1988年刊行。
日本の歴史学上の記念碑的名著『ハーメルンの笛吹き男 伝説とその世界』(ちくま文庫)を著したアベキンこと阿部謹也の半自伝的エッセイである。学問(歴史学)との出会い、西洋(中世ドイツ)との出会い、そして著者がブレイクするきっかけとなったハーメルンの笛吹き男の伝承との出会いを振り返ったものである。もともと中高生向けに書かれたというだけあって読みやすく、わかりやすい。
読む者は、少年時代からの著者の半生をたどりながら、アベキンの学問観、歴史観、西洋観を伺い知ることができる。
『ハーメルンの笛吹き男』(1974年平凡社より刊行)は実に面白く啓発的な内容で、歴史学者としての、文筆家としての著者の力量に感服したものである。自分はリアルタイムでは読まなかったが、当時この手の学術書としては異例のベストセラーになったらしい。さもありなん。日本推理作家協会賞でも与えたいくらいの内容だもの。
内容と共に惹かれたのは、著者の顔であった。
「いい顔だなあ~」と思った。
2006年に71歳で死去した著者に自分はじかに接する機会はなかったのであるが、そのプロフィール(顔写真)はちくま文庫のカバーで見ることができる。
おそらく50代の頃の写真だと思うのだが、学者らしい広い額の理知的な顔立ちに慈愛に満ちた眼差しが印象的である。額の広さは髪の後退のせいもたぶんにあるようだが、それさえも聖職者のような清廉さを生み出すことに寄与している。
個人的見解であるが、ハンサムとイケメン(いい顔)は違う。一つ一つのパーツを見れば、あるいはバランス的には決してハンサムではないけれど、ある条件を満たせばイケメンは誕生する。
ある条件とは何か。
それは「我」の薄さ、つまるところ心の広さである。
アベキンをイケメンにしているのは、社会的弱者、世間によって虐げられている者に対する慈愛の表情なのだと思う。
さて、ハーメルンの笛吹き男との出会いをきっかけに、著者は中世ヨーロッパの差別について知り、調べ、考えるようになった。
この伝説を調べている間中、笛吹き男とはいったい何者か、という疑問が私の頭からはなれませんでした。そこで古代ローマ以来の芸人の系譜を洗いながら、中世において笛吹き男を含めた芸人とはどのような人びとであったのかを知ろうとしました。そこで私は、ヨーロッパ中世における差別の問題にはじめて触れることになったのです。(標題書)
中世社会は身分社会でしたから、貴族、聖職者、市民、農民などの身分の区別がありました。市民、農民、貴族の間で身分の上下はあったのですが、それぞれの身分の内部では自分たちで規則をつくり、それに従わない者を罰する権利をもち、他の身分の者の介入を許さない組織をつくっていたのです。
ところが、このような身分を構成しえない人びとがいたのです。奴隷は不自由身分として古代からいたのですが、中世になるとそれとは別種の不自由民が生まれてきました。正確には中世のはじめからいたわけではなく、十二、十三世紀以降生まれてくるのですが、特定の職業に従事する人びとが、身分を構成しえない人びととして、恐れられながら、賤視されたのです。
・・・彼らは一般の人びとと結婚できず、いっさいの接触は許されず、彼らが死んでも仲間の賤民以外は棺をかつぐ者がいないのです。町の居酒屋への出入りも禁じられ、教会の中でも同じキリスト教徒なのに、特別な席に座らされ、死んでも教会の墓地の中に葬ってもらえないのです。彼らとすれちがう人びとは目をそむけ、いっさいの接触を断とうとするのです。
では、どのような職業の人びとが賤視されたのでしょうか。驚くほどたくさんの職業が賤視されていました。
死刑執行人、捕吏、墓堀り人、塔守、夜警、浴場主、外科医、理髪師、森番、木の根売り、亜麻布織工、粉挽き、娼婦、皮はぎ、犬皮鞣工、家畜を去勢する人、道路清掃人、煙突掃除人、陶工、煉瓦工、乞食と乞食取締り、遍歴芸人、遍歴楽師、英雄叙事詩の歌手、収税吏、ジプシー、マジョルカ島のクエタス(洗礼を受けたユダヤ人)、バスクのカゴ(特別な印を服につけられていた被差別民)、などがあげられています。
どっかで聞いた話そっくりではないか。
本邦における被差別民の系譜とほとんど重なる。部落民あるいはサンカなどの漂泊の民(マージナル・マン)の職種と一致する。
これは偶然ではなかろう。
なぜ、中世の途中からこのような差別が生まれたのか。
このような大きな変化は、いったいどうして起こったのでしょうか。そこには生と死についての、人間の考え方の大きな変化があったといわなければなりません。十三、十四世紀以後差別される人びとが現われることは、ヨーロッパにおける人と人との関係が大きく変わっていったことを示していると考えざるをえないのです。
人と人との関係を変えた大きな変化とは何か。
それを解くキーワードが「大宇宙」「小宇宙」である。
現代人がひとつの宇宙のなかで暮らしているとするならば、古代、中世の人びとは二つの宇宙のなかで暮らしていたといってもよいでしょう。二つの宇宙というとみょうに思われるかもしれませんが、古代、中世の人びとにとって宇宙は大宇宙マクロコスモスと、小宇宙ミクロコスモスからなりたっていると考えられていたのです。
いささか単純化しすぎるきらいはあるが、著者の説明をまとめると、
大宇宙=未知の力あふれる混沌状態。4大元素(水、火、地、風)を含む自然、天体、天候、災害、作物の出来不出来、汚物、戦、病気、運命、この世で起こるすべてのこと。
小宇宙=自分の力でどうにか掌握できるもの。人体、家、共同体(村)など。
かつて人びとは自分の力ではどうにもできない大宇宙に属する現象を神秘的なものとして恭いかつ恐れ、その猛威をなだめるために種々の儀式を執り行ってきた。これは洋の東西を問わず、原始時代に端を発する人類の初期の世界観(=宗教の発生)であろう。日本で言えば、古事記に見るようなアニミズムを特徴とする神道がこれにあたる。
上にあげた様々な職業は著者によれば、「おおまかにいって、死、彼岸、豊饒、生、エロス、動物、大地、火、水などとかかわるもの」であり、「これらのエレメントはすべて大宇宙に属するものである」。
すなわち、大宇宙と小宇宙をつなぐ特異な能力を持つ存在として、これらの職業従事者は、小宇宙に属する人びとから畏怖と恭いの入り混じった態度で遇されていたのである。そこには賤視や差別はまだ生じていなかった。
では、この構造をいったい何が変えたのか。
この時代のヨーロッパの人びとの生活は、大きく変化しつつあったのですが、それは一面において、キリスト教がようやく社会の下層にまで普及しはじめ、キリスト教の教義に基づく世界の捉え方が広まっていたためです。それは具体的にどのような変化であったかといいますと、二つの宇宙という世界の構図が崩れはじめたことを意味していました。
・・・・大宇宙の神秘は神の摂理として信仰ある者にはすべて説明されうることとされていましたから、大宇宙の緒力に対する畏怖の念は、公的には否定されてゆくのです。カトリック教会は教義の中で二つの宇宙を否定し、一元化しようとしています。妥協案として大宇宙は神そのものだという考え方も出されましたが、一般の人びとにとっては、大宇宙そのものの恐怖は、キリスト教の教義によって消え去るわけにはいかないのです。
「大宇宙は神そのものだという考え方」ってのが、本邦の「山川草木悉有仏性」を連想させるが、それはともかく。
キリスト教会は、一般の人びとの大宇宙に対する恐れの気持ちを打ち消すために、あらゆる努力を払いました。人びとが信仰の対象としていた古い大木を伐採したりもしたのです。しかし、自然に対する畏怖の念を完全に打ち消すことはできませんでしたから、人びとの畏怖の念は屈折した形をとらざるをえませんでした。
つまり、内心ではひじょうに恐れ恭っている人びとが、公的な世界ではその存在を否定され、社会的な序列からはずされていたからです。二つの宇宙が一元化されたからといって、すでにあげた職業がなくなったわけではなく、村落共同体や都市共同体にとっては、いよいよ生活に必要な職業となってゆきます。・・・・・・・・
心の底で恐れを抱いている人びとが、社会的には葬られながら、現実に共同体を担う仕事をしているという奇妙な関係が成立したのです。このような状況のなかで、一般の人びとも、それらの職業の人びとを恐れながら遠ざけようとし、そこから賤視が生じるのだと私は考えます。
つまり、キリスト教の浸透によってそれまでの古い世界観・人間観が一蹴され、聖書と教会を基盤とする新しい世界観・人間観が誕生した。その大変革の中で確固たる地位を失い転落したのが、かつて大宇宙に属する仕事に従事してた人びと――というわけだ。
この見解は、興味深いことに、別記事で紹介した本『猿回し 被差別の民俗学』の中で著者の筒井功が、日本の部落差別の根源として提示した「呪的能力者(シャーマン)の零落」という説と一致する。(筒井はアベキンを読んでいるだろうか)
日本の部落差別、漂泊民差別の発生もまた、中世において西欧と同じようなパラダイムシフトがあった結果なのかもしれない。その場合、古代からの神道的世界観に取って変わったのはやはり仏教的世界観であろう。それによって共同体に居場所を無くした最たる職種が仏教の殺生戒に反する猟や漁であったことは、能の三卑賤(さんひせん)に謡われている。
もっとも、西欧の場合と違い、日本の神道的世界観は消え去りはしなかった。神仏習合、本地垂迹というように、日本人の中で神道的世界観は仏教的世界観に組み入れられて連綿と受け継がれてきた。いまでも多くの日本人が神社参りするのが何よりの証拠である。実際、古代の神殿がここまで――遺跡としてではなく――現在に生きて残っている国は、もしかしたら日本くらいなのではないか。
いや、正解はもっとずっとわかりやすいところにあった。日本人が神道的世界観を脱しえない理由は天皇制にある。天皇がいるかぎり、神社も無くならないだろう。
してみると、日本人は古代(神道的世界観)、中世(仏教的世界観)、近代(キリスト教的世界観)の感性を地層状に合わせ持った稀有な民族なのかもしれない。(それは一方で、日本人のアイデンティティの揺らぎをもたらしている。)
中世ヨーロッパに生まれた職業による差別は、共同体が解体し個人主義が普及した近代(18.9世紀)になると消えていく。
一方、日本の部落差別はいまだに残っている。
その理由は、上記のような日本人の不可思議なパーソナリティ構造に由来するのかもしれない。
うーん。
またしてもアベキンの笛に踊らされてしまった。