2010年明石書店発行。
特定非営利活動法人「ほっとポット」は、生活に困窮されている方や家を失った方(ホームレス)に対して、社会福祉士が相談や生活支援などの総合的なサポートをおこなうNPO(非営利団体)です。地域の福祉を良くしたいとの思いで、貧困、失業、病気、精神疾患、孤立、住居喪失といった生活課題を抱えた人たちに向き合い、司法や行政との連携を図りながら、権利擁護や日常生活支援等の専門的なソーシャルワーク(福祉実践)を展開しています。(本書カバーより引用)
本書は、「ほっとポット」の設立者の一人である藤田孝典(1982年茨城生まれ)が、社会福祉を学ぶ学生時代にバイトに行く道端で出会ったホームレスとの交流をきっかけに貧困問題に目覚め、新宿の夜回りボランティアや地元埼玉での自主的な巡回活動を体験し、貧困を取り巻く様々な問題を机上だけでなく実地で学び、同じ社会福祉士の資格を持つ仲間と組んで同団体を立ち上げるまでを描いている。そして、その後4年にわたる「ほっとポット」の活動の実際を、活動の広がり・発展・成果・課題・著者の問題意識の変容・今後の方向性などをからめて描いている。
ここ十数年の現場から見た日本の貧困問題を知るのに恰好の参考書であり、行政ではない民間組織――メンバー全員が社会福祉士という専門家――によるホームレス支援のありようを伺うテキストであり、社会問題を自分事として感じ取った一人の若者がその問題解決を仕事として選び取り生業として成立させていく過程を描くNPO誕生秘話であり、加えて一人の青年の成長物語としての面白さもある。
読みながら一番感じたのは、現代日本社会にこういう若者たちがいてくれることの頼もしさ、有り難さである。
別にソルティが‘いまどきの若者’に絶望しているわけでも過小評価しているわけでもない。いつの時代の若者も基本変わらないと思う。どんな時代にも、問題意識が高く、フットワークが軽く、ネットワークを作る才に恵まれ、戦略家であると同時に弱者に対する優しい心根を持った若者はたくさんいることであろう。
有り難さを痛感する理由は、単純にソルティが老いを感じているからである。
自分もいつ仕事ができなくなり、収入が途絶え、ホームレスになるかわからない。病気になっても病院に行けず、アパートで孤独死あるいはどこかの河原で凍死するかもしれない。そんな有り難くない予感が頭の片隅にちらつく昨今、「ほっとポット」のような活動をしている団体がいることは何と希望のあることか。自分とは直接関係のない、社会から見捨てられた他人のために、給料もそんなに(同年代の行政職員ほど)高くはないであろうに、八方手を尽くして動いてくれる若者のいることが、どれほど嬉しいことか。
自分もいつ仕事ができなくなり、収入が途絶え、ホームレスになるかわからない。病気になっても病院に行けず、アパートで孤独死あるいはどこかの河原で凍死するかもしれない。そんな有り難くない予感が頭の片隅にちらつく昨今、「ほっとポット」のような活動をしている団体がいることは何と希望のあることか。自分とは直接関係のない、社会から見捨てられた他人のために、給料もそんなに(同年代の行政職員ほど)高くはないであろうに、八方手を尽くして動いてくれる若者のいることが、どれほど嬉しいことか。
「ほっとポット」の意義はもちろん活動内容それ自体であるけれど、それとは違った次元で、「存在することそのもの」にあろう。こういう若者と出会うことは、つらく厳しい人生を送ってきて‘人をも世をも’信じるのが困難になったであろうホームレスの人々に、人間や人生を今一度信じる機会を与えてくれるのではないかと思う。人生の最後にマザーテレサと出会ったコルカタの貧者たちがそうであったように。
むろん、マザーテレサと藤田孝典および「ほっとポット」は違う。
一番の違いは、「ほっとポット」がその活動の理念および基本方針に、メンバーの共通する保有資格である社会福祉士の倫理綱領や行動規範を置いていることであり、その活動スタイルが現代のソーシャルワーク理論の主要潮流であるジェネラリスト・ソーシャルワークに則っていることであろう。
●ソーシャルワークの定義ソーシャルワーク専門職は、人間の福利(ウェルビーイング)の増進を目指して、社会の変革を進め、人間関係における問題解決を図り、人々のエンパワーメントと解放を促していく。ソーシャルワークは人間の行動と社会システムに関する理論を利用して、人びとがその環境と相互に影響し合う接点に介入する。人権と社会正義の原理は、ソーシャルワークの拠り所とする基盤である。(2000年7月国際ソーシャルワーカー連盟が採択)
●ソーシャル・インクルージョン
- 社会福祉士は、特に不利益な立場にあり、抑圧されている利用者が、選択と決定の機会を行使できるように働きかけなければならない。
- 社会福祉士は、利用者や住民が社会の政策・制度の形成に参加することを積極的に支援しなければならない。
- 社会福祉士は、専門的な視点と方法により、利用者のニーズを社会全体と地域社会に伝達しなければならない。
(公益社団法人「日本社会福祉士会」倫理綱領より抜粋)●ジェネラリスト・ソーシャルワーク90年代に確立したジェネラリスト・ソーシャルワークを理論的裏づけとする「総合的かつ包括的な相談援助」の基本的視座は、次の四つに集約される。
- 本人の生活の場で展開する援助・・・クライエント本人が生活する場を拠点として、クライエントとクライエントを取り巻く環境に一体的に援助を展開する。
- 援助対象の拡大・・・クライエントの側に立って総合的に問題を把握し、従来の法律の枠組みでは対応できなかった新しい問題や複合的な課題にも対応していく。
- 予防的かつ積極的アプローチ・・・予防的に働きかけ、問題が深刻になる前に対応することによって、より効果的な援助を提供する。また、サービスを拒否していたりニーズや課題があることに気づいていない人たちに対して積極的に働きかけていく。
- ネットワークによる連携と協働・・・複数の援助機関や地域住民等がネットワークやチームを形成し、連携と協働によって援助を提供することで、地域の社会資源を最大限活用し、援助の幅と可能性を広げる。
(中央法規発行『新・社会福祉士養成講座6「相談援助の基盤と専門職」第2版』より抜粋)
社会福祉士国家試験勉強中のソルティにしてみれば、「ほっとポット」の活動はまさに我が国の社会福祉の最先端をしゃかりきに道を拓きながら進んでいるブルドーザーのように思えるし、テキストで学んでいることの最も理想的な形がここに実現されているという感じを受ける。
むろん、本書で藤田が書いているとおり、テキストで学ぶこと(理想論)と実際の福祉現場(現実)にはとてつもないギャップがある。本書にはあまり詳しく書かれていないけれど、ホームレス支援の活動をする過程で思い通りにいかない現実――たとえば、福祉事務所の硬直した対応、生活保護認定の不可解な厳しさ、地域の無理解や偏見、ナンセンスな法律や条例の存在、当事者の非協力的態度e.t.c.――に直面し、憤りを感じたり、落胆したり、悲哀を感じたり、バーンアウトすれすれまで行ったり・・・ということもあったにちがいない。まだまだソーシャル・インクルージョンは日本では(世界でも)「絵に描いた餅」である。
それでも、藤田たちの熱意とプロ意識と(おそらくは)無私の純粋性にほだされて、ネットワークが広がり、協力者・理解者が増え、地域が次第に変わっていく様子を読んでいると、いまソルティが勉強している内容、つまり藤田らも履修した現在の社会福祉士養成課程というものが、おおむね正しい軌道に乗っているのだなあということを実感する。(と言うと、ソルティが養成過程に不信を抱きながら学習しているみたいに聞こえるか・・・。実は不信というほどではないが、「ソーシャルワークを仕事とするなら、もうちょっと他に知っておくべきことがあるのではないか」という思いは持っている。たとえば、日本の様々なマイノリティ問題についての情報量が決定的に不足している!)
共著者の金子充(かねこじゅう)は「ほっとポット」の幹事であり立正大学社会福祉学部の准教授である。いわば、会の活動の学術的裏づけを担保するアドバイザーであろう。
こう書いている。
こう書いている。
これまでの「社会福祉」――社会保障制度や福祉サービス――は、一般の人たちにとって非常に遠い存在であった。「社会福祉」といえば、私たちの生活の中にある「あたりまえのかかわり」ではなく、法律や行政のサービスとして存在していたり、「制度」として確立されているものを意味してきた。だから、身近なところにあるものではなく、どこか遠いところにある「難しい法律」や「特別な援助」を意味してきたように思う。
別記事で紹介した勝部麗子の『ひとりぽっちをつくらない コミュニティソシャルワーカーの仕事』(全国社会福祉協議会発行)と並び、社会福祉士およびそれを目指すものにとって必読の書と言っていいだろう。