もっとも、遊行寺(清浄光寺)の開山は、踊り念仏と賦算による遊行(全国行脚)をはじめた一遍上人ではなく、全国の弟子たちをまとめて時宗の基盤を作った二祖・真教上人でもなく、四代目の呑海(どんかい)上人である。この人が藤沢の地頭であった俣野氏の出なのである。
創建は1325年、鎌倉時代末期である。
創建は1325年、鎌倉時代末期である。
小田急江ノ島線で藤沢駅に降りる。
はじめて降りるが、とても賑やかで栄えている。人も車も多い。人口約42万の湘南の中心都市なのである。
江戸時代に藤沢宿は、遊行寺の門前町&江ノ島詣の足場として栄え、有名な歌川広重の東海道五十三次にも描かれている。
駅北口からその名も「遊行通り」を歩いて20分ほどで、堂々たる門構えの遊行寺に到着する。惣門(正門)からなだらかに延びる桜並木の四十八の石段が‘さすが総本山’という風格と情趣を醸し出している。
広い境内に入ってすぐ圧倒されるは、大銀杏。樹齢七百年、幹周り710センチある。黄色に色づく姿は圧巻であろう。幹の周囲にベンチがぐるりとこしらえてあり、木陰で一服することができる。
本堂に面するようにベンチに腰掛けると、向かって右手の樹木の間からこちらを拝みながら前かがみにすくっと立っている僧形が目に入る。
一遍上人である。
一遍上人である。
寺も組織もつくらず乞食坊主のまま栄養失調で亡くなった一遍の生き方と、奈良や京都の寺に見るような立派な本堂との取り合わせになんとなく違和感を持ちながら、手を合わせ、慈悲の瞑想をする。
生きとし生けるものが 幸せでありますように。
本堂の右手に回ると、犬猫慰霊塔がある。
卒塔婆に書かれた愛犬・愛猫の名前がいたいけない。(さすがに戒名はないらしい)
卒塔婆に書かれた愛犬・愛猫の名前がいたいけない。(さすがに戒名はないらしい)
本堂の左手に、宇賀神社への入口がある。
ご本尊は宇賀弁財天で、開運・金運上昇のご利益をうたわれている。
行かなくちゃ!
奥まったところにある社は深い緑に囲まれて、そこだけ空間が澄んでいた。
パワースポット発見!
社の裏手に回ってその証を知った。湧き水が出ているのだ。
鳥居の前にあったベンチでしばらく瞑想する。
静かで落ち着く。ここに来る途中の国道の騒音が嘘のよう。
境内でもっとも古い建物である中雀門(1859年作)の向こう側が、僧堂や寺務所や信徒会館など、僧たちの日常生活の場となっている。信徒会館から中に入ると、この時期ならではの庭園の美を鑑賞できる。菖蒲園があるのだ。
書院と渡り廊下に囲まれた中庭に咲く色とりどりの菖蒲。
良い時期に来たものである。
境内の茶屋できつねうどん(500円)を食べる。
気温は30度を超えているが、風があるので日陰は涼しくて気持ちよい。
混んでいないのが何よりである。(そのうち‘宇賀神様’で火がつくかもしれない)
昼食の後は宝物館に。
一遍上人の遊行の足取りを記した日本地図が目を引いた。北は北上(岩手)から南は鹿児島まで、ほんとうにあちこちを歩かれたのである。
ちょうどやっていた企画展『発現した姿』とは、賦算のあり方について悩んでいた一遍が熊野本宮をたずねた際、山伏の姿をした熊野権現が現れて一遍を諭したというエピソードによる。
山伏はこう言った。
「お前の勧めによって一切衆生が往生するのではない。阿弥陀仏が十劫の昔に悟りを開かれたそのときに、一切衆生の往生は阿弥陀仏によってすでに決定されているのだ。信不信を選ばず、浄不浄を嫌わず、その札を配らなければならない」
この言葉に触れて、一遍は画然と目覚めた。
阿弥陀仏を本地とする熊野権現の神勅を受けたこのときを時宗教団では「一遍成道」とし、開宗の年としている。
時宗信徒でなくとも仏教徒なら一遍は行きたいお寺である。