『橋のない川』などの文芸作品の映画化とは違い、当事者が関わってお墨付きを与えた「正しく」描かれた部落の姿および部落問題と、一応は言えるのかもしれない。
古い映画であり、部落問題以外のところで人権的にも学問的にも現在の感覚からすれば不適切な表現が見られるので、テレビはもとより一般の映画館で上映されるわけもなくTUTAYAに置いてあるわけもない。
上映された会場は浅草にある東京都人権プラザ、主催は東京都人権啓発センターである。上映終了後に静岡大学で部落問題を研究している黒川みどり氏の講演があった。
上映時間は60分、モノクロである。
部落の置かれている場所(崖の上や川べりなど人が住むのに適さない場所にあることが多い)についての言及から始まって、衣食住、路地の風景、生業、具体的な差別事例、不就学児童、信仰(浄土真宗の信徒が多い)、生活の中の楽しみなど、部落の人々の暮らしぶりが赤裸々に描かれてゆく。
また、部落差別をいわゆる江戸時代の「士農工商穢多非人」の身分制度由来という歴史的経緯から説明するだけでなく、「近代になっても差別はなくなるどころか、むしろそれは政治にとって必要なものとして維持されており。今も一部ではつくられつつある」という認識のもと、社会構造的な見方を提示している。(江戸時代起源説は今否定されているらしいが。)
責善教育(いわゆる同和教育)の推進によって新しい世代では部落外の人々との融和がはかられつつあるという希望も描き、部落問題を「みじめさ、悲惨さ、暗さ、恐ろしさ、絶望」といったマイナスイメージだけで語る陥穽から免れている。
まず、全編を通じて印象づけられるのは、部落の貧しさである。
60年代初頭の日本はまだ貧しかった。「ウサギ小屋」に家族が身を寄せ合って、隣近所と醤油やお米の貸し借りしながら、継ぎのあたったお古を着て、節約第一に暮らしている民は多かっただろう。
それでもここで描かれている部落の貧しさに比すべくもない。
普通なら雑巾にすらしないだろうボロボロの薄汚れた肌着が、何十枚と洗濯されて「幸福の黄色いハンカチ」よろしく紐にくくられて家の外に干してあるシーンがある。その光景は、言葉による説明をどんなにたくさん差し出されるよりも、一瞬にして部落の貧しさを観る者に知らしめる。まさに映像の持つ力である。子供の頃の自分の家も貧乏だったと思うけれど、干してあるあの肌着の中のもっともましな、もっとも汚れの少ないものでさえ、子供の頃に着せられた覚えがない。
部落外の庶民の貧しさと部落民の貧しさを分かつもっとも大きなものは、部落民は職業選択ができなかったところにある。実入りの安定した仕事は部落民には閉ざされていた。どんなに勉強して良い成績を取ろうが就職の段階ではじかれてしまう。漁村でも漁の仲間に入れてもらえず、農村でも畑が持てない。だから、昔ながらの賤業と呼ばれる実入りの悪い仕事を続けるか、下請けの下請けの下請けのような不安定な安賃金の仕事をして糊口をしのぐほかなかったのである。
職業が自由に選べさえしたら、安定した雇用が得られさえしたら、持って生まれた自分の能力が発揮できさえすれば、収入を得て貧困から抜けられる。そうやって、部落外の日本人は戦後の貧困から抜け出していった。部落民はそれが許されなかったゆえに貧乏のままに置かれ続けていた。そこから抜けて一発逆転する道は、芸能かスポーツの分野で成功するか、裏社会に連なることくらいしかなかったであろう。
この映画が上映された1960年は、同和対策審議会が設置された年でもある。これによって部落をめぐる環境は大きく変貌していく。同和対策事業に莫大な予算がつけられ、道路や住宅が整備され、貧困や就職差別を無くすためのいろいろな策が取られ、生活状態全般の改善がはかられた。教育水準も上がった。明らかに差別も減った。この映画に出てくるような劣悪の環境に置かれた悲惨な部落は、今や見つけるのが難しいだろう。その意味でこの映画は歴史的証言としての価値がある。
一方で、当時の部落問題で指摘されていることが、2012年現在の労働問題・貧困問題にそのままつながる。亀井監督の発言にこうある。
「有力な会社が部落の人々を差別して就職させない事情は、驚くほどである。(中略)会社側に言わせると、部落の人々は労務管理上やっかいな問題を起こしやすいから使わないのだそうだが、実際は一般労働者の低賃金制の土台として、部落のぼう大な失業者ないし無業者群を温存しておく方が、より有利な結果になっている。」
この「部落の人々」という言葉を「派遣労働者」「フリーター」などと変換すれば、そのまま現在の労働事情にあてはまる。
半世紀前に作られたこの映画を見て、貧しさと同時に強く感じたことがもう一つある。
それは部落の人々がもつバイタリティ、生きる力、生きる知恵である。それを部落民全体に一般化してしまうのはまたしても「ステレオタイプ」という偏見を作ってしまう危険はあるのだが、日本人がここ数十年で失ってしまったこれらのものを映画に登場する人々から感じとるのはさして難しくない。
近隣の工場から捨てられて部落を通る川を流れてくるハンダのくずを、川に入ってざるで漉して拾い集める少年の話が出てくる。集めたハンダくずを火で溶かして型に流し込んでふたたび棒状に鋳造し、それを必要とする同じ部落内の職人に売るのである。ナレーションが入る。
「部落ではどんなことでも仕事(金)にしてしまう。」
こうしたしぶとさ、生き抜くための知恵と工夫のようなものが、日本人とくに戦後生まれには欠けている。お仕着せのもの、出来合いのものあふれる中で、何不自由なく育った人間の創造力の弱さ、バイタリティの乏しさ。
部落の人々はある意味「開き直った」ところに生きている。これ以下のどん底はないのだ。カッコつけたり見栄を張ったりする余裕も必要もない。ギリギリのところで生きている人間が放つ逞しさ、なりふりかまわず生きるパワーこそ、今の日本に必要なものかもしれない。
ところで、この映画の筋書きは『製作趣意書』の中で前もって提示されていた。
閉ざされた就職の門、はばまれた恋愛・結婚、部落はつくられた、分裂政策、ニコヨン(日雇い仕事のこと)、行商、不就学児童、寺の勢力・・・等々。
この筋書きは、その数年前(1957年)に『週刊朝日』で掲載された「部落を開放せよー日本の中の封建制」というルポルタージュ記事とほとんど一致しているそうである。
つまり、当時『週刊朝日』は、部落問題を当事者視点で「正しく」とらえていたのである。
橋下大阪知事の出自をめぐる記事の件で『週刊朝日』は全面的に謝罪をする結果となった。
『週刊朝日』が橋下徹という人物およびその政治姿勢を嫌うにはそれなりの理由と因縁があるのだろう。自分もかなり危険な人物だと感じている。
しかし、いくら嫌いだろうと、相手を貶めたかろうと、超えてはいけない規(のり)がある。
『週刊朝日』はその規を超えてしまった。それと共に、過去の編集者が守ってきた「朝日」の良心を汚し、イメージを失墜させてしまった。
自分は記事そのものは読んでいないけれど、あの「ハシシタ」という見出しだけで十分差別的である。橋下徹に対する差別というよりも、「橋の下」のような劣悪の環境で生きることを強いられた部落の人々に対する蔑視と悪意丸出しである。(なんで今回、解放同盟は出て来ないのだろう?)
天下の「朝日」が人権問題でミソをつける。
日本のマスコミはまさに「病膏肓に入って」しまった。
そして、なにあらん。
橋下徹を生んだのは部落ではない。まぎれもなくマスコミであった。
評価:B+
A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。
「東京物語」「2001年宇宙の旅」
A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
「スティング」「フライング・ハイ」
「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」
ヒッチコックの作品たち
B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」
B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」
「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」
「ボーイズ・ドント・クライ」
チャップリンの作品たち
C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」
「アナコンダ」
C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」
D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」
D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!