ソルティはかた、かく語りき

首都圏に住まうオス猫ブロガー。 還暦まで生きて、もはやバケ猫化している。 本を読み、映画を観て、音楽を聴いて、神社仏閣に詣で、 旅に出て、山に登って、瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

高峰秀子

● 瀬戸内晴美になれなくても 映画:『遠い雲』(木下惠介監督)

1955年松竹

監督 木下惠介
脚本 木下惠介、松山善三
音楽 木下忠司
出演
  • 高峰秀子 : 寺田冬子 
  • 佐田啓二 : 寺田俊介 
  • 高橋貞二 : 石津幸二郎 
  • 田村高廣 : 石津圭三

 美しい風景と古くゆかしい町並みが画面に映える飛騨高山を舞台に、子持ちの未亡人・冬子(=高峰秀子)と東京から帰省した幼馴染みの青年・幸二郎(=高橋貞二)の結ばれずに終わる一夏の恋を描く。正統派の純愛ドラマと言っていいだろう。
 愛し合っている二人が結ばれなかったのは、冬子側の躊躇による。一度は人妻になった身であること、まだ幼い子供がいること、嫁ぎ先で頼られ大切にされていること、亡くなった夫の弟・俊介(=佐田啓二)から好意を寄せられていること、そして何よりも世間体である。とくに悪い噂の広まりやすい田舎の風土は大きな枷となる。これらすべての枷を薙ぎ倒して、家も子供も捨てて愛する男の胸に飛び込んでいく勇気(と言っていいのか分からないが)を、フェミニズムのフェの字もなかった当時の女性に望むのは無理と言うものだろう。誰もが瀬戸内晴美になれるわけではない。
 現代なら同じ飛騨高山の地であろうと、この二人が付き合い結婚することに、眉を顰め、目くじらを立てる者は、二人に心理的に深く関係する者意外はいないであろう。不倫でも浮気でもないのだから、なんの問題もない。その意味で、時代性・地域性を感じさせる映画である。
 しかし、木下惠介がやはり一筋縄でいかないと思うのは、冬子と幸二郎の恋の成就を最後の最後で阻む枷に、上記以外の理由を用意しているところである。
 
 思い余った幸二郎は冬子に駆け落ちを持ちかける。
 「明日の朝の汽車で一緒に東京に行きましょう」
 幸二郎は拒絶の返事をもらい、傷心を抱え、早朝の汽車にひとり乗り込む。汽笛が鳴り、発車せんばかり。
 そこへ、手提げ一つで着の身着のままの冬子が走ってくる。駅舎に飛び込み、東京への切符を買い、愛する男の胸めがけて改札を抜けようとする冬子。
 「ああ、結局、冬子は瀬戸内晴美派だったんだなあ」と、観る者が思った瞬間、冬子は改札から出てきた一人の男とぶつかる。
 それは、仕事で地方に行っていた義理の弟・俊介であった。
 なんという偶然か!
 二人の事情を知っている俊介は、問い糾すことなくこう告げる。
 「後ろのほうの車両にいますよ」
 俊介の言葉を耳にした途端、冬子の気持ちは萎えてしまう。
 彼女は悟る。
 「やっぱり、行ってはいけない」
 
 人は時に、自らの感情や欲望や思考を超えたところにある「なにものか」の声を聞く。「なにものか」は大概、偶然とか予期せぬ出来事とかシンクロニシティといった形で、人に啓示をもたらす。その声を謙虚に受け止めることで、誤った道に踏み入ることが回避される。これを宿命と言ったり、恩寵と言ったり、天の配剤と言ったりするのだろう。
 
 停車場をあとにしながら、俊介は冬子に言う。
 「行かないでくれて、ありがとう」
 冬子は答える。
 「いいえ、私こそ・・・・・ありがとう」
 
 この映画は一見、古い因習と世間体に阻まれて自らの感情や欲望を押し込めざるを得ない女性の不幸を描いているように見える。遠い雲のような幸福・・・・・。
 が、ラストシーンの早朝の高山の空は、雲ひとつなく晴れて美しい



評価:B-

A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」


D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!





● ゲイチックな週末1 映画:『喜びも悲しみも幾年月』(木下惠介監督)

 この週末(4/15,16)は木下惠介とチャイコフスキーを鑑賞した。とくに意識的に選んだわけではないのだが、両者ともゲイである。
 
1957年松竹
原作 木下惠介
音楽 木下忠司
上映時間 160分

 日本の僻地に点在する灯台を転々としながら厳しい駐在生活を送る灯台守夫婦(佐田啓二、高峰秀子)の戦前から戦後に至る25年間を描いたもの。
 四季折々の日本各地の美しい海岸風景の中に、喜怒哀楽こもごもの人間ドラマ、夫婦愛、家族愛が丁寧に描かれ、最後は感動のクライマックスで終わる。160分の長さを感じさせないストーリーテリングはさすがというほかない。大ヒットした主題歌を含む音楽も見事に作品に溶け合っている。
 
 作品自体はなんの文句もつけようもない傑作であるけれど、観ていて気になってしまうことがある。それはこれを撮った木下監督の心情のほどである。
 木下惠介がゲイであったことはまず疑いなかろう。結婚はしたが相手の女性とは入籍せず、新婚旅行で見切りをつけ夫婦生活もないままに別れたという。その後、独身を貫いている。養子は取ったが実子はなかった。日本初のゲイ映画と言われる『惜春鳥』(1959)を筆頭に、木下作品には男性同士の親密な関係を描いたものが少なくない。
 むろん、同性愛そのものずばりを描くことなど当時考えられなかった。‘そのものずばり’と言えるのは、おそらくピーター主演の『薔薇の葬列』(1969年、松本俊夫監督)が本邦初だと思うが、これは非商業主義的な芸術作品を専門とするATG製作・配給であった。木下惠介は最後まで‘そのものずばり’を撮ることはなかったし、松竹もそれを望まなかったろう。木下惠介と言えば、やはり夫婦や親子の機微を克明に描く家族ドラマの名手というイメージが強い。ソルティが子供の頃にTBS系列で放映されていた「木下惠介アワー」がその印象を強めている。
 
 天才肌のプロフェッショナルとして、大衆が望み喜ぶもの(=客が呼べるもの、視聴率が良いもの)を作るのは木下監督にとってお茶の子さいさいであったろう。男と女の恋愛や葛藤や別れ、夫と妻の信頼や裏切りや破綻、親と子の愛情や憎しみや衝突。こうしたものを木下惠介は、時にシリアスに、時にユーモラスに、時に詩情豊かに、時に皮肉たっぷりに、時に激しく、時にしみじみと、包丁さばきも鮮やかに描き出している。大衆的な人気もうべなるかな。
 しかるに、これらは言わば「マジョリティの世界=ヘテロの世界」の出来事である。ゲイであり子供を作らなかった木下惠介にとってみれば、男女の恋愛も親子の愛憎も他人事だったのではなかろうか。‘外野に置かれている’感覚を伴いながら、これらの作品を撮っていたのではなかろうか。
 むろん、外野にいたからこそ内野の様子がよく見えたのであろうし、感情的に巻き込まれることなく冷静な視点を保ちながら鋭い人間観察ができたのであろう。加えて、ゲイセクシュアリティの利点を生かし、男の立場と女の立場の両方を理解し、その相克をリアルに描き出すことができたのかもしれない。
 一方で、常に外野から他人事(=ヘテロ)の人生ばかりを描いていて、ある種の欲求不満にはならなかったのであろうか? 芸術家にとって何よりの創作モチベーションであるはずの自己表現欲求を、木下監督はどう始末していたのだろう? 単に、自らの作品中に‘熱き友情’と解されうる男同士の絆を添え物的に挿入することで満足していたのだろうか?
 気になるところである。
 
 とりわけ、この『喜びも悲しみも幾年月』は、長年連れ添った夫婦の絆がテーマである。最も木下惠介自身からは遠い題材であると言わざるをえない。それは、彼が望んでも得られないものであったし、自らの実体験をもとに深い理解と共感をもって描き出せるテーマではなかったはずである。(原作と脚本も木下監督の手になる)
 いったい何故こんな芸当が可能だったのだろう?
 彼が心から欲しいと願っていたもの、理想として胸に秘めていたものをリアリティもって創造したからこその離れ業だったのだろうか。
 それとも、自らの両親の姿が念頭にあったのか。 
 
 ウィキによると、日本においては長崎県五島市の女島灯台が最後の有人灯台であったが、2006年(平成18年)12月5日に無人化され、国内の灯台守は消滅したそうである。
 


評価:B-

A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!




● 70年覚えてる 映画:『無法松の一生』(稲垣浩監督)

1958年東宝

 『無法松の一生』(原作は岩下俊作の小説)は、映画で4回、テレビで4回、制作されている。国民的人気のストーリーであり、無法松は愛されキャラなのである。村田英雄の歌でもよく知られている。
 が、ソルティはタイトルから森の石松みたいな任侠もの、あるいは子連れ狼みたいな殺陣中心の時代劇と勘違いしていたので、これまで食指が動かなかった。
 先日職場の老人ホームで利用者らとお茶を飲みながら雑談しているときに、なぜか和太鼓の話になった。と、90歳を超えた女性利用者Kさんが、「和太鼓と言えば、『無法松の一生』は素晴らしい映画だから、あなたぜひ観なさい」とおっしゃる。Kさんによれば、「若い頃に学校の先生に薦められ友人らと観に行って、とても感動した」のだそうだ。とすれば、1943年版(74年前)の阪妻主演の映画だろう。
 どうやらソルティの想像とは違い、人情物で‘忍ぶ恋’がテーマらしい。(だから、当時キャピキャピの女学生であったKさんは今もストーリーを空で言えるほど感動したのである)
 Kさんと同じ阪東妻三郎主演の1943年版を観たかったが、近所のTUTAYAには置いてなかった。同じ稲垣浩監督が撮ってベネチア国際映画祭金獅子賞(グランプリ)に輝いた三船敏郎主演の1958年版を鑑賞した。

 4回の映画化における主要スタッフとキャストを並べてみよう。

1943年版(大映)
監督 稲垣浩
脚本 伊丹万作
音楽 西悟郎
撮影 宮川一夫
出演者
  • 無法松(富島松五郎) 阪東妻三郎
  • 奥さん(吉岡良子) 園井恵子
  • ボン(吉岡敏雄の少年時代) 沢村アキラ
  • ボンの父 永田靖
  • 結城重蔵 月形龍之介
上映時間 99分(現存78分)

 脚本の伊丹万作は、『お葬式』『マルサの女』の伊丹十三監督の父親である。宮川一夫は、言うまでもなく日本が世界に誇る名カメラマン。『羅生門』『雨月物語』『近松物語』『破戒』など手がけた傑作は枚挙の暇が無い。園井恵子は宝塚出身の女優。作品公開の2年後に広島で被爆して亡くなっている。ボンの沢村アキラは長じての長門裕之。地域の顔役・結城重蔵を演じる月形龍之介は、往年の時代劇スターだが、水戸黄門役でも名を馳せている。モノクロ撮影で、戦時下のため検閲により20分程度削除されている。(どうやら肝心の恋にまつわるシーンがカットされたらしい)
 阪東妻三郎主演の『破れ太鼓』(木下恵介監督、1949)は、この作品屈指の名シーンである‘祇園太鼓の暴れ打ち’のパロディーだったのだな。 

1958年版(東宝)
監督 稲垣浩
脚本 稲垣浩、伊丹万作
音楽 團伊玖磨
撮影 山田一夫
出演者
  • 無法松 三船敏郎
  • 奥さん 高峰秀子
  • ボン .松本薫
  • ボンの父 芥川比呂志
  • 結城重蔵 笠智衆
上映時間 104分

 三船敏郎の演技達者ぶりに感心する。どんな役でもこなせる俳優、すなわち名優だったのだと今さらながら痛感する。高峰秀子も同様。銀幕スターとしてはけっして美人なほうではないが、深く印象に刻まれる。最も田中絹代に近づいた女優は高峰秀子なのかもしれない。芥川比呂志は作家芥川龍之介の長男である。笠智衆の出演はソルティのような笠爺ファンにはうれしいサプライズ。

1963年版(東映)
監督 村山新治
脚本 伊藤大輔
音楽 三木稔
撮影 飯村雅彦
出演者
  • 無法松 三國連太郎
  • 奥さん 淡島千景
  • ボン 島村徹
  • ボンの父 中山昭二
  • 結城豊蔵 松本染升
上映時間 104分

 三國連太郎&淡島千景の「無法松」も非常に気になる。ナイーブな芸術家気質の三國は豪快で竹を割ったような性格の無法松には向かないと思うが、鬼のような演技力でどこまでカバーしているか見物である。淡島の奥さんははまり役だろう。中山昭二はむろんウルトラセブンの隊長である。

1965年版(大映)
監督 三隅研次
脚本 伊丹万作
音楽 伊福部昭
出演者
  • 無法松 勝新太郎
  • 奥さん 有馬稲子
  • ボン .松本薫
  • ボンの父 宇津井健
  • 結城重蔵 宮口精二
上映時間 96分

 伊福部昭がどんな音楽をつけているかが気になる。ゴジラのテーマで有名な人だが、『日本誕生』で見る(聴く)ように民族的なオーケストレイションが冴える作曲家である。勝新はまんま無法松だな。三隅研次のスタイリッシュな映像も気にかかる。

 大映、東宝、東映と当時の大手映画会社がこぞって手がけているところに、『無法松』の絶大な人気を感じる。松竹が撮っていないのは路線が違うからか? 

 無法松のような男が、いまいったい日本のどこにいるんだろう?
 無法松が奥さんに抱いたような献身的な秘めたる恋が、どこを探せばあるんだろう?

 なんだか胸が痛くなるような切ない映画で、Kさんが70年間忘れずにいたことに納得した。
 ソルティは今から40年後、覚えている映画があるだろうか?
 そもそもそこまで生きているだろうか? 


 
評価:A-
 
A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!




● 高峰秀子、礼讃!! 映画:『永遠の人』(木下恵介監督)

1961年松竹映画。

  米国アカデミー賞外国語映画部門にノミネートされた評価の高い作品である。
 オスカー受賞=いい映画というわけでは全然ないけれど、この映画は間違いなく傑作である。

 主演の高峰秀子の演技は、伝説的名女優・田中絹代ばりのリアリティと集中力の域に達していて、これまでに見た高峰秀子の作品の中では文句なく最高級の賛辞に値する。十代の小作人の生娘から、孫を腕に抱く白髪・皺まじりの老けこんだ地主の奥様までを、昭和期の5つの時代を5幕仕立てで描く構成の妙を天才的勘と知性とでのみこんで、歳ふるとともに変わってゆく女の姿と、何十年という歳月を経てもなお変わらない女心とを、ものの見事に演じ切っている。
 人々の愛憎を悠然と眺める阿蘇の雄大な風景も効果的。日本の農村の因習に満ちた土着文化の息苦しさや忌まわしさ--横溝正史のミステリーに代表されるような--を、のびやかな空間でもって解放している。
 監督の実弟である木下忠司の音楽も素晴らしい。暗く陰惨になりがちなストーリーを、フラメンコという異質なものをかけ合わせることでラテン的に救い上げ、一方で情熱と哀愁に満ちたギターとカスタネットの調べが、「生娘だった自分を無理やり犯し、好きな男との間を切り裂いた憎き男(=仲代達矢が演じている)」の妻として生き続けなければならない一人の女の悲しい物語を、国や文化を越えた‘女の一生’ドラマにまで引き揚げている。
 センスが良い。

  この作品を観ると、木下恵介が同時代に活躍した黒沢明にも小津安二郎にもない、あるいは現代活躍する多くの映画監督にもなかなか見られない、極めて優れたオリジナリティ(=天才性)を持っていたことが理解できる。
 それは、一言でいえば、写実主義にも等しい人間の心理描写の細やかさである。
 とりわけ、この作品のほか『香華』や『女の園』に見られる女の心理描写について、まるで女性作家のごとき繊細にして執拗な心の綾をたどるのに長けている。
 むろん、あくまでも「女性的資質を多分に持つ男性作家が想像する女性の心理」の域はどうしたって出ることは叶わないものの・・・。

  日本が生んだ偉大なる‘ゲイ’術家の一人であることは、もはや疑いようがない。
 今後ますます国際的な評価は高まるものと推測される。
 「永遠の人」とは木下自身である。


 評価:A-


 A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!



● 高峰三枝子礼讃! 映画:『女の園』(木下恵介監督)

1954年松竹映画。

 戦後、時代錯誤で封建的な私立女子大学の寄宿舎。厳しい規則でがんじがらめになっている女子学生たちの学校(教師たち)への反乱の一部始終を描いている。
 ストーリーそのものも面白いし、当時の風俗や街の様子を知るのも楽しいけれど、なんと言っても最大の見所は戦後を代表する4人の大女優の競演に尽きる。
 
 女子大生に扮するは、久我美子、岸恵子、高峰秀子
 岸恵子の切れ長のパッチリした目の美しさは、パリジェンヌの自由奔放さとともに中山美穂に受け継がれたのか。もっとも岸恵子のほうが意志が強くて気風がいい。高峰秀子は泥臭くて個人的にはどうも好きにはなれないが、演技力はピカイチ。情緒不安定で鬱っぽくヒステリー気質の女性を確かな演技で表現している。久我美子は蝶になる前のサナギといった感じ。
 一方の敵役、冷酷な舎監に扮するは高峰三枝子。
 これが素晴らしい。上記3人の人気女優を含む多数の女子学生たちを一人で相手にし、いささかも臆するところのない圧倒的な存在感。能面のように上品で無感情な美しさを、一部の隙ない日本髪と着物姿で引き立てて、女子学生の模範たるべき見事な言葉遣いで、規則違反の学生たちを容赦なく叱責する。これははまり役と言っていいだろう。この映画の主役は誰かと聞かれたら、高峰三枝子である。
 
高峰三枝子3 高峰三枝子と言えば、まず想起するのは思春期の頃に観た『犬神家の一族』(市川崑監督、1976年)の真犯人・犬神松子である。信州の片田舎の広いお屋敷のきれいに目の揃った畳の上に、隣りに白い覆面をしたスケキヨをはべらせて怖い顔で正座している着物姿が目に浮かぶ。
 そして、同じ金田一耕介シリーズ『女王蜂』(1978年)でのほんの脇役にすぎないのに強い印象に残る元宮様の奥方役。事件の隠された真の根源は「この女か」と思わせるほどの悪役高慢キャラであった。
 とどめに同年公開された手塚治虫原作『火の鳥』の邪馬台国女王ヒミコ。
 この3作連打で自分の中の高峰三枝子の印象はほぼ決まった。
 鉄面皮で高慢な女王様。
高峰三枝子2 その後、夏目雅子が三蔵法師を演じたテレビドラマ『西遊記』でお釈迦さまに扮したり、国鉄(現・JR)「フルムーン」のCMで夫役の上原謙と共に温泉に入り豊満な乳房を披露して話題になったりと、上記イメージを覆すようなお茶の間路線を打ち出したが、どうにも印象は変わらなかった。フルムーンのCMなど、確かに谷間くっきりのたわわな乳房がお湯の中で浮いているけれど、少年にとっては見たくもない「ババアの谷間」である。むしろ、当時国会議員であった山東昭子がそれをシリコン入りの贋物と中傷し、それに高峰が怒り心頭となって反論したことのほうが愉快なエピソードとして受け取られ、既存の高峰イメージを固定化させるのに役立った。
 
 鉄面皮で高慢。
 一番の原因は、やはり顔立ちにある。目尻のこころもち釣り上がった細長い目、若干の三白眼、すっと長くて先の尖った鼻、自然に結ぶと両端の垂れ下がる唇、がっちりした顎。これらのパーツが集まると、美しく高貴だけれど人を寄せ付けない風情が漂う。
 だから、自分が物心つく前の若い時分の高峰三枝子の人気のほどを聞くと、意外な気がする。
 松竹の清純派シンデレラから看板スターへ。
 歌う映画女優の草分け。(『湖畔の宿』はじめ、いくつものヒット曲を出している)
 戦地慰問の花形。
 フジテレビのワイドショー「3時のあなた」の人気司会者(1968-1973年)。
 この流れがあって、「フルムーン」の巨乳に世の中高年男性大はしゃぎという現象がはじめて理解できるのだ。

 高峰三枝子の昔の映画は小津安二郎の『戸田家の兄妹』(1941年)くらいしか観ていない。
 たしかに美しかったけれど、あまり印象は残っていない。他のどの女優がやっても構わない。高峰じゃなければこの役は映えないという域には達していなかったように思う。 
 一方、『犬神家』の松子夫人、『女王蜂』の東小路隆子、それにこの『女の園』の五條真弓は、高峰でなければ面白くない。‘鉄面皮’の美貌を持つ高峰だからこそ、ここまでの存在感とドラマ性を醸し出せる。キャラが立っている。
高峰三枝子1 高峰秀子ら演じる女子学生の前に絶壁のように立ちはだかる五條真弓は、自由と人権を求める若者に共感する観る者にしてみれば、実に憎らしく、手強く、取り付く島のない女ヒトラーのようなキャラである。しかも無類の美人ときては、どこからも崩しようがない。
 それが映画の最後には、実は悲しい過去を持つ一人の弱き女であることが明らかにされる。鬼の目にも涙、五條の能面から大粒の涙がほとばしる。 
 鉄面皮の下に隠された女の業や哀しみが一瞬かいま見られるとき、女優としての高峰三枝子の素晴らしさが光り輝くのである。



評価:B+

+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」
        「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!


 

● 不愉快なコメディ 映画:『カルメン故郷に帰る』(木下恵介監督)

高峰秀子 1951年松竹。

 『二十四の瞳』『浮雲』と並ぶ高峰秀子の代表作である。
 この女優が演技達者なのはいまさら言うまでもない。その後物書きとしても成功したけれど、頭がいいのも間違いない。
 が、自分は高峰秀子人気がよくわからないのである。
 とりたてて美人ではない。スタイルも純日本人体型の大根足である。セクシー女優というには庶民的すぎる。
 これまでにはなかったタイプの女優――といったところが魅力だったのだろうか。

 国産初の総天然色映画として有名なこの作品は、喜劇に分類されている。
 都会でストリッパーをしているオツムの弱いリリィ・カルメン(=高峰)が、「故郷に錦を飾る」べく浅間山麓の村に同僚マヤと帰省して一騒動起こす、という単純なストーリー。
 高峰の演技はあくまで伸びやかで屈託がない。素朴な田舎の人びとの反応も滑稽で微笑ましい。ストリッパーとなった娘を愛しながらも恥に思う父親(=坂本武)の複雑な胸中が描かれるとはいえ、全体には喜劇的トーンで統一されているのは間違いない。全編オールロケ、村人の騒動を悠然と見守る浅間山をバックに、広々としたすがすがしい風景が適確なロングショットで捉えられている。牧歌的という言葉の似合うコメディではある。
 しかし、自分は素直に楽しめなかった。

 リィリィは最初、東京で成功した人気舞踏家という触れ込みで帰郷する。村人は、垢抜けた都会風のリィリィとマヤを持て囃す。彼女たちの行くところには人垣ができる。男たちはやに下がる。
 しかるに、リィリィがかつて好きだった男(=佐野周二)に迷惑をかける羽目になって、名誉挽回のため村人への「芸術披露」を行うくだりに至って状況は一変する。
 村人たちは、リィリィの言う芸術とはストリップのことであり、舞踏とは裸踊りのことであると知る。
 東京に帰る前日、リィリィとマヤは、父親や子供たちをのぞいた村人総出の舞台で裸踊りを披露する。男たちが首を伸ばし固唾を呑んで見守る中、ビキニが、そして最後の一枚が、はらりと宙に舞う。
 翌日、謝礼をもらい汽車に乗って故郷をあとにするリィリィは満足気である。
「田舎の人たちに本物の芸術を見せてやった。」
 女優のような鷹揚な笑みを浮かべ、見送る男たちに悠然と手を振る。
 一方、男たちはもはやリィリィを馬鹿にしている。鼻でせせら笑い、いやらしい仕草で、二人を見送る。転落した女への侮蔑丸出しである。
 
 不愉快きわまる話ではないか。
 これが喜劇として喝采を博すほど、当時の大衆も批評家もお目出度かったのである。フェミニズム的に盲だったのである。
 赤線や青線がまだあった、街角にパンパンが立っていた1951年じゃ仕方のないことであろう。
 
 監督(脚本)の木下恵介はどうだったのか。
 登場する男たちと同じ視線、同じ価値観でリィリィを見たのだろうか。
 そこが興味深いところである。
 ゲイである木下監督(←決めつけてる)は、ヘテロの男のようには状況を見ていなかった可能性がある。彼なら、劇中の真面目な校長先生(=愛すべき笠智衆)同様、リィリィのストリップショーに行かなかったかもしれない。行っても、他の男のようには興奮せずに、冷めた目で舞台や周囲の観客たちを観察していたであろう。
 自分を喜ばせ満足させてくれるものを下に見て侮蔑する男たちの倒錯した性は、木下恵介の目にはどう映ったのだろうか。
 この作品が実は喜劇ではなく風刺劇なのではないか、と思うのはその点である。
 そのように観たときに、映画の冒頭で流れ、劇中でも繰り返し流れる、おそらくはこの映画のために作られたであろう『ふるさと』という歌が、喜劇には似合わないもの哀しい旋律を帯びている不可解に合点がゆくのである。その調べには、懐かしいけれど愚昧な風土に対するアンビバレントな思いが響いている。
 
 この映画のパロディとして、1978年に同じ松竹から『俺は田舎のプレスリー』(満友啓司監督)が上映された。こちらは、青森県が舞台で、故郷の秀才である青年・真実男がフランスで性転換手術をし「女」になって帰還するという話である。主演は、まさに適役カルーセル麻紀であった。
 「カルメン」と同じような転落(男から女への!)の物語で、村人は最初から冷たい目でかつての秀才に遇する。
 しかしながら、この映画は途方もない美しさに輝く傑作であった。それはカルメンが帰郷で得られなかったものを真実男は得たからである。
 
 木下監督は『プレスリー』を観て歯ぎしりしたに違いない。

 
 
評価:B-

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」    

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!

● 映画:『宗方姉妹』(小津安二郎監督)

 1950年新東宝。

 日本映画の至宝女優たる田中絹代と、元祖銀幕アイドルたる高峰秀子の共演、撮るは名匠小津安二郎、と来ては期待せずにはいられまい。
 が、どことなくちぐはぐな印象が残る作品である。

 面白くないわけじゃない。むろん、演技や演出が下手なわけでもない。

 古い価値観、倫理観を大切にしながら妻として凜と生きる姉・節子を演じる田中絹代も、新しい時代の風を柔軟に受け入れながら自分に正直に自由に生きようとする妹・満里子を演じる高峰秀子も、ともにすこぶる魅力的で、それぞれの役に生き生きとした個性とリアリティを与えることに成功している。
 加えて、節子の夫・三村を演じる山村聡のうらぶれた、すさんだ、しかし最後まで矜持を捨てない男の造型も見事である。「よくできた、理想的な」妻を持つがゆえにかえって、無職の不甲斐ない家長でいることが桎梏となって心の休まる場所を持たない男の心理を、山村はあますところなく演じ切っている。節子がかつての恋人である田代(上原謙)と実際に不倫していたのであれば、むしろそのほうが楽だったかもしれない。節子を責める口実ができるし、不道徳な妻に対してもはや引け目を感じる必要はないからである。 
 三人の役者の演技合戦は見物である。

 ちぐはぐなのは、暗くドロドロした人間関係の生み出すダイナミズム(活力)と、すでに完成されている小津安二郎のスタティックでユーモラスな演出スタイルとが噛み合わない為と思われる。

 映画冒頭の大学教授(齋藤達雄)のとぼけた感じの講義シーンから始まって、笠智衆のあいもかわらぬ飄々とした趣き、新薬師寺境内の美しいショット、豪華な応接セットの中での田代と満里子のユーモラスなやりとり、真下頼子(高杉早苗)が箱根の旅館の窓から見上げる白い雲・・・・。『晩春』や『東京物語』ですっかり馴染みとなったこれら一連の小津印のついた流れの中で、三村が登場するシーンは息苦しいまでの重さと生真面目さとで流れを堰き止め、澱みをつくっている。三村が飼い猫を抱き上げる本来なら幾分の愛らしさを感じさせるはずのシーンですら、なんだか戦前の肺病持ちの売れない文筆家の生活を描いたリアリズム作品みたいで、貧乏臭さばかりが匂ってくる。
 それは、前者の流れの持つ品のある晴朗感と対比されることで燦然たる効果を発揮するという方向には向かわず、お互いの世界のリアリティを打ち消しあう結果となってしまっている。


 小津監督が自分のスタイルを確立した時、それは何を撮るのかが自ずから限定されてしまった時なのであろう。より正確に言えば、何を撮るべきでないかが決まってしまったのである。
 そのスタイルは、たとえば黒澤監督のスタイルとは違って、さまざまな素材を自由に料理して盛りつけることのできる器ではなかった。黒澤の器が何にでも使える大きな平皿だとしたら、小津のそれは醤油を入れるスペースまで付いた刺身専用の皿みたいなものである。素材が刺身である時は、ほかの誰も真似できない至高の高みまで到達するが、肉料理を盛り込むとどうしてもちぐはぐにならざるをえない。せいぜい馬肉の刺身までが許容範囲である。

 ドロドロした男女関係は肉料理の最たるものであろう。



評価:B-

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」
        ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」
        「ボーイズ・ドント・クライ」
        チャップリンの作品たち   

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」
        「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!


 

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