ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。 半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語に興じ、 旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

阿部謹也

● 二つの宇宙 本:『自分のなかに歴史をよむ』(阿部謹也著、ちくま文庫)

自分の中に歴史をよむ 001 1988年刊行。

 日本の歴史学上の記念碑的名著『ハーメルンの笛吹き男 伝説とその世界』(ちくま文庫)を著したアベキンこと阿部謹也の半自伝的エッセイである。学問(歴史学)との出会い、西洋(中世ドイツ)との出会い、そして著者がブレイクするきっかけとなったハーメルンの笛吹き男の伝承との出会いを振り返ったものである。もともと中高生向けに書かれたというだけあって読みやすく、わかりやすい。
 読む者は、少年時代からの著者の半生をたどりながら、アベキンの学問観、歴史観、西洋観を伺い知ることができる。

 『ハーメルンの笛吹き男』(1974年平凡社より刊行)は実に面白く啓発的な内容で、歴史学者としての、文筆家としての著者の力量に感服したものである。自分はリアルタイムでは読まなかったが、当時この手の学術書としては異例のベストセラーになったらしい。さもありなん。日本推理作家協会賞でも与えたいくらいの内容だもの。
 内容と共に惹かれたのは、著者の顔であった。
 「いい顔だなあ~」と思った。
 2006年に71歳で死去した著者に自分はじかに接する機会はなかったのであるが、そのプロフィール(顔写真)はちくま文庫のカバーで見ることができる。
 おそらく50代の頃の写真だと思うのだが、学者らしい広い額の理知的な顔立ちに慈愛に満ちた眼差しが印象的である。額の広さは髪の後退のせいもたぶんにあるようだが、それさえも聖職者のような清廉さを生み出すことに寄与している。
 個人的見解であるが、ハンサムとイケメン(いい顔)は違う。一つ一つのパーツを見れば、あるいはバランス的には決してハンサムではないけれど、ある条件を満たせばイケメンは誕生する。
 ある条件とは何か。
 それは「我」の薄さ、つまるところ心の広さである。
 アベキンをイケメンにしているのは、社会的弱者、世間によって虐げられている者に対する慈愛の表情なのだと思う。

 さて、ハーメルンの笛吹き男との出会いをきっかけに、著者は中世ヨーロッパの差別について知り、調べ、考えるようになった。

 この伝説を調べている間中、笛吹き男とはいったい何者か、という疑問が私の頭からはなれませんでした。そこで古代ローマ以来の芸人の系譜を洗いながら、中世において笛吹き男を含めた芸人とはどのような人びとであったのかを知ろうとしました。そこで私は、ヨーロッパ中世における差別の問題にはじめて触れることになったのです。(標題書)

 中世社会は身分社会でしたから、貴族、聖職者、市民、農民などの身分の区別がありました。

 市民、農民、貴族の間で身分の上下はあったのですが、それぞれの身分の内部では自分たちで規則をつくり、それに従わない者を罰する権利をもち、他の身分の者の介入を許さない組織をつくっていたのです。
 
 ところが、このような身分を構成しえない人びとがいたのです。奴隷は不自由身分として古代からいたのですが、中世になるとそれとは別種の不自由民が生まれてきました。正確には中世のはじめからいたわけではなく、十二、十三世紀以降生まれてくるのですが、特定の職業に従事する人びとが、身分を構成しえない人びととして、恐れられながら、賤視されたのです。
 
 ・・・彼らは一般の人びとと結婚できず、いっさいの接触は許されず、彼らが死んでも仲間の賤民以外は棺をかつぐ者がいないのです。町の居酒屋への出入りも禁じられ、教会の中でも同じキリスト教徒なのに、特別な席に座らされ、死んでも教会の墓地の中に葬ってもらえないのです。彼らとすれちがう人びとは目をそむけ、いっさいの接触を断とうとするのです。
 では、どのような職業の人びとが賤視されたのでしょうか。驚くほどたくさんの職業が賤視されていました。
 死刑執行人、捕吏、墓堀り人、塔守、夜警、浴場主、外科医、理髪師、森番、木の根売り、亜麻布織工、粉挽き、娼婦、皮はぎ、犬皮鞣工、家畜を去勢する人、道路清掃人、煙突掃除人、陶工、煉瓦工、乞食と乞食取締り、遍歴芸人、遍歴楽師、英雄叙事詩の歌手、収税吏、ジプシー、マジョルカ島のクエタス(洗礼を受けたユダヤ人)、バスクのカゴ(特別な印を服につけられていた被差別民)、などがあげられています。


 どっかで聞いた話そっくりではないか。
 本邦における被差別民の系譜とほとんど重なる。部落民あるいはサンカなどの漂泊の民(マージナル・マン)の職種と一致する。
 これは偶然ではなかろう。
 
 なぜ、中世の途中からこのような差別が生まれたのか。 

このような大きな変化は、いったいどうして起こったのでしょうか。そこには生と死についての、人間の考え方の大きな変化があったといわなければなりません。十三、十四世紀以後差別される人びとが現われることは、ヨーロッパにおける人と人との関係が大きく変わっていったことを示していると考えざるをえないのです。


 人と人との関係を変えた大きな変化とは何か。
 それを解くキーワードが「大宇宙」「小宇宙」である。 

現代人がひとつの宇宙のなかで暮らしているとするならば、古代、中世の人びとは二つの宇宙のなかで暮らしていたといってもよいでしょう。二つの宇宙というとみょうに思われるかもしれませんが、古代、中世の人びとにとって宇宙は大宇宙マクロコスモスと、小宇宙ミクロコスモスからなりたっていると考えられていたのです。


 いささか単純化しすぎるきらいはあるが、著者の説明をまとめると、


大宇宙=未知の力あふれる混沌状態。4大元素(水、火、地、風)を含む自然、天体、天候、災害、作物の出来不出来、汚物、戦、病気、運命、この世で起こるすべてのこと。
小宇宙=自分の力でどうにか掌握できるもの。人体、家、共同体(村)など。


 かつて人びとは自分の力ではどうにもできない大宇宙に属する現象を神秘的なものとして恭いかつ恐れ、その猛威をなだめるために種々の儀式を執り行ってきた。これは洋の東西を問わず、原始時代に端を発する人類の初期の世界観(=宗教の発生)であろう。日本で言えば、古事記に見るようなアニミズムを特徴とする神道がこれにあたる。
 上にあげた様々な職業は著者によれば、「おおまかにいって、死、彼岸、豊饒、生、エロス、動物、大地、火、水などとかかわるもの」であり、「これらのエレメントはすべて大宇宙に属するものである」。
 すなわち、大宇宙と小宇宙をつなぐ特異な能力を持つ存在として、これらの職業従事者は、小宇宙に属する人びとから畏怖と恭いの入り混じった態度で遇されていたのである。そこには賤視や差別はまだ生じていなかった。

 では、この構造をいったい何が変えたのか。 

 この時代のヨーロッパの人びとの生活は、大きく変化しつつあったのですが、それは一面において、キリスト教がようやく社会の下層にまで普及しはじめ、キリスト教の教義に基づく世界の捉え方が広まっていたためです。それは具体的にどのような変化であったかといいますと、二つの宇宙という世界の構図が崩れはじめたことを意味していました。


 ・・・・大宇宙の神秘は神の摂理として信仰ある者にはすべて説明されうることとされていましたから、大宇宙の緒力に対する畏怖の念は、公的には否定されてゆくのです。カトリック教会は教義の中で二つの宇宙を否定し、一元化しようとしています。妥協案として大宇宙は神そのものだという考え方も出されましたが、一般の人びとにとっては、大宇宙そのものの恐怖は、キリスト教の教義によって消え去るわけにはいかないのです。


 「大宇宙は神そのものだという考え方」ってのが、本邦の「山川草木悉有仏性」を連想させるが、それはともかく。
 
 キリスト教会は、一般の人びとの大宇宙に対する恐れの気持ちを打ち消すために、あらゆる努力を払いました。人びとが信仰の対象としていた古い大木を伐採したりもしたのです。しかし、自然に対する畏怖の念を完全に打ち消すことはできませんでしたから、人びとの畏怖の念は屈折した形をとらざるをえませんでした。
 つまり、内心ではひじょうに恐れ恭っている人びとが、公的な世界ではその存在を否定され、社会的な序列からはずされていたからです。二つの宇宙が一元化されたからといって、すでにあげた職業がなくなったわけではなく、村落共同体や都市共同体にとっては、いよいよ生活に必要な職業となってゆきます。・・・・・・・・
 
 心の底で恐れを抱いている人びとが、社会的には葬られながら、現実に共同体を担う仕事をしているという奇妙な関係が成立したのです。このような状況のなかで、一般の人びとも、それらの職業の人びとを恐れながら遠ざけようとし、そこから賤視が生じるのだと私は考えます。


 つまり、キリスト教の浸透によってそれまでの古い世界観・人間観が一蹴され、聖書と教会を基盤とする新しい世界観・人間観が誕生した。その大変革の中で確固たる地位を失い転落したのが、かつて大宇宙に属する仕事に従事してた人びと――というわけだ。


 この見解は、興味深いことに、別記事で紹介した本『猿回し 被差別の民俗学』の中で著者の筒井功が、日本の部落差別の根源として提示した「呪的能力者(シャーマン)の零落」という説と一致する。(筒井はアベキンを読んでいるだろうか)
 日本の部落差別、漂泊民差別の発生もまた、中世において西欧と同じようなパラダイムシフトがあった結果なのかもしれない。その場合、古代からの神道的世界観に取って変わったのはやはり仏教的世界観であろう。それによって共同体に居場所を無くした最たる職種が仏教の殺生戒に反する猟や漁であったことは、能の三卑賤(さんひせん)に謡われている。
 もっとも、西欧の場合と違い、日本の神道的世界観は消え去りはしなかった。神仏習合、本地垂迹というように、日本人の中で神道的世界観は仏教的世界観に組み入れられて連綿と受け継がれてきた。いまでも多くの日本人が神社参りするのが何よりの証拠である。実際、古代の神殿がここまで――遺跡としてではなく――現在に生きて残っている国は、もしかしたら日本くらいなのではないか。
 いや、正解はもっとずっとわかりやすいところにあった。日本人が神道的世界観を脱しえない理由は天皇制にある。天皇がいるかぎり、神社も無くならないだろう。
 してみると、日本人は古代(神道的世界観)、中世(仏教的世界観)、近代(キリスト教的世界観)の感性を地層状に合わせ持った稀有な民族なのかもしれない。(それは一方で、日本人のアイデンティティの揺らぎをもたらしている。)


 中世ヨーロッパに生まれた職業による差別は、共同体が解体し個人主義が普及した近代(18.9世紀)になると消えていく。
 一方、日本の部落差別はいまだに残っている。
 その理由は、上記のような日本人の不可思議なパーソナリティ構造に由来するのかもしれない。

 うーん。
 またしてもアベキンの笛に踊らされてしまった。



 
 

● 子供たちはどこへ消えた 本:『新・忘れられた日本人 辺界の人と土地』(筒井功著、河出書房新社)

忘れられた日本人 2011年刊行。

 昔から自分を惹きつけてやまないお伽噺の一つに『ハーメルンの笛吹き男』がある。
 約束していたネズミ捕りの報酬が貰えなかった仕返しに、町中の子供たちを笛の音で躍らせてどこかにさらって行った男の物語である。
 この話のどこがそれほど自分を惹きつけるのかはっきりしないのであるが、似たようなテーマを扱ったピーター・ウィア監督の映画『ピクニック at ハンギング・ロック』(1975年、オーストラリア)もやはり同じような感慨を身内に興す。もっとも、後者で神隠しにあうのは少女たちであり、ネズミ捕りに当たるような人物は出てこない。
 神隠し。蒸発。行方知れず。失踪。
 これらの言葉が持つ、不可思議と恐怖と幾分ロマンティックな響きが、妙に琴線に触れる。日常からの逃避願望なのだろうか。山への単独行はこの延長上にあるのかもしれない。
 そう言えば、千葉県茂原で2ヵ月半ものあいだ行方不明になっていた女子高生の事件も興味をそそられる。発見された場所が神社の境内であったということが、まさに「神隠し」という昔からの言い回しを想起させる。

 『ハーメルンの笛吹き男』は1284年ドイツのハーメルンで実際に起きた130人の子供の失踪事件の伝承をもとに作られたものである。この不思議ではあるけれど単純な事件が、年代を経るごとに脚色されていく。誘拐魔としての笛吹き男(パイド・パイパー)がまず登場し、次にこの笛吹き男はネズミ捕りでもあったという変貌を遂げる。この過程には、中世ヨーロッパにおける遍歴芸人に対する差別と、収穫した穀物を襲うネズミの群れに対する人びとの恐怖心とが潜んでいることを解明したのが、阿部謹也の『ハーメルンの笛吹き男 伝説とその世界』(ちくま文庫)である。
 自分が子供の頃に読んだ『ハーメルンの笛吹き男』はグリム童話だったと思う。そこでは、他の子供達に遅れをとった盲目と足の不自由な子供二人があとに残され、大人たちに仔細を語る役を果たしている。連れ去られた子供たちがその後どうなったか知る由もない。
 ただ、物語はこんなふうに終わっていた。
「ハーメルンを山一つ超えたジーベンビュルゲン(トランシルヴァニア)のある村で、異国の言葉を話す人々がいつからか現れて暮らしている。」


 前段が長くなった。
 筒井功の『新・忘れられた日本人』は、日本の辺界の人と土地を訪ね、埋もれた歴史や語られざる風習や虐げられた人々の姿を、丹念な調査と地道な取材と豊かな想像力とで紙面に甦らせた民俗学的記録である。
 著者は民俗研究家であって学者ではない。書かれたものは、研究としての客観性、正確さを保ちながらも、小説のような味わいがある。つまり文学的である。
 文章のうまさ、わかりやすさは言うまでもないが、調査・取材の対象となる人々との距離のとり方が、科学的(=冷たく事務的)でもなく、扇情的(=差別意識が透けて見える往年のサンカ研究家の三角寛のよう)でもなく、かといって過度に同情的(=お涙頂戴or社会問題として一石を投じたい)でもない。絶妙の距離間と言っていい。
 一方、虐げられた人々に対する筒井のあたたかく哀切なるまなざしは、十分に感得される。それが基音として通底しているこの本は、珠玉の短編小説集といった趣きを呈している。


 語られるのは次のテーマである。
第1章 サンカが過ごした最後の日々
     茨城県のある山村で箕直しによって生計を立てていた一家の物語
第2章 奥会津・三条村略史
     400年以上存在し昭和59年に消滅した奥会津の僻村の来歴
第3章 ある被差別部落の誕生と消滅
     高知県のある村に明治以後に一時だけ生まれ消えていった部落の物語
第4章 「説教強盗」こと妻木松吉伝
     昭和の始めに世間の耳目を集めた説教強盗の波乱の生涯と出自
第5章 葬送の島、葬送の谷
     丹後半島のある漁村で昭和17年まで行われていた変わった葬式の記憶
第6章 朝鮮被虜人の里の400年
   秀吉の朝鮮侵略(文禄・慶長の役)の際に連れて来られた朝鮮の陶工たちがつくった里の栄光と受難

 どの一篇をとっても面白く味わい深い。
 説教強盗のことや朝鮮被虜人からなる陶器の村のことなどくわしく聞いたことがなかったので、誠に勉強になった。京都北端の伊根湾にあるという舟屋の光景も、そのうち見に行きたいものである。 

 舟屋とは、海ぎわに建つ二階家の一階部分が「駐船場」になっている家屋のことである。倉庫のようながらんどうの一階が漁船の収納庫になっているので、ちょっと離れたところからだと家は水の上に浮かんでいるように見える。そういう舟屋が湾を囲んで、すき間なく軒を連ねている。そのような特異な景観を望める場所は、国内ではここ以外にはないらしい。

伊根の舟屋



 このうち、自分が一番興味を掻き立てられ、一読遠いところまで心が連れて行かれたのは、第2章である。 

 昭和59年かぎりで消滅してしまった福島県金山町本名字三条も、その来歴や住民の昔の暮らしを語る文献を全く欠いた村の一つであった。少なくとも400年は存在していた奥会津の僻村は、どんな記録も残さず、いまでは地図の上からも消えたのである。本章は、わずかな手がかりから、この村のかつての姿を想像しようとする試みである。

 筒井は昭和52年の夏に只見川支流にイワナ釣りに向かう際に通り過ぎた三条の様子を記憶に辿る。

 そこは見たところ10戸たらずの、ささやかすぎるくらいの集落であった。気づいたかぎりでは、みな茅葺きの屋根で、曲がり屋と直屋(すごや)があった。それらが未舗装の道をはさんで左右に並んでいた。


 山中深くに孤立した集落というのは、ほかで暮らす者たちの注意を引かずにおかないものらしい。「なぜ、わざわざ、あんなところに」という疑問がわくからであろう。


 筒井は、様々な資料を手がかりにこの村の成り立ちや暮らしぶりを探っていく。
○ 暮らしは何で立てていたのか(産物)
○ マタギ(職業的猟師)が定住した集落だったのか
○ 椀、盆、木鉢、木皿、銚子などをつくる木地集落だったのか
○ 箕作りをしていた記録は何らかの被差別の歴史を暗示しているのか
○ 全戸とも栗田姓であった理由は何か
○ 落人伝説(たとえば平家の)があてはまるのか
そして、
○ 近隣の村人達とは語彙も抑揚もかなり異なった「三条のウグイス言葉」なるものを使っていた意味は何か

 もうおわかりであろう。
 まさにグリム童話の『ハーメルンの笛吹き男』の末尾を彷彿とさせる。
 マタギ説、木地師説、落人伝説を説得力ある論証によって一つ一つ消去していく筒井の推理は、地形を手がかりに飛翔する。 

 三条の起源を考えようとするとき、村の北方にそびえる御神楽岳(1387メートル)の存在が大きな鍵をにぎっているのではないか、これがわたしの推測である。
 御神楽岳は、会津にとっても越後にとっても、きわめて古くからの信仰の対象である聖山であった。

 信仰の山には、いや応なしに参拝者が集まる。御神楽岳にも、いつとも知れないころから、南北二つの登山道が開かれていた。いま南側を例にとると、只見川筋から山頂までは直線距離でも一〇キロはある。標高差で千メートルを超す。とても一気に登れるものではない。これを一日で往復するとなると、かなりの足達者でないと難しいだろう。山に通じない参拝者には、案内人も必要になる。

 そうであるなら、途中に休憩や宿泊ができる建物が欲しいところである。それは緊急の際の避難所にも、案内人のたまり場にも使える。三条は、そのような事情によって成立した集落ではなかったか。

 このあたり、読んでいてワクワクしてくる。
 金田一耕助ばりの推理は続く。 

 御神楽岳信仰は、実は越後から始まった可能性が強い。その何よりの理由は、新潟県の津川盆地や蒲原平野からは同岳が眺望されるのに、会津の方は、どこからも山容を拝することができない点にある。

 そして・・・ 

 もし右の通りであるとすれば、御神楽岳という聖山の存在によって生計の糧を得る生き方も、越後側から始まったことになるだろう。そうして御神楽岳信仰が南側の会津にも波及する、そちらへ移住して登山道の途中に村を構える者が出てくることは、ごく自然のなりゆきである。

 この推測は、三条住民のあいだで語られていた、越後からの移住伝承にもよく合う。また。「三条のウグイス言葉」の由来も、説明できることになる。


 う~ん。お見事。
 『猿回し 被差別の民俗学』でも唸ったが、人間というものがよくわかっている。共同通信の記者をやっていただけある。世間知らずの学者ではこうはゆかない。
 民俗学に必要なのは、「人間」に対する知識なのだとつくづく思う。
 

 三条は、もと御神楽岳の山腹に開かれた宗教集落であり、もっぱら山稼ぎに頼る暮らしに変わったのは信仰が衰えてのちのことであった、これがわたしが想像によってたどり着いた結論である。


 筒井の推理はここで終わっているが、あえて言明を避けたのだろうと思うところを自分が続けてみよう。


 400年前、御神楽岳への篤い信仰を抱いていた数十名からなる一団(講)が、越後から山を越えてやってきた。
 故郷を離れた理由は知る由もない。
 新しい土地に到着し、自分たちの村を拓く。
 さて、なんという名前をつけようか。
 一番有り得そうなことは、自分たちが元々いた場所、すなわち故郷の名前をそのまま付けることである。たとえば、アメリカに移住した清教徒が、ニューヨークやニューイングランドを築いたように。19世紀末にロサンゼルスに移住した日本人がリトル・トーキョーを築いたように。

 三条――。
 この名前が何よりの状況証拠なのではないだろうか。


 と、張り切って推理したところで、くだんの村はとうに消え失せているのであった。


● 本:『猿まわし 被差別の民俗学』(筒井功著、河出書房新社)

猿回しの民俗学 2013年刊。

 この本は面白い。
 筒井功はほかに『漂泊の民サンカを追って』を読んだが、これも面白かった。
 この作家は、民俗学の面白さを十分に感じさせてくれる。
 それは何かというと、文献や古老への聞き取り、地名や人名、その土地の神社(信仰)や祭事、昔から伝わっている風習やしきたりや伝説などを手がかりとして、ある文化や事物の由来・来歴・いわれ・成り立ち・変容などを探る面白さである。
 綿密な調査と取材、自然な論理展開と鋭い分析力、そして深い人間理解を伴った過去を再構成する想像力。それらが揃った民俗学には、優れた推理小説を読むのと同質の面白さがある。恰好の例として、阿部謹也『ハーメルンの笛吹き男』(ちくま文庫)を挙げたい。
 筒井の本もまた推理小説のように謎解きの興味に読者を引き込む。
 しかも、共同通信社の記者をやっていただけあってその文章はわかりやすい。
 
 題材は猿回しである。
 60年代首都圏生まれの自分は、テレビや観光地などでたまに見かける猿を使った芸というイメージしかなかったのであるが、昔は縁起物として正月に家々を回り、家人に芸を見せてご祝儀を得ていた。いわゆる門付け芸である。門付け芸をする猿まわしは、60年代初頭に日本から姿を消したとあるから、自分が知らないのも無理はない。
 その歴史は古く、中国古代の文献『荘子』や『列子』に猿回しをする芸人として「狙公」という言葉が見られるそうである。日本の文献では13世紀成立の『吾妻鏡』『古今著聞集』までさかのぼれるとのこと。
 だが、本来、猿回しの主たる仕事は芸を見せることではなかった。

 これまでに紹介してきた文献類からもうかがえるように、猿まわしという職業者の仕事は、もともとは牛馬の祈祷とくに厩祓いを主としたものであった。


 どうして、猿に馬を守る力がそなわっていると考えるようになったのか、これに納得できる説明を与えることは、実は今日でも非常にむつかしい。ただ、そのような習俗は古くから中国にも東南アジアにもあって、どうやらインドが発祥地らしいということは、ほぼ間違いがない。


 それはともかく、猿は馬の守りになる、馬の病気をふせぎ治すという思想が存在したことは、はっきりしている。のちには大型家畜の牛にも、この考え方は適用されるようになる。その結果、猿を扱う者すなわち猿飼が牛馬の祈祷を職掌とすることになったと考えられる。


 すなわち、猿まわしとは牛馬の祈祷に特化したシャーマンだといえる。これが本質であって、猿に芸をさせて喜捨を乞う芸人の姿は、時代が下ってからの転進である。

 
 この本の表紙に使われている写真(上掲)は、新潟県上越市西本町の府中八幡宮にあった「神馬」と猿の木像であるが、まさに猿と馬との切っても切れない親密な関係を表している。
 大陸から入った「厩で猿を飼う」という習俗がまずあった。著者は日本では10世紀頃から広く見られるようになったと推定している。その後、猿を連れた猿まわしが大名屋敷を訪れてお厩祓いに勤め、祓いが終わってから余興としてお偉方に猿舞を見せるようになる(江戸時代全盛)。維新後になると、正月を中心に各地に出稼ぎして、家々を回って門付け芸をしたり、路上で大道芸をするようになった。
 現代の猿まわしの姿は、この変貌の最終局面(=大道芸)だったのである。
 
 ところで、現在日本でもっとも名前の知られている猿まわしと言えば、村崎太郎であろう。80年代末に「反省する猿(次郎)」のCMで一躍有名になった。以後、文化庁芸術祭大賞を受賞したり、ニューヨーク・リンカーン・センターで公演したり、千葉県市原市に「次郎おさるランド」を開設したり、「徹子の部屋」に出演したり、その半生がドラマ化されてプロデューサーであった栗原美和子と結婚(2007年)したりと、華やかなスター街道を愛猿・次郎と共に歩いてきた。
 自分は栗原美和子の書いた『太郎が恋をする頃までには…』(幻冬舎2008年刊)を読み、はじめて村崎太郎が被差別部落の出身であること、それに、猿まわしという職業が皮革産業や食肉産業のように伝統的に部落特有の仕事とされてきたことを知った。もっとも、山城新吾の『現代・河原乞食考 ―― 役者の世界って何やねん?』(解放出版社)を出すまでもなく、日本の伝統芸のルーツは「河原者」という知識はあった。猿まわしがこれほど古い歴史を持つ伝統芸であるとは知らなかったのである。
 ちなみに、『太郎が恋をする頃までには・・・』は近頃珍しいほど真摯でピュアな恋愛小説である。平成の『破戒』と評されたらしいが、自分はむしろ『ロミオとジュリエット』を、あるいはニコール・キッドマン主演の『白いカラス』(ロバート・ベントン監督、2003年)を連想した。まったくのところ涙なしには読めない。こういう小説こそドラマ化して、近頃のつまらないテレビに活を入れるべきである。
 村崎太郎は妻の本と前後してテレビで出自をカミングアウトした。現在は、本業に加え、部落問題に関する講演や啓発活動なども行っている。


 さて、筒井は猿まわしという職業が「なぜ差別されたか」を最後に検証している。


 遅くとも中世に始まり、そして今日なお日本人を呪縛しつづけている社会的差別の根源は、いったい何に由来するのか。これは被差別部落や中、近世史の研究者のみならず、およそ自らが暮らす社会に多少なりとも関心をもつ者なら、だれしもが意識のどこかに抱いている疑問のように思われる。
 この問いに答えるのは簡単ではない。現在、最も有力とされているのは穢れと清めの両語をキーワードとする説であろう。わたしは、それに対してずっと、しっくりしないものを感じていた。それでは、どうしても説明しきれない事実があるとの思いが消えなかったからである。
 その例として猿まわし差別や、渡し守差別を挙げることができる。


 と、書いているので分かるように、本書での筒井の一番の目的は「猿まわしが差別されるようになった理由」の追求にある。
 筒井の出した結論(=仮説)は興味深い。

 その差別は詰まるところ、呪的能力者の零落であるというのが私見である。ほかの差別にはほとんど言及していないが、ほぼ同様の視点で理解しうると、わたしは考えている。


 猿まわしはもともと共同体のシャーマン(古い日本語で「イチ」という)として、恐れられ祀り上げられていた。
 それが時代を経て、人知が進み、人々の間で神の地位が軽くなっていくとともに零落していった。

 神の零落は、もっとはっきりした形でイチの身に及ぶことになる。畏敬は、それが消えたとき軽侮に転化しやすい。卑近な例を挙げれば、落選した政治家、成績が落ちたスポーツ選手、人気がなくなったタレント・・・・などのたどる道に通じている。
 畏敬と軽侮が入りまじった感情の重心が後者へ移っていくにしたがい、それはやがて差別へつながることになる。


 この部分が著者の鋭い人間観察と深い人間理解の表れだと思う。
 人は、それまで尊敬し恭順の意を表していた人間が何か失望させるような行為を働いたのを知ったとき、必要以上に容赦なくその人間をバッシングするものである。失望して、単に「普通の人」レベルに相手の地位を修正すればいいと思うのだが、以前に自分が捧げていた恭順の意の裏返しとして持たされていた劣等意識や嫉妬が、反転し、一挙にむき出しになり、相手に向かうのである。


 被差別民を指す代表的な呼称の一つに「エタ」という言葉がある。「穢多」と書くので、「穢れにふれることが多い人びと」という意味で生まれた言葉と勘違いされやすいが、実はそうではない。「エタ」という音が先にあって、あとから「穢多」という漢字をあてたのである。
 では、語源は何か。
 筒井はこう推理する。


 エタの本質は呪的能力者にあったと思われる。そうだとすると、エタの語源はイチだということになる。猿や、鹿児島県で蛇の意があるエテも同様であろう。


 イチが転じてエタになった。
 この見解、当たっているのか、外しているのか。
 いずれにせよ、当の猿たちにしてみれば「どうでもいいこと」である。
 きっと、くだらない差別に「回されている」人間たちを見て、手を打って笑っていることだろう。



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